2019年01月09日

驚愕の事実判明ー中国の大学にはゼミ制度が無かった

四年生の授業は前期で終わり、後期は卒論を書きながら、企業インターンなどを務めるのだという。
日本語科の場合、日本語で八千字から一万字程度の卒論を書くらしいのだが、どう見ても学生はその水準にない。まともに読めそうなものが書けそうなのは、30人クラスに十人といないだろう。この辺は全体主義国らしく、「国家スタンダード」による規定なのだろうが、形式主義とコピペが横行するだけで、何も良いことはないように思われる。

自分は卒論のテーマなどで学生から相談を受けたことはあったが、内容については全くタッチしておらず、一体誰が指導しているのかと聞いてみたら、中国人の先生が指導しているとのこと。それはそれで良いのだが、学部から博士号取得まで日本の大学にいた中国人の先生が「中国の大学にはゼミがないので、実質的には(学生は)放置状態ですよ」とおっしゃるので、驚愕した。

確かにかつて中国からの留学生は試験や日本語はよくできても、ゼミとなると途端に微妙というか稚拙と言うかレベルが落ちていたし、論文に至っては「これで修士とるのか?」というレベルのものが横行していた。が、それは他の国から来ている学生もさほど大きな違いがあったわけではないので、特に気にはしなかった。

とはいえ、そもそもゼミがないとなれば話は別である。言うまでもないことだが、ゼミがないということは、自分で調べて自分の考察や意見をまとめて発表する場が無いということであり、卒論を指導するクラスや空間が無いことを意味する。先輩の発表を聞き、指導を受ける姿を見ながら、論文の読み方を学び自分で研究を進め、あるいは同じゼミ生と意見交換しながら切磋琢磨してゆくのがゼミの最大の特徴であるはずだが、これがなくてどうやって卒論を書くのか、下手すると資料収集の方法すら教わらないのではないかという感じだ。

四年時まで講義形式の授業しかなく、突然卒論を書かされて、発表させられるのだから、気の毒としか言いようがない。
ケン先生の場合も、外国語学部ロシア語科の出身で外国語専攻だったため卒論は免除されていたし、ゼミにも入っていなかったので、中国の学生に近い状態にあるわけだが、日本では非常に例外的なケースと言える。

中国の大学にゼミがないのは、一説では「思想を育てることになるから」とのことだが、概ね当たっているのだろう。要は「独自の思考を行う術を学ばせない」ことに主眼が置かれているためと考えられる。もっとも、現実には人口=学生が多すぎて、ゼミ形式が成り立たないという問題もあるのだろうが。

結果、外国の大学院などに留学したエリートだけがゼミ制度を経験するということになっている。
ひょっとしたら、中国の大学は日本の文科省などが切望する職業訓練高等学校を先取りしているとも考えられるのだが、自分としてはとても推奨できない。
posted by ケン at 12:00| Comment(3) | 教育日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする