2018年02月13日

核肯定に転じた河野太郎

【<衆院予算委>河野外相「評価しない理由ない」 米核見直し】
 河野太郎外相は5日午前の衆院予算委員会で、米国の核戦略指針「核態勢見直し(NPR)」について「北朝鮮の核・ミサイルの脅威を現実のものと受け止めており、高く評価しない理由はない」と述べた。立憲民主党の逢坂誠二氏が、河野氏の3日の談話を「問題が多い」とただしたことに反論した。
 河野氏は「日本の領土を北朝鮮のミサイルが2度、飛び越えていった」と述べ、オバマ前政権が「核兵器のない世界」の実現を掲げたころより安全保障上の脅威は増したと指摘。「NPRは同盟国にも米国の抑止力はきちんとコミット(関与)すると明確にした。(日本は)核の抑止力を自ら用いることはできない」と評価の理由を説明した。
 逢坂氏は「NPRは米国による核兵器使用のハードルを下げ、核の先制使用の可能性も含む非常に危険な内容ではないか」と政府の対応を批判した。
 安倍晋三首相は、来年10月に予定される消費税率10%への引き上げについて「子供たちの未来へ投資するため、恒久財源をしっかり得ていきたい。そういう状況をつくっていきたい」と述べ、増税を先送りしない考えを重ねて示した。立憲の青柳陽一郎氏の質問に答えた。
(2月5日、毎日新聞)

外相に就任するまで、河野太郎氏は、核軍縮・不拡散議員連盟(PNND)日本支部の代表だった。PNNDは、核軍縮をめざす国会議員の世界的ネットワークで、それなりの権威を持つ団体である。その河野氏をあえて外務大臣にすえ、ここまで言わしめるのは、自民党内の反核派・対米自立派を封じる狙いがあったとはいえ、安倍氏の人事力はなかなか侮れないものがある。やりにくい課題に対して、あえて反対派にやらせるというのは政治の世界ではよくあることで、その最たるものが村山富市氏だった。

今回の米国の核戦略転換は、世界覇権からの撤収と軍縮を前に、「使い勝手の良い核戦力」を充実させることで、全体の軍縮を進める前提条件を整えようという思惑があると見られる。今のところ情報がそろっていないので、この辺は推測に過ぎないが。

日本は戦後の東西冷戦の下で、日米安保を締結してアメリカの核の傘に入ることで、自国の軍事的負担を極小化、経済発展の原動力としてきた。1990年代以降、主敵だったソ連が消失して、アメリカの覇権に陰りが生じ、それに替わって中国が台頭してくる。だが、アメリカはソ連に対して採った直接対立に基づく対称的封じ込め政策を、中国に対しては採らず宥和政策と人権外交を中心とした非対称封じ込め政策を採用してきた。しかし、日本は対中宥和を採らず、対決政策を促進、東アジアの危機を煽ることで、日米安保体制を護持する方針を堅持してきた。

日米安保を維持してアメリカの核の傘を利用することで自国の安全保障を実現するならば、トランプ政権の方針に反対することなどできるはずもない。
本ブログでは何度も指摘してきたことだが、日本の選択肢は多くない。

1.アメリカの核を借用する日米安保体制
2.日中露を軸とした東アジア集団安保体制の構築
3.独自武装(中立)路線


私個人は「3」を理想とするが、その暴走した末路が1945年であったことを思えば、相当にハードルの高い政策で、あまり現実的とは言えない。すると、選択できるのは「1」か「2」かしかなく、「中露と仲良くとかあり得ない」となれば自然と対米従属を維持するしか無い。

とはいえ、日米安保と核抑止を信仰するのであれば、どうして外務大臣職を引き受けたのか。あるいは、それまでの核軍縮スタンスはあくまでもフェイクだったのか、疑問は残る。
我が国は、北朝鮮の核兵器の脅威にさらされています。極めて強い破壊力を持つ核兵器による攻撃を防ぐためには、核兵器による抑止が必要です。抑止のために、核兵器がもたらす破壊力と同等の脅威を通常兵器でもたらそうとすれば、莫大な量の通常兵器が必要になり、とても現実的ではありません。
また、日本は、専守防衛をうたい、非核三原則を堅持する方針を明確にしています。ですから日本は、北朝鮮の核への抑止を米国の核兵器に依存することが必要です。
(中略)
核兵器のない世界を目指すためには米国の核の傘に依存するべきではないという御意見もありますが、北朝鮮による核・ミサイル開発が進展している中で、非核三原則を堅持しながら国民の生命と平和な暮らしを守るためには、日米同盟と米国の抑止力の下で安全を確保していかなければなりません。
(「ごまめの歯ぎしり」 2018年2月5日号 米国の核戦略見直し)
posted by ケン at 12:56| Comment(3) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月11日

ザ・ステイト〜虚像の国



『The State』 ピーター・コズミンスキー監督・脚本 ナショナルジオグラフィック・英Channel 4

昨秋録画しておいたのだが、選挙があってすっかり忘れていたのを思い出した。
住んでいた英国を出てシリアに密入国し、イスラム国に参加(移住)する4人の男女(中東系とアフリカ系)を追いながら、イスラム国の実態をドラマ化した作品。TVドラマとはいえ、その再現度は完全に映画クオリティで、ドラマもセットも恐ろしくリアリティが追求されている。脚本・監督を務めるのは、本ブログでも紹介した『ウルフ・ホール』のピーター・コズミンスキー氏。どちらも舌を巻くほどの完成度だ。恐らくは、膨大な資料と調査から「史実」「現実」を再構成しているのだろう。西側視点に偏ること無く、淡々と「事実」を積み上げてゆく姿勢は、日本の映像作家もお手本にして欲しいくらいだ(日本にはリアリズムの需要が無いことに問題あるのだが)。こうした映像を共同制作とはいえ、公共放送がつくれる辺り、イギリスのイギリスたる所以、懐の深さを感じる。日本のNHKが、同じような視点から日中戦争のドラマをつくることは未来永劫できそうにない。

男二人は友人だが、女二人は知り合いではなく、うち一人は子連れでシリアに入るところから始まる。男はムジャヒディン(戦士)に、女は戦士の妻となるべく教育されてゆく。「出戻り(背教者)」とも言えるイスラム国からの帰還者や捕虜などの膨大な証言をもとにつくられているだけに、訓練や生活シーンは恐ろしくリアルにつくられている。もちろん我々はイスラム国の実像など知りようがないのだが、少なくともリアリズムを強く感じるレベルになっている。ヤジディ教徒に対する暴力やシーア派に対する虐殺、子どもの洗脳・動員なども鮮烈に描かれており、全く容赦が無い。この辺も日本では不可能だろう。
個人的には、戦場で携帯を使ってしまい、ドローンが飛んできてヘルファイアをぶち込まれるところや、訓練で新兵に「この戦いには負けるのが決まっていて、それが我々の勝利なのだ(だからアメリカが攻めてくるように仕向けている)」と教育する辺りがヤバかった。
主人公たちの動機をあえて明らかにしないところとか、末路を最後まで描かないところは英国的なのかもしれないが、だからこそリアリズムが成立するのかもしれない。この二つを映像化してしまうと、どこか説教臭くなってしまうからだ。

1時間番組で4本の短いドラマではあるが、内容が濃すぎてこれ以上見続けるのは辛いような、もっと見てみたいような。ドイツの『ジェネレーション・ウォー』に通じる現代の名作ドラマである。

【追記】
同じノリで日華事変・日中戦争を再現した場合、郷土の先輩に「中国では何でもやりたい放題だぜ」と言われてウヒョーと陸軍に志願した若者が、中国大陸で掠奪、強姦、放火の日常に疑問を覚えながらも、ゲリラに戦慄しつつ感覚を麻痺させてゆくという話になるだろうが、NHKがこうしたドラマをリアルにつくらない限り、本質的には東アジアの戦後和解は成立し得ないだろうと思われる。
posted by ケン at 00:00| Comment(0) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月09日

ポーランドで進行する歴史修正主義

【ポーランド、ホロコースト表現に罰則科す新法可決 最大禁錮3年】
 ポーランド議会は1日、ナチス・ドイツによるホロコーストが行われた強制収容所を「ポーランドの死の収容所」と表現したり、いわゆる「第三帝国」の犯罪にポーランドが加担したと非難したりした人物に、罰金または最大3年の禁錮刑を科す法律を可決した。イスラエルは強く反発している。
 ポーランドの対外イメージを守ることが新法の狙い。愛国主義的な政治理念を掲げる右派の与党「法と正義」が過半数を占める上院は1日、賛成57、反対23、棄権2の賛成多数で法案を可決した。同じく与党が多数派の下院では先月26日に可決済みで、アンジェイ・ドゥダ大統領が署名をすれば成立する。
下院での可決後、国外からは法案に抗議する声が上がっていた。イスラエル政府は新法の条文の一つについて、ホロコーストへのポーランドの関与を否定しようとする試みだと指摘し、法案の取り下げを要求。ベンヤミン・ネタニヤフ首相は先月28日、「事実を歪曲し、歴史を書き換え、ホロコーストを否定するまねは決して許さない」と言明した。
 また、米国務省のヘザー・ナウアート報道官は31日、「ホロコーストの歴史はつらく、複雑だ。『ポーランドの死の収容所』などの表現は不正確で、誤解を招き、有害だという点は理解する」と前置きしながらも、新法は「言論の自由を侵害し、学術分野での使用をも制限しかねない」と声明で指摘。施行されればイスラエルや米国をはじめとする諸外国とポーランドの外交関係にも影響が及ぶと懸念を表明していた。
 第2次世界大戦中にナチス・ドイツの侵攻を受け占領されたポーランドでは、600万人の市民が命を落とした。うち300万人がユダヤ人だ。ユダヤ人を助けた人は、たった1杯の水を提供しただけでも占領下のポーランド国内に作られた強制収容所に送り込まれた。
 中東エルサレムのホロコースト追悼記念館「ヤド・バシェム」には、6700人余りの非ユダヤ系ポーランド人がナチスに立ち向かった「諸国民の中の正義の人」として顕彰されている。
(2月1日、AFP)

公式的に認められている数字では、第二次世界大戦前、ポーランド国内には約300万人からのユダヤ人が居住していたが、戦後生存が確認されたのは5万人に過ぎなかった。2%にも満たない生存率であり、征服者とはいえ、ソ連と大戦争を繰り広げていたドイツ単独では、ここまで完成された虐殺を行うことは不可能だった。つまり、ナチス・ドイツによる強制や誘導があったとはいえ、ポーランド住民の積極的な協力なくしてホロコーストは成立しなかった。実際、多くの証言がポーランド人の積極的な協力と参加を示している。これは、占領以前にドイツで吹き荒れていた反ユダヤ運動がポーランドにも伝染、同国内でも反ユダヤの気運が高まっていたことが影響している。

確かにナチスに対する協力の度合いでいえば、ポーランドはフランスやバルト三国よりも劣っており、ユダヤ人を匿った者も多かったことはあるようだ。それは、ポーランド人自身が、ナチスから見れば「絶滅すべき対象」であり、ナチスの構想としては、ソ連を打ち倒した後、ポーランド人をウクライナに強制移住させて絶滅するまで農奴として酷使する考えだったことに起因している。つまり、「ユダヤの次は自分」という気持ちがあったため、相対的にはナチスへの協力度は低かった。フランスの場合、ヴィシー(ペタン)政権という対独従属政府が成立したため、むしろ「独立を維持するために」政府を挙げて協力(密告)する傾向があった。
とはいえ、ポーランド・ユダヤ人の生存率が約1.7%だったのに対し、フランス・ユダヤ人は約32万人のうち殺害されたのは8〜10万人とされており、数字を見る限り、やはりポーランド(人)が免罪される理由は見当たらない。

新法の目的は「ポーランドの対外イメージを守る」というものらしいが、これは「被害者としてのポーランド」を前面に出し、「加害者・協力者としてのポーランド」を隠蔽する狙いがあると見て良い。
この辺は非常に日本と似ている。日本政府の場合、「被爆国としての日本」を前面に出す一方、「侵略者・加害者としての日本」を隠蔽すべく、膨大な公共リソースが割かれている。
ハンガリーでもこうした傾向が顕著になっていると聞くが、ナショナリズムと歴史修正主義の隆盛が国際社会にどのような影響を与えるのか、今後も興味深く見守りたい。
posted by ケン at 12:26| Comment(2) | ロシア、中国、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月08日

党略では無い改憲とは何か

【改憲論議「党略でなく」…首相、野党に議論促す】
 「党利党略や党が割れるからということではなく、前向きに取り組んで良い案が出ることを期待したい」
 31日の参院予算委員会で、安倍首相が憲法改正論議に消極的な野党にチクリと嫌みを言う場面があった。
 立憲民主党の枝野代表は憲法の定義が異なるとして、首相の下での論議に応じない姿勢を鮮明にしている。希望の党の玉木代表も首相が掲げる自衛隊の根拠規定追加に否定的だ。分党騒動が続く希望では「改憲議論を始めたら、もっとバラバラになる」(関係者)との事情もあるようだ。
 首相は幅広い賛同を得て改憲したい考えで、「私たちには国会で議論を深めていく義務がある」と各党に具体案の提示を呼びかけた。
(1月31日、読売新聞)

どうも安倍氏は自分がやりたい改憲の議論が進まないことにイライラしているようだ。
そもそも立憲民主党、NK党などは基本的に改憲不要を主張しており、自民党の土俵に乗ってやる必要は無い。改憲が不可欠であれば、自民とKMで衆参ともに3分の2を占めているのだから、自分たちだけで独自案をつくって採決してしまえば良い。
「自公が勝手につくった改憲案」と言われるのが嫌で、その場合、国民投票で否決される恐れが強いために、何とか「全党一致で改憲案をつくりました」という形をつくりたいのが自民党側の本音なのだ。それこそ党略以外の何物でもない。自主憲法制定は、自民党の悲願であって、他党には関係ない。
安倍氏は、都合が悪いと「首相だから答える立場に無い」などと答弁を回避するくせに、同じ立場のまま改憲を呼びかけるダブルスタンダードを貫いている。まして憲法遵守義務が課されている首相(行政の長)に「改憲議論を進める義務」などあろうはずもない。

以下参考。
現行憲法の「脱軍事・戦争否定」の理念を否定することは、天皇制護持の対価・条件を撤廃することに他ならない。喩えるなら、保護観察を条件に仮釈放されたものが、「俺はもう犯罪になんか手を出さないから」「もう本釈放でいいだろう」と一人勝手に保護観察を外して保護司の家に行くのを止めてしまうようなものなのだ。確かに講和条約を締結したことで、日本は独立を果たしたわけだが、それはあくまでも「仮釈放」というのが従来の政府解釈であり、大筋において日本国民に共有されていたと考えられる。その「仮釈放」から「仮」を外すための手続きこそが憲法改正であり、それ故に衆参各院の3分の2の同意と国民投票の過半数という高い障壁が設けられた。それを「ハードルが高過ぎる」という理由で、憲法改正を経ずに閣議決定と個別法の改正によって、「保護観察」を実質的に無効化してしまおうというのが、野田内閣と安倍内閣の方針だと言える。

戦後のドイツは、東西共に、徹底した「脱ナチ」と「極右政党(西独では左右全体主義政党)の禁止」を行った対価として再軍備が認められたが、日本の場合は再軍備を否定する代わりに「脱権威主義」が緩和され、天皇制の部分的保持が認められた。
ところが、現行憲法の「脱軍事・戦争否定」の理念を否定した場合、若干権威主義性が緩和されたとはいえ、天皇制が前面に出てくることになる。これをドイツに置き換えるならば、軍備を保持する統一ドイツが全体主義政党を容認するようなものなのだ。ドイツの場合、民主主義原理を徹底させる条件で軍備保持が容認されているわけだが、逆を言えば、ドイツは全体主義に対して常に戦闘的であることが求められている。
しかし、現代日本の場合、全体主義や差別に対して寛容で(NK党やKM党あるいは極左セクトが認められ、極右によるヘイトスピーチも取り締まられない)、体制としても権威主義が温存されている状況下にあって、軍事・軍備の制限を解除することは、まさに「戦後レジーム」の否定に他ならない。

従って、原理的には仮に日本が再軍備や軍事活動の制限を撤廃しようとするならば、まず権威主義=天皇制を廃して民主主義原理を徹底させて、シヴィリアンコントロールが完全に担保されることを国内外に示す必要がある。その憲法改正は「天皇制を廃止し、デモクラシーを徹底させるが、同時に再軍備を実現する」というものでない限り、旧連合国(現国連)からはポツダム体制に対する挑戦として理解されるだろう(米国は自軍の肩代わり役として期待するところがあるが)。安倍一派による「戦後レジームからの脱却」は「権威主義体制のままミリタリズムに回帰する」という意味で、どこまでも挑戦的で危険なものなのだ。
集団的自衛権容認の閣議決定を受けて・続、2014.7.17)


なお付言すると、ケン先生は積極的改憲論者で、第一条と第九条の同時削除による「共和国原理」の確立を主張している。単なる9条の削除や、再軍備宣言はポツダム・国際連合体制への挑戦となるため、日本の再軍備には徹底的な民主化(権威主義の排除)が不可欠であるという考え方だ。
posted by ケン at 12:43| Comment(2) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月07日

皆やってますよ、慶弔費計上

【玉木氏、支部が慶弔費107万円 26〜28年支出 違法性は否定】
 希望の党の玉木雄一郎代表は6日の記者会見で、自身が代表を務める政党支部が平成26〜28年に計107万5千円の慶弔費を出していたと明らかにした。この支部は22〜24年にも計59万5千円の慶弔費支出が判明した。玉木氏は違法性を重ねて否定し、いずれも公職選挙法に基づく政党支部の活動だと説明した。
 一方、立憲民主党の福山哲郎幹事長と民進党の岡田克也常任顧問は6日、産経新聞が同日付朝刊で報じた政治資金支出について、それぞれ違法性を否定した。福山氏は会見で、政党支部などの手ぬぐい代の支出に関して「海外要人からの土産への返礼や海外訪問時の土産として使った。寄付ではない」と強調した。岡田氏は会見で、後援会による香典支出について「選挙区外での葬儀における香典で、何の問題もない。問題があるかのような印象を与える記事は極めて遺憾だ」と語った。
(2月7日、産経新聞)

民主党のブーメラン体質は相変わらず健在。今回のは特大ブーメランだが、何重にも政治家の愚劣さが見て取れる。
第一は、ブーメランの話で、自分たちも平素から行っているルール違反について、何の疑問も無く与党攻撃のタネにしてしまう点。本質的には、予算案や法案の問題点を突く能力を持たず、政府や政権党の腐敗を追及するだけの情報能力を有さないことが、重箱の隅を突くようなことしかできなくしているのだ。

聞くところによれば、某党では、産経の指摘を受けて全党調査を行ったところ、程度の差はあれど山ほど不正・違反・不倫などが発見され、担当者は「全幹部が役職を辞任でもしない限り、国会で追及し続けるのは難しい」と頭を抱えているという。
「バカばっか」である。

第二は、そもそも誰も守れないルールを自分で作ってしまった愚かさにある。現行の公選法では、選挙区の有権者に対して商品価値のある物品を配る、与えることを禁じており、それは慶弔についても例外ではない。結果、政治家は支援者や関係者の葬儀に際しても香典を持ってゆくことすら許されない事態となっている。ただ、政治家本人が香典を持参することについては「罰則が無い」ということで、グレーゾーンが設けられているに過ぎない。「罰則が無いから良いよね」を多用すれば、モラル・ハザードが起きるのは当然だろう。しかし、慶弔行為は人が普通に生活する上で普通に不可欠のもので、しかも一般人よりもはるかに人脈が広く、関係の深い政治家が、香典を持って行くことすら許されない、というのは明らかに「守れるはずも無いルール」だろう。結果、「安価な線香くらいはいいよね?」「名前が入ってなければOK?」というルールの抜け道を探すのに血眼になっている。
私もかつて「バレたらヤバいから止めろ」と地元に言ったことはあるのだが、「議員に何も持たせずに葬儀に行けというのか(地元事情を知らない国会秘書は黙ってろ)」と反論されたことがある。
なお、選挙区当選者であれば当該選挙区内が対象となるが、比例区当選者の場合は比例ブロック全域が対象となるため、近隣県の葬儀にすら行けないという話になる。

第三は、グレーかブラックかどうかは別にして、明らかに問題とされる恐れのある慶弔費や贈答品の類いを政治資金収支報告に載せてしまう愚劣さである。議員がポケットマネーなどで出していれば、内部告発でも無い限り問題が露見することはなく、露見したとしてもまず証拠に残らないため立件できないはずだが、ご親切にも資金報告に載せるから、サラの目で資金報告書を漁るメディアに露見するのである。これには二つ理由があって、一つは政治家スタッフの劣化が進み、素人が事務的に収支報告書を作成しているケースが増えていることが挙げられる。もう一つは、政治家や事務所が例外なく資金難に陥っており、裏金をつくれなくなったり、自腹を切ることに限界が生じたりしていることがある。「背に腹はかえられない」ということなのだろうが、自分で自分の首を絞めているのは明らかだ。

法律でグレーゾーンがつくられるのは、適用対象(この場合は政治家)の自由度を高めつつ、運用する行政側に法解釈の余地をつくることで裁量権という権力を持たせるためである。今回の場合、民意を恐れて実行不可能な公選法の規定をつくり、「罰則無し」のグレーゾーンを設けることで抜け道としてきたはずのものを、野党がポイント稼ぎのためにルールの穴を突いてしまい、自縄自縛に陥ったのだ。これでは、「こんな野党は要らない!」と言われても致し方あるまい。やはり新しい酒袋には古い酒を入れてはならないのであろう。だからこそ私も進んで身を引くのだが。

【追記】
玉木氏のケースは非常にテクニカルな技を使って法の目をくぐり抜けている模様だが、「ルールの穴を突いたもの勝ち」な状態を露呈しているに過ぎない。

【追記2】
確認したが、比例重複立候補者は比例ブロック全域が対象となる模様。
posted by ケン at 12:30| Comment(0) | 政局ほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月06日

時給3ドルの「先進国」

【学生寮の警備「時給378円」 会社に残業代支払い命令】
 学生寮の警備員として仮眠も取れずに勤務したのに残業代が支払われなかったとして、富士保安警備(東京)の元従業員2人が未払い賃金計約1200万円の支払いを求めた訴訟の判決が30日、東京地裁であった。井出正弘裁判官は「悪質な事例で元従業員の不利益も大きい」として、制裁金にあたる「付加金」も含め計約1200万円の支払いを同社に命じた。
 判決によると、2人は日本語学校の外国人寮や大学の学生寮などの警備員として働いていたが、2015年に体調を崩すなどしていずれも退社した。夜勤の際は2時間おきに巡回。仮眠時間も狭い守衛室を離れられず、深夜でも騒音に対する近隣住民の苦情電話が頻繁にかかってきて、対応に追われた。
 同社は「仮眠は労働時間ではない」などと主張したが、井出裁判官は「多数の留学生が生活する寮ではトラブルも多く、仮眠時間でも労働から解放されていたとは言えない」と指摘。2人の労働時間を時給で換算したところ、最も低賃金のシフトでは時給378円となり、「東京都の最低賃金を大きく下回る」と認めた。
(1月30日、朝日新聞)

1917年5月にロシア・ロスラヴリ市でストライキを決行した女性帽子職人組合が要求したのは、「一日八時間労働」「賃金50%アップ」「週休2日」「有給休暇」等だった。

2018年の日本を見ると、「一日平均十時間労働」「一日平均一時間二十分の無給残業」「有休取得率50%(うち約20%は有休労働か、会社のイベント動員)」「通勤二時間以上」という具合。
時給3ドルの「先進国」、なにをかいわんや。

日本政府は現在に至ってもなお、ILOの国際労働条約第1号「8時間(週48時間)労働制の導入」(1919年)を批准していない。1920年、日本で初めて開催された本格的メーデー(労働組合が主催)で掲げられたアピールは、「8時間労働制」「失業の防止」「最低賃金の導入」であり、少なくとも8時間労働制はいまだ実現できていないことを、政府自身が認めている。

立憲民主党は、、「一日八時間労働」「賃金50%アップ」「通勤時間を労働時間に加算」「有給休暇の100%取得」を求めるべきだろう。
posted by ケン at 12:47| Comment(0) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月05日

科学技術も衰退を露呈する日本

【科学論文数、日本はインドに抜かれて6位に−中国が米国を抜いて世界トップに】
 科学技術の研究論文数で中国が初めて米国を抜いて世界トップになったとする報告書を、全米科学財団(NSF)がまとめた。中国を始めとする新興勢力が研究開発費を大幅に増やして力をつける一方、日本はインドにも抜かれ、存在感を低下させている。
 報告書は各国の科学技術力を分析するため、科学分野への助成を担当するNSFが2年ごとにまとめている。2016年に発表された中国の論文数は約43万本で、約41万本だった米国を抜いた。日本は15年にインドに抜かれ、16年は中米印、ドイツ、英国に続く6位。昨年、文部科学省の研究機関が公表した13〜15年の年平均論文数では、日本は米中独に次ぐ4位だった。
 報告書によると、ここ10年の論文数は中国が124%増、インドは182%増と大幅な伸びを記録。米国は7%増、28か国が加盟する欧州連合(EU)は28%増だったが、日本は逆に13%減だった。論文数では中国がトップになったが、論文の影響力を示す引用数では米国が引き続き上回っているという。
 分野別に見ると、工学分野では中国が米国やEUを上回っているが、医学・生物学分野では米国やEUが優位を保っている。
 民間を含む研究開発費の総額では15年時点で、米国が依然としてトップで中国が2位、日本が3位。この10年で米国が約1.5倍、日本が1.3倍に増額したのに対し、中国は約5倍と急拡大した。インドが約2倍、韓国が約2.5倍とアジア諸国の増額が目立つ。
(1月25日、読売新聞)

「Nature」誌2011年4月21日号によれば、2010年に自然科学系博士号を取得した1350人のうち、卒業時までに常勤職への就職が決まったのは、全体の半数をやや超える程度(746人)にとどまった。その中で大学の科学・技術関連業務に就いたのは162人に過ぎず、残りの250人は産業界、256人が教育分野に就職し、38人が公務員になった、という。いわゆる「ポスドク」問題であるが、就職率の低さが影響して、2007年以降、博士課程進学者も減り続けている。

今や人口が日本の半分以下しかない韓国の方が、論文数でも引用数でも日本を上回っている。
研究開発費の総額を見た場合、2000年から15年にかけて、中国が平均18%の伸びを示したのに対し、米国は4%、日本に至ってはほぼ横ばいの有様で、日本の国力が完全に頭打ちとなっていることが分かる。ちょうど1970年代のソ連を思わせる。

「博士の就職先が無い」と言われる一方で、地方の大学では講座自体が不成立となるケースが急速に増えている。例えば、加計疑獄で話題になった千葉の新設大学や、今治に予定されている獣医大学の場合、教員が十分に確保できず、恐ろしく高齢の元教授を拝み倒して来てもらう始末だと聞く。
地方の国立大学の場合、交通の便の悪さから通勤時間が長い上に、交通費も出ないため、非常勤講師が確保しにくい環境にありながら、文科省天下り官僚の「指導」によって教員の非常勤化を進めた結果、シラバスには掲載されている開講科目一般教養のうち半分以上が「不成立・未開講」に終わるケースもあると言われる。
つまり、研究費以前に生活すらままならない研究者が山ほどいるのだから、研究の質も量も維持されていることがむしろ奇跡的なくらいなのだ。

その対処が、文系・リベラルアーツを廃止して理系に「集中」するという絶望。
檀公三十六策、走是上計。
posted by ケン at 12:36| Comment(2) | 学問、文学、教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする