2018年07月31日

現状維持すら難しい自衛隊

【自衛官採用年齢引き上げへ=30歳上限、人材確保厳しく―防衛省】
 防衛省は21日、主に高卒者を対象とする自衛官候補生などの採用年齢を引き上げる方向で調整に入った。
 現行18〜26歳までの採用年齢について上限を30歳程度とすることを視野に検討する。少子化や景気回復を背景に優秀な人材の確保が厳しさを増していることを踏まえた措置で、陸海空各自衛隊との調整が付けば、2019年度から実施する。
 年齢引き上げは1990年4月に当時24歳だった上限を26歳にして以来、実現すれば約30年ぶり。採用年齢を定めた自衛隊法施行規則などを改正する。
 防衛省が17年度に採用した自衛官1万4090人のうち、自衛官候補生と一般曹候補生が全体の約9割を占める。ただ、近年、応募者数は減少傾向にある。
 特に自衛官候補生の採用数は12年度の9963人をピークに5年連続で減少しており、17年度は7513人にとどまった。同省関係者は「景気回復に伴い、優秀な人材は民間企業に流れている」と危機感を示す。
 今回、年齢引き上げを検討するのは、自衛官候補生と一般曹候補生の2職種。自衛官候補生は任期制で、教育期間を含め陸上自衛隊が2年、海上・航空自衛隊が3年。任期終了後に継続するか否か選択できる。一般曹候補生は終身雇用が原則で、部隊勤務などを経て、自衛隊の中核を担う人材となることが期待されている。
 同省は、高校などを卒業し、いったん民間企業や官公庁に就職した優秀な人材を獲得したい考えだ。担当者は年齢引き上げにより「自衛隊で再チャレンジができるよう門戸を広げたい」と語る。 
(7月21日、時事通信)

このご時世に下士官の定年が53歳という自衛隊に30歳になろうという人が入隊を希望するとすれば、それはかなり高確率で「食いはぐれ」なのではなかろうか。以前海自の方から「現在保有する全艦艇を動かすにもギリギリの人数しか確保されておらず、平時でも事故が増えており、とても長期の戦争などできる態勢にはない」旨の話を聞いた。自民党などが希望する軍拡は、徴兵制にでもしない限り、非常に厳しい情勢にある。
posted by ケン at 12:38| Comment(0) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月30日

衆愚化の果てに永田町を去る

先週末をもって秘書を辞め、累計で15年ほど奉職した永田町を去る。
特段の郷愁、感慨はない。そもそも現在の政界自体がオワコンと判断したことを考えれば、むしろ「清々した」くらいの気持ちかもしれない。
まずは、その辺の事情を記しておこう。
民族・国民国家とデモクラシーが終焉を迎えることの理論的説明は、すでに記事にしているので、そちらを参照して欲しい。

・民族国家とデモクラシーの終焉

なので、今日は職務上の卑近な例を挙げて、議会制民主主義の末路を語りたい。
党職員として4年、秘書として11年勤めたことから感じる最大の問題は、通信手段の変容である。自分が秘書を始めたのは2007年のことだが、その頃すでに携帯電話とメールは普及していたものの、例えば議員が海外に出張したり、飛行機に乗ったりすれば、秘書は上司から「解放」されたものだが、今日では海外からも、しかも時差が考慮されること無く、次々と議員から職務上の指示が降りてきて、下らない話(多くは愚痴)につきあわされる。
これは、民間企業の営業などにも言えることだが、かつては社を出て外回りするついでに、多少の遊びや休憩が可能であったわけだが、今ではスマートフォンで所在を確認され、恒常的に連絡や報告が求められ、実質的に常時監視下に置かれている。議員秘書も、地元勤務者は会社の営業と全く同じことが言える。
かつてなら秘書が外回りしている時は、逆に議員からは「解放」されていたものが、今日では外回りしていても、ひっきりなしに議員から指示や連絡が入る上、事務所や支援者からも連絡が入るため、外回りに専念することもできなくなっている。
また、今日ではラインやSNSで「グループ」が形成されるため、直接自分に関係ない連絡や報告が勝手に「共有」され、「自分は知りませんでした」と言うことすら許されない上、ひっきりなしにスマホが鳴り続ける始末になっている。このストレスは尋常では無い。

だが、より深刻な問題は秘書よりも議員の方にある。携帯電話が無かった時代、つまり1990年代前半くらいまでは、議員は有権者と直接顔を合わせるか、事務所で電話を取る以外に、有権者とのコミュニケーションに費やす機会は無かった。議員が不在の時に事務所に掛かってきた電話は、秘書が「議員に申し伝えます」と言って、報告を受けた議員が必要と判断すれば、かけ直しただけの話だった。
ところが、それから20年もしないうちに、議員は常に携帯電話を持ち歩くようになり、他の議員、支持者、官僚、メディア関係者などから直接電話やメールなどが来るようになり、それに伴って議員から秘書に指示が行くため、その作業量たるや恐ろしく膨大になってしまっている。

携帯でのコミュニケーションが常態化した結果、投票率の低下も相まって、議員はますます厚い支援者との癒着関係を強め、陳情や相談(つまり利益誘導=腐敗)が増えている。「直接連絡できる」ハードルの低さが、ますます陳情のハードルを下げると同時に、秘書や官僚にも携帯で連絡がつけられるため、陳情処理の速度が速まっていることから、ますます陳情が増えるという悪循環に陥っている。一部の陳情が増える一方で、幅広い有権者と接触する機会が減る問題もある。結果、議員と直接的なコネを有するものが、その地域で有利な立場(利権と情報)を得られるため、地縁血縁に基づく縁故政治が跋扈するところとなる。加計・森友問題の背景でもある。

また、ツイッターやフェイスブックなどのSNSの登場によって、ライバル候補との競争が激化、議員本人が情報を発信して自己アピールする必要が生じた。しかも、その発信内容は「専門家」によって「短ければ短いほど良い」と指導されるため、恐ろしく無内容なものか、恐ろしく煽動的なもので溢れるところとなる。政界では古くから「悪名は無名に勝る」と言われており、「炎上歓迎」は当然の流れだった。ケン先生がツイッターをやらないのは、そのためだ。
結果、議員は一日のうちの相当な時間を、スマホでの連絡と無内容な情報発信に費やしている。かつてなら、車や汽車での移動時間は、本や資料を読み、あるいは沈思黙考することで、政治家としての知識と思考を深めた機会が、今日では全て失われ、自ら「哲人」たらんことを放棄して衆愚の穴に身を投じてしまっている。そうしなければ、選挙に当選できないためだ。
同時に、SNSでは支援者ではない者、何の関係もない者、匿名の敵対者からの攻撃や嫌がらせ、無意味な問い合わせなどが膨大に送られてくるため、精神の損耗が激しくなる。
さらに、議員はSNSによって「大衆と繋がっている」幻想を得るため、その歓心を買い続けるべく、一層大衆受けのする発信を行うところとなる。
それらの様は、さながら議員が通信ツールの奴隷と化しているかの如くである。

デモクラシーは、人格高潔で高い知性を有する市民が全員参加の議論を行うことによって、私心を排した最も合理的な合意形成をなすことができる(はずだ)という前提の上に成り立っている。しかし、現実には全員参加の議論が不可能であるため、知性と教養を有する大衆が人格高潔で高い知性を有する代議員を選出、主権者を代表して代議員間で合意形成を行うのが、近代の代議制民主主義の根幹だった。
ところが、通信手段とコミュニケーションの変容によって、プラトンやアリストテレスが指摘した衆愚化が、大衆レベルでも代議員レベルでも加速、互いに衆愚をあおり立てるため、合意形成が困難を増し、強行採決=多数派による意思の強要が横行、少数派の不満は高まる一方になっている。他方、与野党を問わず、投票率の低下から、一部の手厚い支援者を優遇せざるを得ないため、不公正な縁故政治が跋扈するところとなっている。
君主政において、使用人の徳とは愚かさに他ならない。しかし公共の徳は犯罪とされており、唯一の徳は君主による犯罪の従順な道具であるということであり、唯一の名誉は君主と同じくらい悪であるということである。
(マクシミリアン・ロベスピエール)

戦後教育は、愚かで従順な帝国臣民を育成することに成功した一方、デモクラシーの前提となる人格高潔で高い知性を有する市民の涵養には失敗した。文部省が70年かけてばらまいたウィルスが、スマホの普及によって全国的に発症、デモクラシーの内部崩壊を促進しているのである。
posted by ケン at 12:31| Comment(3) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月28日

CMJ111 常徳殲滅作戦

日中戦争ネタのゲームはそもそも非常に少ない。特に作戦級となるとさらに貴重で、日本でプレイできるのは、コマンドマガジンから出た日中戦争三部作がメインとなる。本作は中黒靖氏、あと二作(大陸打通作戦と止江作戦)が瀬戸利春氏のデザインとなる。
本「常徳殲滅作戦」は1943年11月に実施された日本陸軍による「ヨ号作戦」を、1ターン1週間、1ヘクス4.8kmのスケールで再現する。

1943年11月という時点で、すでに日中戦争の末期にあり、「常徳」と言ってもどこにあるかも分からない。そもそも日本軍は1939年の時点で攻勢限界に達しており、限界線を越えての作戦活動は厳しく戒められていた。本作戦は、また例のごとく、中国軍による反転攻勢が始まる前に、相手方の予備戦力を削ぎ、猶予期間を確保しようというもので、常徳を攻めると見せかけて、国府軍の主力を誘因、撃滅するというのが作戦目的だった。
史実では、日本軍が常徳を一時占領するも、中国軍の反撃で予想以上の損害を出して撤退、当初の作戦目的は達成したものの、受けた損害を考慮すると、評価が難しいレベルに終わった。

本作は、ルールこそシンプルながら、日本軍と中国軍では作戦シークエンスが異なる上、中国軍歩兵は司令部の指揮下に無いとZOCが無かったり、「計画的撤退」のような特別ルールがあるため、慣れないと全容が把握しづらい面はある。
全体で5ターンしかなく、フルマップ一枚ながらも、1時間半から2時間でプレイでき、プレイアビリティは高い。

IMG_20180721_153946.jpg

日本軍は1ターンに3回作戦フェイズがあるものの、各フェイズ移動もしくは戦闘しかできないため、敵を包囲したまま前に進むのか、撃破してから前に進むのか、判断が難しい。
逆に中国軍は1ターンに1回「計画的撤退」ができるので、日本軍が接敵してきたら、司令部を通じて「待避」、次ターンに増援として再配置が可能になっている。あまり無節操に撤退すると、日本軍が三回移動してあっという間に常徳に辿り着いてしまうので、「捨てがまり」要員をどれだけ残すかがポイントとなる。

この日は、O先輩が日本軍、ケン先生が中国軍を持ち、3回プレイするも、3度とも日本軍は豊縣を占領するに止まり、常徳に届きそうに無く断念した。
日本軍は1ターンに3度の作戦フェイズを移動もしくは戦闘するわけだが、基本は移動−戦闘−移動ないしは移動−移動−戦闘となる。だが、中国軍は計画的撤退ができるため、一度の攻撃は回避できる仕組みになっている。結果、たとえ薄くても二重戦線さえ張っていれば、日本側の最初の移動による接敵は計画的撤退で回避できる。この場合、日本軍は第二作戦フェイズで移動して、第三フェイズで攻撃という流れになるが、その次は中国軍フェイズなので、戦線を整理できる。

IMG_20180721_154027.jpg
(左の日本軍が占領しているのは豊懸、上は名高き洞庭湖、右が常徳)

戦闘結果表が常識的な上、歩兵しか無いため戦闘後前進も1ヘクスだけなので、非常に展開が読みやすく、中国側は戦線を敷く位置を間違えずに、上手く二重戦線を構築できれば、まず破断界を迎えるようなことは無いように思える。
後日、他のリプレイを覗いてみたところ、みな常徳に辿り着くところまでは行っている感じで、「どこかルール解釈を間違えているのか?」と思って、読み返したが、特に問題は無いように思えた。

「強い日本軍」と「逃げるが勝ちの中国軍」の「噛み合わなさ」が良く表現できているとは思うものの、どっちも「俺はやったぜ!」というカタルシスが得られない地味な作品とも言える。決して悪くは無いのだが・・・・・・
posted by ケン at 13:00| Comment(3) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月27日

テロに賛同するリベラル

【決勝乱入者に禁錮15日=ロシアの反体制派バンド―サッカーW杯】
 15日に行われたサッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会決勝で、ピッチに乱入して試合を中断させた男女4人に対して、モスクワの裁判所は16日、15日間の禁錮刑を言い渡した。向こう3年間のスポーツイベント訪問も禁じた。4人はロシアの反体制派パンクバンド「プッシー・ライオット」のメンバー。フランスとクロアチアが対戦した決勝の後半、警察官のような服装でピッチに乱入し、取り押さえられた。その後、同バンドは政治犯の解放などを求める声明を出した。
(7月17日、時事通信)

ワールドカップ・ロシア大会の決勝戦で会場に乱入、試合を中断させたロックバンド「プッシー・ライオット」のメンバーが早々に処断されたことに対し、日本を含む西側諸国ではロシア政府に対する非難の声が上がっている。私の周囲にも、彼らを支持する者が意外と多く、そのダブルスタンダードぶりに、「やはりこの連中とは一緒に戦えない」と思っている。

リベラル派は「人権を弾圧する国で人権擁護を主張することは正義である」との主張をなしているが、それはサッカーの国際試合を妨害することを正当化させる理由にはならない。これが、ロシア連邦議会に乱入して審議を止めたというなら、まだしも行為の正当性が認められるかもしれないが、サッカーの試合を止めるのはただの自己宣伝に過ぎない。
これが認められるのであれば、東京五輪で試合会場に乱入して日章旗を燃やしたり、国歌斉唱を妨害することも許されるだろう。少なくともケン先生はその立場を取らない。
そもそもサッカーの試合に乱入して、これを止め、クロアチアの勝利を妨害したかもしれない行為が、どうしてプーチン政権批判や人権擁護の主張に結びつくのだろうか。

仮に「権力に対する打撃」としてのテロリズムと考えても、全く意味をなさない。一般的にテロリズムと言えば、一連の9・11テロや中東における自爆テロ、あるいは日本の地下鉄サリン事件などが思い出され、社会に対して直接的被害を与えることが目的であるかのように考えられており、政府やマスコミもそのように捉えている。だが、本来のテロルの効用は、文字通り社会・大衆に「恐怖」を植え付け、熱狂を促進させ、価値観の変容を強制することにある。

オルテガ・イ・ガセは『大衆の反逆』で大衆社会を、ある価値観が社会を構成して大衆を啓蒙するのではなく、「何となく多数」の価値観が基準として「何となく」共有されている社会であると規定している。そこでは「皆が言っていること」が常識で、「皆が信じていること」が真理で、「皆が望んでいること」が希望、ということになる。
テロリズムは、この「何となく」と「皆」を強制的に変容させる力を持っている。昭和のテロリズムにおいては、何となく共有されていた天皇機関説は暴力的に否定され、リベラル派の知識人が沈黙することで天皇主権説が「皆」となり、軍拡と侵略が「希望」へと変わっていった。
9・11以後のアメリカでは、国際協調主義と寛容の精神が否定され、対テロ戦争の貫徹が「真理」となり、そのために市民的権利が制限されるのは「常識」となった。
1930年代のソ連における大粛清も、その発端は大衆的人気のあったキーロフが暗殺されたことで、スターリンが犯人捜しを始めたことにある。

プッシー・ライオットの行為は、日本では軽犯罪法違反に問われるものだが、その最高罰則は懲役一年であり、これを禁固15日で済ませたロシア司法は、むしろその寛容性を全世界に示してしまったことになる。同時に全世界のサッカーファンやクロアチア全国民を敵に回したという意味で、テロリズムとしても逆効果だったとすら評価できる。

昭和のテロルを生き延びた祖父、1960年代にテロルに従事した父を持ち、ソ連・東欧学徒として官憲テロルを研究、実際にテロルが吹き荒れた90年代ロシアを生きたケン先生としては、「自由とテロルをもてあそぶな!」としか言いようが無い。

【追記】
「ロシアの当局があんな小手先のテロを見逃したとは思えない、知っていて利用したのでは?」という専門家の方がいらしたが、1987年のルスト君事件(赤の広場セスナ機着陸事件)を失念されているようだ。同事件では軍関係者300人以上が解任されただけに、ロシア当局は顔を真っ青にしているだろう。とはいえ、今のところ警備関係者が処分されたという話を聞かないので、陰謀論の可能性も捨てきれないかもしれないが。なお、かのルスト君も犯行動機を「平和を呼びかけるため」と主張していた。彼の場合、禁固三年で後の恩赦で釈放されている。それと比べても、プーチン政権は相当に寛容である。
posted by ケン at 00:00| Comment(8) | ロシア、中国、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月25日

奴隷育成システムとしての部活動

【「校舎80周走れ」生徒倒れ救急搬送 滋賀・中学部活顧問が指示】
 大津市の南郷中で、ソフトテニス部2年の男子生徒が部活動中に「校舎周囲を80周走れ」と顧問の教諭から指示され、途中で倒れて救急搬送されていたことが13日、同中や市教委への取材で分かった。生徒は熱中症と診断され、同中は「行き過ぎた指導だった」と謝罪した。
 同中と市教委によると、生徒は12日午後の部活動中、練習中にミスが目立ったことなどを理由に、30代の男性顧問から「校舎周囲を80周走ってこい」と命じられた。午後5時10分ごろ、生徒が倒れているのを校内で作業をしていた工事業者が見つけた。生徒は救急搬送され、その日の夜に退院し、13日は学校を休んで静養したという。
 生徒が走らされた校舎外周は1周約230メートルで、80周で18キロ超になる。生徒が倒れたのは9周目だったという。気象庁によると、大津市の12日午後5時の気温は30・1度だった。
 同中は、13日夜に保護者説明会を開き、経緯を説明した。平松靖之教頭は「行き過ぎた不適切な指導で、保護者におわびする。すでに顧問を指導した。今後は、安心した学校生活が送れるよう努めていく」とコメントした。
(7月14日、京都新聞)

ネットでは「軍隊でもこんな命令はされない」と話題になっているようだが、旧日本軍は20kgの生米と100発の銃弾を渡して、300kmの密林を抜け、4000m級の山を越えて2週間以内にポートモレスビーを攻略しろとか、チドウィン川を渡って2000m級の山を越えて密林を抜けて400km先のインド領内に飛び込めとか、あり得ない無茶な命令を下している。本当に恐ろしいのは、現実に辿り着くだけは辿り着いたということで、ポートモレスビーは街の灯りが見えるところまで進撃したところで後退命令が出たし、インド領内のコヒマに至っては2ヶ月近く保持して、さらにインパールから15kmの地点まで進んだ。だが、両作戦では、6割以上の損耗率(戦病死と行方不明)を出し、作戦目的未達成に終わった。

一般的にどの国の軍隊でも「しごき」が行われるのは、人格を否定し、何も考えずに指揮官に従う兵士をつくることで、戦闘参加や殺人行為の精神的ハードルを下げる目的がある。映画『フルメタルジャケット』が良い例だが、理論的には、グロスマン『戦争における人殺しの心理学』を一読することをお薦めしたい。
無意味な訓練を延々と繰り返し行い、兵を極度の疲弊状態にまで追い込むことで、「何も考えずに上官の命令に従う」精神状態を作り出すのだ。

日本の学校で行われている部活動も、目的は同じで、民間企業であれ公共団体であれ、上司に対して絶対的な忠誠を尽くし、膨大な仕事や無理な要求に対して文句を言うことなく、倒れるまでひたすら遂行する人材を育成するために存在する。民間企業であれ、公共団体であれ、採用に際しては圧倒的に体育会系人材が好まれるのは、そのためだ。

毎年、全国各地で同様の「業務上過失致死」が頻発しているにもかかわらず、何らの改善も行われないことは、現政府(後期明治帝政)が人命よりも奴隷育成を優先する姿勢を堅持していることを意味するが、それに対して何らの反発も起きない現状は、日本国民が天皇に隷属することに対して何らの疑問も覚えないほど洗脳されていることを示している。
posted by ケン at 12:28| Comment(2) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月24日

ますますちぐはぐになる霞ヶ関

【介護離職者9.9万人=女性が8割―17年総務省調査】
 2017年9月までの1年間に介護や看護のために離職した人が9万9100人に上ったことが、総務省が14日までに公表した17年の就業構造基本調査で分かった。前回12年調査の10万1100人からほぼ横ばいで、介護離職の実態に大きな改善がみられない状況がうかがえる。介護離職者のうち女性は7万5100人と全体の8割近くを占めた。調査は5年おきに実施。全国約52万世帯の15歳以上約108万人を対象に、17年10月1日現在の就業の状況を尋ね、全体を推計した。 
(7月14日、時事通信)

【「カエルボード」に退校時刻、残業教員に声かけ】
 林文部科学相は13日の閣議で2017年度版の文部科学白書を報告した。「学校での働き方改革」を特集し、「教員の負担軽減は喫緊の課題」と指摘している。
 白書はA4判441ページ。このうち23ページを働き方改革の特集に充てた。16年度の教員の勤務時間は10年前より増えており、長時間勤務は「看過できない深刻な状況」との認識を示した。さらに、外国人児童生徒の増加などで学校現場の役割は多様化・複雑化していると指摘。岡山県の小学校では職員室に退校予定時刻を記した「カエルボード」を設置し、それを過ぎても残っている教員には同僚が声をかけるなど、各地の取り組み事例も紹介しながら、改革の必要性を訴えた。
 一方、今春52年ぶりに新設された獣医学部については数行の紹介にとどめ、加計学園の名前も記述しなかった。文科省の担当者は「白書は文科省の施策を簡潔に紹介するものだから」と説明している。
(7月13日、読売新聞)

介護施設の新設を抑制し、在宅介護を推進しておいて、「介護離職者が減らない」とか一体何がしたいのかサッパリ分からない。
学校は学校で、部活動・各種行事やら事務員の削減やら給食費の徴収やら教員に授業以外の業務を山ほど押しつけておいて、しかも残業代を出すわけでもないのに、「学校で残業するな(自宅でやれ)」とか「Sねばいいのに!」というレベル。

介護離職を減らすなら施設介護を進めるほか無いし、教員の残業を減らすなら業務そのものを減らす他ない。中学校教員の労働時間は、部活動の廃止で約15〜20%、学校行事の廃止で約10%減らせる計算であり、これは文科省の決定で廃止できる。そのための中央統制ではないのか。
また、部活動や行事が肝心の学習時間を削り、学習効果をも減じさせている。その結果、中等教育では社会で必要な基礎知識が身につかず、大学で中等教育レベルを補習する始末になっている。

社会のあらゆる箇所が疲弊し、それを修復する意思も能力も無いことが見て取れる。

【参考】
日本の教育はなぜ空洞化したか
posted by ケン at 12:30| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月23日

気候変動から予測する明治帝政の終焉

古来、王朝の終焉に際しては天変地異が頻発するのが常だが、これは気候変動と大きく関係している。例えば平安時代と平氏政権の終焉は、温暖化に伴う西日本における連続干魃とマラリアの大流行に端を発している。詳細は「気候変動に見る源平合戦」を読んで欲しいが、大和朝期から平安初期にかけての日本は寒冷期にあったが、8世紀半ば頃から気温が上昇を始め、その後100年間で平均気温が2度前後も上がったとされている。その結果、西国では旱魃、洪水、蝗害が増える一方、関東や東北での収穫が増え、大量移住、大開墾期を迎えた。平将門の乱に象徴されるように、東国で反乱が頻発したのは、東国で開墾が進み、関東が「日本の穀倉地帯」としての地位を確立する一方で、西国では農業生産が減少したために国家収入が減り、その対処として朝廷が土地国有化と徴税強化を進めたことに対して、東国武士が独立の意志を固めたことに起因した。

ちなみにヴァイキングがグリーンランドに渡って農耕を始めたのは西暦1000前後とされるので、この頃は全世界的に温暖化傾向にあり、それは現代を上回るレベルだったと見て良い。
源平合戦として知られる「治承・寿永の乱」の発端となる以仁王の挙兵は治承4年6月(1180年)のことだが、この年は雨が極端に少なく、早くから旱魃が始まり、西日本では全面的に飢餓が発生する。鴨長明の『方丈記』にも「また、養和のころとか、久しくなりて、たしかにも覚えず。二年があひだ、世の中飢渇して、あさましき事侍りき。或は春・夏ひでり、秋・冬、大風・洪水など、よからぬ事どもうち続きて、五穀ことごとくならず」と記されている。そして、平清盛がマラリアで死んだことは象徴的だった。

平安後期における数々の戦乱は、温暖化に伴う西日本の不作と東日本の豊作、それに始まる東日本に対する収奪と経済格差の増大に起因するところが大きかった。この収奪と格差を是正するために暴力的手段がとられたのである。
だが、鎌倉幕府が成立した頃から温暖化が終わり、今度は13世紀後半あたりから寒冷化が始まる。その最たる影響が「蒙古襲来」だった。寒冷化によってモンゴル高原における牧畜が困難になったモンゴル族が南下を開始、ついには高麗を下して日本にまで手を伸ばしてきた。
ちょうどこの頃、グリーンランドに植民したヴァイキングが撤退、全滅しているので、全世界的に小氷河期に入っていることが分かる。
そして、鎌倉幕府は対元戦の戦費負担に耐えられなくなり、集権化することで秩序の維持を図るも、寒冷化の中で税収が上がらず、逆に寒冷化で農業が復活して経済力を付けた西日本の武士層が東国政府に強い不満を抱くようになっていったのである。政権交代を受けた足利氏が政府を鎌倉から京に移した所以でもある。

16から17世紀にかけて小氷河期(概ね14〜20世紀)が頂点に達するが、日本の戦国時代とドイツ三十年戦争、あるいは明朝の崩壊と清朝の勃興がその象徴である。これは有名な話なのでここではしない。

現代に通じるところを見た場合、前期明治帝政は、大正末から昭和初期にかけて寒冷化によって北日本で飢饉が起こり、国民が暴力的解決を望むようになったことから暴走が始まった。今では考えられないが、戦前には多摩川が河川凍結して普通に歩いて渡れたという。
もちろん、飢饉はあくまでも一因に過ぎず、日露戦争後の過剰な軍拡や世界恐慌の影響も大きいのだが、例えば2・26事件を起こした陸軍将校たちが「農村窮乏の救済」を掲げたことは重く見て良い。また、満州事変や日華事変の勃発に際して、国民の大半がこれを熱狂的に支持したことは、決して軽く見るべきでは無い。
これらの歴史は、平和的手段による貧困や経済格差の是正が達成困難になった場合、人々が容易に暴力的解決を支持する傾向があることを示している。

そして、今日は温暖化によって西日本で水害と干ばつが頻発、大型地震も増加傾向にあり、国家財政を圧迫している。政府中央の腐敗も含めて、後期明治帝政(戦後民主主義体制)は終焉に向かっていると見て良い。
今回の全国豪雨では、自民党が「これでスーパー堤防の予算が下りる」と祝杯を上げている一方、エコロジストは「ダム不要論」を声高に謳っている。この辺でも、デモクラシーに求められる合意形成能力が機能しなくなりつつことを予見させる。
スーパー堤防は、見積もりで30兆円とも40兆円とも言われるが、広大な地域で移住・再開発が必要となるため、建設業と不動産業に支持層の多い自民党としては、是が非でも実現したいところだろう。
逆にダム不要論は、豪雨がダムの許容量をオーバーさせてしまい、逆に「巨大水瓶」となって下流域の脅威となる危険を指摘している。

とはいえ、近年の水害で最も被害が大きかったのは、1940年代後半から50年代にかけてのもので、これは戦時中に日本中の木を切り倒して戦時徴用したことに起因している。戦国時代も、全国で木が切られた結果、そこら中はげ山だらけになってしまい、長篠の戦いに際して織田信長は馬防柵用の木を岐阜から輸送しなければならないほどだった。そのため、江戸期に入ると、徳川幕府は護林・植林に努めている。

他方、近年水害の被害額が大きくなっているのは都市に起因している。都市部の住宅化と舗装化が進んだことで地表の吸水力が極端に低下、雨水が全て下水管に流れて容量オーバーを起こし、排水溝やマンホールから水が溢れ出て洪水が起きるという現象になっているためだ。遠因としては、遊水地や貯水池・調整池を埋め立てて居住区画にしたことで都市部の保水力がゼロ近くなっていることが挙げられる。遊水池を埋め立てて多摩川住宅を建てたことは非常に象徴的だ。また、河川整備で大河の直線化が進んだことも、都市部への雨水の加速集中を促進している。さらに、80年代あるいは90年代以降に設置された下水管はコスト削減のため規格が小さくなっており、容量オーバーが起こりやすくなっているという指摘もある。この話も福島原発事故と同じで、「100年に一度の大雨を想定するのは合理的ではない」との理由で大型規格を却下した経緯があると言われる。

気候変動によって予見可能性を超えた災害が頻発し、既存インフラを破壊、大衆の生活を脅かす一方で、国家財政が圧迫され、国民の不満を抑制するために権力集中が図られるが、権力集中の結果、腐敗が蔓延する流れとなる。これは「デモクラシーだから」といって回避できる類いのものではない。むしろ利害調整が困難になって、政治不信が統治不全を促進する可能性が高い。
今後は、さらなる超規模の水害と、首都直下型地震、南海トラフ地震などの大災害が連発すると見られる。財政的に追い詰められ、国内の不穏が強まる中で明治帝政は、国民の不満をそらすために対外戦争を指向する可能性が高く、最終的には瓦解に向かってゆくと考えられる。
posted by ケン at 12:41| Comment(0) | 日本語、日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする