2019年02月28日

GMT「Stalin's War」初プレイ

発売から9年を経て初プレイとなった「Stalin's War」。
ケン先生も発売されて間もなく購入した上、オークションで安く売られていたハードマップまで入手したものの、お蔵入りしていた。
と言うのも、ネット上において「名称に反してソ連必敗」説が流布されていたからだった。
しかし、「カードドリブンとヘクスの折衷案」「一日でプレイ可能な独ソ戦キャンペーン」という魅力もまた大きかった。

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その後、一定のルール改定がなされ、一度プレイしてみたいと思っていたが、昨夏には間に合わず、今回の帰国時になんとか実現した。
事前に一人プレイしてみたところ、秋にはモスクワが半包囲されてしまい、「やっぱダメじゃん」と思っていたところ、冬ターンに到着したシベリア軍団(特に打撃軍)が恐ろしいほどの猛威を振るい、ドイツの装甲軍団はほぼ全て裏返って、3分の1近くが除去されてしまい、「ブラウ作戦とか無理なのでは?」と思う事態に陥った。
この振れ幅の大きさは気になったものの、独ソ戦らしいと言えば独ソ戦らしかったので、先輩方にプレイを打診して実現した。

ソロプレイの感触では、ドイツ軍は損害を顧みずに攻撃を続け、突進しないと、すぐに雲霞のごときソ連軍の海に埋没してしまいそうだったため、私がドイツの北・中欧を持ち、O先輩に独軍南部、K先輩にソ連軍を持ってもらった。
9時半に集まり、17時半までの8時間で、1941年秋終了まで2プレイ。初めての割には悪くない案配。「一日でキャンペーン」は無理としても、いいところまで進めそうな感じだった。

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だが実戦一回目、独軍は第一ターンに「グデーリアン」カードが炸裂して装甲軍団がミンスクを包囲してスモレンスクにまで突入。
第二ターンには至る所で赤軍が包囲され、続々と登場した増援も各故撃破にあってしまう。
しかし、ドイツ軍は秋までにモスクワ前面に到達したものの、総統から攻撃許可が下りず、何故か方面違いのレニングラード攻撃を命令されてしまう。やむを得ず、レニングラードを攻撃するがダイスが炸裂して一回の攻撃で陥落。
その後、北部からゴーリキーとモスクワを包囲する形となり、秋ターン終了時にはモスクワが完全包囲され、どうにもならない形となり、投了。

二回目、ソ連軍は後方に防衛線を敷き、きれいな戦線をつくってスモレンスク〜ハリコフ線で守ろうとするも、ドイツ軍はスルスルと前に出てくる。攻撃するには作戦ポイントを割り振る必要があるが、ソ連軍がサッサと撤退したため、余裕がある状態となった。
しかし、戦線がきれいであったがために、逆にモスクワ前面は薄く、カリーニンとツーラの南北から突破、スターリンに逃げる暇すら与えずに、モスクワを完全包囲する形で秋ターンが終了するところとなった。南方ではルーマニア第二軍がセバストポリを強襲、陥落させていた。

いずれの場合も、ドイツ軍が二回連続して作戦行動をとると、ソ連側は大惨事に陥っている。
いずれの場合も、ドイツ軍の装甲軍団は大部分が裏返っており、除去された軍団もあるくらいのダメージは被っているが、ソ連側は継戦能力を失っている。
独軍は「こんな状態でまだ行けるのか」「冬の反撃に備えるべきか」という悩みが深いが、今回は無理押ししたのが功を奏しただけで、一歩間違えれば、独軍側が大変なことになっていたかもしれない。

恐らくソ連側は戦線を張るのでは無く、補給線となる鉄道分岐点で拠点防御をしつつ、独軍の側面を脅かすような遊撃部隊を側面に配置、できるだけ戦略予備を後方に配置するという「マネージメント」が必要なのだ。
ドイツ軍の進撃がどの辺まで来るかを予測して、広い戦線では無く、部分的な縦深陣を配することが求められそうな気がする。
この意味で、本作はドイツ軍よりもソ連軍担当者に特殊なセンスが求められるようなイメージだ。

確かにネットの評判通り、ドイツ軍が有利な気はするが、ソ連側はかなりドイツ側にダメージを与え、攻撃もでき、決して一方的に殴られるわけでは無い。
ドイツ軍にしても、普通に攻撃しているだけで損害が蓄積するので、どこで攻勢限界を判断すべきか非常に難しい。
そして、何よりユニット数が少ない割に、非常にダイナミックな展開となり、予測不可能性が非常に独ソ戦初期の混乱をよく表している。
もちろんプレイ・アビリティも高い。

「要研究だが、ロシフロよりもプレイしやすく、やれそうな気がする」ということで合意、今夏再戦することとなった。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月27日

再び中国へ

事後報告ですが、中国に戻りました。
一ヶ月も日本にいて、確かに色々できたことも確かですが、気づいてみればあっという間でした。
休暇で帰国してまた戻るというのも、10年ぶりで懐かしい感覚。新学期の始まりは大変ではありますが、嫌いではありません。

ロシアで教えていた時よりも現地での活動に幅を持たせているだけに退屈しないことも大きいでしょう。
あとネット環境も規制があるとは言え、10年前とは比較にならないくらい整備されているので、外国にいる感覚も軽減されているような気がします。

後期は後期で科目も変わるので、また一から講義ノートを作る日が続きます。
一年目はこれだけでかなり大変なのですが、前期に比べれば授業にも生徒にも生活にも慣れているので、ストレスや負担はかなり軽減されるでしょう。

次の帰国は7月半ばになると思いますが、今後ともよろしくお願いします。

ケン
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2019年02月26日

ちいさな独裁者


『ちいさな独裁者』 ロベルト・シュヴェンケ監督 ドイツ(2017)
「RED レッド」や「ダイバージェント」シリーズなどハリウッドで活躍するロベルト・シュベンケ監督が母国ドイツでメガホンをとり、第2次世界大戦末期に起きた実話をもとに描いたサスペンスドラマ。1945年4月。敗色濃厚なドイツでは、兵士の軍規違反が続発していた。命からがら部隊を脱走したヘロルトは、偶然拾った軍服を身にまとって大尉に成りすまし、道中出会った兵士たちを言葉巧みに騙して服従させていく。権力の味を知ったヘロルトは傲慢な振る舞いをエスカレートさせ、ついには大量殺戮へと暴走しはじめるが……。出演は「まともな男」のマックス・フーバッヒャー、「ヴィクトリア」のフレデリック・ラウ、「顔のないヒトラーたち」のアレクサンダー・フェーリング

ひっそりと上映されているが、かなりマニアックな上、いろいろ「来る」作品である。
ある脱走兵が大尉の制服をまとい、総統の名を連発すると、周囲の人間は皆思考を停止させ、自然に権威に従属することを選んでしまう。
そして権力が肥大化し、暴走して行く。
こう書いてしまうと、いささか陳腐に聞こえてしまうが、それが見事に映像化されていることに本作の意義がある。
実際のところ、ヘロルトは大尉の制服を拾っただけだが、実のところ権威の源泉であるヒトラーも「権力を拾っただけ」と言えなくも無く、そこに権威主義と全体主義、あるいはポピュリズムの恐ろしさがある。

この「権力を拾っただけ」というのは、永田町に勤務していた私には感覚的に理解できるものだ。
現代日本においても、例えば現総理などは30年前の自民党であれば、誰からも見向きもされなかったであろう程度の人物と見られるが、それが全体的な人的水準の低下とともに浮かび上がって、いつの間にか最高権力を得て、さらに権威を肥大化させ続けている。そして、官僚もマスコミも思考を停止させ、権威に従属することを進んで選んでいる。過激化していないだけで、1930年代のドイツと2012年以降の日本は非常に多くの共通点を抱えている。
その意味で、ヘロルトは決して例外的あるいは特殊な人間ではないのである。

映画自体はドイツ映画らしく、いかなるカタルシスもなく淡々と物語が進んで行く。
シュヴェンケ監督はインタビューで、本作を『ヒトラー〜最期の12日間〜』のアンチ・テーゼと位置づけている。
それは、ナチズムやその全体主義の暴力がヒトラー一人の責任に帰せられるものではなく、ドイツ国民の全てに帰せられるものだからだという。
そして監督の祖父を含めて「普通のドイツ人」が全体主義と暴力に加担したことを描く必要を訴えている。

本作のもう一つの魅力は、ドイツ人らしい歴史再現度にある。
もともと史実をベースにしているわけだが、空軍大尉の制服から国民突撃兵の自転車や武装、野戦憲兵隊の装備や仕草、そして脱走兵の収容所に至るまで、1945年のドイツを完璧に再現している。規則や手続き(あるいは人道?)にこだわる収容所の法務官もいい感じの演技になっている。
名作『バーダー=マインホフ 理想の果てに』では、テロリスト(運動家)のアジトにある本棚にある本の並びにまで配慮したという逸話があるが、いかにもドイツ人らしいこだわりである。

確かに本作の物語は1945年4月の「ちいさな」出来事かもしれないが、内包するものは決して古びてはいない。
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2019年02月24日

【宣伝】The Unknown Soldier (2017)

結局KV戦車の映画は時間の都合(平日夜一回だけとか無理)で見に行けなかったが、良さげな映画の公開情報を知ったので紹介したい。
次回は「継続戦争」だ!
 フィンランドで2017年国内興収No.1の大ヒットを記録し、1テイクに使用した爆薬の量がギネスにも登録された映画『アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場』が、6月22日より新宿武蔵野館ほかにて全国順次公開されることが決定した。

 フィンランドでは有名なヴァイノ・リンナの古典小説『無名戦士』を原作にした本作は、第2次世界大戦時に祖国防衛のために継続戦争をソ連軍と戦った、フィンランド兵士の壮絶な姿を描く戦争アクション。1939年に起きた、フィンランドがソ連と戦った“冬戦争”が翌年に終結。その代償として、カレリア地方を含む広大な国土がソ連に占領された。国土回復を掲げ、1941年にフィンランドはドイツと手を組み、再びソ連との戦争を開始した。これが「継続戦争」である。

 ロッカ、カリルオト、コスケラ、ヒエタネン、年齢や立場、支える家族などそれぞれ生きてきた背景が違う4人の兵士たちを通して、フィンランド軍がいかにしてソ連軍と勇敢に戦ったのかを克明に描写する。非情である最前線で戦う兵士たちに血肉を通わせ、友情、ユーモア、そして生きる意志が兵士たちの団結の力を生み、占領された土地を取り戻していく。最前線を担う各兵士たちの生活とその家族たちの生活を大きく変えてしまった“継続戦争”だが、たとえ戦場で息絶えたとしても戦士たちの生きた証はそれぞれの家族に、そして大地に確実に刻まれていくのだった。

■公開情報
『アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場』
6月22日(土)より 新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー
監督:アク・ロウヒミエス
出演:エーロ・アホ、ヨハンネス・ホロパイネン、アク・ヒルヴィニスミ、ハンネス・スオミ
撮影:ミカ・オラスマー
配給:彩プロ
2017年/フィンランド/フィンランド語/カラー/スコープサイズ/5.1ch/132分(インターナショナル版)/PG-12/原題:Unknown Soldier
(2月8日、Real Sound)



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2019年02月23日

意外と共通語が多い日中語

中国で日本語を教え、同時に中国語を学んで驚いたのは、思っていた以上に共通語彙が多いことだった。
もちろん読み方が大きく異なるので、覚えることは多いのだが、学習のハードルが比較的低いことは間違いない。
こう言うと半信半疑で聞かれることが多いわけだが、実際に見てみると分かりやすい。
ちょうど今現在、後期授業に向けて準備しているある授業の新出単語である。
・つぶやき=嘟哝
・幹部(かんぶ)=干部
・打撃(だげき)=打击
・対象(たいしょう)=对象
・強硬策(きょうこうさく)=强硬策略
・支持者(しじしゃ)=支持者
・赤字(あかじ)=赤字
・採用(さいよう)=采用
・研修(けんしゅう)=进修
・取材(しゅざい)=采访
・長期戦(ちょうきせん)=长期战
・貿易摩擦(ぼうえきまさつ)=贸易摩擦
・取引価格(とりひきかかく)=交易价格
・意味不明(いみふめい)=没有意义
・救済措置(きゅうさいそち)=救济措施
・訴追(そつい)=起诉
・傷つく(きずつく)=受伤
・芳しい(かんばしい)=芳香、非常好
・知的財産権(ちてきざいさんけん)=知识产权

漢字が簡体字であるため、読めない箇所もあろうが、簡体字の法則さえつかんでしまえば、想像以上の共通度である。
ただ、どうにもならないのはカタカナ語で、これは中国人学習者が苦手とするところになる。さもありなんだ。
・オウンゴール=乌龙球(own goal)
・アプローチ=方法(Approach)
・アクション=动作、行动
・シェア=分享、份额

以上だけ見ても、中国語話者が日本語能力検定などに圧倒的に有利である理由がよく分かるだろう。
posted by ケン at 12:00| Comment(4) | 教育日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月22日

ポイント還元に見る日本経済の末路

【消費税増税対策のポイント還元、想定以上の“費用膨張”の恐れ】
 今年10月の消費税増税の経済対策の柱となるキャッシュレス決済時のポイント還元制度について、世耕弘成経済産業相は5日の衆院予算委員会で、「予定より早く予算が尽きる見込みになった時は、財政当局とよく相談して対応を検討する」と述べた。利用が想定を上回り予算が不足した場合、追加で予算要求する可能性を示唆した形で、費用が膨張する恐れがある。国民民主党の階猛氏への答弁。
 ポイント還元制度は、中小の小売りや飲食店などで現金を使わない手段で決済した場合、決済額の最大5%を国が消費者にポイントで還元する仕組み。政府は2019年度予算案に必要経費として2798億円を計上し、中小店舗への決済端末の導入費用などを除く約1600億円を消費者への還元に充てる。実施期間は来年10月から9カ月間で、20年度も1000億円強の予算を計上する方針だ。
 麻生太郎財務相は予算計上額について「足りなくなることを想定しているわけでは全くない」との考えを示している。ただ、制度は個人だけでなく法人も利用できるため、「企業が備品を大量購入すれば(必要な予算額が)数兆円規模に膨らむ可能性がある」(エコノミスト)との懸念が出ている。
 制度設計を担当する経産省は「キャッシュレス決済比率が大きく伸びるとは想定していない」として予算不足に陥る可能性は低いとみるが、個人・法人ともどこまで利用が広がるかは読み切れない状況だ。
 ソフトバンク系のQRコード決済会社ペイペイが昨年12月に実施した100億円還元キャンペーンは利用者が殺到し、高額商品の購入も相次いだため、4カ月分と見込んでいた還元費用が10日で尽きた。階氏はこの例を引き合いに「(利用が)上振れしたら、途中でやめるのか」と追及した。
 政府内には「企業のコスト削減に使われる還元費用を予算に追加計上するのは国民の理解を得られない」(財務省幹部)と否定的な見方もあるが、「『お金がなくなったから終了』では済まされない」(経済官庁幹部)との声も出ている。
(2月5日、毎日新聞)

ぶっ壊れ感がハンパなくなってきている。

「増税2%に対してポイント還元5%」
「ポイント還元対策予算は2800億円」
「5兆円の増収見込みに対して3兆円の経済対策」
「KM党対策の商品券で1700億円」
「みずほ総合研究所の試算によると、ポイント還元による経済効果は1300億円」


1945年のドイツとまでは言わないが、1944年の東部戦線くらいには崩壊しつつあるように感じられる。
まぁ最近ではクルスク戦についても、「ソ連側の戦略予備を先に潰して1944年まで攻勢を遅らせることに成功した」という評価があるから、
それくらいの効果はあるのかもしれないが(笑)

要は需要の先食いを常に先制しているだけの話で、先制すればするほど効果が減少する仕組みになっている。
少子高齢化と貧困化で需要そのものが低下の一途を辿っているのに、さらに需要を先食いするのだから、当然の話だ。
ところが、肝心の少子化や貧困化に対しては無為無策で、新規公共事業を増やして、将来負担(維持費)を大きくするだけのインフラ整備に力を入れている。これは自民党が小さくなり続けている支持基盤を繋ぎ止めるための政治的目的しかなく、ペレストロイカ末期に西側からの借款を軍需産業と重工業に投じてしまったゴルバチョフ政権の末路を暗示している。

新規住宅が増える一方で、空き家も急増しているが、これは本来住宅を購入できるだけの資力を持たない貧困層に借金させて買わせているだけの話で、空き家のリスクは自治体が負担し、治安や災害のリスクは住民が背負う形になっている。
この点からもどこかで破断界を迎えるのだろうが、後は「誰がババを引くか」という話で、「今のうちに美味しいところはいただいておこう」というのが、自民党議員と官僚の考えなのだろう。

「分配構造の再構築」「労働環境の改善」「公共住宅の整備」といった社会主義的要求をなす政党の不在が今日の問題の元凶にあると考えられるが、それを指摘するものもごくわずかしかおらず、ほぼほぼ自業自得の形になっている。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月21日

議会制民主主義の黄昏

【神奈川県議選24選挙区無投票か 全体の半数、前回2倍超】
 統一地方選の県議選(3月29日告示、4月7日投開票)で、県内全48選挙区のうち最大で24選挙区が無投票になる可能性が高いことが16日、神奈川新聞社の取材で分かった。前回2015年の2倍以上に拡大し、横浜市内(全18選挙区)は最大11選挙区に上る情勢。今も出馬を模索する動きはあるが先行きは不透明で、有権者が一票を投じられない選挙区は史上最多を更新しそうだ。
 かつて旋風を巻き起こした「第三極」の失速などが一因との見方もあるが、地方議員のなり手不足の問題が都市部にも及んでいる現状が浮き彫りになった格好。3政令市を抱える神奈川で、県議会の存在意義が改めて問われそうだ。
 県議選(定数105)の立候補表明者は、16日現在で138人。横浜以外の無投票は川崎市(全7選挙区)が1選挙区、相模原市(全3選挙区)が2選挙区、一般市町村は定数1の選挙区を中心に10選挙区。このままだと有権者の審判を受けない当選者は51人(48・6%)となり、過去最多タイで11選挙区・計19人だった前回を大幅に上回りそうだ。
 告示まであと1カ月余り。相模原市南区や横須賀、平塚市などで出馬の動きが取り沙汰されているものの、擁立作業が最終盤に入っている主要政党の追加公認は限定的な見通しだ。最大会派の自民党は50人を擁立。推薦する無所属の候補予定者を含めると目標の過半数に達し、残る1人区でも検討を進める。立憲民主党は都市部を中心に26人が出馬予定で、「定数3以上の選挙区で選択肢を示す」(県連幹部)方向で調整を続けている。一方、現職8人の擁立にとどめた公明党と国民民主党が新たに公認する可能性は低そう。前回より2人多い14人を擁立する共産党は一部で上積みを検討しているが、無投票の解消にはつながらない見通しだ。前回は維新の党(当時)などから計24人が出馬した「第三極」は、軒並み低調。希望の党が2人公認したものの、日本維新の会の公認はゼロ。社民党は前回に続き擁立を見送った。
(2月17日、神奈川新聞)

地方議会における候補者不足は以前から指摘されていたが、都市近郊においてすら選挙が成り立たなくなりつつあることが判明している。
一見(よく言えば)華やかな選挙が行われている国政選挙ですら候補者不足は深刻で、自民党も旧民主党も20年ほど前から自前で候補者を擁立できなくなり、公募に頼らざるを得なくなっている。公募は確かに一定数の応募があるものの、議員としての質には疑問のあるケースが多く、公募が常態化して以降、議員の質は大きく低下していると考えられる。もっとも、議員の質的低下が公募によるものなのか、他の理由によるものなのかについては、議論の余地があるとは言えるのだが。

私が「いよいよダメかも」と思う背景には、NK党ですら候補のなり手がいないという話を聞いたことがある。
NK党は本質的に全体主義・権威主義政党であり、党内で候補者選定の議論は行われるものの、基本的には民主集中制の原理に基づいて「党の要請」に従って党員が出馬する形式になっている。従って、党の要請があった場合、急病・重病などの特別な理由が無い限り、個人的理由や事情を鑑みること無く出馬することになっていた。ところが、最近ではこの党の要請を「些細な理由」で拒否するケースが続出しているという。党幹部などからすれば些細な理由でも、個々人にとっては影響が大きすぎ、出馬によるデメリットが許容できなくなっているからだと思われる。

かつて中選挙区制が華やかし頃は、自民党でも社会党でも出馬して落選した候補者はどこぞの組織や、あるいは個人が面倒を見て、次の選挙に備えたりして、落選による損失を最小限に抑えるシステムが存在した。こうした慣習は中選挙区制の終盤頃には失われつつあったが、NK党やKM党では小選挙区制導入後も一定程度機能していた。しかし、ここに来てNK党やKM党ですら落選者に対する手当ができなくなっているという。

どの政党、組織も高齢化が進み、中年層や若年層は少子化と生活保守化が進んで、中高年では老老介護などの問題も深刻化している。
また、1990年代以降、国会、地方ともに議員の待遇を削り、政治資金規正を強化してきた結果、「議員のうまみ」が失われると同時に、収入が少ない上に継続勤務による増収もなく、しかも落選すれば無職というリスクばかりが高まって、議員になりたいものが急減している。

例えばNK党の場合、自治体議員だと毎年100〜300万円、国会議員だと500〜700万円を党に上納しなければならず、国会議員の公設秘書は党が規定する党職員の給与水準との差額分をそのまま党に「寄付」することが秘書になる条件となっているという。よほどの「主義者」でなければ、やっていられないレベルの搾取である。

一方、自民党の場合、候補者不足から公募で候補者を擁立するようになったものの、地域や地場産業との繋がりがないため、献金が集まらず、選挙になっても地縁が無いため、運動員が確保できず、「(法の抜け道を利用した)バイト」頼みになって、実入りがなく、自転車操業になっている。かつては、「有権者からの陳情(主に公共事業誘致)→行政に圧力かけて解決→献金もしくは運動員の提供を受ける」というサイクルがあったが、このサイクルも瓦解しつつあり、「野党が弱いから」勝てているケースが非常に多い。
良くも悪くも「地域ボス」が議員を担っていた時代は、人もカネも廻っていたが、これが失われて久しくなっている。
平成の自治体統廃合によって自治体と地方議員数が大きく減ったことも、自民党組織の弱体化に繋がっている。

他方で、議員に対する有権者の要求はますます高くなる上に、「監視」の目も強まって、支持者・有権者からのパワハラの類いが増えている。私の感触でも、「議員はもうやりたくない」という愚痴や相談は非常に多い。
立憲民主党も、職員募集で1500人以上集まったというが(私は募集前に内々の打診があったものの断った)、統一地方選や参院選の候補者選定は非常に難渋している。これも表舞台に立つことのリスクが共有されつつあることの一つの現れと見て良い。

また地方では都市部への人口流出が続き、非自民党が独自に政治勢力をなすだけの体力(人、カネ、資源)が失われ、高齢化もあってNK党ですら候補者が擁立できなくなっている。これは1990年代から見られた傾向だが、最近では都市の郊外地域ですら見られるようになっている。記事にある神奈川県議選の状況はまさにこれなのだ。

選挙が行われなくなると、利害関係が固着、利にあぶれた層の流出や政治離れがさらに進行、地域の疲弊がますます進行して、コミュニティそのものが成立しなくなる。
デモクラシーは、民意を最大限政治に反映させることを至上価値とする制度であるが、これは限りなく全ての市民が政治的意思を表明することが大前提となっている。しかるに、「俺のことはもういいから、俺のことは気にせずに勝手にやってくれ(俺には関わるな)」という市民が増えれば、デモクラシーが空洞化するのが道理である。
19世紀に成立した議会制民主主義あるいは国民国家は、21世紀において黄昏を迎えていると見て良いだろう。
posted by ケン at 12:00| Comment(4) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする