2019年03月02日

苦しい沖縄県民投票

【沖縄県民投票、埋め立て「反対」が7割超え】
 沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設に伴う名護市辺野古の埋め立ての賛否を問う県民投票が24日に行われ、埋め立て「反対」が7割を超え、多数となりました。名護市辺野古の埋め立てについて、「賛成」「反対」「どちらでもない」の3つの選択肢で問う県民投票は24日に投開票されました。開票の結果、埋め立て「反対」が投票総数の72%と多数となり、「賛成」は19%、「どちらでもない」は8.8%でした。
 「反対」は投票資格者全体の4分の1にも達し、玉城知事は条例をふまえ、投票結果を総理大臣とアメリカ大統領に通知することになります。
 「今回の県民投票で辺野古埋め立てに絞った県民の民意が明確に示されたのは初めてであり、極めて重要な意義があるものと考えている。県民投票の結果を受け、辺野古新基地建設の阻止に改めて全身全霊を捧げていくことを誓います」(玉城沖縄県知事)
 玉城知事は近く上京し、安倍総理に直接、今回の投票結果を伝え、埋め立て工事の中止などを求める方針です。最終投票率は52.48%でした。県民投票は、1996年に日米地位協定の見直しと基地の整理縮小への賛否を問う投票が沖縄で実施されて以来、全国で2例目です。県民が辺野古の埋め立ての賛否を直接問うのは初めてで、投票結果に法的拘束力はありませんが、「反対」が多数となったことで、埋め立て工事を進める政府が今後、どう対応するのか注目されます。
(2月25日、TBS)

辺野古新基地建設に伴う埋め立ての是非を問う県民投票が行われ、72%の反対多数が確立した。しかし、投票率はかろうじて50%を超える52.48%に止まった。

私はかねてよりこうした住民投票や国民投票には懐疑的なスタンスをとっている。
西側自由主義社会では議会制民主主義、代議制民主主義が採用されているが、これは有権者から選ばれた政治エリートが民意を受けて主権を委ねられ、政治的利害を調整する役割を担うシステムである。
今回の場合、沖縄という日本全体から見れば小さい地域の利害と国家全体の利害が対立し、「ごく少数の沖縄県選出議員だけでは沖縄の「民意」を反映することができない」との判断から、直接民主主義的手法である住民投票が採用された。
だが、これは代議制民主主義がある種機能していないことの現れであると同時に、住民投票そのものが公正なものであるかを問いかけている。

まず私が懐疑的に思ったのは、住民投票を主導した反対派が反対しているのは「基地建設(移設)」であるはずなのに、住民投票のテーマは「辺野古埋め立ての是非」にされている点である。確かに埋め立て問題は基地建設における最大の問題ではあるのだが、この課題設定自体に反対派が有利になるような恣意的意図を覚える。
先に述べておけば、私は少なくとも心情的には基地建設は不要と考えている。
以下、他の問題点を列挙する。

・基地建設の是(推進)か非(中止)か、「どちらでもない」という三択は公正あるいは現実的か。「どちらでもない」という回答にはどのような意味があるのか。

・仮に51対49で賛否が決まった場合、推進にせよ中止にせよ否定された側は納得できるのか。

・低投票率だった場合の投票結果の正統性あるいは正当性をどのように評価するか。仮に投票率30%で賛成45、反対40、その他15となった場合、全有権者のわずか13.5%の賛成票をもって基地建設が決まることになる。

・住民投票の実務を担うのは沖縄県庁であるが、そもそも基地に否定的な県庁が公正かつ公平な投票を担保できるかどうか。

・反対多数だった場合、政府方針とあからさまに対立することになるが、その利害調整は誰が担うのか。そして、その責任を負えるのか。

今回の県民投票の場合、確かに反対多数の民意が示されたものの、得票率は52.5%で、絶対得票率では38%でしかない。住民投票や国民投票の場合、本来が直接民主主義的手法であるために、やはり絶対得票率で5割を超えないと、「多数派民意」としての正統性に欠けてしまう問題がある。
今回の場合も、沖縄県側は「民意が示された」と言うだろうが、政府・政権党側は「絶対多数ではない」と反論することで、ますます対立を深める恐れがある。しかし、政権党側がそれを言った場合、憲法改正の国民投票で苦労することになり、非常に苦しい立場に置かれるだろう。

最終的に「全国の有権者から(低い投票率と不公正な選挙制度で)選ばれた政治エリート」と「不完全な住民投票で示された民意」が対立するところとなり、一方が他方を「打倒」(この場合は推進か中止)したところで、「奴らは民主主義の敵だ!」とのレッテルを貼って対抗するだけになる恐れが強い。
今回の場合、反対派が他に対抗手段が無くなって「住民投票で主張の正当性を確保する」という戦術的抵抗を採った形なのだが、だからと言って、基地反対派の主張により沿う有力な野党(やる気の無い立民を含めて)がいるわけでもなく、自民党や霞ヶ関に妥協する理由もなく、非常に苦しい展開が続くものと考えられる。
確かに反対派は戦術的に勝利し、賛成派を圧倒した。しかし、それを戦略的勝利に持ち込むのは至難のわざであり、「プラハの春」とならないことを祈りたい。

【参考】
原発国民投票に見る社会的選択のあり方について
posted by ケン at 12:00| Comment(4) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする