2018年03月09日

2月の読書報告(2018)

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『オクトーバー:物語ロシア革命』 チャイナ・ミエヴィル 筑摩書房(2017)
1917年に起きたロシアの二月革命から十月革命に至る経緯を小説化した作品。ただ、小説とは言え、一切の創作は排除して史実として確認できる部分のみを駆使してストーリーを組み立てている。個別のエピソードをドラマティックに飾り立てるわけでもないのに、登場人物はみな活き活き描かれていて、脳内イメージをかき立てる構成になっており、あたかも1917年のペトログラードにいるかのような気にさせてくれる。基本的にはボリシェヴィキ視点なのだが、善悪二元論で描くわけではなく、レーニンの言動も二転三転し、制御不能だった当時の政治状況がよく分かる。ソ連崩壊後に明らかにされた最新の研究成果も反映されており、ソ連学徒の私でも「なるほど、そうだったのか」と感心させられた部分も少なくない。例えば、1917年の7月危機を経てレーニンはフィンランドに脱出するが、この時なぜボリシェヴィキの支持が厚かったエストニアやラトヴィアではなく、フィンランドだったのかについては、私にとって小さな疑問だった。実は当時の鉄道フィンランド線の労働組合はボリシェヴィキ支持で、レーニンは党員が運転手を務める機関車に釜炊き夫として乗り込んだ。その運転手は後日「レーニンは嬉々として釜炊き役に成りきっていた」と回想している。また亡命先のヘルシングフォルス(現ヘルシンキ)では、同市警察の署長がボリシェヴィキのシンパでレーニンを自宅に匿った。レーニンは警察署長の自宅に案内されると、署長に対し「毎朝各国の新聞を持ってくるように」指示したという。写真、人名録、参考文献なども充実しており、この点でも小説の域を超える。442pの大部ながら、面白さのあまりあっという間に読み終えてしまった。「ロシア革命百周年」本の中では圧倒的な存在感を示しており、亡くなられたK顧問にも是非お勧めしたかった一冊である。

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『「イスラム国」はよみがえる』 ロレッタ・ナポリオーニ 文春文庫(2018)
『人質の経済学』のナポリオーニ女史によるイスラム国(IS)分析。女史はジャーナリストではなく、元々はテロリストの資金繰りの研究者だけに、センセーショナルなテーマながら淡々と分析している。アルカイダとの違い、一般報道とは異なるイスラム国の近代性とその狙いなど非常に興味深い。「サイクス=ピコ体制の打破」「民族や部族を超えた、スンニ派による統一国家」といったイスラム国中枢の内的動機を理解しないと、いつまで経っても的外れな対応を続けることになるという筆者の見解は非常に重い。

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『陸軍中野学校: 「秘密工作員」養成機関の実像』 山本武利 筑摩選書(2017)
メディア史とインテリジェンス史を専門とする一風変わった研究者による陸軍中野学校の歴史。個人の回顧録やインタビューなどに基づいた主観的な中野学校論が大半を占める中で、地道に公文書をあたって事実を積み上げた労作。先祖に卒業生を持つ身としては必読だったが、読みやすく関心のある人には勧めたい一冊。

『フランス現代史 隠された記憶−戦争のタブーを追跡する』 宮川裕章 ちくま新書(2017)
既出

『スターリンの対日情報工作』 三宅正樹 平凡社新書(2010)
戦時期のソ連による諜報活動といえば、ゾルゲばかりが注目されているが、実は「大勢の中の一人」でしかなく、三国同盟の動きを精確に報告したクリヴィツキー、外交暗号を解読したトルストイ、いまだ人物が特定できない日本人協力者「エコノミスト」など、多面的に読み解くことでソ連の対日諜報の全容を知ることができる。当時のソ連の諜報能力の高さに改めて驚かされる。
posted by ケン at 12:24| Comment(0) | 学問、文学、教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月08日

上海上陸!

初めて上海と杭州を訪問。就活の一環だったが、最終契約には至らず、結論は持ち越しとなった。だが、同地で唐突に新たなオファーもいただき、高度成長のパワーは見張るべきものがある。
今回の渡航は必須のものではなかったが、やはり自分の目で確認したいことが多く、実際、耳で聞くものと目で見るものには大きな違いがあった。

上海市中心部の見た目は東京と殆ど変わらず、むしろ全てが新しいだけにきれいに見える。地下鉄は18本も走っている上、今回は機会が無かったが、浦東空港から市内まで7分で繋ぐリニアモーターカーもある(地下鉄だと1時間半)。ホテルの設備やサービスも殆ど日本と変わらず、従業員はチップの受け取りすら拒否した(それなりに良いホテルだったからだろうが)。
大都市だからだろうが、長年一人っ子政策を続けてきた割に若い人が多く、東京ですら圧倒的に高齢化が目立つ日本とは違う。

ただ、相応に物価も上がっており、スタバ、マクドナルド、ハーゲンダッツなどは日本よりも高いし、市中心部だとチェーン系の外食店でも日本と同じくらいの値段になる。目に見えて安いのは交通費くらいだろう(地下鉄初乗り3元=50円強)。住居費に至っては、東京よりも高いらしく、皆どうやって暮らしているのか謎だ。

最終日に予定していた日程が前倒しになったことから、丸一日だけ上海を観光できた。取りあえず行きたいところを無謀にもエリアに関係なく強行軍で訪問した。

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フランス租界にあった孫中山先生の居宅。微妙に警戒が厳重な気がするが、訪れる人は少なく、私以外に一人二人だった。
晩年を過ごした家で、租界時代の上海建築が良く残されており、映画のセットのように思える。孫文の遺品や宋慶齢との思い出の品など、なかなか興味深い。日本で結婚したので、日本語の婚姻証明書があった。

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1937年8月23日、第二次上海事変において、日本陸軍歩兵第六連隊(名古屋)と六十八連隊(岐阜)が上陸した呉淞鎮。同埠頭は、現在でも日本行き豪華客船の発着場として使われている。長江と黄埔江をつなぐ重要地点であることを目で確認。撮影した塔の真下が抗日戦争記念館になる。記念館の展示はあまりパッとしない。
ガイドブックにも載っていないので、行き方を教えてもらって地下鉄で行ったが、文字は読めるので乗り換えや下りる駅を間違えることもなく安心。

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観光地らしい観光地の七宝。上海では珍しい、古い街並みの雰囲気を残している。地下鉄で行ける範囲なので、東京の浅草みたいなものか。狭い路地に食べ物屋ばかりが並び、人の波を流しつつ進む。とりあえず「いかにも中国」を楽しんだということで。

【追記】
第二次上海事変については別途稿を起こすかもしれないが、日本軍は20万人以上、中国軍は60万人以上を投入し、約二カ月にわたって陣地戦が繰り広げられ、日本側は4万人以上、中国側は25万人以上の戦傷者を出した。歩兵第34連隊(静岡)などは当初動員3800名に対し、3456名の戦死傷者を出し、出征から上海戦後まで無傷だったものは数えるほどしかいないという大損害を出している。
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2018年03月07日

裁量労働制のお話

ある赤軍将校の回想によれば、シベリアに抑留された日本兵は何も言わなくとも勝手にノルマ(ロシア語)を超過達成するため、次々とノルマを増やされた挙げ句、過労死を続発させたという。これに対して、ドイツ兵は絶対に課せられたノルマ以上に働こうとはしなかったらしい。
何って裁量労働制の話である。もう一つ個人的なエピソードを。

小学生の頃、文化祭の準備をしていた時、自分の作業が終わったので「塾があるので帰ります」と宣言したところ、クラスの全員から非難され、屈服したことがある。自分としては、「お前らがダラダラおしゃべりしているから作業進まないんじゃねぇか、何で黙々と作業して早く終わらせた俺がお前らの作業を手伝わなきゃならねぇんだ!」という思いだったが、同級生の全員を敵に回す勇気は無く、従うほか無かった。私は小学生ながらこの非合理性と理不尽さに憤慨したものの、それを説明するだけの理論的背景は有しておらず、封印するほか無かった。あれから早や40年である。

日本の大多数の企業では、まず無能な管理職が自らの責務をわきまえずに膨大な作業を「部局全体の仕事」として部下に丸投げする。社員は「自分の仕事」が終わっても、「全体ノルマ」が達成されない限り、帰宅することも許されない空気下にあるため、他人の仕事を手伝うよりは自分の仕事を終わらせずに延々と続けるのが合理的選択となる。残業規制の不在がこの傾向に拍車を掛ける。
この残業手当の肥大化による人件費の高騰が、今回の「裁量労働制の拡大適用」に繋がっている。要は「残業代ださなければ、残業しなくなるだろうから、人件費も抑制できるし、長時間労働も無くなる(はず)」というのが、エリート層の見通しなのだ。
しかし、これが正しければ残業代に最初から上限が定められている霞ヶ関官僚は、恐らく夜8時か9時前には帰宅できているはずだが、そうなっていないこと自体、ハナから空想論であることを示している。

また、日本型雇用では採用時に職掌範囲が定められないため、作業や職務の範囲が無限定かつ無制限になっている。つまり、日本の社員は「会社にある仕事の全てが全社員の仕事」として背負わされている。

これは、私も担っていた教職で説明すると分かりやすい。日本以外の大半の国では、教員の仕事は基本的に授業と生徒指導に限定されており、それ以外の事務作業などは学校事務員が担っている。そのため、教員は校長などから職掌外の仕事を命じられても、「それは自分の仕事では無い」と堂々と反論でき、それは全く正当な権利となっている。例えば、英国の教員組合などは、毎年学校の管理部門と全作業を列挙し、その一つ一つを「これは教員の仕事、これは事務側、これは管理職」などとギリギリ詰めているという。
ケン先生もロシアで仕事をしていた時は、そこここで"Это не моё дело."(それはオレの仕事じゃねぇ、オレには関係ねぇ)という言葉を慣用句のように聞かされ、「じゃあ誰が担当なんだよ?!」とウンザリさせられたほどだ。
だが、労働者としては、自分の授業さえ終われば、後の授業準備は自宅でやろうが、学校の職員室(研究室)でやろうが、まさに裁量の範囲だった。

これに対し日本の教職は、授業と生徒指導以外に山のような事務作業がある上、初等教育の場合は給食費の徴収やら家庭訪問があり、学級通信のようなものも毎日のように作り込むことが求められ、授業外の作業を膨大に抱えている。小学校はまだマシな方で、中学校や高校では部活動の指導が週に10時間以上入る上に、週末にも練習やら大会の引率などを行う必要があり、残業代も代休も無い状態に置かれている。大学教員ですら、やたらとイベントや課外授業が多い上に、事務員が減らされて多くの事務を教員が担う状態にある。さらに中レベル以下の大学では、中高で行われているような生徒指導や就職指導についても教員の仕事にされてしまい、授業と授業準備あるいは研究に割ける時間が激減している。
結果、日本の教育水準と研究水準は凄まじい勢いで急低下している。

つまり、裁量労働制の裁量は、職掌範囲が限定されているからこそ労働者の裁量権が発揮されるのであって、日本のように無定量の作業を押しつけられ、それを拒否できない労使関係が固定化している国では、裁量労働制の拡大適用は「無制限死ぬまで勝負」を全労働者に強要することにしかならないだろう。
その行き着くところは、過労死続発による社会不安の増大、少子化加速、健康水準の悪化(医療費の高騰)、労働士気の低下、時間換算の給与低下に伴う消費減などで、死屍累累の上に生産力が低下、市場も縮小するという最悪の結果をもたらすだろう。

にもかかわらず、霞が関官僚や財界などのエリート層は「勝手に死ぬヤツが勝手に増えるだけ」と考えている。まぁ連中からすれば、自国民など「ノルマを増やせば勝手に超過達成する日本兵」を見ている赤軍将校の気分なのだろう。
これに対して、労働組合ナショナルセンターを僭称する連合は、反対デモを打つわけでもなく、ましてゼネストなど検討すらしていない。その姿勢がブルジョワジーをつけあがらせている。この点でも連合は労働者に何らの寄与もしておらず、むしろ害悪をまき散らしている。

自分は勝手に逃げ出させていただきますわ。
posted by ケン at 12:47| Comment(0) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月06日

K顧問を偲ぶ

我々の研究会の顧問にして、社会党系人脈の大先輩であらせられたKさんが逝去された。享年93。
1945年11月2日の社会党結党大会に参加した人としては最後の一人だったかもしれない。戦後の民主化と社会主義の実現に情熱を燃やし、党職員となり、青年運動を牽引、激化する党内対立と分裂の中で党に失望、教宣局長にまで出世しながら、党と運動から離れて行かれた。全てケン先生が生まれる前の「歴史」である。
その後ながく政治とは距離を置かれていたようだが、70代も後半に至って日本の行く末に不安を覚え、自らインターネット・メディアを立ち上げて、メディア活動を続けてこられた。発行予定のメールマガジンの編集を終え、三日後に予定していた我々の研究会にも出席の返事をいただいていた中の突然の死であった。

本来であれば、自分にとっては雲の上の方であり、世代的にも全く交流は無かったわけだが、何らかのきっかけで本ブログを発見され、色々手を尽くして私を特定して連絡いただいたのが切っ掛けだった。ブログの連絡アドレスからメールをいただいた方はいるが、ブログから個人を特定して連絡いただいたのはK顧問を含めて二人だけで、当時すでに80代後半であらせられたことを考えれば、驚異的なことだった。
平素からタブレットを持ち歩き、取材はデジタルビデオで撮影してネットにアップするという、およそ年齢と一致しない進取性は心から尊敬するところだった。

何度も居宅にお邪魔して話を拝聴したが、圧倒的多数の高齢者は延々と「昔話」をするもので、私なども社会党系の先輩に会うと必ず「国労闘争」と「社会党大会」の同じ話をずっとされるので憂鬱なばかりだったものだが、K顧問はこちらから尋ねない限り、昔話をされることはなく、圧倒的に若者(と言っても相対的なもので、私などもすでに初老を過ぎている)の話を聞くのを何よりの楽しみにされていた。
我々が是非とも伺いたい初期社会党の裏話についても、恐ろしいまでの記憶力で当時の状況を淡々と説明され、覚えていないことやハッキリしないことは明確にそう言われたことが非常に印象的だった。自分などは、たとえ15年前のことでも、あそこまで鮮明に再現して話せる自信は無い。

最後にお目にかかったのは1月末のことで、近々退職、離日することの報告を行うためだった。戦後民主主義が機能不全に陥りつつあり、官僚や議員の水準が著しく低下、社会の衰退に歯止めがかけられない中、立民もまた展望が無い状況に置かれていることなど、全く夢も希望も無い話を延々としてしまったことが後悔される。
にもかかわらず、K顧問が「君はいい男だから、向こうに行ってもモテるだろう」とおっしゃったことは、堅物に見える顧問にしては珍しい言葉であったこと、そもそも「いい男」などという評価から縁遠い自分としては驚きであったことが、非常に印象的だった。

顧問には何も恩返しできなかったが、顧問もまた60年前、70年前の事象について、本当のところや裏側がどうなっていたのか、いくつも疑問があったらしく、国会図書館から資料を取り寄せてお渡しできたことは、せめてもの救いである。
posted by ケン at 12:22| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月05日

ロング・ロード・ホーム



『ロング・ロード・ホーム』 マーサ・ラダッツ原作 マイク・メダヴォイ制作総指揮 ナショナルジオグラフィック(2017)
2004年4月、フセイン政権崩壊の1年後、イラクは連合軍暫定当局が統治。アメリカ軍のバグダッド駐留の任務は保安活動だった。しかし、外国の占領に反感を持つ宗教指導者サドルとの衝突が生まれ、状況は緊迫。アメリカ軍は水道工事の護衛を終えて基地に戻る途中で奇襲され、激戦が始まってしまった・・・・・・

『ザ・ステイト〜虚像の国』といい、最近ナショナルジオグラフィックとヒストリーチャンネルの区別が付かなくなっているが、そこは重要では無い。
イラク戦争の重要な転機となった武力衝突事件「ブラックサンデー」の全容を、全8回のドラマで描く。ブラックサンデー事件については以下の通り。
2004年4月4日(日)、バグダッドの貧困地区サドル・シティで発生したアメリカ軍とイラク武装勢力による武力衝突事件。パトロール中の米陸軍第1騎兵師団の小隊が、連合軍暫定当局による占領支配に反対するシーア派指導者ムクタダ・アル・サドル師の創設した民兵組織「マフディ軍」に襲撃され、駆け付けた米軍援護チームを交えた戦闘へと発展。8人の米兵が命を落とし、51人が負傷する惨事となった。この事件を皮切りに「ファルージャの戦闘」などイラク各地で米軍と武装勢力との戦闘が勃発し、当時既に有志連合軍によるイラク進攻から1年余り、復興支援へと移行していたイラク戦争は泥沼化していくこととなる。さらに、サドル師の強い影響下にあったサドル・シティ(もともとはサダム・シティと呼ばれていた)も、その後4年以上に渡って米軍やイラク治安部隊によって包囲された。

ちょうど部隊が再編され、交替で多数の新兵が米本土から到着した矢先(4日目!)の出来事となる。バグダッド市内において復興支援に従事、基地に戻ろうとした米軍小隊がシーア派民兵の襲撃を受け、車輌を破壊されて、民家に籠城、本隊が救出部隊を送り出すも、同民兵によるゲリラ戦で阻まれ、被害を拡大させていってしまう。

実時間で2日程度のストーリーなのだが、米兵の視点、米兵の家族の視点、イラク人の視点などを盛り込むことで、重層的なつくりになっている。
実際の現地写真や取材資料をもとに、舞台となるサドル・シティを100棟以上の建物からセットで再現するという、ドラマを超える規模の作品になっている。
ケン先生は、2003年6月に某党の議員視察団に同行してバグダッドを訪問したが、全く違和感のない再現度と言える。

最近の戦争ドラマはリアリズムが徹底しているため、たとえアメリカ側の視点でも全く容赦なく現実を描いており、見ているだけでSAN値(正気度)が削られてゆくイメージだ。
「世界最強」を誇るはずのアメリカ陸軍だが、2003年の話ながら多くの綻びが見られる。例えば、パトロールに出た小隊がGPSを装備しておらず、救出位置を把握するために発煙筒をたかなければならない。救出部隊は救出部隊で、装甲車両が足りず、剥き出しのトラックに搭乗するわ、無線を装備していない車輌が山ほどあるわ、すぐ車輌が故障するわと、最精鋭の騎兵第一師団とは思えない状態が露呈されている。この辺をキッチリ描いている辺りは、さすがアメリカだと思う。今の日本では、自衛隊の装備不良を描いただけで、そこここから叩かれてしまうだろう。

『ザ・パシフィック』を見た時は、「日本軍にそんな弾薬あるわけないじゃん!」と思ったものだが、本作ではシーア派民兵がロクに身を隠さない素人くささを見せつつも、凄まじい弾幕を張ってきて、車輌やボディ・アーマーに護られているはずの米兵が次々と倒れてゆく。「民兵やりすぎだろ〜」と思わなくも無いが、この後に起きるファルージャ戦では、半年近く包囲したファルージャを攻撃した米軍が、100人近い戦死者と500人以上の負傷者を出している。また、ファルージャはイスラム国が2014年1月に占領するが、イラク政府軍が奪還したのはその2年半後のことだった。その辺を考えると、それほど外してはいないのかもしれない。

とはいえ、アメリカのドラマなので、指揮官が妙に人格高潔すぎるところや、「オレ達の(正義の)戦いはこれからだ!」的なラストは、いささか受け入れがたいものがあるが、そこは百歩譲って容認したい。
もう一度見るには、SAN値の回復を待つ必要がありそうだが、イラク戦争がどのようなものであったか実感するには最適の題材と言える。

【追記】
主人公格の小隊員たちが「基地に戻ったらD&Dやろうぜ」と話してる辺りがゲーマー的にキます。
posted by ケン at 12:40| Comment(2) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月03日

GJ シン・関ヶ原

池田やすたか氏のデザイン。カード・ドリブンで関ヶ原戦役全体をシミュレートしている。マップは、大坂から陸奥までが描かれており、同じゲームジャーナル誌の「戦略級関ヶ原」と同じ規模になる。カードを使うという点でも似ているのだが、本作はあくまでもカードが主で、どちらかと言うと「ドミニオン」型だろう。ルールに至っては、わずか4ページしかない。ウォーゲーマー的には「大丈夫なのきゃ?」と心配したくなる薄さだ。

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東西両軍とも、重要エリアを支配することでVPを重ね、そのVPを消費して自軍用の政治カードを購入することでデッキに加えられる。しかし、手札枚数は参戦した大名の数で上下するため、緒戦は両軍とも支配地域の拡大と大名の動員を急ぐ。政治カードの中には外様大名の裏切りなども含まれていることや、ターン数が限られていることもあって、どこかで決断して決戦を挑む必要があるわけだが、その判断が難しい。
特に西軍は「秀頼出陣」カードでほぼ全ての西軍大名を動員できたりするわけだが、13VPとか必要で、「これ買えるくらいなら、そもそも勝っているのでは?」という設定になっている。

O先輩が西軍、ケン先生が東軍を持ってテスト。
西軍が美濃から西、東軍は尾張から東の大名を動員、支配地の拡大を進めるが、VPも手札枚数も同レベルで進む。北信濃では、徳川秀忠(実質は本多正信)と真田昌幸が激しく謀略戦を繰り広げるが、単にシーソーゲームになってしまう。秀忠は、昌幸の謀略を打破しないと信濃から出られない。
最終ターンが見えてくるも、両軍にらみ合いが続き、東軍がしびれを切らして、福島、池田、黒田、浅野、井伊などで美濃に攻め入るも、宇喜多勢を中心とする西軍の逆撃を受けて敗退、投了した。

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「戦略級関ヶ原」よりもお手軽にできるのは良いが、カードが強力すぎて、ユニットやマップを使う意味が今ひとつ感じられない。そして、恐らくは「後の先」が有利なので、どうしても千日手化するケースが増えそうな気がする。また、参戦、中立、勢力、陣営などの要素がやや不明確なところがあり、この点でもカードに特化してしまった方がスッキリしたのではないかと思える。

個人的には「戦略級関ヶ原」で十分な気がするが、評価するにはもう一度くらいプレイした方が良いだろう。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする