2018年03月07日

裁量労働制のお話

ある赤軍将校の回想によれば、シベリアに抑留された日本兵は何も言わなくとも勝手にノルマ(ロシア語)を超過達成するため、次々とノルマを増やされた挙げ句、過労死を続発させたという。これに対して、ドイツ兵は絶対に課せられたノルマ以上に働こうとはしなかったらしい。
何って裁量労働制の話である。もう一つ個人的なエピソードを。

小学生の頃、文化祭の準備をしていた時、自分の作業が終わったので「塾があるので帰ります」と宣言したところ、クラスの全員から非難され、屈服したことがある。自分としては、「お前らがダラダラおしゃべりしているから作業進まないんじゃねぇか、何で黙々と作業して早く終わらせた俺がお前らの作業を手伝わなきゃならねぇんだ!」という思いだったが、同級生の全員を敵に回す勇気は無く、従うほか無かった。私は小学生ながらこの非合理性と理不尽さに憤慨したものの、それを説明するだけの理論的背景は有しておらず、封印するほか無かった。あれから早や40年である。

日本の大多数の企業では、まず無能な管理職が自らの責務をわきまえずに膨大な作業を「部局全体の仕事」として部下に丸投げする。社員は「自分の仕事」が終わっても、「全体ノルマ」が達成されない限り、帰宅することも許されない空気下にあるため、他人の仕事を手伝うよりは自分の仕事を終わらせずに延々と続けるのが合理的選択となる。残業規制の不在がこの傾向に拍車を掛ける。
この残業手当の肥大化による人件費の高騰が、今回の「裁量労働制の拡大適用」に繋がっている。要は「残業代ださなければ、残業しなくなるだろうから、人件費も抑制できるし、長時間労働も無くなる(はず)」というのが、エリート層の見通しなのだ。
しかし、これが正しければ残業代に最初から上限が定められている霞ヶ関官僚は、恐らく夜8時か9時前には帰宅できているはずだが、そうなっていないこと自体、ハナから空想論であることを示している。

また、日本型雇用では採用時に職掌範囲が定められないため、作業や職務の範囲が無限定かつ無制限になっている。つまり、日本の社員は「会社にある仕事の全てが全社員の仕事」として背負わされている。

これは、私も担っていた教職で説明すると分かりやすい。日本以外の大半の国では、教員の仕事は基本的に授業と生徒指導に限定されており、それ以外の事務作業などは学校事務員が担っている。そのため、教員は校長などから職掌外の仕事を命じられても、「それは自分の仕事では無い」と堂々と反論でき、それは全く正当な権利となっている。例えば、英国の教員組合などは、毎年学校の管理部門と全作業を列挙し、その一つ一つを「これは教員の仕事、これは事務側、これは管理職」などとギリギリ詰めているという。
ケン先生もロシアで仕事をしていた時は、そこここで"Это не моё дело."(それはオレの仕事じゃねぇ、オレには関係ねぇ)という言葉を慣用句のように聞かされ、「じゃあ誰が担当なんだよ?!」とウンザリさせられたほどだ。
だが、労働者としては、自分の授業さえ終われば、後の授業準備は自宅でやろうが、学校の職員室(研究室)でやろうが、まさに裁量の範囲だった。

これに対し日本の教職は、授業と生徒指導以外に山のような事務作業がある上、初等教育の場合は給食費の徴収やら家庭訪問があり、学級通信のようなものも毎日のように作り込むことが求められ、授業外の作業を膨大に抱えている。小学校はまだマシな方で、中学校や高校では部活動の指導が週に10時間以上入る上に、週末にも練習やら大会の引率などを行う必要があり、残業代も代休も無い状態に置かれている。大学教員ですら、やたらとイベントや課外授業が多い上に、事務員が減らされて多くの事務を教員が担う状態にある。さらに中レベル以下の大学では、中高で行われているような生徒指導や就職指導についても教員の仕事にされてしまい、授業と授業準備あるいは研究に割ける時間が激減している。
結果、日本の教育水準と研究水準は凄まじい勢いで急低下している。

つまり、裁量労働制の裁量は、職掌範囲が限定されているからこそ労働者の裁量権が発揮されるのであって、日本のように無定量の作業を押しつけられ、それを拒否できない労使関係が固定化している国では、裁量労働制の拡大適用は「無制限死ぬまで勝負」を全労働者に強要することにしかならないだろう。
その行き着くところは、過労死続発による社会不安の増大、少子化加速、健康水準の悪化(医療費の高騰)、労働士気の低下、時間換算の給与低下に伴う消費減などで、死屍累累の上に生産力が低下、市場も縮小するという最悪の結果をもたらすだろう。

にもかかわらず、霞が関官僚や財界などのエリート層は「勝手に死ぬヤツが勝手に増えるだけ」と考えている。まぁ連中からすれば、自国民など「ノルマを増やせば勝手に超過達成する日本兵」を見ている赤軍将校の気分なのだろう。
これに対して、労働組合ナショナルセンターを僭称する連合は、反対デモを打つわけでもなく、ましてゼネストなど検討すらしていない。その姿勢がブルジョワジーをつけあがらせている。この点でも連合は労働者に何らの寄与もしておらず、むしろ害悪をまき散らしている。

自分は勝手に逃げ出させていただきますわ。
posted by ケン at 12:47| Comment(0) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする