2019年02月26日

ちいさな独裁者


『ちいさな独裁者』 ロベルト・シュヴェンケ監督 ドイツ(2017)
「RED レッド」や「ダイバージェント」シリーズなどハリウッドで活躍するロベルト・シュベンケ監督が母国ドイツでメガホンをとり、第2次世界大戦末期に起きた実話をもとに描いたサスペンスドラマ。1945年4月。敗色濃厚なドイツでは、兵士の軍規違反が続発していた。命からがら部隊を脱走したヘロルトは、偶然拾った軍服を身にまとって大尉に成りすまし、道中出会った兵士たちを言葉巧みに騙して服従させていく。権力の味を知ったヘロルトは傲慢な振る舞いをエスカレートさせ、ついには大量殺戮へと暴走しはじめるが……。出演は「まともな男」のマックス・フーバッヒャー、「ヴィクトリア」のフレデリック・ラウ、「顔のないヒトラーたち」のアレクサンダー・フェーリング

ひっそりと上映されているが、かなりマニアックな上、いろいろ「来る」作品である。
ある脱走兵が大尉の制服をまとい、総統の名を連発すると、周囲の人間は皆思考を停止させ、自然に権威に従属することを選んでしまう。
そして権力が肥大化し、暴走して行く。
こう書いてしまうと、いささか陳腐に聞こえてしまうが、それが見事に映像化されていることに本作の意義がある。
実際のところ、ヘロルトは大尉の制服を拾っただけだが、実のところ権威の源泉であるヒトラーも「権力を拾っただけ」と言えなくも無く、そこに権威主義と全体主義、あるいはポピュリズムの恐ろしさがある。

この「権力を拾っただけ」というのは、永田町に勤務していた私には感覚的に理解できるものだ。
現代日本においても、例えば現総理などは30年前の自民党であれば、誰からも見向きもされなかったであろう程度の人物と見られるが、それが全体的な人的水準の低下とともに浮かび上がって、いつの間にか最高権力を得て、さらに権威を肥大化させ続けている。そして、官僚もマスコミも思考を停止させ、権威に従属することを進んで選んでいる。過激化していないだけで、1930年代のドイツと2012年以降の日本は非常に多くの共通点を抱えている。
その意味で、ヘロルトは決して例外的あるいは特殊な人間ではないのである。

映画自体はドイツ映画らしく、いかなるカタルシスもなく淡々と物語が進んで行く。
シュヴェンケ監督はインタビューで、本作を『ヒトラー〜最期の12日間〜』のアンチ・テーゼと位置づけている。
それは、ナチズムやその全体主義の暴力がヒトラー一人の責任に帰せられるものではなく、ドイツ国民の全てに帰せられるものだからだという。
そして監督の祖父を含めて「普通のドイツ人」が全体主義と暴力に加担したことを描く必要を訴えている。

本作のもう一つの魅力は、ドイツ人らしい歴史再現度にある。
もともと史実をベースにしているわけだが、空軍大尉の制服から国民突撃兵の自転車や武装、野戦憲兵隊の装備や仕草、そして脱走兵の収容所に至るまで、1945年のドイツを完璧に再現している。規則や手続き(あるいは人道?)にこだわる収容所の法務官もいい感じの演技になっている。
名作『バーダー=マインホフ 理想の果てに』では、テロリスト(運動家)のアジトにある本棚にある本の並びにまで配慮したという逸話があるが、いかにもドイツ人らしいこだわりである。

確かに本作の物語は1945年4月の「ちいさな」出来事かもしれないが、内包するものは決して古びてはいない。
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする