2018年12月24日

たかが捕鯨、されど捕鯨

【政府、25日にもIWC脱退決定】
 政府は約30年ぶりの商業捕鯨の再開に向け、クジラ資源の管理を担う国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退を早ければ25日にも決定し、その後表明する見通しだ。日本の国際機関脱退は戦後ほとんど例がなく極めて異例。国際社会から協調軽視との批判を浴びることは必至だ。
 政府内で脱退を決めた後、来年脱退するための期限に設定されている来月1日までにIWC側に通知する方向だ。この場合、脱退する来年6月30日以降に商業捕鯨が可能になる。商業捕鯨は日本近海や日本の排他的経済水域(EEZ)で実施する見通し。
(12月23日、共同通信)

「親が親なら子も子」ということなのか。
秩序というのは、「何となく守らないといかんよね」という意識が共有されているからこそ守られる。確かに、秩序の担保として暴力や権威などが必要になるのだが、あくまでも担保は担保に過ぎない。
例えば、ソ連あるいは東ドイツなどの崩壊時には、ソ連軍もシュタージも健在だったが、担保として機能はしなかった。勤王派で明治帝政の功臣の一人だった田中光顕などは、御一新から数十年経た後に、「あの天下そのものだった幕府が本当に倒れるなど、最後の最後まで信じられなかった」旨を回顧している。秩序とはそういうものだのだ。

戦後世界の秩序は、基本的にアメリカとソ連の武力と影響力をもって保たれていたが、まずソ連が崩壊し、アメリカ一強体制が成立したものの、1990年代から地域紛争は拡大の一途を辿り、2001年からは本格的な「対テロ戦争=ラビリンス(迷宮)」の時代に突入、米国の基礎体力を奪っていった。
2010年代に入ると、もはやパックス=アメリカーナの限界が見え、ついには覇権放棄を掲げるトランプ大統領が選出され、今日に至っている。戦後の国際秩序が、米ソ二強体制を前提に成り立っている以上、ソ連がなくなり、アメリカが覇権放棄を進めれば、瓦解あるいは融解は免れない情勢となっている。
アメリカとしては、中国に覇権を委譲したいところなのだろうが、国際社会も中国も望まないため、アメリカが一方的に少しずつ覇権を放棄しつつあるのが、現状と言える。

その親の姿を見ている以上、日本としても「親がやっているんだから、俺もいいだろう」とグレるのは時間の問題だったかもしれない。しかし、最初にやるのが「捕鯨委員会」というのは、いかにもセコい気はするが。
「アメリカが自国第一主義で行く以上、我々もそうならざるを得まい!」というのは理屈の上では理解できるが、捕鯨委員会の脱退がそこまで自国の国益に益するものかと言えば、逆のようにしか思えない。陰謀論的に考えれば、「和歌山選出の二階幹事長ガー!」ということになるのだろうが、どう見ても無理がある。捕鯨業者にそこまでの政治力があるとも思えないし、「脱退して近海捕鯨を再開する」という説明も無理筋(脱退の必要ない)で、分からないことだらけだ。
この点、「リットン報告」で国際連盟を脱退してしまった戦前の故事や鼻息の荒さが思い出される。
10月2日にリットン報告書が公表される。それは、満州事変における日本の自衛権発動を認めず、満州国も承認しないというものだったが、一方で原状復帰ではなく、満州を日本を始めとする国際社会の共同管理下に置いた上で、排日運動を取り締まり、日本側の諸権益を認め、拡充することまで容認していた。今日の我々が読んでも、「御先祖方はこのどこが不満だったのきゃ?」と言いたくなるほどのものである。にもかかわらず、翌日の新聞各社は、
『東京朝日』――「錯覚、曲弁、認識不足―発表された調査団報告書」
『大阪朝日』――「認識不足と矛盾のみ」
『東京日日』『大阪毎日』――「夢を説く報告書―誇大妄想も甚し」

という大見出しで、「依然たる認識不足」「全編随所に日本の容認し得ざる記述」「徹頭徹尾偏見にもとづく」などの具合で非難轟々の有り様となった。
11月には国連で報告書の審議が開始されるが、松岡洋右代表の強硬姿勢をマスコミが英雄視して報道し、世論も同調、国際連盟脱退運動がヒートアップしていった。翌33年に入ると、2月にはリットン報告が採択されて、日本は国連を脱退、関東軍は熱河省と河北省に対する侵攻を開始した。
1920年代には各種軍縮条約を率先して締結し、国際協調路線が高い評価を受けて、国際連盟の常任理事国として確固たる地位を築きつつあったにもかかわらず、満州事変から1年半も経ないうちに脱退、自ら国際的孤立を招いてしまったのである。
リットン報告書をめぐる日本の報道について

ここに至っては、中国に「国際秩序を守れ」と諭される事態になってしまっており、誰のための秩序なのか分からなくなってしまっている。が、中国がそう言えば言うほど、「お前が一人勝ちしている秩序なんていらねぇ」という話になってしまって、ますます米中間がこじれることにもなっている。この点、中国はあまり上手くやっているとは言えないが、彼らも自信過剰に陥ってイケイケになってしまっており、どうにもならなくなっているのかもしれない。

確かに「しょせんはIWC」なのかもしれないが、戦後秩序瓦解の始まりと考えれば、将来的には笑えない話になるかもしれない。
バスチーユ事件だって、当初は誰も「国王処刑」「共和国成立」など予見していなかったのだから。

「何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」 閑吟集
posted by ケン at 00:00| Comment(15) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする