2018年07月06日

民族国家とデモクラシーの終焉・下

先の続き
国内での収奪が進められる一方で、議会制民主主義は政治的課題の解決能力や国民的合意形成能力を失いつつある。そもそも、今回の労基法等改正(政府呼称「働き方改革関連法案」)やいわゆるカジノ法案自体、階級間合意や国民合意を無視した議論になっていることは非常に象徴的だ。安保法制や共謀罪もそうだったが、「決められない政治」が批判されて、「決断する政治」が支持された結果、「合意なき上からの決定」が横行するようになっている。

「決められない政治」を挙げるならば、例えば原子力発電の処遇が挙げられる。全廃して自然エネルギーに全面移行する決断もできなければ、再稼働・推進を強行するわけでもない。これは、公的補償を行わないまま原発全廃を決定してしまった場合、原発を有する電力会社が総倒れになってしまうためだと考えられる。かと言って、安全コストや事故リスクが急上昇し、反対派も根強い中で、原発再稼働を強行するだけの政治的コストを掛ける余裕も無い。結果、「何も決めずに様子を見る」ことで、電力会社は原発を損失計上することなく経営を守り、政治家と官僚は政治的リスクを負わず、国民も忘却してゆくという事態が生じている。

もう一つ象徴的な例として、ウナギが挙げられる。ウナギはほぼ絶滅寸前にあると考えられるが、飲食店や養殖業者の反発を恐れる自民党と霞ヶ関はこれを放置している。この場合、飲食店や養殖業者などに一定の補償金を出すことで漁獲規制などの合意を取り付ける必要があるわけだが、財源が無い上に、合意形成能力を欠くため、何も決断できなくなっている。これはウナギに限った話では無く、漁業全体に言えることだ。
デモクラシーは財政的裏付けが無いと容易に機能不全に陥るという好例かもしれない。

他に大きな話では、少子化対策が挙げられる。これは「労働時間を減らす」「児童手当を増やす」「個人の教育負担を減らす」「婚外子に人権を認める」など対策自体は明白であるにもかかわらず、議会や政府内で合意形成できない結果、実効性の薄い政策しか実現できず、事態を悪化させている。

議会制民主主義の特質として、既得権益の受益者が議会に代表者を送り込むインセンティブが強く、同時に活発なロビー活動を行う傾向があり、投票率が低くなればなるほど、既得権益層の利害がより強く反映されるところとなる。
例えば、労働者層で考えた場合、雇用者総数5500万人のうちわずか600万人の大企業正規職員で構成される連合が、組織内候補を何人も国会に送り込んでいる一方、5000万人近い未組織労働者は、未組織であるが故に政治力を持たず、自分たちの代表者を議会に送り出すことができないでいる。結果、「労働者代表」を僭称する連合組織内議員が、国会で「原発推進」「TPP推進」「リニア新幹線推進」「軍拡推進」「働き方改革賛成」などを唱える始末になっている。

低収益の企業や部門が温存されていることが、低賃金と長時間労働を誘発し、労働生産性の向上を阻害、労働生産性が高まらないため賃金が上昇せず、消費と需要が増えないという負のスパイラルに陥っているわけだが、霞ヶ関も自民党も民進党も連合も、ペレストロイカにおける共産党員と同様、自身が最大の受益者であるが故に「現状維持バイアス」が強く、内部で議論すれば必ず「総論賛成・各論反対」となって、実質的な改革は何一つ実現できない構造にある。「働き方改革」で「残業月上限100時間未満」が認められ、「労働時間インターバル規制」が努力義務にされてしまったのは象徴的だ。
ゴルバチョフは、スターリンですら為し得なかった「中央委員会の全会一致」で改革派の頭領として書記長の座に就いたにもかかわらず、党内などの強い抵抗に遭って、上記の通り改革を実現できないまま「ゲーム・エンド」を迎えている。

ソ連は一党独裁だったが故に改革に失敗したが、日本の場合、「投票しない自由」を認める民主的議会が改革を拒んでいると言える。
デモクラシーは、比較的同質的な民族や市民が連帯感を共有する共同体の中で、民意を反映した議会が主権を代行して、民族や階級間の合意形成を行うシステムであるが、連帯感や共同体意識が薄れ、民族・階級対立が先鋭化すると、合意形成能力が失われ、急速に統治能力が低下して行く。ファッショが支配する前の独伊西などが典型例だろう。
戦前と異なるのは、国民国家や経済的繁栄が保証されなくなっている中で、一度デモクラシーが失われた場合、回復しない可能性が高まっている点である。とはいえ、デモクラシーに替わる政治理念や制度が提示されているわけでもなく、時代は新たなカオスに突入してゆくのかもしれない。

ただ、現行の議会制民主主義に基づく統治システムがいつ破断界を迎えるかについては、現時点では判断できない。統治システムが機能不全に陥ることは90%以上確実と見ているが、いつ瓦解するのかについては大きな幅があるように思われる。
ソ連で考えてみた場合、少なくとも1987年までは社会はペレストロイカに対する期待で満ちあふれていたらしく、88年前後から物不足が発生するも、それが不満や不信に変わってゆくのは89年に入ってからのことで、90年には統治不全が蔓延、91年に機能停止に至っている。つまり、目に見える形で統治不全が発生するようになると、瓦解までは早いようだが、現状の日本はそこまでは悪化していない。
しかし、財政悪化、日銀による国債購入、年金基金による株価購入といった要素を考慮した場合、金融危機が生じていきなり破綻する事態も考えられる。ヴァイマール共和国の場合も、崩壊(憲法停止)の直前まで民主的な選挙が行われていたことを考えても、経済危機ないしは戦争の有無が大きく作用しそうな気もする。
現状では「10年から20年以内」と考えられるが、自信は無い。

【追記】
リベラリズムの利点は、既得権益層の政治的影響力を抑止しつつ、スクラップ・ビルドのスクラップを容易にすることで、社会の新陳代謝を促進し、成長力の持続を図る点にある。ところが、日本の場合、政策減税、公的補助金、公的金融機関、公共事業がソ連型社会主義国に次ぐほど存在するため、自由主義の利点が効果を発揮しづらい傾向がある。そして、この側面がますます強化され、必要な新陳代謝が行われなくなっている。
posted by ケン at 00:00| Comment(6) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする