2018年06月29日

5、6月の読書報告(2018)

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『アメリカ外交の大戦略―先制・単独行動・覇権』 ジョン・L・ギャディス 慶應義塾大学出版会(2006)
冷戦研究の泰斗であるギャディス先生による、911事件以降のアメリカ外交論。基本的に講演録なので分量は少ないが、アメリカによる先制攻撃ドクトリンがブッシュ政権固有のものではなく、独立戦争と米英戦争(1814)に端を発する伝統的な考え方であるとするもの。むしろルーズベルトによる国際協調・大同盟路線こそが異端だったが、それによって世界覇権が確立したことを高く評価しつつ、安全保障環境の変化で再び先制攻撃ドクトリンに転換したと説明している。非常に納得させられる部分が多く、お薦めしたいのだが、イラク戦争は失敗したと断じているにもかかわらず、先制攻撃・単独行動ドクトリンは正しいとする結論部分だけは、「何故そうなる?」と疑問を禁じ得ない。

『新版 北朝鮮入門』 礒崎敦仁、澤田克己 東洋経済新報社(2017)
中国で朝鮮半島問題について講義して欲しいと言われ、門外漢なので途方に暮れ、専門家の同志に相談したところ、真っ先に薦められた一冊。表題にもある通り、確かに入門書で、北朝鮮に関する事項をかなり網羅的に書いているのだが、その水準は高く、記述もバランスがとれており、まず全体像を把握するにはもってこいのものだった。

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『フクシマ以後 エネルギー・通貨・主権』 関曠野 青土社(2011)
関先生は、在野の思想家なれど、全体主義学徒の私は非常に多くの示唆を受けている。「近代の終焉」「代議制民主主義の機能不全」「国民国家の終焉」などのキーワードを論じる。欧米日などの民主主義国家は、階級間の利害調整弁としての機能が期待され、階級間の和解の上に成立していたが、国家が銀行=資本を優先救済するために税金を投じた時点で、その和解は破綻したという理解。確かに、国家と資本の癒着が急速に進み、大衆からの収奪が苛烈になるのは、2000年以降である。議会制民主主義も国民国家も、一定の階級和解が前提となって成立しうるが、その和解が破綻している現状では、成立要件を欠き、システムが機能不全に陥り、統治不全が進行する恐れが強い。そもそも議会制民主主義は、19世紀の産業革命を前提とし、一国の工業化を実現する上で、労資間の階級和解が必要(合理的)だという認識に基づいていて成立したものであり、近代化と資本主義が終焉を迎える21世紀に通用する合理的理由は無い。

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『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』 水野和夫 集英社(2017)
『資本主義の終焉と歴史の危機』 水野和夫 集英社(2014)

水野和夫先生の小論を集めたもので、水野ファン的には真新しさは無いものの、「資本主義の終焉」「近代の終焉」「国民国家の終焉」というキーワードを考える上で欠かせない要素を全て提示してくれている。成長型経済から定常型経済への転換という視点なくしては、今後の世界は語れない。

『立憲君主制の現在: 日本人は「象徴天皇」を維持できるか』 君塚直隆 新潮社(2018)
イギリス王政の研究家である著者による、世界各国の君主制度の現状を網羅した珍しい一冊。立憲君主制を採用している国が多い欧州諸国の場合、王族がデモクラシーの原理を尊重しつつ、政治に直接触れることなく、国際親善と国内の階級和解に精力的に活動することで、市民からの信頼と階級和解の象徴となって、体制の安定に寄与しているという。だが、既存の立憲君主制が「安定的」に見えるのは、一定の経済的繁栄とそれに基づく国民福祉が充実しているからであって、立憲君主制が体制安定に積極的に寄与しているという著者の見解は、いささかマッチポンプの嫌いがある。今後、急速に貧困化が進むであろう日本と欧州にあって、君主制が階級和解の象徴となり得るのか、その辺をもっと考察すべきだろう。

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『東部戦線の独空軍』 リチャード・ムラー 朝日ソノラマ(1995)
なかなかの名著。アメリカの比較軍事史研究者による博士論文の解題であるだけに、それなりの基礎知識が必要ではあるものの、非常に深い内容で戦争の本質を追究している。表題の通り、独ソ戦におけるドイツ空軍の盛衰に焦点を当てている。英本土航空戦で消耗し、限られた航空戦力をもってどの任務を優先するのか、ソ連政府を屈服させるために最も効率的な航空運用は何かという空軍内部の議論が検証されており、興味深い。1942年以降は、想定外の長期戦と総力戦の中で、ソ連空軍も強化され、独空軍は損耗を増やし、戦略の再構築が求められる。デミヤンスク包囲戦における空中補給作戦では第8航空軍団が265機の損失を被るものの、作戦全体では「成功」と見なされ、スターリングラード・ポケットにおける空中補給につながって行く経緯も参考になる。原書にはあるはずの参考文献がついてないのが惜しすぎる。

『中国化する日本』 與那覇潤 文春文庫(2014)
一時期話題になった一冊。中国化とは、権力の一元化と経済分野の放任主義を指すキーワードで、これに対するのが分権化と経済社会の固定化を指す「江戸時代化」という認識。指摘は興味深いところもあるが、中国論で言えば足立啓二先生の『専制国家史論』を読むべきだ。日本社会論としては、奇をてらいすぎなのと、自己顕示欲が前面に出すぎて、評論文としては全く水準に達していない。

『国体論―菊と星条旗』 白井聡 集英社新書(2018)
既出。
posted by ケン at 13:21| Comment(0) | 学問、文学、教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月28日

安全では無くなった仮想空間

【Hagexさん刺殺、犯行声明か 「低能先生と呼ばれ」】
 福岡市内であったIT関係セミナーの男性講師を刺殺したとして、福岡県警は25日、福岡市東区筥松(はこまつ)1丁目の無職、松本英光容疑者(42)を殺人と銃刀法違反の疑いで逮捕し、発表した。松本容疑者は「ネット上(のやりとり)で恨んでいた男性を死なせてやろうと思い、腹と首を刺した」などと話しているという。
 殺害されたのは、「Hagex」の名前で活動するインターネットセキュリティー関連会社「スプラウト」の社員、岡本顕一郎さん(41)。ネットには事件への関与をほのめかす投稿もあり、県警は松本容疑者が投稿した可能性もあるとみて関連を調べる。
 ネットで出回っている投稿に表示された時刻は、松本容疑者が出頭した24日午後10時50分の直前。福岡県警が松本容疑者を逮捕して、名前や年齢を発表する前だったが、「42歳」と正しく記述されていた。投稿では、自身がネットで複数の人から「低能先生」と呼ばれてきたなどと主張しつつ、「これから近所の交番に自首して俺自身の責任をとってくるわ」などと書き込んでいた。
 事件が起きた起業家支援施設は繁華街・天神の近くにあり、一時騒然となった。福岡市は25日、施設を一時的に閉館した。
(6月25日、朝日新聞)

ロシアでは、反政府系のジャーナリストが殺害される事件がたびたび起きているが、ついに日本でも始まったようだ。
警察は怨恨の線で収める意向のようだが、この手のケースの場合、全体主義学徒としてイメージされるのは、当局が殺害したい人物に対し怨恨を持つ人間を唆し、暗示・心理操作を行って怨嗟を増幅させるパターンである。自分で手を下す必要が無く、失敗したとしてもリスクは殆ど無いため、頻繁に使われているとみられる。『フンタ』にも「精神異常の暗殺者」が登場するが、あれである。
ソ連学徒的には、「不倫による怨恨が原因」で片付けられた政治局員セルゲイ・キーロフ暗殺事件が思い出されるが、日本史では明智光秀による信長殺害がある。いずれも単なる怨恨で片付けるには闇が深すぎるケースだ。特にキーロフ暗殺は、スターリン期の大粛清の端緒となった事件であるだけに、非常に興味深い。

権威主義体制に移行しつつある日本においても、当局がロシアやソ連の手口を学習したとしてもおかしいところは何も無い。そもそも財務大臣が「ナチスの手口に学べ」と言っているくらいなのだから。

被害者が殺害された理由は判然とせず、十分に分析する必要はあろうが、「三十六計逃げるにしかず」でもある。
本ブログでは、機密情報は扱わないし、スキャンダルも滅多に取り上げず、政府批判も控えめにしているはずだが、「○○先生に対する批判は止めた方が良い」とアドバイスされたこともあり、どこで何が恨みを買っているか分からないところは、ネットの怖いところでもある。
また、1937年に起きた人民戦線事件では、諸先輩方の大半はごく些細な理由から検挙されているし、戦時中に起きた横浜事件では、出版社の温泉旅行を共産党再建のための謀議と見なした特高によって治安維持法違反で60人以上を逮捕、拷問で4人が獄中死している。

こうした事件を想定した上での「共謀罪」導入だったと考えた場合、私の安全は、もはや一刻の猶予も無いと考えて良いだろう。
posted by ケン at 12:57| Comment(3) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月27日

白井聡『国体論―菊と星条旗』

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『国体論―菊と星条旗』 白井聡 集英社新書(2018)
【目次】
 序――なぜいま、「国体」なのか
年 表 反復する「国体」の歴史
第1章 「お言葉」は何を語ったのか
第2章 国体は二度死ぬ
第3章 近代国家の建設と国体の誕生(戦前レジーム:形成期)
第4章 菊と星条旗の結合――「戦後の国体」の起源(戦後レジーム:形成期1)
第5章 国体護持の政治神学(戦後レジーム:形成期2)
第6章 「理想の時代」とその蹉跌(戦後レジーム:形成期3)
第7章 国体の不可視化から崩壊へ(戦前レジーム:相対的安定期〜崩壊期)
第8章 「日本のアメリカ」――「戦後の国体」の終着点(戦後レジーム:相対的安定期〜崩壊期)
終 章 国体の幻想とその力

亀山ゼミでともにゲストだった白井同志の新著。4月末に出て、5月末に4版なのだから、今時の新書としてはベストセラーなのだろう。
「同志の本だから改めて読むまでもないか」と思っていたところ、献本されたので読んでみたところ、概ね本ブログで主張しているところとかぶっており、政治哲学・思想面から新書レベルの解説がなされている程度で、一種のスタンド・アローン感(共謀せずとも同じ結論に導かれる状態)を覚えた。

日本を支配しているのは霞ヶ関や自民党ではなく、米国であり、霞ヶ関と自民党は冷戦期東欧の共産党と同じ「モスクワの代理人」ならぬ「ワシントンの代理人」に過ぎない。それを覆い隠す表看板として象徴天皇制がつくられ、支配権の担保として在日米軍が置かれている。日米安保の不平等性はそれを明示している。在日米軍は、あくまでも米国覇権のために存在するものであるため、霞ヶ関と自民党を守護するために自衛隊が設置された。自衛隊法に自衛隊の役割として「国民保護」が明記されていないのはそのためである。
戦前の国体は、封建社会を国民国家に再編成し、工業化を実現しつつ、帝国主義時代を生き残ることを目的に、人民を臣民として無制限に動員するためにつくられたが、世界覇権を求めてアメリカと戦争し、廃滅寸前にまで追い込まれた。

戦後、その国体は西側自由主義体制の一員として冷戦を戦い抜くために、アメリカの後方基地あるいは資本元となることを目的に再編成された。戦前期に軍国主義や権威主義体制に奉仕した戦争犯罪者たちは、対米協力を誓うことで公職追放を免れ、あるいは解除された。1950年代の鳩山・岸内閣において閣僚の7割前後が戦犯だったことが、それを証明している。
1950年代から60年代の学生運動や反安保運動は、こうした擬制システムに対する異議申し立てだったが、政治的あるいは暴力的に弾圧され、その後は経済成長の中で個別的に不満が解消されていった。
今日、自民党政権が対米従属を強化し、国民経済を顧みることなく軍事的、経済的支援を行うのは、米国覇権こそが霞ヶ関・自民党による日本支配の源泉であり、国体そのものであるため、終戦時の大西軍令部次長が「あと2000万人の日本男児を特攻に!」と絶叫したのと同様、「日米同盟のさらなる深化」が叫ばれている。
その従属関係や支配構造の本質を覆い隠すために、象徴天皇制と「アメリカに愛される日本」「自由民主主義を奉じる日本」といったフィクションが連綿と(臆面も無く)主張されている。

現行の象徴天皇制・昭和帝政は、対米傀儡(アメリカ覇権の基地)と明治帝政のハイブリッドであるため、米国の覇権が後退すれば、明治帝政の亡霊が復活するのは道理であり、かと言って今アメリカがアジアから撤退すれば、昭和帝政の正統性が失われるだけに、「権威主義で対米従属強化」という、見るもおぞましい政権が成立している。
昭和帝政は、明治帝政以来の政官業報の癒着構造の上に成り立っているため、権力を相互監視する仕組みがなく、腐敗の一途をたどっている。さらに、日本の教育制度は、来日した東ドイツの教員組合幹部がうらやむほどの高い従属・洗脳度を実現しており、体制内批判はわずかにしか存在しない。

ケン先生の主張と異なるところもある。同志は必ずしも明示していないが、憲法改正(反対)、デモクラシー、国民国家の部分である。ケン先生的には、デモクラシーと国民国家はすでに賞味期限切れを起こしており、19世紀の遺物であると考えている。憲法9条は、日米安保と表裏一体のものであり、同時に象徴天皇制の要でもあり、これも冷戦の終焉と同時に成立しがたくなるものである。
恐らくは、同志の場合、そこまで踏み込んでしまうと商業上成り立たなくなってしまうため、最後の最後で日和ってしまっているものと思われる。にもかかわらず、特に体制派からは「サヨク」「レーニン主義者」のレッテルを貼られる攻撃にさらされているが、同志が本書で階級闘争を煽っている部分は一つもなく、連中が「王様の裸」を指摘されて狼狽しているのが見て取れる。

「戦後国体が崩壊した後、どうなるのかについて書いてないのは不誠実」なる批判もあったが、ソ連が崩壊した後、ロシアも中央アジア諸国も「選挙で偽装された権威主義国家」が成立しただけで、欧米諸国が望んだデモクラシーが成立したわけではない。欧州帝国に編入された東欧諸国では、ポーランドやハンガリーを始め、続々と権威主義政権が成立している。
日本の場合、日中戦争を経るかどうかは別にして、自民党に替わる親中政権が成立し、霞ヶ関も親中化、アメリカ軍が中国軍に替わるだけで、「フタを開けてみれば同じ連中」という可能性も十分にある。
また、天皇制は、支配者は天皇に対して責任を負い、天皇は一切免責されるという無責任システムであるため、どの為政者にとっても非常に使い勝手が良いだけに、市民がよほど強い自覚を持たない限り、形を変えて存続してしまうかもしれない。
posted by ケン at 12:31| Comment(8) | 学問、文学、教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月26日

日本は人権外交で攻勢にさらされる?

【河野太郎外相「日韓合意の精神に反する」 韓国の「慰安婦問題を人権問題に位置づける」計画準備に不快感】
 河野太郎外相は19日午前の記者会見で、韓国の康京和(カン・ギョンファ)外相が慰安婦問題を国際社会で人権問題として位置づける計画を準備していると公表したことについて「日韓合意の精神に反するものだ」と不快感を示した。そのうえで「先方の真意をしっかり確認したい」と語った。
 河野氏は、康氏や文在寅大統領と14日に会談し、未来志向の関係構築を確認したばかりだったことに触れ「いぶかしく思っている。このようなことが続けば、せっかくの日韓パートナーシップ20周年を前向きに祝い、未来志向の関係を作っていくことが難しくなるのは先方も分かっているはずだ」と語った。
(6月19日、産経新聞)

これまで韓国政府が、戦後補償問題で国内の反発を抑えて日本側に妥協してきたのは、南北対立の最前線にあって、米韓日の軍事同盟が不可欠かつ最優先事項であったためだ。しかし、南北板門店会談と米朝会談を経て、朝鮮戦争の終結が現実性を帯び、中長期的には中華帝国の成立が視野に入りつつある今となっては、韓国政府が国内世論を抑えつけて日本側に妥協する必要が失われつつある。

逆に日本側を見た場合、北朝鮮による拉致問題の交渉を進めるに当たり、戦後補償問題の解決は避けて通れない課題であり、日本は戦後補償問題で非難される立場にある。国際的にも、日本における女性の人権状況は「イスラム諸国と同レベル」という評価にある上、戦後補償問題に対する後ろ向きの姿勢や、にもかかわらず国連大使が「世界一の人権大国」と叫んでしまう夜郎自大ぶりが、日本に対する評価を著しく低下させており、この分野で日本に味方する国は殆ど無い。
この点でも、韓国政府としては反転攻勢に出る良い機会となっている。

日本側はただでさえ財政難の上、明治帝政や昭和ミリタリズムを推奨することで支持を集めた安倍政権であるだけに、今さら戦後補償問題で妥協することはできず、妥協すれば組閣の正統性を失うだけのことである。
また、戦後補償問題で日本が後ろ向きの姿勢を続けた場合、中朝韓に「共通の敵」と見なされ、下手をすれば「人権外交」で対日包囲網が形成される可能性がある。問題が問題であるだけに、日本の肩を持つ国はまず無いと見て良い。

ここで安倍政権が「中朝韓何するものぞ!」と突っぱねた場合、いよいよ日本海が冷戦の最前線となり、国内のタカ派世論も同調、軍拡・核武装論が浮上、東アジアの緊張が急上昇するかもしれない。
そう考えた場合、やはり安倍政権はそろそろ「賞味期限切れ」だと思われるのだが、自民党内にも人がおらず、9月の自民党総裁選で安倍氏が三選した場合は、厳しい展開を覚悟しておく必要がある。
posted by ケン at 12:23| Comment(5) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月25日

ゲッベルスと私

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『ゲッベルスと私』 クリスチャン・コロネルほか オーストリア(2016)



ナチス・ドイツの宣伝相だったゲッベルスの秘書ポムゼル女史が、103歳にして69年間の沈黙を破り、ひたすらしゃべるまくるドミュメンタリー。インタビューは総計30時間に及び、記録映像を交えながら約2時間に編集しているが、実質的には彼女が2時間近く延々と回顧するだけの映画なので、映画館では爆睡者が続出、私も一度寝かけたほどだった。

取材が行われたのは2014年で、当時103歳ということは1911年生まれで、実際彼女の記憶は一次大戦が勃発して父親が出征するところから始まる。先頃94歳で亡くなられたK顧問も、ご父君がシベリア出兵に出征されて国家主義から社会主義に目覚めた経緯を話されていたが、まさに想像を超える歴史そのものである。

彼女自身はありふれた中流の家庭のベルリン市民で、より良い仕事を求めてナチ党に入党し、1933年に放送局に就職、仕事ぶりが認められて、1942年に宣伝省に入り、大臣官房の秘書となっている。放送局に入る前は、ユダヤ人の法律・保険事務所で事務員を務めており、純粋に「より良い仕事」を求めただけの話だったという。
大量虐殺などナチスによる蛮行については、一切関与を否定、強制収容所の存在は知っていたとしつつも、「自分は何も知らなかった」と繰り返す。

顔こそ皺だらけで年相応なのだが、その記憶力と話し口はおよそ100歳超のものではなく、80歳超の者でさえ、あそこまで蕩々と話せるものは少ないのでは無かろうか。この点は超人的と言える。その記憶も非常に精密で、覚えていないところはハッキリ言い、よどむところが殆ど無い。感情を露わにするところも非常に少なく、むしろ空恐ろしいほどに淡々と述べているのが印象的だ。
作り手は殆ど操作せずに生のインタビューを流しているだけに、批判的、懐疑的に読み取るのが難しく、聞き手のリテラシーが問われるドキュメンタリーになっている。

私なども若い頃には「十五年戦争に際して、なぜもっと戦争に反対しなかったのか」と考えていたクチであったが、今日のデモクラシーの危機やポピュリズムあるいはナショナリズムの高揚に際して、積極的に抵抗しているとは言えず、むしろ本格的な危機に陥る前に亡命を選択している。自分が採れる選択肢が、「身一つで逃げる」しか無い、あるいは比較的容易に採れるものだからだ。実際に、全体主義政権や軍部独裁が成立してから抵抗あるいは逃亡するのは命がけになってしまい、英雄願望を排除した場合、現実的な選択肢とは言えないだろう。

リベラル系の知識人は「市民の無関心がファシズムを生んだのであって、市民一人一人が批判精神をもって為政者を監視、対峙しなければならない」などと軽く言うが、理想論としては正しくても、その認識は現実的なのだろうか。
全体主義学徒であるケン先生的には、「市民が主体的に日常課題の暴力的解決を望んだ」とするE・トッド先生の解釈を支持するものである。そうでなければ、日本の日比谷焼き討ち事件も南京陥落時の熱狂も説明が付かない。ファッショに至らずとも、日清・日露戦争における開戦要求は、むしろ市民レベルの方が高揚していた。

ポムゼル女史は前後、5年間ソ連に拘留された後、釈放、東ドイツにて放送局に再就職し、人生を全うしている。
「女史が何を語ったか」以上に、受け手が考えさせられる好ドキュメンタリーである。ただし、居眠り注意だが。
posted by ケン at 12:53| Comment(2) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月24日

ファシズムは笑顔を強要する

【笑顔でないと出勤登録できず 出退勤管理システム開発 外食産業向けに】
 顔認証技術を使って笑顔かどうかを測定する機能を設けた出退勤管理システムを、業務用ソフト制作のイー・カムトゥルー(札幌)が開発した。従業員の出勤時間登録に顔認証を使い、一定のレベルを上回る「笑顔度」であるとシステムが判断すると、出勤登録できるようにする。担担麺専門店を展開する175(いちななご)=札幌=が導入を決定。笑顔の接客を心がける飲食店での普及を目指す。
新しい出退勤管理システムを搭載したタブレット端末の画面に自分のIDを打ち込むと、端末のカメラが作動し、顔写真を撮影。ID登録している人物と同一かどうかを確認するとともに、口角が上がっているかなどの表情の要素から、笑顔かどうかを判定する機能を持たせた。「笑顔度」は数値で表示され、値が低いと「笑顔度が規定値より不足しています」との表示が出て、出勤の登録ができない。再びカメラの前で、しっかり笑顔を作ることが求められる。
札幌や東京などに担担麺専門店「175。(ひゃくななじゅうごど)DENO担担麺」を展開する175は来年中に全7店でこのシステムを導入する。同社のシステム管理者、柳橋優樹さんは「笑顔はサービスの一つで、顧客満足度の高さにつながる。従業員に毎日の笑顔をチェックをする習慣にしてほしい」と話す。既に導入済みの札幌北口店のある従業員は「前日に寝不足の時は、翌朝の顔認証で表情の硬さに気付くときもある」と話した。
 かつて、出退勤の管理にはタイムカードが使われていたが、不在の従業員のカードを他人が記録するなどの不正を防げなかった。顔などの生体認証を使ったシステムは他人では記録できない。アルバイトなどの出勤管理目的でも普及が進んでおり、NECなど大手企業の参入も増えている。
(6月17日、北海道新聞)

たとえ親や子が謂われの無い罪で一方的に処断されようと、独裁者や支配体制を賛美し続けなければならないのがファシズム、全体主義である。仮に件の職場が心地よいところであるならば、上から強制せずとも自然と笑顔に近い表情になるだろうが、そうではないからこそ強制が必要となるのだ。ブラック企業ほど、朝礼や社歌斉唱が強要されるとの同じ構造と言える。

サービス業が笑顔を強制するのは、コストダウンや市場競争に起因するもので、賃金を上げることなく感情労働を強制することで、「質の高いサービス」を提供するのが狙いだ。要は労働搾取の一変種である。
ところが、元手がかからないため、どこの企業でも「スマイルゼロ円」を始めた結果、サービスのデフレ・スパイラルが発生すると同時に、社会のストレスを上昇させている。また、感情労働の強制によって精神に変調を来す者が続出、「働けない者」を増やしてしまっている。
日本の企業が、実際のサービスの質を上げるだけのコストを投入できなくなっており、労働搾取を強化することでしか対応できなくなっていることを示している。

ケン先生も昨年の選挙では、「顔が怖い」だの「応対が雑だ」などと言われて、「有権者にいちいち笑顔で送迎サービスしなきゃならんのか!」と思ったもので、それも退職する遠因になっている。
従業員に笑顔を要求すること自体、パワハラ認定すべきだと考えている。
まぁ人手不足時代にそんな会社で働きたいと思う若者がいるとも思えないのだが・・・・・・
posted by ケン at 00:00| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月22日

第二次日中戦争の現実味について・下

前回の続き
財政的にも日本は、現状でさえ毎年税収の2倍もの歳出予算を組んでおり、収支を改善する見込みはなく、低成長、技術的退潮、貧困化の下で、今後さらに悪化させて行く可能性が高い。この点でも、「開戦するなら早いほうが良い。戦時景気とインフレで財政赤字を解消できる」という認識を抱いたとしてもおかしくはない。
国力的には、2010年に中国のGDPが日本を追い越して、2017年には中国の12兆ドルに対して日本4.8兆ドルと対中4割近くにまで差が付いている。偶然なのか歴史のいたずらなのか、この「対中4割」はまさに1937年のそれと同じで、これまでの勢いでは中国の成長が続かないとしても、日中間格差が拡大の一途にあることは間違いない。

政治的にも、今の自民党と霞ヶ関は危機的な状況を迎えつつある。自民党・霞ヶ関とアメリカの関係は、冷戦期の東欧諸国共産党とソ連の関係と酷似している。ソ連邦の共産党と軍は、そのヘゲモニーの上に東欧諸国に共産党政権を成立させたが、それが撤退すると同時に瓦解した。
戦後日本のデモクラシーと議会政治は、占領軍支配下で昭和帝が下した欽定憲法(現行憲法)に基づいて成立しており、市民・国民が熱望して、あるいは血を流して獲得したものではない。現実に、議会選挙の投票率は国政で50%強、地方では30%前後という状態が続いており、デモや集会は警察の許可制、マスメディアは政府に従属、大学などの高等教育に対する政府統制も強化される一方で、およそ自由民主主義の実質を伴っていない。
在日米軍の撤退は、戦後体制における統治上の正統性の喪失を意味し、国民的支持が失われたままだと、現行の統治システムそのものが機能不全に陥る可能性がある。
これを回避するためには、大国と戦争して勝利することによって、独自の正統性を確立すると同時に、体制支持率(内閣支持率では無く)を回復させる必要がある。「アメリカがアジアから手を引いて孤立無援になる前に、対中戦を仕掛けて勝利しなければ、現行体制が維持できない」と政治家や官僚が考えたとしても不思議は無い。

また、経済的な行き詰まりから、資本の要請で1990年代以降、国民・市民に対する収奪が強化されつつあるが、これが国民統合力を低下させている。結果、統合を維持するために、政府はナショナリズムを称揚する傾向を強めているが、これが大衆の間で中朝韓やアジア蔑視を強化する方向に働いており、ひとたび戦闘が発生した場合、日露戦争や日中戦争が生起した際のように国論が沸騰、戦争支持が国を支配するだろう。日本政府としては、「小規模の国際紛争における勝利が望ましい」と考えても、国民が全面戦争を望む可能性がある。

以上の話は、個別的には荒唐無稽かもしれないし、「あり得ない」と一刀両断に処することもできようが、感情の底流にある一要素として何時どこで噴出するか分からない存在であり、歴史的には常に「あり得ない」可能性がいつの間にか現実のものになっていたことを忘れてはならない。例えば、日清戦争の前に、日清戦争後10年でロシア帝国と全面戦争をするなどと言ったところで、誰も本気で相手にしなかっただろう。イギリスとアメリカと中国と同時に全面戦争するなど、1935年の段階ですら、誰も本気で取り合わなかったに違いない。
少なくとも、第二次日中戦争の可能性は、確率論的には対英米中仏ソ戦争が起こる確率よりも高いと考えるのが妥当である。それは、現在の政治家と官僚、あるいは市民・国民が、80年前よりも賢くなっているという保証が何一つ存在しないことから説明できる。
だからこその「亡命」でもあるのだ。

だが、現実には憲法と国連憲章上の理由から日露戦争や太平洋戦争で行ったような先制奇襲攻撃が難しく、日本が中国側に対して何らかの開戦理由をこじつけて自衛権を発動する必要があるだけに、選択肢としてはなかなか成立しがたい。とはいえ、突発的に国境紛争が発生し、国論が沸騰して世論が対中戦争を支持する可能性は十二分にあると考え、確率を残してある。

より現実的な選択肢としては、既存のプルトニウムを利用して核弾頭を生産、核武装をもって中国に対して体制と領土(特に沖縄)の保証を要求するという、北朝鮮モデルが考えられる。
この場合、アメリカは在日米軍の撤退と引き替えに日本の核武装を容認する可能性が高まりつつある一方、中国の習近平主席は「中国は日本の核武装に関しても、一貫して反対の立場を強調してきた。これは今後も変わらない中国の外交方針だ」「(日本の核武装を阻止するためには)戦争も辞さない」との姿勢を示している(2017年11月の米中首脳会談にて)。
これは、一歩やり方を間違えると、国連憲章の旧敵国条項が適用されて安保理の許可無しで(例外規定)、軍事的制裁・介入が行われる可能性を示している。敗戦国で核武装したケースが無いだけに、現実的と考えるのが妥当だろう。この点、日露戦争では「長引けば列強が和平仲介してくれるはず」、太平洋戦争では「ソ連は中立条約を守るはず」などと常に楽観的であるのが日本エリートの特徴であり、今回も「敵国条項が適用されることはあり得ない」と判断すると見て良い。

ただし、日本側からすれば、「対中限定戦争よりはマシ」「財政負担も通常戦力増強より軽い」「国内にプルトニウムが余ってる」との理由から、「他に選択肢は無い」「北朝鮮は成功した」との判断がなされる可能性が高い。

他方、中国側からすれば、日本は現状でも「帝政」「デモクラシー」というイデオロギー的に相容れない存在である上に、世界有数の軍事力(予算レベルで7位前後、海軍力で世界第二位)を持つ「東洋最大の脅威」であるだけに、日本の核武装は中国の安全保障上、最大の脅威となるだろう。

最も平穏な道は、日本が核武装をちらつかせて実行する前に、中国側から体制保証を引き出す、という筋書きが考えられる。その場合でも、日本側は天皇制ないし議会制民主主義の放棄と人民解放軍の進駐が求められるかもしれない。
いずれにしても、非常に険しい道であり、現行の政治家や外交官に担える難易度では無いように思われる。

【追記】
もう一つ考えられるパターンは、ナチス・ドイツ型がある。極度の財政的緊張に陥った日本にポピュリズム政権が成立、緊縮財政を放棄して超規模の財政出動を行って大軍拡とインフラ整備を行うと同時に、排外主義を煽ることで破綻しかけた国民の再統合を図るというもの。この場合も、周辺国との摩擦が強まり、些細なことで戦争が勃発する恐れが強くなる。現在の日本が全体主義を求める理由については、近く見解を述べる。
posted by ケン at 00:00| Comment(14) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする