2018年12月04日

漱石は百年後まで見えていた?

最近改めて夏目漱石の偉大さを思うようになっている。
漱石は、日露戦争の勝利に沸く日本にあって、「いずれ滅びる」と見ていたわずかな人間の一人だった。
夏目漱石の『三四郎』の冒頭、熊本から上京する汽車の中で席を同じくした男が、日本の貧相さを自嘲気味に話すのに対して、三四郎は日露戦役の戦勝を念頭に「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と応える。だが、男はしれっと「滅びるね」と言ってのけて、三四郎を面食らわせるシーンがある。
恐らくは漱石は、戦勝の裏にある巨大なツケについて認識していたのだろう。日露戦争は戦勝に反して、その内実は実に酷かった。
「日露戦争は予算を確保した」とは言うが、その内実は酷いものだった。
日露戦争の戦費は18〜20億円で、そのうち8億円(借り換え含めれば13億円とも)が外債だった。
当時の日本の一般歳出は2.6億円に過ぎず、当然税収は2億円にすら満たず、そんな中で2億円規模の増税を行ったのだから、ある日突然税金が倍以上になったわけで、当時の日本人は偉すぎるとは思うものの、今から考えれば「あり得ない」ほどの無茶だった。

これを今日のレートに直せば、300〜400兆円もの戦費がかかったことを意味しており、うち100〜200兆円は借金で、「C国と戦争勃発」ということで、ある日突然消費税が20%、所得税が倍になってしまうようなイメージである。

さらに、この外債の内実は惨憺たるものだった。
最も規模の大きかった英国債を例に挙げると、一回目と二回目の公債は利率6%で、発行価格が額面の約90%の上、関税収入を担保に入れるという代物だった。
最初から割引して発行していることを考えれば、実効利率は7〜7.5%といったところだった。
日露戦争のツケ

日露戦争後、日本は韓国を併合するが、その経営は赤字続きで、1932年の一般会計予算が15億円のところに7千万円も交付金を出して補填しなければならなかった。
一方、ロシアでは革命が勃発、第一次革命は鎮静させたもの、帝政の終焉を早めたことは間違いなく、十月革命を経てソ連というより強大な脅威を作り出す遠因になった。そして、韓国や樺太などを防衛するためとして、シベリア出兵や満州事変が起こされ、「ソ連の脅威」に備えるため陸軍の際限なき軍拡が進み、その軍事負担は日本の重工業や民政発展に深刻な打撃を与えた。

漱石は、1909年6〜10月に東京朝日新聞に連載した小説「それから」の中で、代助の言葉を借りて当時の日本の有り様を批判している。
日本程借金を拵えて、貧乏震いをしている国はありゃしない。此借金が君、何時になったら返せると思うか。そりゃ外債位は返せるだろう。けれども、それ許りが借金ぢゃありゃしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでいて、一等国を以て任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入りをしようとする。だから,あらゆる方向に向かって奥行を削って、一等国丈(だけ)の間口を張っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。其影響はみんな我々個人の上に反射しているから見給へ。斯う西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、そうして目の廻る程こき使はれるから、揃って神経衰弱になっちまう。話をして見給へ大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考えてやしない。考えられない程疲労しているんだから仕方がない。精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴っている。のみならず、道徳の敗退も一所に来ている。日本国中何所を見渡したって、輝いてる断面は一寸四方も無いじゃないか。悉く暗黒だ。
(夏目漱石『それから』)

何のことはない、間もなく2019年を迎える日本は当時から一歩も進歩していない、あるいは1909年水準にまで落ち込んでしまったことが分かる。漱石の慧眼からも今の日本がもう一度「滅びる」のは間違いないと見てよいだろう。
posted by ケン at 12:00| Comment(4) | 日本語、日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする