2018年05月08日

日本保守の耐えられない軽さについて・下

前回の続き
翻って、日本の保守主義は何に依拠しているのだろうか。
現代の日本国が明治維新に端を発している以上、江戸期の幕藩体制への回帰が反動という位置づけになるだろう。しかし、日本においては徳川家による資産(宮城や赤坂御所など)返還運動が全くなされていないことに象徴されるように、反動勢力そのものが存在しない。
結果、日本の保守主義の主流は明治維新・明治帝政に重い価値を置くところから始まる。ところが、明治維新(戊申政変)はたかだか150年前のものでしかない上、明治帝政は1945年に国土を灰燼に帰して滅亡寸前まで追い込まれ、休戦条約によって解体されてしまう。そのため、先に挙げた夫婦同姓に象徴されるように、「伝統」に厚みがなく、保守派が主張する伝統そのものが非常に薄っぺらいものになっている。同時に、彼らが明治帝政を肯定し、その侵略性や暴力性を否定すればするほど、周辺国との軋轢が生じ、安全保障上のリスクが高まり、軍事依存が強まるスパイラルに陥っている。また、彼らが明治帝政を肯定すればするほど、「凄惨な結末」が強調されてしまい、「でも同じ過ちは犯さない」となると対米追従・依存を強め、「強い国家」という保守原理との矛盾が大きくなるばかりとなっている。
つまり、明治帝政に依拠する保守というのは、ドイツのネオナチのようなもので、どこまでも無理がある存在なのだが、本土決戦が行われず、天皇制が存続されてしまったことで、「何となく」成立してしまっている。

日本では、現実政治で保守が強い割に、その原理は非常に脆弱という特徴がある。例えば、「強い国家」という場合、フランスでは絶対王政、イギリスではヴィクトリア朝がモデルとなるが、日本では1945年に破綻した明治帝政しかない。その明治帝政をモデルとするため、英国流の郷土主義も成立しない。

家族原理(家父長制)も、明治帝政期に人工的につくられたシステムで、成立したのは大正期以降の中産階級においてのみだった。
江戸時代にあっては長男以外は、養子に行くか、独立して一家を立てるかしない限り、結婚できなかった。人口の8〜9割を占めた農家の場合、次男以下は実家で農奴のように働くか、養子に出て自作農の家を継ぐかしない限り、あとは街に出て、日雇い職人や武家商家の下働きをするしかなかった。当時世界随一の大都市であった江戸でも、人口の6〜7割が男性で、その圧倒的多数は日雇人夫や路上商人(棒手振り)であり、彼らは結婚など夢のまた夢だったのだ。
この点でも、イエ制度の復活は全く現実的では無い。

また、欧州で言えばキリスト教に相当する宗教的権威や伝統も日本では脆弱だ。こう言うと「神道がある」と言われそうだが、現在ある神道は殆ど明治維新後に成立した新宗教の類いで、江戸期には神仏混淆が激しく、教義も教団も信徒も非常に曖昧なものだった。仮に「神道を国家宗教に」と主張してみたところで、「では、教義はどうするのか?」となると何も答えられなくなってしまう代物で、だからこそ戦前の国家神道は天皇の権威を神話的に創造することでしか成立させられなかった。故にわずか数年の外国軍占領によって、神社本庁こそ存続したものの、中身的には何も無くなってしまっている。つまり、天皇を神棚に据えなければ、何の求心力もないわけで、だからこそ日本会議などが国家神道の復興をめざしているものと思われる。

結論的なことを言うなら、日本の「保守」は欧米のそれに比して思想的あるいは伝統的基盤が非常に脆弱であるにもかかわらず、その空虚さ(中身の無さ)故に幅広い支持を受け、進歩派(左翼・リベラル層)の教条主義や非寛容から、相対的に多数派を形成してきたと考えられる。戦前、戦後ともに圧倒的に保守派が議会を抑えてきただけに、「保守の皇国」と考えがちだが、現実にはそこまで恐れる存在ではないのだ。
posted by ケン at 12:29| Comment(6) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする