2019年02月02日

21世紀に王政復古の何故・下

(前回の続き)
話を戻そう。
リベラル・デモクラシーは、資本と労働者の双方が歩み寄ることで成立していたが、いまや資本側に歩み寄るだけの理由はない上に、利潤が低下しているため、労働者から搾取を強化することでしか利潤が維持できなくなっている。つまり、先進各国ではリベラル・デモクラシーの前提条件が瓦解しており、労働強化・搾取強化・外国人労働者の導入・非正規化の促進(社会保障の適用除外)などが進められている。ところが、労働者側は完全に分断されていることと、中間層への懐古(俺は下層じゃ無いという意識)から、資本に対抗する術を持たなくなっている。
例えば、日本の場合、労働人口の約4割が社会保障の適用外にある非正規雇用となっているが、彼らの政治的意思は政界に殆ど反映されていないため、搾取されるがままになっている。

議会制民主主義の弱点は、議会が民意を代表する権能が失われると、権力の正統性をも失ってしまい、国民統合や階級対立を抑制する機能まで失われてしまうところにある。民意を代表する議会が、官僚を中心とするエリートを制御・統率することができなくなって、エリートが完全に資本や統治者への奉仕者になってしまうからだ。
また、民族国家や国民主権の概念は、可能な限り同質な「国民」の存在が前提となるが、階級分化や社会対立が先鋭化すると、成り立たちにくくなってしまう。
現代の場合、階級や社会の細分化が進んでいるため、革命を担うだけのまとまった勢力も生じにくい環境にあり、不満と不安ばかりが沈殿してゆく。

こうした不安定な社会構造をまとめるためには自由主義や民主主義は不適当だ。自由主義は階級対立を促進するばかりの上、現代の場合、エリートが統治者(官僚)になることを忌避する傾向が強く、エリート支配そのものが成り立ちにくい。また、民主主義は社会や階級が細分化されすぎて、民意の最大化が図れず、何をどう決めても多数派が不満を持つという話になっている。

これらの要素を回避するためには、何らかの権威を有する者が、権威と暴力をもって社会全体を押さえ込み、強権的に対立を抑制、権威に基づいた統治と再分配を行うシステムが、「よりマシ」という結論に導かれる。
米欧が統治不全に陥る一方、中国やロシアが比較的安定しているのは、経済的な理由ばかりではない。例えば、中国の場合、権威主義であるが故に、徹底した腐敗撲滅運動が行われ、今では殆ど賄賂が要求されなくなっている。また、共産党が政権を握っているがために、ドグマ上表だっては労働者階級の搾取ができず、今でも平均所得以下の層には所得税が課税されていない。これに対して、日本では不正と腐敗が蔓延、政府と自民党は「いかに中間層以下に課税するか」ばかりを検討している。

今となっては中国の例は一般的とは言えないかもしれないが、「主権を放棄したい市民」「民意を代表しない議会」「階級対立抑止に関心が無いエリート」などの要素は権威主義の苗木となる。そうなると、「血筋」「神の恩寵」などの理性では理解不能な権威による、階級対立の強制的抑止を望む声が高まったとしても、何ら違和感は無いし、現に欧州を中心にそうした気運が高まりつつある。
血筋に依拠する王が統治の正統性を担うなど、近代概念の信奉者からすると悪夢でしか無いのだが、リベラル・デモクラシーに替わる統治概念が提示されない以上、その実現性は今後さらに高まって行く可能性がある。
本件は今後も考察を進めたいと思う。
posted by ケン at 00:00| Comment(6) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする