2018年04月15日

河部真道『バンデット』

DRPzNw4UIAA4xX2.jpg
『バンデット』 河部真道 講談社 全6巻

専用サイト

10年以上続いた『へうげもの』が完結したが、歴史戦国漫画は意外と多い。とはいえ、「これ」というものは多くは無い。一方で、たかぎ七彦先生の『アンゴルモア 元寇合戦記』に代表されるように、戦国時代や幕末以外の時代も取り上げられており、興味深い。

本作もまた南北朝期を舞台にした珍しい作品で、タイトルの通り山賊、(歴史用語の)悪党をテーマにしている。時代的には、鎌倉幕府の再末期なので、厳密には南北朝ではないのだが、時代の空気的には鎌倉幕府の秩序が瓦解過程に入り、あらゆる社会秩序が揺らいでカオスが醸成されている。その中で、下人(奴隷)の主人公が身分を脱して、己の力で封建社会の中でのし上がろうとする。

常々指摘していることだが、ケン先生は中世の蛮性が全く反映されない大河ドラマや時代物に非常に批判的で、歴史修正主義と言っても良いくらいだと考えている。とかく現代日本人は、武士を理想化してしまう傾向が強いが、特に戦国期以前の武士というのは蛮性そのものだった。鎌倉期の絵巻物『男衾三郎絵詞』にはこんな一文がある。
弓矢とる物の家よく作ては、なにかはせん。庭草ひくな、俄事のあらん時、乗飼にせんずるぞ。馬庭のすゑになまくびたやすな、切懸よ。此門外とをらん乞食・修行者めらは、やうある物ぞ、ひきめかぷらにて、かけたてかけたておもの射にせよ

要するに、「サムライの家では、馬草にするから庭の草は放っておけ、庭端には常に生首をさらしておけ、気合いだ!外で乞食や放浪者を見つけたら、引っ捕らえて、弓矢の練習の的にしろ!」ということである。
「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」
『朝倉宗滴話記』

「先づ太刀をとつては、いづれにしてなりとも、敵をきるという心也」
『五輪書』

戦闘力の高さこそが、武士の本懐なのだ。
年寄りどもの大好きな宮本武蔵は、「人を斬る」ことを究めることしか頭にない。
俗に言われる宮本武蔵の武伝も、子細を検討すれば、「弱いヤツとしか戦わない」「強いヤツと戦う時は策を弄する」ことが徹底されていることが分かる。かの『五輪書』には、「いかにして敵を斬るか」しか書かれていない。

鎌倉・戦国期は言うまでも無く、つい150年前の戊辰戦争においても会津や宇都宮の戦場には多数の首無し死体が放置されていたと言うし、1876年に熊本で起きた「神風連の乱」では、真っ先に熊本鎮台の種田少将が討ち取られ、その生首は神前に奉じられた。現代ですら、東京日日新聞の浅海一男記者の回想によれば、日華事変の折、丹陽にある歩兵学校を日本軍が制圧した後、校庭に足を踏み入れたところ、(中国)国府軍の制服を着た首無しの死体が数十も放置されていたという。

【参考】 薩摩の蛮性

その意味で、本作はグロいことは確かだが、こうした中世と武士の蛮性をあまねく表現している。
「武士とは何か?ナメられたら殺す!」(なめられなくても殺すんだけど)

「家柄・血筋・高貴な武者といえども、殺せばただの汚い首となる」

武士どころか皇族ですら大変なことになっており、一昔前なら不敬罪が適用されかねない勢いにある。「ゴダイゴ最強伝説」と呼んでも良いくらいだ。

DSNxq21UEAEYsMu.jpg

史実の人物も登場するが、どれも濃ゆい人物として描かれており、非常に興味深い。
全6巻ながらストーリーは一本道にならず、圧倒的な熱量を維持させながら上手く完結させている。

是非とも実写化したい作品である。
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする