2018年07月27日

テロに賛同するリベラル

【決勝乱入者に禁錮15日=ロシアの反体制派バンド―サッカーW杯】
 15日に行われたサッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会決勝で、ピッチに乱入して試合を中断させた男女4人に対して、モスクワの裁判所は16日、15日間の禁錮刑を言い渡した。向こう3年間のスポーツイベント訪問も禁じた。4人はロシアの反体制派パンクバンド「プッシー・ライオット」のメンバー。フランスとクロアチアが対戦した決勝の後半、警察官のような服装でピッチに乱入し、取り押さえられた。その後、同バンドは政治犯の解放などを求める声明を出した。
(7月17日、時事通信)

ワールドカップ・ロシア大会の決勝戦で会場に乱入、試合を中断させたロックバンド「プッシー・ライオット」のメンバーが早々に処断されたことに対し、日本を含む西側諸国ではロシア政府に対する非難の声が上がっている。私の周囲にも、彼らを支持する者が意外と多く、そのダブルスタンダードぶりに、「やはりこの連中とは一緒に戦えない」と思っている。

リベラル派は「人権を弾圧する国で人権擁護を主張することは正義である」との主張をなしているが、それはサッカーの国際試合を妨害することを正当化させる理由にはならない。これが、ロシア連邦議会に乱入して審議を止めたというなら、まだしも行為の正当性が認められるかもしれないが、サッカーの試合を止めるのはただの自己宣伝に過ぎない。
これが認められるのであれば、東京五輪で試合会場に乱入して日章旗を燃やしたり、国歌斉唱を妨害することも許されるだろう。少なくともケン先生はその立場を取らない。
そもそもサッカーの試合に乱入して、これを止め、クロアチアの勝利を妨害したかもしれない行為が、どうしてプーチン政権批判や人権擁護の主張に結びつくのだろうか。

仮に「権力に対する打撃」としてのテロリズムと考えても、全く意味をなさない。一般的にテロリズムと言えば、一連の9・11テロや中東における自爆テロ、あるいは日本の地下鉄サリン事件などが思い出され、社会に対して直接的被害を与えることが目的であるかのように考えられており、政府やマスコミもそのように捉えている。だが、本来のテロルの効用は、文字通り社会・大衆に「恐怖」を植え付け、熱狂を促進させ、価値観の変容を強制することにある。

オルテガ・イ・ガセは『大衆の反逆』で大衆社会を、ある価値観が社会を構成して大衆を啓蒙するのではなく、「何となく多数」の価値観が基準として「何となく」共有されている社会であると規定している。そこでは「皆が言っていること」が常識で、「皆が信じていること」が真理で、「皆が望んでいること」が希望、ということになる。
テロリズムは、この「何となく」と「皆」を強制的に変容させる力を持っている。昭和のテロリズムにおいては、何となく共有されていた天皇機関説は暴力的に否定され、リベラル派の知識人が沈黙することで天皇主権説が「皆」となり、軍拡と侵略が「希望」へと変わっていった。
9・11以後のアメリカでは、国際協調主義と寛容の精神が否定され、対テロ戦争の貫徹が「真理」となり、そのために市民的権利が制限されるのは「常識」となった。
1930年代のソ連における大粛清も、その発端は大衆的人気のあったキーロフが暗殺されたことで、スターリンが犯人捜しを始めたことにある。

プッシー・ライオットの行為は、日本では軽犯罪法違反に問われるものだが、その最高罰則は懲役一年であり、これを禁固15日で済ませたロシア司法は、むしろその寛容性を全世界に示してしまったことになる。同時に全世界のサッカーファンやクロアチア全国民を敵に回したという意味で、テロリズムとしても逆効果だったとすら評価できる。

昭和のテロルを生き延びた祖父、1960年代にテロルに従事した父を持ち、ソ連・東欧学徒として官憲テロルを研究、実際にテロルが吹き荒れた90年代ロシアを生きたケン先生としては、「自由とテロルをもてあそぶな!」としか言いようが無い。

【追記】
「ロシアの当局があんな小手先のテロを見逃したとは思えない、知っていて利用したのでは?」という専門家の方がいらしたが、1987年のルスト君事件(赤の広場セスナ機着陸事件)を失念されているようだ。同事件では軍関係者300人以上が解任されただけに、ロシア当局は顔を真っ青にしているだろう。とはいえ、今のところ警備関係者が処分されたという話を聞かないので、陰謀論の可能性も捨てきれないかもしれないが。なお、かのルスト君も犯行動機を「平和を呼びかけるため」と主張していた。彼の場合、禁固三年で後の恩赦で釈放されている。それと比べても、プーチン政権は相当に寛容である。
posted by ケン at 00:00| Comment(8) | ロシア、中国、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする