2018年06月06日

高プロ導入に見る資本主義と民主主義の終焉・下

前回の続き
デモクラシーは、同質性の高い有権者の集合体を前提とした合意形成システムであるが、階級分化と身分固定化が進んだ社会では成立しがたい。ロバート・スキデルスキー師は、「二十世紀の経験は、経済的繁栄はリベラルな民主主義に依存しないが、リベラルな民主主義は、経済的繁栄が欠けている場合、危機に陥る、ということを示している」と述べている。

20世紀を前後して、工業先進国においてデモクラシーを採用する国が増えたのは、資本主義との相性が良かったところが大きい。労働者に政治的権利を付与することによって、資本と労働の合意形成がなされ、階級和解が実現することによって、労働争議が抑えられ、資本と労働が効率化していった。また、効率化と労使合意によって労働者の賃金も継続的に向上、消費が増え、市場そのものが拡大していった。
これに対して、ソ連型社会主義が1960年代後半から70年代にかけて失速して、そのまま浮上できなかったのは、計画経済の中で消費文化を否定したことで市場の発展を阻害、成長を止めてしまったことが大きい。さらに、生産力向上に対して賃金を増やしたものの、家計にある貨幣を吸収する消費財を供給できず、市場に大量の貨幣が滞留、超規模のインフレーションを発生させてしまった。

ソ連が崩壊したのは、フランシス・フクヤマらが言ったような「自由民主主義の優越」に起因するものではなく、単に「市場」を理解できなかったソヴィエトの政治家と官僚が、経済運営に失敗したために起きたものだった。現実に2018年時点で、自由民主主義を否定し、一党独裁を堅持する中国が、アメリカやEUを上回る富を獲得しつつあるが、この現象はフクヤマの論理では説明できない。
むしろ、アメリカと西欧の資本主義は、ソ連崩壊によってロシア・東欧・中央アジアをほぼ無償で市場占有できた上、安価な労働力を得ることができたため、延命することができたと考えるべきだろう。ロシアのプーチン路線は、米欧の新帝国主義に対する反動であり、だからこそ米欧が血眼になって敵視しているのだ。この辺の説明は、別途記事にしたいと思う。
例えば、アメリカの政策金利を見た場合、1993年に3%まで下がっていたものが、1997〜98年には5.5%に回復、2000年には6.5%を達成するも、その後ふたたび低下し始め、リーマンショック後の2009年には0.25%となった。これは、資本主義が安価な資源調達先と占有できる市場が必要であることの傍証でもある。

アメリカは2015年末にゼロ金利政策を止め、現在は1.75%となっているが、日本はリーマンショック後に0.1%としたまま、現在まで続いている。これは、日本企業がアメリカ企業以上に低収益構造の改善が進まないことを示している。
日本の場合、1991年に始まったバブル崩壊を経て、公的資金(主に税金)を投入して大手銀行の一部を救済する一方で、解雇や雇用抑制がなされると同時に、派遣労働や業務請負の解禁が進められた。これらは労働コストを下げることで、収益を改善することを目的とした。
この公的資金投入と税収減の穴を埋めるために、1997年には消費増税と特別減税の廃止がなされ、労働報酬の削減と国民負担増が進んだ。

2000年代に入って、小泉政権が成立すると、派遣労働・業務請負の流れが加速、非正規雇用の割合も急上昇していった。1994年に20%だった賃金労働者に占める非正規雇用者の割合は、2002年には30%を超え、今や38%に達している。非正規雇用者の平均賃金は2016年度で年172万円で、正規雇用者の315万円に対して54%でしかない。
労働分配率を見た場合、2004年に70%を割ったものがリーマンショック前に74%にまで改善されたものの、2012年に安倍政権が樹立すると68%以下にまで下がっている。これに対して、企業利益(付加価値から人件費と租税を引いた分)は小泉期に72〜73兆円を超えていたものが、リーマンショックで一時低下、安倍政権の樹立を経て再び70兆円を超えて、今や過去最大の90兆円近くにまでなっている。
また、租税と社会保障負担を示す国民負担率は、1999年に35.5%だったものが、2018年には42.5%にまで上がっている。

これらの数字は、日本政府が低収益の企業を潰して高収益産業にシフトさせるのではなく、賃金を削減して労働者を収奪することによって企業収益を担保する政策を採り続けてきたことを示している。
2000年以降、社会主義政党が国会に1割の議席も得られず、資本に融和的、協力的な民主党と連合が野党第一党あるいは政権与党であったため、全く抑止力にならなかったと考えられる。

こうした傾向は地方に行くと、より露骨な形で現れる。外国人技能実習制度は、現行の労働法制下では採算が成り立たない低収益企業が、生活保護水準の半分以下の超低賃金で、アジア諸国から欺いて連れてきた労働者を軟禁、酷使することで、延命を図るシステムである。これは、労働法制を適用除外にした上、基本的人権を認めないという点で、現地の自治体議会や警察を含む行政が「全員グル」にならないと成り立たない。その意味するところは、地方経済が疲弊しすぎて、外国人奴隷を軟禁して強制労働させることでしか、地場資本が存続できなくなっているということだ。
「都市部のコンビニや介護にも技能研修者を」という声が高まっているのは、もはや都市部でも非正規雇用程度では収奪が間に合わず、最低賃金以下の奴隷労働なしでは都市資本すら成立しなくなりつつあることを示している。
しかし、先に述べたとおり、賃金削減でしか収益が上がらない経済活動は、縮小再生産するばかりであり、現行の資本主義体制の終焉が近づきつつあることを露呈している。

資本家と労働者が一定の合意を得て市場の発展と国民生活の改善を同時に追求するというのが、「戦後和解体制」と呼ばれる自由民主主義の本質だった。ところが、1990年代にこのシステムが瓦解を始め、2000年代に深刻さを増し、2010年代に危機を迎えつつある。
上記のように、資本による労働収奪が強まり、政府が資本側について賃金削減と雇用不安定化に寄与するところとなるが、従来の社会民主主義政党や日本の民主党は、戦後和解体制から脱却できないまま労使合意に拘ったため、資本の横暴に歯止めがかからず、労働者階層の貧困化が加速していった。
特に欧米の場合、リベラリズムの原則によって難民や外国人労働者を多数受け入れ、社会民主主義政党やリベラル政党が強く推進し、肝心の自国有権者の生活水準を下げてしまい、離反を招いていった。
これは、社会民主主義政党が「民主的」「自由的」であるが故に、支持を失うプロセスにあることを示しているが、彼らはその処方箋を持たないまま、苦境に立たされている。

社会民主主義や自由主義の機能不全に対する抗議意思の表明は、欧米ではポピュリズムの形で顕現しているが、日本はロシア型の権威主義を指向する形で現れている。この辺りの機微が分からないと、イタリアで左派寄りの五つ星運動と右寄りの(北部)同盟が連立政権を組む理由が理解できない。
日本の場合、国政選挙の投票率が55%程度で推移、4割以上の有権者が投票しなくなっている中で、小選挙区制の導入によって45〜50%の得票で当選できるため、絶対的票率では25%、つまり四人に一人の有権者の支持だけで国会議員になれる一方、残る有権者の声は国政に反映されない事態になっている。
にもかかわらず、国内には少なく見積もって2千万人以上の貧困層(生活保護水準以下)がおり、その数は上昇し続けている。社会主義政党を含めてこの層を包摂する政党や政治団体がないことは、デモクラシーが機能不全に陥っていることを示している。
高度プロフェッショナル制度は、その背景にある資本側の狙いと歴史的経緯まで理解する必要がある。
posted by ケン at 00:00| Comment(4) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする