2019年01月24日

アリョール強襲 1943

Xさんが「アルンヘム・システムでクルスク戦のゲームを作りたいから参考にしたい」と持ち出してきたのは、日本の同人ゲーム「アリョール強襲 1943」だった。
1943年7月のドイツ軍によるクルスク突出部に対する攻勢が断念された後の、赤軍による反転攻勢をシミュレートしている。

基本的にはオーソドックスなアルンヘム・システムだが、GJの「スターリングラード強襲」同様、カードを駆使して砲撃支援や航空支援などを再現している。
装甲などは大隊、歩兵などは連隊規模で、1ターン4日で全6ターン。

GJゲームのようにお手頃なんだろうと思っていると、やたらとユニットが多く、スタック制限が1エリア15個とか大変なことになっている。しかも、初期配置でスタック・オーバーを起こしており、色々問題がありそうだ。

プレイしてみると、骨格的な部分は悪くない。
私がこのシステムがイマイチ好きになれないのは、攻撃側が一方的に防御側を叩き、しかも攻撃側はほとんど損害を受けない点にある。結果、攻撃側は損害過多によって攻勢意思が削がれることはなく、勝敗は規定ターンまでに勝利目的が達成できるかどうかに掛かっている。この点がどうもいささか非現実的に思えるのだ。

だが、本作品の場合、ドイツ側は数こそ少ないものの、打撃力は温存しており、旧日本軍的な「やられる前にやれ!」という欲望にかられて、攻勢防御を行いがちになるだろう。実際、普通に守っているだけでは、あっという間に赤軍の大波に飲まれてしまうに違いない。だが、効果的な反撃を行わないと、希少な打撃力を早々に失って、後は一方的にやられてしまう展開になる。その辺の判断が難しく、非常に良い感じに仕上がっている。

私がドイツ軍を持たせてもらって、攻勢防御を行い、航空攻撃も同調してそれなりに赤軍ユニットを除去し、数回に渡ってエリアを奪還した。こうした「取ったり取られたり」は、このシステムでは、AH「Breakout Normandy」くらいでしか見られないのではないか。AHのモンテ・カッシーノ戦のゲームはどうだったろうか。

しかし、いかんせんユニット数が多すぎて、広くないマップなのに非常に時間がかかってしまう。しかも、ユニットが多いことにあまり意味やメリットが感じられない。
ルールも微妙なところが曖昧だったり、未記載だったりする。
同人作品だから致し方ないが、将来性がありそうなだけに、色々惜しい作品である。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月23日

日露平和条約は千載一遇の好機

ここに来て反露勢力が盛り上がっているようだ。
いわく「ロシアには2島も譲るつもりはない」「いま占領しているロシア側に妥協する理由はない」「安倍はプーチンに良いように騙されている」などといったもの。

この手の話は日露戦争前の交渉でも散々叫ばれ、結果、現実に戦争に突入してしまった。
あの時は、「ロシアが朝鮮半島を譲るわけがない」「ロシアは日本を騙そうと交渉を先延ばしにしている」「いま戦争しなければ、勝てなくなる」といったことが言われた。
だが、ソ連側の資料が公開された現在では、どれも該当しないことが分かっている。ロシア側は韓国利権を全て放棄するつもりだったし、交渉が先延ばしになっていたのはロシア側の優先度が低かったからだし、後付だが遠からずして欧州大戦が起こっていたことも分かっている。少なくとも1904年の段階で、日本が無理する必要はどこにもなかったのだ。

まぁそれは良い。では現在はどうだろうか。
確かに日露関係のみを考えれば、2島を抑えているロシアに譲歩する理由は見当たらない。
だが、マップ全体を見てみれば、ロシアは容易ならざる環境にある。
敵愾心むき出しのEUとはいつ加熱してもおかしくないし、ウクライナ紛争が再発恐れもある。カフカスとて安全ではない。ロシアの優先順位は常に欧州が第一で、次にカフカスだ。
そして、現在のところ中国とは同盟に近い関係にあるものの、世界第二位の経済力と第一位の人口を有し、軍事力も急速に強化されつつある。今でこそ中国の目は、アメリカと東南海に向いているものの、いつシベリアに向けられるかわかったものではない。ロシアにとって潜在的脅威としては中国が第一等なのだ。

これらに比して日本とロシアは殆ど利害関係が対立しない。
欧州やカフカスに火種を抱え、潜在的に信用できない中国が超大国になりつつある中で、落ちぶれたりとは言え「強国」の一つである日本と平和条約すらなく、しかも領土紛争を抱えている状態が望ましい訳がない。
日本人は停滞と失墜に我を忘れてしまっているが、今のところは世界第三位の経済力と第七位の軍事力を有する大国なのだ。その「大国」の潜在的脅威を小さな島2つ(歯舞は群島だが)で解消することができるのであれば、明らかに安い買い物である。ゲーマー的に表現するなら「クズカード一枚」捨てるだけで済む話なのだ。

ところが、日本側の国内事情の問題から、安倍政権でしか妥結しそうになく、同時にロシア国内を治められるのもプーチン大統領がいるからこそであり、これは日露両国にとって千載一遇の好機なのだ。
ロシア側としては「どうせなら高く売りつけてやれ」と思っているかもしれないが、利害は一致しており、交渉が失敗して困るのはどちらも同じなのだから、本質的には成功率が高い交渉と言える。
今回の平和条約交渉は、ポーツマス交渉やノモンハン処理に比べれば、はるかに難易度は低い。ただ、外務省がことごとく妨害しているから進まないだけの話なのだろう。

どうも軍事の専門家というのは政治の話をさせるとまるっきりダメな感じだ。

もう一点はリベラル勢力から「容易に武力行使する国と平和条約とかありえない」という声が上がっている。
グルジア(ジョージア)やウクライナを念頭に置いたものだろうが、まずグルジアについてはロシアが侵攻したわけではなく、反撃しただけだ。ウクライナについては、ソ連期あるいはソ連崩壊時の国境線処理の不具合によるもので、局地紛争の延長にあるもの。ソフィン戦争やバルト進駐と同列に扱うのは公平とは言えないだろう。
ソヴィエト・ロシア学徒として言えるのは、スターリン死後のソ連・ロシアによる武力行使は、一般的な日本人が想像するよりもはるかに慎重に行われている。

逆に考え方を逆転させてみても良い。「危険なロシア」だからこそ、平和条約でタガをはめておくべきであって、「危険なロシア」との間に「平和条約が存在しない」方がはるかに安全保障上の脅威になる。中露韓朝と対立するとなれば、日本はますます対米従属を強める他なく、それは米による覇権戦争に対するより強力な協力が求められる話になろう。せっかく建造した空母を、中東や地中海に回せと言われてしまうかもしれないが、それで良いのだろうか。

【追記】
22日の日露会談では具体的な成果はなかったものの、会談時間は3時間と非常に長く、両首脳が「双方が受け入れ可能な平和条約締結に向けて努力することを確認、2月中に外相間で交渉を行う」としたことは、少なくとも前進しつつある、あるいは平和条約締結に向けて十分な政治資源を投入することを意味する。確かに安心できる状況ではないが、否定するような要素もないということだ。ロシア外務省の威嚇的な言動は「いつものあれ」なので、冷静かつタフに対応することが必要。ロシア人との交渉は本当に疲れるのだ。
posted by ケン at 12:00| Comment(1) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月22日

安倍政権、2島決着案を検討

【安倍政権、2島決着案を検討 北方4島返還「非現実的」】
 安倍晋三首相は北方領土問題に関し、北方四島のうち色丹島と歯舞群島の引き渡しをロシアとの間で確約できれば、日ロ平和条約を締結する方向で検討に入った。複数の政府筋が20日、明らかにした。2島引き渡しを事実上の決着と位置付ける案だ。4島の総面積の93%を占める択捉島と国後島の返還または引き渡しについて、安倍政権幹部は「現実的とは言えない」と述べた。首相はモスクワで22日、ロシアのプーチン大統領との首脳会談に臨む。
 「2島決着」に傾いた背景には、択捉、国後の返還を求め続けた場合、交渉が暗礁に乗り上げ、色丹と歯舞の引き渡しも遠のきかねないとの判断がある。
(1月21日、共同通信)

本ブログ的には「何をいまさら」感満載だが、今なおGDGD言ってる連中が多すぎるので掲載しておく。
とはいえ、「じゃあ1956年以降60余年に渡る交渉は何だったのか!」という批判は外務省と自民党にお願いします。

ここに来てネット上には「ロシアは本気で返すつもりなど無い」云々なる言説が急浮上しているが、「じゃあ、本気で二島引き渡すならいいんだな?」と突っ込むしか無い。
「ウクライナ云々」という話も聞かれるが、ロシア学徒的にはロシア側のスタンスが揺れたのはソ連崩壊前後からエリツィン期にかけてのごく一部のみで、それ以外の時期では殆ど変化は見られない。

思い出されるのは、日露戦争直前の満韓交渉。最新の研究では、ロシア側は「最終的には韓国利権の完全譲渡もやむを得ないし、日本が占領ないし保護国化するなら、そこはそれで黙認」というところまで折れていたにもかかわらず、日本側は一方的に「ロシアは日本の韓国利権を認めるつもりがない」と断罪、「満州も南半分よこせ」と言い掛かりのような要求まで突きつけて、奇襲とともに宣戦布告した。
(参考:日露開戦の代償−開戦経緯を再検証する・上

こうした日本人の外交感覚の無さというのは、やはり島国根性なのか、異なる文化の持ち主と交渉する機会が少なすぎるからなのか、あまり文化論には触れたくないのでやめておくが、全く困ったものだ。
posted by ケン at 12:00| Comment(3) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月21日

2018-19年度前期課程終了報告

おかげさまをもちまして、無事前期課程が終了しました。
記事にするほどの問題はなかったのですが、課題を残す結果となったことは否めません。
ある試験は平均点を76-77点で想定したところ平均71点で赤点が続出する事態となった一方、別の試験は平均点を82-83点で考えたものの、実際には満点が出て平均も88点になってしまう結果となりました。
教員としてはこの誤差を二点、せめて三点以内に抑えたいわけですが、まだまだ感覚が取り戻せていないということでしょう。もっとも教員復帰後、最初の本格的試験である上、当局の命令で11月半ばには問題を提出させられているので、今回は致し方ないと思う次第です。

誤差が大きかった理由の一つは、中国人の試験熟練度を甘く見た点にあります。前者の低得点試験は自由筆記を中心とする作文などの試験だった一方、後者の高得点試験は日本事情に関する丸暗記問題だったからです。
後者については、論文式にすると日本語能力を問う試験になってしまうため、それを避けるために選択式の知識問題にしたわけですが、中国学生の暗記能力の想定が甘かったということでしょう。
逆に自由作文になると、途端に惨憺たる状況になり、ひたすら甘めに採点してもかくなる結果に終わりました。
この辺のバランスをどうするか、あるいは後期の授業にどう繋げるかが、今後の課題です。

あと試験そのものとは別の話になりますが、成績評価に関する事務作業が非常に膨大かつ煩雑で、随分と時間を取られてしまいました。中学高校かよ、と思うくらい出席や宿題・課題の評価が細かく、しかも指定の書式に従って紙とデータの両方を提出する必要がありました。一から全部教えてもらってやるわけですが、教えてもらってもミスが続出して、最終提出に至るまで結構苦労しました。事務作業が得意な私がこれだけ苦労するのだから、普通の人は相当に苦労すると思います。
もっとも、これは学校によって大きく異なるらしく、私の勤務校が細かすぎるとのことではありますが、あまり気休めになりません。まぁ一度やれば二度目以降はもう少し楽になるでしょう。

赤点(平常点を合わせた総合成績60点以下あるいは本試験で50点未満)を取ると追試になるわけですが、赤点を取ったものはもともと士気が低いので、追試をしたところで合格する確率は高くありません。ですので、本試験で50点台だった学生はできるだけ平常点で「調整」して合格させてしまいます。現在の中国では、よほどのことが無い限り落第させず、卒業させてしまうので、面倒なだけだからです。
それでも本試験で50点未満だったものは、手の施しようがなく追試となってしまうわけで、今回は一人追試になってしまいました。まぁ残業みたいなものです。

普段の授業や指導についても色々反省すべき点があると思いますが、その辺はもう少しゆっくり考えたいと思います。
まずは少し休んで、採点と成績付けでとっちらかっている部屋を整理、掃除して、ゆるゆるとお土産を買って、来週帰国します。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 教育日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月20日

「ダレスの恫喝」が偶然「発見」された?!

【60年前の北方領土交渉、手紙が明かす“米の恫喝”】
 安倍総理とプーチン大統領が平和条約交渉の基礎と位置づけているのが、1956年の日ソ共同宣言です。このときの北方領土をめぐる交渉の生々しい舞台裏をつづった外交官の手紙を、JNNは入手しました。手紙は、当時アメリカが日本に突きつけた恫喝的な要求にも言及。現在にもつながる外交交渉の複雑さを物語っています。現在は空き家となっている都内の住宅。古びた箱からは何通もの国際郵便が出てきました。

 「米国のダレスはソ連が千島列島をとるなら、琉球は米国がとると乱暴なことを言い始めました」(松本俊一全権大使が妻に宛てた手紙)

 一目見たロシア政治史の専門家は・・・

 「すごいもんですね。手が震えるような資料ですね」(ロシア政治に詳しい 法政大学 下斗米伸夫 教授)

 国際郵便の送り主は60年前の外交官。当時、ソビエト連邦との北方領土交渉に当たった松本俊一全権大使です。

 「全国民のご要望に添うよう、最善の努力を続けたいと考えます」(松本俊一 全権大使、1956年)

 松本氏は、1年がかりとなったソビエトとの交渉の現場から日本で待つ妻へ手紙を送り続けていました。そこにつづられていたのは、当事者だけが知る北方領土交渉の舞台裏です。

 「2人は熱意を込めた握手を交わし、和やかに日ソ国交回復への第一歩を踏み出しました」(1955年6月)

 ロンドンで始まった日ソ交渉。動きがあったのは2か月が過ぎたころでした。当初、北方領土4島のうち1島も譲る姿勢を見せなかったソビエト側が、2島を引き渡す意向を示したのです。松本氏は早速、東京へ報告しました。しかし・・・

 「だんだん日本の方で“欲”を出してきて、千島も欲しいと言っている」(松本俊一全権大使が妻に宛てた手紙、1955年8月20日)

 日本政府は、あくまで4島を求め、ソビエト側の2島案を受け入れるなと指示してきたのです。ちょうどこの時期、日本国内では保守合同によって自民党が結党。4島を求める声が高まっていくという政治状況が交渉の背景にできつつありました。一方のソビエト側も2島から譲りません。日本政府から松本氏への指示は、交渉を引き延ばせというものでした。

 「東京は内政上の理由で“譲歩するな。しかし決裂するな”と言うのですから、仲良くけんかせよというのと同じで、バカバカしいような気もします」(松本俊一全権大使が妻に宛てた手紙、1956年3月10日)

 「まさに彼の苦衷がしのばれる文章。自民党の結党決議の中で4島という話が出てくるから、とても交渉の余地がないというのが松本氏の実感だったと思う」(ロシア政治に詳しい 法政大学 下斗米伸夫 教授)

 外交の最前線に立つ松本氏を翻弄したのは、日本政府からの指示だけではありませんでした。時代は米ソ冷戦のさなか。アメリカからも思わぬ横やりが入ったのです。

 「米国のダレスはソ連が千島列島を取るなら、琉球は米国が取ると乱暴なことを言い始めました。全く、泥仕合になってしまいました」(松本俊一全権大使が妻に宛てた手紙、1956年8月20日)

 ダレスとは、当時のアメリカの国務長官。日本の重光外務大臣から日ソ交渉の説明を受けた際、日本が2島で妥協するならば、アメリカは沖縄を返還しないと伝えたのです。これは「ダレスの恫喝」と一部で報じられ、国会でも議論となりました。しかし、日本側の公式な資料は、これまで公開されていません。

 「すごいもんですね。手が震えるような資料ですね。(ダレスが)『言い始めました』というところに驚きが感じられる。泥仕合とか第一級の交渉者にして驚きを感じざるを得ないと、米ソ間の緊張を物語る資料」(ロシア政治に詳しい 法政大学 下斗米伸夫 教授)

 この出来事を、松本氏は直後に妻への手紙で記していたのです。

 「“ダレスの恫喝”がこの時点で出ていることを証明しているような文章」(ロシア政治に詳しい 法政大学 下斗米伸夫 教授)

 国内政治、そしてアメリカの恫喝に翻弄されながら進められた日ソ交渉。結局、2島で領土問題を決着させる平和条約は回避されました。代わりに署名されたのが、まずは戦争状態を終わらせるという日ソ共同宣言。そこには、平和条約締結後に2島を引き渡すという趣旨が書き込まれる一方、同時に、交渉の全権大使として松本氏は、ソビエト側とある重要な書簡を交わしていました。相手は、後にソビエトの外務大臣となるグロムイコ氏。書簡によって互いに確認したのは、領土交渉は継続されるということ。4島返還に向け、交渉を続けるという日本側の思いが盛り込まれたものでした。

 2島で妥協することなく、北方領土交渉を継続するという成果を得た達成感からでしょうか、署名翌日の妻に宛てた手紙には、こう記されていました。

 「やっとホッとしたせいか、疲れが出ましたが、元気ですからご安心ください。あなたにもいろいろ心配させたのでしたが、とにかく初志を貫徹したので、心中愉快です」(松本俊一全権大使が妻に宛てた手紙、1956年10月20日)
(1月18日、TBS系)

本ブログで「ダレスの呪縛」を書いたのは、2008年5月23日のことで、ロシア・ソ連学徒でも政治外交を専門としたものくらいしか知らなかった。下手すると、国際関係論や近現代史を専門とする学者すら知らないレベルだった。
もちろん外務省は存在そのものを否定し、民主党が政権党にあった時でも資料開示を拒んできた。あの時のことは、今でも思い出すたびに腸が煮えくり返る。この一点だけでも、外務官僚はことごとく反市民的存在であると断言できる。

御用学者の御託はどうでもいいとしても、貴重な資料であることに変わりはない。だが、内容的には松本氏が全て著書の中で書いていることであり、珍しくはない。但し裏付けとしての価値はあるので、外務省が「証拠隠滅」「抹消」にかかる恐れは十二分にある。

ただ、今この時期に「発見」、公表されたことは、どう見ても偶然には思えないが、海外にいては細かい事情まではわからないところが辛い。
posted by ケン at 10:27| Comment(2) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月19日

朝日の論説がテキトーなこと言ってる件

ソ連は日本の無条件降伏後も侵攻を続けて北方四島を占領。だからラブロフ外相はいつも国連憲章第 107条(旧敵国条項)を持ち出す。「連合国が過渡的期間にやったことは認められる」という理屈。ただ91年の日ソ共同声明は旧敵国条項について「もはや意味を失っている」と確認。
(1月18日、朝日新聞某論説委員のツイート)

 ロシアのラブロフ外相は16日、恒例の年頭記者会見を開いた。対ロシア制裁に加わる日本はロシアにとって「パートナーには程遠い」と述べ、日本の外交姿勢に不信感を示した上で、反ロシア陣営に回らないようくぎを刺した。日本の北方領土返還要求については「国連憲章上の義務に明白に違反している」と批判した。
 22日に予定される安倍晋三首相とプーチン大統領の首脳会談を前に、平和条約締結交渉に関して日本をあらためてけん制した形。ブロフ氏は、日本はG20首脳会合の議長国として合意形成に努めるべきだとし、ロシアに厳しいG7の路線とは一線を画すよう注文を付けた。
(1月16日、共同通信)

朝日の論説がテキトーなことを言ってるので、一言言っておきたい。

一般には日本の降伏は1945年8月15日と信じられているが、これは正しくない。
経緯を説明すると、9日の長崎への原爆投下を受けて、「国体(天皇制)の護持」を条件としつつポツダム宣言受諾の意思を連合国側に通知したのは、8月10日だった。
その後、若干のやり取りがあった上で、最終的な再通知を行ったのは、8月14日。
「8月15日」というのは、日本国民に降伏を発表した日に過ぎない。
しかし、国際法的には、まだ戦争が終わったわけではない。
この段階では、日本が一方的に「降伏します」「投了します」と宣言しただけに過ぎなかった。
米国などは、日本の降伏の意思を尊重し、戦闘停止命令を出したものの、ソ連は日本の一方的な「ゲーム終了宣言」を認めずに攻撃を続けた。
国際法上、降伏と戦闘停止が認められるのは、日本が降伏文書に調印し、戦闘停止の協定を締結した9月2日のことだった。
これは私の個人的意見ではなく、日本以外の連合国(国連加盟国)の共通見解である。象徴的なところでは、Wikipediaの英語版では太平洋戦争も第二次世界大戦も終結は1945年9月2日になっており、それは米国や英国などの歴史教科書でも変わりはない。終戦日を8月15日と言い張る日本人は、ロシア人よりも先にアメリカ人やイギリス人に対して抗議すべきではないか。

従って、8月14日以降も、少なくとも国際法上(ルール上)は戦争は継続状態にあり、日本がソ連の戦闘継続を非難できるのは、あくまでも倫理的な理由からでしかない。
つまり、日本人(外務省)が言っているのは、「オレはもう手を挙げているのに攻撃を続けるなんて卑怯じゃないか!」ということであり、ロシア人からすれば「降伏文書にサインしてないくせに何を言うか!どうせ後ろに手榴弾でも隠してるんだろう」ということになる。
これは明らかに降伏文書の調印を急がなかった日本側の大失態であり、日本の政治家や軍人がいかに敗戦処理の難しさについて無知であったかを示している。にもかかわらず、その反省は今日においてもほとんど聞かれることはない。

少し分かりやすくゲーム的に考えてみよう。
例えば、ゲームをしていて、一方のプレイヤーが「負けました」「投了します」と言ったとしよう。
ところが、相手プレイヤーが投了に合意しなかった場合、この投了は成立しない。
この場合、敗北を宣言したプレイヤーはゲームを放棄したとしても、相手プレイヤーは一方的にコマを動かしてゲームを進め、ゲームを無理矢理継続させるかもしれない。
この状態こそが、まさに「8月15日から9月2日までのソ連」なのだ。

北方領土関連についてのみ触れると、
ソ連軍は8月28日に択捉島に上陸、続く9月1日に国後島に上陸し、これを占領している。
各守備隊の降伏を受け入れているので戦闘は起こっていない。
ここで問題となるのが色丹島と歯舞諸島で、日本の降伏文書調印後の9月3日〜5日にかけて占領されている。
日ソ共同宣言において、ソ連が二島の引き渡しに合意したのは、さすがのロシア人でも降伏文書調印後の軍事占領については違法性を認めざるを得なかったことが大きいと考えられる。

ポツダム宣言の第7条は、
「日本の戦争遂行能力が失われ、侵略や戦争遂行の意思を有する勢力を排除するまでは日本の一部を占領するものとする」

というもの。
日本は「国体の護持」という条件で、連合国は「日本民族の選択に委ねるが、それまでは連合軍最高司令部に隷属するものとする」という返答をもって、ポツダム宣言を受諾している。
従って、ソ連軍が日本領土の一部を占領するには十分な根拠があり、少なくとも9月2日に日本が降伏文書に調印するまでの期間に占領した部分については、ソ連軍の進攻を「不法」とは言い難く、日本以外にそれを非難する国は(少なくとも私には)見受けられない。
逆を言えば、8月15日から9月2日までの占領を「不法」と言うならば、沖縄などを除く、米軍による日本本土上陸も連合国による日本占領も、すべて「不法占拠だった」ということになってしまう。このことは即ち、今度は日本がポツダム宣言の履行を拒否することを意味する。
また、サンフランシスコ講和条約で日本は独立し、占領を解除されたわけだが、ソ連は同条約を調印しておらず、従ってソ連(ロシア)は平和条約が結ばれるまでポツダム宣言(第7条)を解除する必要がない、と考えるのが国際法的に自然であろう。1956年の日ソ共同宣言で戦争状態の終結については合意されているが、これがポツダム宣言の解除に該当するかどうかについては、二国間で話し合われるべき課題であり、ロシア側はそれを指摘しているのだ。

付記すると、右翼などがよく「日ソ中立条約の破棄は違法」などという主張を述べているが、これもまた思いこみに起因したもので、自らの不勉強をさらけ出すものに過ぎない。
ソ連による対日宣戦布告は、東京裁判で「合法」の判決が出されており、日ソ中立条約は「ハナから日本がソ連に対する侵略を企図して締結したものだった(従って無効)」という主旨の結論になっている。
日本はサンフランシスコ講和条約に調印しており、そこには「東京裁判の受諾」の一項が入っており、東京裁判を否定することは、講和条約違反を意味し、連合国(全国連加盟国)との再戦に直結する。同時に敗戦国による国境線の現状変更要求は国際紛争の原因にしかならず、危険極まりない。それを理解していない国会議員に国政を担う資格はないし、歴史をロクに知らない報道関係者が軽々に口にするのは百害あって一利なしである。
そもそもポツダム宣言も東京裁判の記録も日ソ共同宣言も読まないで、何か言っている人間が多すぎるのだ。

なお、1991年の日ソ共同宣言はゴルバチョフ大統領と海部首相による政府間合意に過ぎず、他方、1956年の日ソ共同宣言は議会の批准を必要とする条約であって、全く強制力が異なる。現行のロシア政府が、実権と実態を失っていたゴルバチョフ大統領による合意を認めないとしても、そこは倫理的な非難しかできないだろう。

やはり朝日は廃刊で良いのではないか。
posted by ケン at 00:00| Comment(5) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月18日

キエフ・バレエ「白鳥の湖」だが・・・

一度くらいはちょっと贅沢して観劇に行こうと思って調べていたら、キエフ・バレエが来ることが分かり、チケットを購入した。ネット予約、電子決済なので、設定さえしてしまえば楽なものだ。レニングラード市内のチケット売り場を探し回っていた頃が夢のようだ(遠い目)。

割引がついて400元(約6千円)だが、日本に比べれば半分くらいの感覚。
この席にしたのは、もっと高い席もあるのに、何故か中央最前列でこの値段だったからだ。中国の値段設定は劇場においても良くわからない。
しかも、ダンサーの名前も書いておらず、微妙感が漂っていたが、そこは目をつむることに。

劇場までは地下鉄の便も良く、乗り換え無しで30分弱。歩いて10分もかからない。
劇場の建物の外観や座席はそれなりだったが、肝心の内装や舞台が今ひとつちゃちい感じがする。
舞台も若干狭い感じで、大中国ともあろうものが、どうもケチ臭い。

チケットが安かったのは、生オケではないためオーケストラの上に設置された仮設席だったからのようだが、まぁ最前列で見られるのであれば何でも良い。まぁこの値段では録音音源もやむなしかと諦める。
だが、入口で渡された紙には「白鳥の湖とはなにか」しか書いておらず、ダンサーのリストすらなく、不安は増すばかりだった。

いざ始まってみると、目の前で白鳥が舞う迫力に不安を忘れてしまうが、白鳥や王子はキエフ・バレエに恥じないレベルだったが、コールド・バレエになるとどうもバラツキがあるし、そもそもダンサーの体格差が大きすぎて違和感ありまくり。やはり最前列で見ているせいか、普段と異なるところが気になるのかもしれない。

あっという間に一幕が終わるも、「あれ?微妙に短くね?」と思って時計を見てみると50分しか経っていない。バージョンにもよるのだが、普通は60〜70分かかるはずで、よく考えてみれば場面が足りていない。
休憩後、再開された第二幕は原典の第二幕から第四幕まで全てを繋げて大幅に短縮しており、10倍速の早回しで見るかのように40分でフィナーレとなってしまった。黒鳥の出番は二回だけとか、観客にとって悪夢でしかない。

やはり中国は裕福になったとは言え、まだまだバレエやオペラを観るようなレベルには程遠いらしい。
日本が非常に特殊な環境にあることを、改めて理解させられた。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | バレエ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする