2018年06月18日

ジューコフ元帥回顧録

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部屋を整理中に発掘されたジューコフ元帥の回顧録、1983年版、50コペイカ。
ジューコフの回想録は、ソ連・ロシアの歴史を象徴する一つである。

ジューコフは農村の靴職人兼農家の家に生まれるも、父があまり働かなかったため、家は常に貧しく、三年間の初等教育のみを経て毛皮職人に徒弟入りした後、一次大戦に一兵卒で従軍、ロシア革命を迎え、赤衛軍に参加した。内戦終結時には、26歳で騎兵連隊長になっているが、殆ど銀英伝のような話である。この間も騎兵学校で半年ほど学んだのと、1929年冬から翌30年春までの半年間、陸軍大学で学んだことだけが、ジューコフが受けた教育らしい教育だった。ちなみに、同僚のイワン・コーネフに至っては初等学校すら出ておらず、同じく一兵卒から赤衛軍民兵を経て軍人となり、元帥まで昇進している。

にもかかわらず、本人は恐ろしいほどの勉強家で、78歳で死去した際には数万冊からの蔵書があったという。回顧録を書き始めたのは、70歳近くなってからで、一年間国防省公文書館に通い詰め、1500点以上の資料を引用、「回顧録自体が歴史書として成立するほどの精度をなしている」というのがロシアの歴史家の評価だ。
だが、この精確さが逆に災いし、当局の厳しい検閲にさらされ、1969年の初版発行に際しては、全体の約半分が当局によって削除、修正されたとされる。
また、1974年のジューコフの逝去に際しては、回顧録を執筆していた別荘をKGBが襲撃、原稿を回収すべく、徹底的な家捜しを行った。しかし、それを予測していた本人が予め親族に原稿を渡して隠すことで、難を逃れている。

その後、ペレストロイカ・グラスノスチを前後して、当局の検閲も緩和され、1980年以降、版を重ねるごとに修正部分が減り、オリジナルに近づいていった。ソ連崩壊後の1992年発行の第11版は、初版の752ページに対して、何と1159ページもあることだけを見ても、どれだけ検閲が入っていたか分かるだろう。ちなみに、写真の1983年版は第5版984ページで、ゴルバチョフが登場する前から「雪解け」が始まっていたことを伺わせる。
なお、2010年の第14版が「完全版」とされるが、960ページしかない。出版社は否定しているようだが、現政府の要求があったのか、自主規制しているのかを示唆している。

朝日新聞社が出した同回顧録の翻訳は、初版に基づいているため(全文では無い)、ソ連学徒としては、1992年の11版か95年の12版を日本語に再訳して欲しいと切に願っている。
posted by ケン at 12:43| Comment(2) | ロシア、中国、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする