2018年07月12日

中国の物は中国に?

【漢籍4000冊超を中国に寄贈】
 細川家に伝わる文化財を保管・展示する永青文庫が漢籍4175冊を中国国家図書館に寄贈する式典が26日、北京市の同図書館で行われた。写真は寄贈の署名を行い、握手を交わす細川護熙元首相(左)と韓永進館長。
(6月26日、時事通信)

日本でもらってくれるところが無いから、ついに「中国のものは中国へ」ということに(推測)。
日本にあるからこそ戦火から守られてきた側面もあるはず。中国の場合、例えば一度の太平天国の乱で信じられないほどの文物が失われている。今回二度訪中した際も、「日中戦争で失われた」よりも「太平天国で焼失した」という記述の方がよほど多く見られた。

しかし、日本を見た場合、図書館はどこも満杯で、寄贈しても倉庫に放置されればまだマシという現状がある。他に司書関連の大幅人員削減で、全く管理ができなくなっている問題もある。下手すると天下りの館長が唯一の正規職員みたいになっていて、結果、寄贈されても鑑定、分類、管理できないのが常態化している。
大政治家や大学者が死亡しても、遺された資料、文物の引き取り手がなく、そのまま散逸、廃棄されてしまうケースが非常に多くなっていると聞く。

一部の中国文学者によれば、「在庫一掃セール」的なもので、文書群自体は国内の古文書店でも入手できる程度の価値のものが大半だという指摘もあり、「中国側が喜ぶなら、それでいいじゃないか」「安いカードで歓心を買う高効率」外交カードとしての評価も見られ、一概には判断すべきではないのかもしれないが、モヤモヤ感の残る話である。
posted by ケン at 11:59| Comment(3) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月11日

逃亡奴隷も逃亡幇助の自由民も皆逮捕

【ベトナム人不法就労 助長容疑の男再逮捕】
 外国人技能実習生などのベトナム人16人が失踪し、後志管内ニセコ町のホテルで違法に働いていたとされる事件で、道警外事課などは29日、入管難民法違反(不法就労助長)の疑いで、東京都大田区大森東2、人材派遣業東郷芳弘容疑者(53)=同容疑で逮捕済み=を再逮捕した。逮捕容疑は1月〜5月末ごろ、ニセコ町のホテルで、いずれも就労資格のないベトナム国籍の男(20)=同法違反(不法残留)の罪で起訴済み=と女性(30)の2人を、客室などの清掃員として働かせた疑い。
(6月29日、北海道新聞)

劣悪な待遇に耐えかねて逃亡する技能実習生が増え続けている。2012年の2,005人に比して、2017年には7,089人にまで増加、特にヴェトナムからの実習生の逃亡が増えている。これに対して実習制度に反したと法務省が認定した「不正行為」は、減少傾向にあるという。結果、政府は逃亡した実習生の摘発強化に乗り出し、ここに来て検挙者が急増、逃亡を幇助したと見なされた市民も、上記のような罪状をもって検挙されつつある。

現在ヴェトナムの平均賃金は日本円にして月3万円程度。これに対して技能実習生は時給換算で200〜300円程度と言われ、数字上は12万円程度が中央値のようだが、その少ない収入からまず半分が仲介業者に支払われ、さらに住居費や制服代などが天引きされるというから、「出稼ぎ」としては殆ど用をなさないことが分かる。

外国から騙して連れてきて、一方的に収奪するからこそ制度として成り立たず、逃亡者が続出しているにもかかわらず、待遇を改善するのでもなく、逃亡者を摘発、追放することで制度の存続を図ろうとしているのが現状だ。
実習生の待遇改善が難しいのは、元々正規の最低賃金すら払えない地方の零細企業が、主な制度利用者であるためで、待遇改善は即倒産に繋がる死活問題と言える。この手の悪徳企業が、地方の自民党を支え、政官業報の癒着構造をなしているだけに、不法行為は摘発されず、報道もされないという暗黒を生んでいる。
posted by ケン at 13:02| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月10日

水道民営化促進法案が衆院通過

【水道法改正案が衆院通過 広域化で老朽化対策急ぐ】
 市町村などが手掛ける水道事業を広域化する水道法改正案が5日の衆院本会議で、与党などの賛成多数で可決、参院へ送付された。広域化や民間企業の参入を促すことで水道事業の経営を効率化し、水道管の老朽化対策などを急ぐ。大阪北部地震で老朽化対策の遅れが注目された。与党は22日に会期末を迎える今国会での成立をめざす。
 改正案は、複数の市町村で事業を広域化して経営の効率化をはかるため、都道府県が計画をつくる推進役を担う内容だ。市町村などが経営する原則は維持しながら、民間企業に運営権を売却できる仕組みも盛りこんだ。
 市町村などの水道事業者は人口減による収入減などで赤字体質のところが多く、老朽化した水道管の更新が遅れている。厚生労働省によると、40年の耐用年数を超えた水道管の割合は2016年度末に全国で平均14.8%だ。更新率は0.75%で、全て更新するのに130年以上かかるペースになっている。
(7月5日、日本経済新聞)

災害と死刑とワールドカップですっかり霞んでしまっているが、水道民営化促進法案(政府呼称は水道法改正案)が衆議院で成立した。
水道事業の民営化は、1990年代後半から2000年代前半にかけて一部の先進国で進められ、その後他国も追随するようになった。だが、民営化の一方で、一度民営化された水道事業の再公営化も進んでいる。

例えば、水道事業を民営化した米アトランタ市の場合、過剰なコストカットによって技術者が不足して修繕・補修が追いつかなくなり、配水管の破損や路上への水漏れ、汚水噴出などが相次いだ上、必要な技術者を確保できず、いつまで経っても直らないという事態が生じた。そのため、2003年に水道事業を再市営化するところとなっている。
フランスではパリの場合、民営化して14年で水道料金が2倍になった上、利権汚職が続発、2010年に再公営化している。

再公営化した世界の大都市は、パリ(仏)、ベルリン(独)、アトランタ、インディアナポリス(米)ブエノスアイレス(アルゼンチン)、ラパス(ボリビア)、ヨハネスブルク(南ア)、クアラルンプール(マレーシア)などが挙げられる。

これらの民営化事業から見えることは、必ずしもコストダウンに繋がらず、むしろコストカットから投資が滞り、整備不良から漏水などの事故が頻発、同じく人員削減や民間委託から対応の遅れが生じ、安定供給に支障が起きているということだ。
また、再公営化が急がれたのは、水道技術が国や自治体で失われる前に行う必要があったからだという。

日本の場合、現状でも1400近い水道事業者のうち33%が採算割れしており、政令指定都市などの大都市部を除いて倒産の危機にあるという。だからこその広域化・民営化というのがヤクニンの発想らしいが、実際には大都市部以外で民営化しても倒産が前倒しになるだけで事態が悪化するだけになる可能性が高い。
この点でも公共の優先順位を誤った戦後システムは倒壊しつつある。

【参考】
水道代は高騰の一途 
posted by ケン at 12:12| Comment(2) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月09日

コカインとアヘン生産が過去最高

【コカインとアヘン生産、過去最高=コロンビア、アフガンで急増―国連】
 国連薬物犯罪事務所(UNODC)が26日に公表した年次報告書によると、2016〜17年に世界のコカインとアヘンの生産量が急増し、過去最高を記録した。依然として麻薬組織の勢力が強いコロンビアや、政情不安により政府の統制が及びにくくなっているアフガニスタンでの生産量増加が背景という。コカインの生産量は、最新の統計である16年に前年比25%増の1410トン。このうちコロンビア産が3割超増え、866トンとなった。
 一方、アヘンの生産量は、17年に同65%増の1万500トンとなった。うちアフガン産が約9割増の約9000トンと大部分を占めた。UNODCのフェドトフ事務局長は声明で「麻薬の市場は拡大している。多方面で、多角的な対策が必要だ」と呼び掛けた。 
(6月27日、時事通信)

GMT『ラビリンス』のプレイヤーとしては、ジハーディスト側のカード「Opium(アヘン生産拡大)」を思い出す。ジハーディストの資金が増え、アフガニスタンにセル(テロリスト)が複数置かれるという、アメリカにとって悪夢のカードである上に、何度でも使い回しが可能という恐怖そのものである(普通は回ってきても2回くらいだが)。

対テロ戦争や麻薬戦争で「アメリカの勝利」を謳っていた官僚・政治家やリベラル派の知識人は、この事態をどう説明するのだろうか。欧米諸国が「平和構築」に勤しめば勤しむほど、傀儡政権の腐敗が進み、統治力を失って、暴力と犯罪が蔓延して行く構図。

他方、欧米諸国では社会の停滞と退廃が進み、麻薬の需要がさらに増えてゆく可能性がある。アメリカの場合、あれだけ麻薬摘発に注力しながら、国内の麻薬流通量は1970年代からずっと横ばいのままだという。
AFPの報道によれば、
ケシの実に傷をつけるとにじみ出てくる乳液が凝固した生アヘンは、1キロおよそ163ドル(約1万8000円)で農家から買い取られる。それを精製して最終的につくられたヘロインをタリバンは地域市場で、1キロ2300〜3500ドル(約25万〜38万円)で売っている。ある専門家によると、こうしたヘロインは欧米へたどり着くころには、卸売価格でおよそ4万5000ドル(約490万円)になっている。
(2017.8.27 AFP)

とのこと。GMT社の『A Distant Plain』では、政府軍が麻薬撲滅活動を行うと、麻薬畑=軍閥基地こそ撤去されて国際評価は上がるものの、政府の腐敗が進んだ上(入手した麻薬で私腹を肥やす)、反政府感情が広がるという仕組みがゲームで再現されている。軽々しく「平和」などと言う連中は一度プレイすることをお薦めしたい。
posted by ケン at 13:07| Comment(2) | ロシア、中国、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月07日

リングオブファイア(CMJ/MiH)初プレイ

家の修繕、内装工事に際して、大掃除を行ったところ、20年ぶりに「発掘」されたゲームがいくつも出てきた。本作もその一つ。コマンドマガジン第14号の付録だが、1997年4月発行なので、20年間も放置してきたことになる。まぁ実際問題として、シミュレーションゲームで購入してプレイするに至るのは、私の場合、半分あるかどうかで(感覚的には4割くらい)、この比率は恐らく他のプレイヤーよりは高いような気がする。

本作はジョン・デッシュ氏のデザインで第4次ハリコフ戦(1943年8月)を再現している。ルール自体はむしろ簡単な方に入るのだが、ZOCや戦車戦、あるいは予備移動・戦闘において、かなり特殊なルールが盛り込まれており、機動戦の再現という点では良くできている気もするが、馴染みの無いルールに「ここまで特殊にしないと再現できないのか?」と思うところがある。また、マーカー類が少なすぎて、必要量を満たせない点も、「商品としてどうなんだ?」と疑問符が付く。量産に入る前の試作品のようなゲームだ。

O先輩がドイツ軍を、ケン先生がソ連軍を担当。下馬評は「ソ連側圧倒的有利」ということで、少し緊張する。ドイツ側はクルスク戦後のはずなのに、装甲兵力が充実しており、「わが軍はクルスクで何やってたんだ?」と思ってしまう。

ハリコフ前面にはドイツ軍の陣地が何重にもめぐらされており、その陣地の防御効果が非常に高いため、ソ連軍は砲兵支援無しでは殆どダメージを与えられない。歩兵による損害を顧みない波状攻撃で、相手に少しでも損害を与えられるなら検討するが、戦闘結果表を見る限り、その可能性は殆ど無い。さらに、戦闘結果による後退が無いため、敵を全滅させない限り、前進もできない。どうにも入口のハードルが高い作品だ。

第一ターン、ソ連軍は、砲兵支援(使い切り、開戦時は4つのみ)を三カ所で使って前線陣地の突破を図り、成功。戦線に大穴が開いたものの、ZOCが無いため、ドイツ軍はそのまま第二線陣地に後退、穴を埋めてしまう。本作の場合、ドイツ軍の移動力が大きい上に、ZOCが無いため、戦線構築が容易なので、頑張って大穴を開ける必要は無いようだ。

第二ターン、陣地外で守るドイツ軍を攻撃しつつ、ベルゴロド前面の陣地に対して残る一つの砲兵支援を使用、こちらは成功し、独軍歩兵にダメージを与えてゆく。守りの薄い陣地に対して砲兵支援なしで攻撃してみたが、成功するも、ソ連軍にもダメージが入る。本当は、ソ連軍に無尽蔵にある歩兵を駆使して攻撃したいのだが、いかんせん攻撃力が足りず、2ヘクスからの攻撃では自軍の損害が増えるばかりで、あまり打てる手が無い。

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第三ターン、道路沿いにソ連軍の戦車・機械化が突破を図り、成功するも、ドイツ軍の装甲部隊に反撃され、戦車戦でボコボコにされてしまう。ルールを見て、「まず正面から殴り合っても勝てないよな」とは分かっていたものの、実際に試してみる必要があると判断してやってみたものの、想像以上に一方的に殴られるだけだった。
1943年夏ですら、独ソ戦車戦のキルレートは、5対1だったというから、致し方ないのだが、実際にやられてみるとショックが大きい。

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第四ターン以降は、ソ連軍は「Tank in being」を宣言、戦車で攻撃して、後ろに控える予備の歩兵と自動車化歩兵が前進する戦術に転じるが、ソ連側に自動車化歩兵が少なすぎて、わずかしか前進できない。
が、ベルゴロドでは、独軍装甲と歩兵を一個師団ずつ包囲、ソ連側も戦車を失いつつあるが、それ以上にドイツ軍歩兵の損害が大きく、陣地外では装甲部隊が「寄らば斬るぞ」とばかりに守るケースが出てきた。

第六ターンには、ソ連軍はハリコフの外周陣地にまで到達、独軍はマップ西端を守るだけの兵力がなく、時間もなくなったことから終了とした。

ドイツ軍は、いま少し歩兵を保持しつつ、早めに後退する必要があるようなのだが、下がれば下がるほど、守るべき空間が広がるため、戦線が薄くなる問題がある。ソ連軍は、通常攻撃を戦車で行った後、予備の歩兵が前に出て、戦車を守るのが常道のようだが、陣地戦のようにしか進むことができず、「本当にこれでいいんきゃ?」という疑問を禁じ得ない。

色々がんばって新機軸を盛り込んだ結果、色物な試作品になってしまった機体を思い浮かべる。デザイナーの気持ちは分からんでもないが、肩を叩いて「ま、ほどほどにな」と言いたくなってしまう作品である(上から目線)。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月06日

民族国家とデモクラシーの終焉・下

先の続き
国内での収奪が進められる一方で、議会制民主主義は政治的課題の解決能力や国民的合意形成能力を失いつつある。そもそも、今回の労基法等改正(政府呼称「働き方改革関連法案」)やいわゆるカジノ法案自体、階級間合意や国民合意を無視した議論になっていることは非常に象徴的だ。安保法制や共謀罪もそうだったが、「決められない政治」が批判されて、「決断する政治」が支持された結果、「合意なき上からの決定」が横行するようになっている。

「決められない政治」を挙げるならば、例えば原子力発電の処遇が挙げられる。全廃して自然エネルギーに全面移行する決断もできなければ、再稼働・推進を強行するわけでもない。これは、公的補償を行わないまま原発全廃を決定してしまった場合、原発を有する電力会社が総倒れになってしまうためだと考えられる。かと言って、安全コストや事故リスクが急上昇し、反対派も根強い中で、原発再稼働を強行するだけの政治的コストを掛ける余裕も無い。結果、「何も決めずに様子を見る」ことで、電力会社は原発を損失計上することなく経営を守り、政治家と官僚は政治的リスクを負わず、国民も忘却してゆくという事態が生じている。

もう一つ象徴的な例として、ウナギが挙げられる。ウナギはほぼ絶滅寸前にあると考えられるが、飲食店や養殖業者の反発を恐れる自民党と霞ヶ関はこれを放置している。この場合、飲食店や養殖業者などに一定の補償金を出すことで漁獲規制などの合意を取り付ける必要があるわけだが、財源が無い上に、合意形成能力を欠くため、何も決断できなくなっている。これはウナギに限った話では無く、漁業全体に言えることだ。
デモクラシーは財政的裏付けが無いと容易に機能不全に陥るという好例かもしれない。

他に大きな話では、少子化対策が挙げられる。これは「労働時間を減らす」「児童手当を増やす」「個人の教育負担を減らす」「婚外子に人権を認める」など対策自体は明白であるにもかかわらず、議会や政府内で合意形成できない結果、実効性の薄い政策しか実現できず、事態を悪化させている。

議会制民主主義の特質として、既得権益の受益者が議会に代表者を送り込むインセンティブが強く、同時に活発なロビー活動を行う傾向があり、投票率が低くなればなるほど、既得権益層の利害がより強く反映されるところとなる。
例えば、労働者層で考えた場合、雇用者総数5500万人のうちわずか600万人の大企業正規職員で構成される連合が、組織内候補を何人も国会に送り込んでいる一方、5000万人近い未組織労働者は、未組織であるが故に政治力を持たず、自分たちの代表者を議会に送り出すことができないでいる。結果、「労働者代表」を僭称する連合組織内議員が、国会で「原発推進」「TPP推進」「リニア新幹線推進」「軍拡推進」「働き方改革賛成」などを唱える始末になっている。

低収益の企業や部門が温存されていることが、低賃金と長時間労働を誘発し、労働生産性の向上を阻害、労働生産性が高まらないため賃金が上昇せず、消費と需要が増えないという負のスパイラルに陥っているわけだが、霞ヶ関も自民党も民進党も連合も、ペレストロイカにおける共産党員と同様、自身が最大の受益者であるが故に「現状維持バイアス」が強く、内部で議論すれば必ず「総論賛成・各論反対」となって、実質的な改革は何一つ実現できない構造にある。「働き方改革」で「残業月上限100時間未満」が認められ、「労働時間インターバル規制」が努力義務にされてしまったのは象徴的だ。
ゴルバチョフは、スターリンですら為し得なかった「中央委員会の全会一致」で改革派の頭領として書記長の座に就いたにもかかわらず、党内などの強い抵抗に遭って、上記の通り改革を実現できないまま「ゲーム・エンド」を迎えている。

ソ連は一党独裁だったが故に改革に失敗したが、日本の場合、「投票しない自由」を認める民主的議会が改革を拒んでいると言える。
デモクラシーは、比較的同質的な民族や市民が連帯感を共有する共同体の中で、民意を反映した議会が主権を代行して、民族や階級間の合意形成を行うシステムであるが、連帯感や共同体意識が薄れ、民族・階級対立が先鋭化すると、合意形成能力が失われ、急速に統治能力が低下して行く。ファッショが支配する前の独伊西などが典型例だろう。
戦前と異なるのは、国民国家や経済的繁栄が保証されなくなっている中で、一度デモクラシーが失われた場合、回復しない可能性が高まっている点である。とはいえ、デモクラシーに替わる政治理念や制度が提示されているわけでもなく、時代は新たなカオスに突入してゆくのかもしれない。

ただ、現行の議会制民主主義に基づく統治システムがいつ破断界を迎えるかについては、現時点では判断できない。統治システムが機能不全に陥ることは90%以上確実と見ているが、いつ瓦解するのかについては大きな幅があるように思われる。
ソ連で考えてみた場合、少なくとも1987年までは社会はペレストロイカに対する期待で満ちあふれていたらしく、88年前後から物不足が発生するも、それが不満や不信に変わってゆくのは89年に入ってからのことで、90年には統治不全が蔓延、91年に機能停止に至っている。つまり、目に見える形で統治不全が発生するようになると、瓦解までは早いようだが、現状の日本はそこまでは悪化していない。
しかし、財政悪化、日銀による国債購入、年金基金による株価購入といった要素を考慮した場合、金融危機が生じていきなり破綻する事態も考えられる。ヴァイマール共和国の場合も、崩壊(憲法停止)の直前まで民主的な選挙が行われていたことを考えても、経済危機ないしは戦争の有無が大きく作用しそうな気もする。
現状では「10年から20年以内」と考えられるが、自信は無い。

【追記】
リベラリズムの利点は、既得権益層の政治的影響力を抑止しつつ、スクラップ・ビルドのスクラップを容易にすることで、社会の新陳代謝を促進し、成長力の持続を図る点にある。ところが、日本の場合、政策減税、公的補助金、公的金融機関、公共事業がソ連型社会主義国に次ぐほど存在するため、自由主義の利点が効果を発揮しづらい傾向がある。そして、この側面がますます強化され、必要な新陳代謝が行われなくなっている。
posted by ケン at 00:00| Comment(6) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月05日

民族国家とデモクラシーの終焉・中

先の続き
さて、デモクラシーの話に移ろう。近代デモクラシーは、国民国家と併走する形で誕生し、発展してゆく。国民国家は工業化・近代化を目的としたが、その最大の課題は階級対立であり、事実、19世紀後半から20世紀初頭は、労働運動が最も過激化した時代だった。工業化の過程では、労働力の動員が不可欠だが、労働者の地位と待遇は恐ろしく低く、ストライキとサボタージュが蔓延、その生産性は非常に不安定なものだった。また、工業化に伴い、資源と市場を獲得する目的で、植民地獲得競争が起こり、同時に軍拡競争が起き、各国では兵員不足が生じ、この点でも国民の動員が不可欠となった。例えば、ロシア革命期の帝政ロシア軍では、一晩で一つの軍団からほぼ一個師団分の兵士が脱走するという事態が起きており、その戦力は恐ろしく不安定なものだった。同様のことは、日中戦争・国共内戦期の国民党軍でも起きているが、国民国家にも共通する課題であり、だからこそナショナリズムが称揚されることになる。

工業生産と軍事戦力の安定化を図るためには、市民に一定の政治的権利を付与し、国民統合力を強化しつつ、労資間の合意形成を容易にするのが最も合理的だった。地主や資本家による右翼党と、農民や労働者による左翼党が議会で利害を調整し、一定の合意を行うことで、階級間の和解が実現、ストライキやサボタージュ、あるいは敵前逃亡が減るという仕組みだった。第一次世界大戦において、各国の社会民主主義政党が戦争を支持したのは、デモクラシーに忠実だったためである。現代においても、トニー・ブレア氏が率いるイギリス労働党が、アメリカによるイラク侵攻を支持し、派兵したことによって有効であることが分かる。

これに対して、一般的あるいは共産党的なファシズム理解では、権威主義政党が労働者階級を弾圧して、資本に従わせる政治思想・制度とされているが、あまり実態をとらえていない。この理解では、イタリアでもドイツでも、ファッショ時代の方がむしろ労働者の待遇改善が進んだ面があることを説明できないからだ。現実には、権威主義政党が暴力と権威をもって、階級対立を止め、その党と政府に資本と労働力の動員を集約するのがファシズムと考えるのが妥当だろう。
しかし、この手法の場合、武力で中断させた階級対立の矛先を、外国人や外国に向けることでしか、国民統合力が維持できないため、第二次世界大戦を勃発させ、敗滅するに至った。以下、参考。
第一次世界大戦は、各国の軍事技術者や政治指導者の予想に反し、大規模かつ長期化を余儀なくされ、国家の工業力と経済力をフル稼働させて軍事生産すると同時に、国民大衆を肉体的にも精神的にも戦争に駆り立てる必要が生じた。また、政治社会的には、戦争の長期化と被害拡大に伴い、前線部隊の士気低下と国民大衆の不満増大が問題となり、厭戦気分や反戦運動・サボタージュへの対処が大きな課題となった。
戦争自体は、ロシアとドイツの軍事的敗北に起因する革命によって終了するが、共産主義ソ連の成立と、ヴェストファーレン(ウェストファリア)条約以降の慣例(領土権、主権と内政の不干渉)を無視したヴェルサイユ条約の締結、さらに植民地体制の動揺(民族解放運動の激化)と世界恐慌によって、「軍事力による国際秩序の再編は不可避」という認識が、特にドイツ、イタリア、日本において共有されていった。
ソ連はソ連で「資本主義帝国による、干渉戦争に次ぐ侵略は必ず行われる」という認識を有していた。具体的にスターリンは「米英の支援を受けた日波同盟が東西から挟撃してくる」と予想し、早急なる戦時体制の確立を目指して、重工業化、軍部粛清、大軍拡に踏み切ることになる。

「次なる世界戦争」もまた、一次大戦以上の超規模かつ長期化が予想されたため、総力戦に向けた継戦能力と軍事生産能力の向上と大規模動員を可能とする国家体制の構築が求められた。これが「総力戦体制」となる。
英米仏に比して経済的、産業的基盤の弱い日独伊は、国際的影響力や経済力の脆弱性を軍事的優越によって補正し、あるいは覆そうという意図を持って、市民的自由を制限しつつ、広範な国家動員体制を築いて、重工業化と産業基盤の強化を目指した。
総力戦体制とは何だったのか

二次大戦から米ソ冷戦を経て、結果的には、工業化・近代化において「国民国家+デモクラシー」の優越性が証明されたかに見えたが、そうでは無かった(相対的には正しいかもしれないが)。
米欧日で曲がりなりにもデモクラシーが維持されたのは、経済的繁栄と米ソ対立を前提とした階級和解(休戦状態)が担保されていたからだった。1990年代に、西側諸国の没落が明らかになってくると、米ソ冷戦が終わったこともあり、階級和解は反故にされる。中間層の増大によって、社会民主主義政党の力は弱まっているか、政治力や対資本交渉力を失っており、労働時間規制の緩和、非正規化・請負化、脱時間給、成果報酬制度の導入など労働者階級の分断が図られると同時に、消費増税や所得増税などによって中間層に対する収奪が強化され、一方で法人税の引き下げや銀行支援などによって資本の延命と優遇が進められた。

これらの不公平な改革は、外見上、民主的に選ばれた議会において決定されているが、現実には没落した中間層は過去の栄光を夢見て右翼党を支持、既存の左翼党は階級和解体制に慣れきってしまって、階級闘争を行うだけの思想も手段も無い状態にある。また、政府と右翼党は、中間層や労働者階級を分断し、あるいは選挙制度を都合良く改変することで、相対的優位を保ち続けている。

だが、こられは全て破綻を先送りにしているに過ぎない。国内の収奪を強化すればするほど、民意が適切に反映されないデモクラシーに対する無関心あるいは不満が増大し、いつしか暴力的解決を望む声が強まるからだ。無関心層の増大は、全員参加を大原則とするデモクラシーの正統性を損なうだけに、制度の根幹を融解させるものとなる。1991年8月にエリツィン・ロシア大統領がソ連共産党の活動停止命令を出した際に、全く抵抗が見られなかったのは、無関心層が圧倒的多数を占めていたからだった。
以下続く
posted by ケン at 00:00| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする