2019年04月22日

ノートルダム聖堂火災で黄巾の乱が拡大?!

【ノートルダム高額寄付に怒り=反政府デモ激化も−フランス】
 大火災に見舞われたフランスのパリ中心部にある観光名所、ノートルダム大聖堂の再建のため、大富豪らから多額の寄付金の申し出が相次いでいることに対し、マクロン大統領の政策に反対し昨年11月からデモを続けている抗議運動参加者らは「不公平だ」と不満を募らせている。抗議運動の中心となっている女性は17日、「社会的な惨状には何もしないのに、わずか一晩で膨大な金を拠出できることを見せつけた」と高額な寄付を批判。インターネット交流サイト(SNS)上では「人間より石が優先されるのか」などと反発する投稿が相次いだ。
 有力紙フィガロは、20日に予定されているデモについて「怒りを募らせたデモ隊が結集する可能性がある」と指摘。再び破壊行動が起きる恐れがあると報じた。
(4月19日、時事通信)

第一報だから仕方ないかもしれないが、雑な記事である。
ノートルダム大聖堂の火災を受けて、「寄付」を表明したのは、フランスを代表する大富豪たちで、このうちわずか三家だけで600億円近くに達したという。
すなわちアパレル大手のケリング社を経営するピノー家が1億ユーロ、同じくLVMHのアルノー家が2億ユーロ、続いて化粧品ロレアル社のメイエー家が2億ユーロである。

フランスの法律では、個人は慈善寄付の66%を税金から控除することができ、企業は同60%が還元されるという。
つまり、単純計算で1億ユーロの企業贈与に対して、6千万ユーロの税金が控除されることになる。広告費と税金対策としては、「今やらないでいつやるか!」という話だろう。
話はまだ終わらない。米ブルームバーグ社の富裕指標では、このフランス大富豪三家の総資産は推定で1600億ユーロに達するという。

富裕税を叩き潰し、庶民に増税を課し、自分たちの資産は海外に退避(租税回避)させるという、フランスの富裕層と、その代弁者であるエリートたちに対する強固な不信と不満を理解しないで、現代フランスを語るのはやめて欲しい。
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2019年04月21日

日露交渉は粘り強く

【日ロ与党交流、5月に第1弾=領土交渉を側面支援】
 自民党はロシアのプーチン政権与党「統一ロシア」との定期交流第1弾を5月中旬に東京で実施する方向で最終調整に入った。関係者が17日、明らかにした。信頼醸成を図ることで、安倍晋三首相が取り組む北方領土問題など平和条約締結交渉を側面から支援する狙いがある。
 来日する代表団は、統一ロシアの党首であるメドベージェフ首相の側近らで構成される見通し。日程は5月14〜18日が軸で、二階俊博幹事長ら自民党幹部と会談するほか、京都訪問も検討されている。二階氏は昨年4月にモスクワを訪れ、メドベージェフ氏と会談。その際、両党の定期交流について協定を交わし、日ロ2国間関係や国際情勢に関する「喫緊の問題」を協議したり、議員間の相互訪問を実施したりすることを決めた。
(4月18日、時事通信)

「6月中の日露合意は困難に」という報道ばかりが前面に出ているが、こういう地道な努力にも注目すべきだろう。
ロシア側が態度を硬化させている理由の一つは、対日強硬論が強い国内向けのアピールでもある。特に議会にその傾向が強いだけに、議員間交流を深めて理解を得て態度の軟化を促すのは有効な手段と言える。

自民党の凄いところはこうした嗅覚で、ちょっと前まで北朝鮮に対して強硬論ばかり吐いていた自民党議員が、いまや朝鮮総連に日参、あるいは総連幹部を招待して勉強会を開くなどしている。
これに対して野党は、対露、対北ともにいまだに強硬論を吐くばかりで、目の前にある外交課題にどう向き合うかという姿勢が全く見えない。この点でも、野党は全く現実味が無い。

日露交渉が難航している最大の理由は、恐らくは日本側が主権の明確化(要求)にこだわっていることにある。
つまり、択捉島と国後島について「主権は日本、施政権はロシア」という要求にこだわっていることが、ロシア側の態度を硬化させ、交渉を頓挫させている。
主権の有無について一切触れること無く、とりあえず施政権(行政権)の引き渡しで合意すれば、二島返還はすぐにも実現するはずだ。その他のことは些末だからだ。また、ロシア側が日本外務省を「古い価値観に基づいた交渉をしている」と非難するのも、ここに原因がある。

なぜこういうことになるかと言うと、日本側が「固有の領土」論を展開しているため、「今さら固有の領土じゃ無かったとは言えない」からだ。「固有の領土」だからこそ主権の有無を明確にする必要があるわけで、「固有の領土」でさえ無ければ、主権やら潜在主権の在り様など机上の空論に過ぎず、施政権の有無だけで十分なはずだからだ。
しかし、1945年9月2日の終戦前にソ連が占領した択捉、国後の両島については、日ソ共同宣言第6条にある、
日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、千九百四十五年八月九日以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国、その団体及び国民のそれぞれ他方の国、その団体及び国民に対するすべての請求権を、相互に、放棄する。

によって、すでに日本側の請求権は放棄されている。これを同宣言に違背して主権を要求し続ける日本政府(外務省)は無理筋にも程がある。
ナゾなのは、一方で「クリミアやウクライナにおける現状変更行為を許すな」と主張するリベラル派が、こと北方領土問題に関しては「ロシアに妥協するな!」などと平気で四島の領土要求を行うことについて、何の矛盾も覚えていないことである。まぁ「力によらない現状変更はOK」ということなのだろうが、お粗末な話である。

逆に日本側はソ連が終戦後に占領した歯舞、色丹の両島については、「休戦協定後の軍事活動の違法性」をロシア側に対して追及できる立場にあるはずだが(これも厳密には日ソ共同宣言に抵触するものの)、「固有の領土」論があるために、こうしたテクニックが封じられてしまっている。

相も変わらず日ソ共同宣言すら読まず、下手すると終戦日すら知らない人間が記事を書いたり、論陣を張っていたりするので、全くバカバカしくなってくるが、ここは我慢して主張を続けたい。
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2019年04月19日

全港湾スト報道に見るNHKの反動

【港湾労働組合 22年ぶり平日にスト コンテナ積み降ろしできず】
 全国の港で働く労働者の組合が最低賃金の引き上げなどを求めて、14日から48時間のストライキを行っています。全国の主要な港でコンテナの積み降ろしなどの作業ができなくなっていて、港湾でのストライキが平日に一日続くのは22年ぶりだということです。ストライキを行っているのは、全国の港で荷揚げや荷降ろしなどをしている1万6000人の労働者で作る全国港湾労働組合連合会です。
 ことしの春闘で、業界団体の「日本港運協会」と最低賃金の引き上げなどをめぐって続けてきた交渉がまとまらず、14日から48時間のストライキに入りました。全国の主要な港でコンテナの積み降ろしなどの作業ができなくなっていて、組合によりますと、港湾でのストライキが平日に一日続くのは22年ぶりだということです。港湾関係者によりますと、荷主がストライキに備えて事前に在庫を調整するなどしていたため大きな影響は出ていないということですが、今回のストライキが終わる16日の朝以降、港の混雑を懸念する声も出ています。組合側は、今月下旬からの10連休中のストライキの通告も示唆して交渉を続けていて、国土交通省は物流への影響が出ないか情報を収集しています。
 青森県八戸市の八戸港でも荷役作業が止まるなどの影響が出ています。このうち、八戸市に本社を置く「八戸港湾運送」は全従業員の8割にあたるおよそ200人が組合員で、14日から続くストライキのために、大型のクレーンなどを使ったコンテナの積み降ろしなどの作業が止まっています。八戸港湾運送は取材に対し、「取引先にストライキの事情を説明するなどして、影響をできるかぎり最小限に抑えたい」としています。
 この影響で、東北地方で唯一の国際拠点港湾である仙台市の仙台塩釜港の高砂コンテナターミナルでは、コンテナ船4隻が入港できない状態が続いています。このため、港は大型のクレーンは動いておらず、車の行き来もほとんどありません。港湾事務所によりますと、ストライキが終わる16日朝以降は一転して、港周辺の混雑が予想されるということです。
(4月15日、NHK)

この報道は色々な意味で象徴的であり、現NHKの階級反動性を示している。
まず、ストライキの理由は「「日本港運協会」と最低賃金の引き上げなどをめぐって続けてきた交渉がまとまらず」とわずか1行のみしか触れていないのに、その後の「ストによる影響」については延々とニュースの半分以上を使っている。
また、ストライキは14日から48時間であるにもかかわらず、報道がなされたのは最終盤の15日夜だった。
そして、運送会社や港湾事務所のコメントは入っているのに、肝心の労働者側のコメントはゼロである。

これらは、「公正中立」と言って全市民、全国民から強制的に視聴料を徴収しているNHKが、実際には100%資本側の立場から報道していることを示している。
戦後日本は、様々な経緯はあったものの、西欧諸国と同様に戦後和解体制を採った。それは、資本と労働が対等的な関係で強調し、政府が再分配を約束し、議会制民主主義が階級調整をなす政治体制だった。ただし、それは現実には第三世界からの収奪の上に成り立っていたのだが、今はそこは問わない。

仮にこの戦後和解体制を前提とするなら、少なくともNHKは再分配と階級調整の弁としての機能が求められ、実際に2000年頃まではそれが一定程度効力を発揮していた。
だが、小泉改革や第一次安倍政権の頃には戦後和解体制はほぼ瓦解し(象徴的には国鉄と日本社会党の解体)、今日に至っている。NHKも例外では無く、今では階級問題や政府に批判的な番組は皆無になっている。
NHKの不誠実は、戦後和解体制を否定しているにもかかわらず、相も変わらず中身の無い「公正中立」を標榜している点だ。だからこそケン先生はNHKの国営化を主張している。

さて、全港湾のことである。もちろんストライキは全面的に支持する。
NHKに限らず、どの報道機関もロクに報道していないこと自体、もはや現行体制にいかなる未練も感じさせない。
上記の報道は、まず「最低賃金をめぐる交渉」と述べているが、その最低賃金を見てみよう。
港湾では労働組合と業界団体が協定を結んでいます。
港湾産別協定(2007年協定)では、港の種類により2つに区分されています。

最低賃金 日額6、310円(7時間労働)、月額157、600円
〔適用港:東京港、横浜港〈川崎港含)、名古屋港、大阪港、神戸港、関門港の場合 〕
〔適用職種:船内荷役作業、沿岸荷役作業、はしけ乗組員、いかだ運送作業員、
  港湾運送関連作業員(港湾倉庫作業は港湾運送関連作業に該当します)〕
全港湾HPより)

驚くべき低さだが、これを約16万4千円に上げよ、というのが、今回の労働側の要求だった。
しかし、資本側はこれを拒否したどころか、産別最低賃金の設定(交渉)すら拒否するという挙に出た。もっとも、これは2016年頃からのことで、今回のストライキは「もう我慢ならん!」という労働側の判断に基づいていた。
産別交渉が否定された場合、労働者は企業別に組合をつくって事業者と交渉に当たるわけだが、交渉力が弱まるのは避けられず、実際には資本の言いなりになる他ない。資本側の狙いは、労働者の団結を破壊し、その賃金交渉力を無力化して、最低賃金(あるいはそれ以下)まで下げるところにある。

本来ニュース報道はここまで書いてようやく労使間のバランスが取れて、「公正中立」を標榜できるはずだ。
この点を省いてしまえば、「無理な賃上げを要求する労働組合が市民に迷惑を掛けるストライキを勝手にやってる」という構図をプロパガンダすることになるし、実際それをやっているのがNHKなのだ。

象徴的なことに全港湾は1972年から2015年まで日本港運協会と団体交渉を行い、産別賃金を設定してきたが、この44年間こそがまさに戦後和解体制そのものだったのだ。そして、資本側が産別統一交渉や生活保護水準の最低賃金の引き上げを拒否するという事態は、戦後和解体制の全面瓦解を象徴している。

マルクスは、自らの待遇を守るために、資本に同調して外国人労働者などの下層労働者の疎外に荷担する労働者を「哀れなプロレタリア」と呼んだが、現行の資本や政府による暴虐に対してなすすべのない西欧社会民主義政党や日本の連合はまさにこれに相当する。
やはり戦後和解体制こそが例外的な体制であり、世界は再び資本と労働が血で血を洗う闘争を演じる時代に突入していくのかもしれない。

【追記】
全く残念ながら私自身は全港湾本部にお邪魔したことは無いのだが、ある同志によれば、委員長室には巨大な赤旗が掲げられ大きなレーニン像が鎮座まし、周恩来の書なども掛かっており、いささか時代錯誤(懐かしさ)を感じさせるところだという。
全港湾労働者の皆さんには、遠くの地より心より連帯の意を表明するものである。

【追記2】
マルクスを持ち出すまでも無く、労働者が団結して、資本の横暴に対抗し、労働者が唯一提供できる「労働力」を結集して提供拒否するストライキは、労働者にとって唯一の武器である。その武器をカードに交渉するのが労働組合の重要な役割となる。とはいえ、伝家の宝刀は抜いてしまえば「それきり」という側面があり、抜かずに済めばそれに越したことは無い。しかし、今回の一連の争議は「ストライキをやらない労働者は一方的に収奪される」というマルクスの指摘が正しかったことを示している。
1970年代以降、ストライキが減少したのは「戦後和解体制」が機能して、労使協調路線が成立したためだが、ソ連崩壊を経て同体制が解体されつつある中、労使の利害が一致しなくなっているわけだが、「平和」の時代が長かったため、労働組合は自らの役割を忘れ、戦力として機能しなくなっている。そして、全港湾がストライキを打てるのは、産業報国会の後進と言える連合の指導下に無いところが大きいと考えられる。
posted by ケン at 12:00| Comment(4) | 労働、経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月18日

モスクワ会戦1941

「縦横戦国」をデザインされた孫さんの「モスクワ会戦1941」をプレイ。
見た目は良くできた同人ゲームだし、分量的にも「ミニゲーム以上フルゲーム未満」といったところ。ゲーム雑誌付録の「2in1」ゲームな感じか。

ハーフゲーム規模の割に、チット行動式とアンドライド・システム(戦力未確定)の両方を備えており、ルールを読んでいても「いささかギミック盛りすぎでは?」という感触。
そもそもこの日は「これで良い?」と中国語のルールを渡されて、その場で中文ルールを読んでプレイするという「いきなり本番」モード。まぁお客様扱い終了なのは当然か。
中国語は聞く、特に話すはまだまだだが、読む方はもともと漢文の素養もあって、苦にはならないが、それでも細かいところや不明な点は出てくる。まぁその辺は40年プレイヤーの感と、怪しげな中国語と英語でカバーすることに。

お相手は大学に入ったばかりの若い子。ここではほぼほぼ私が最年長者あるいは次点なのだが、この年齢層の圧倒的な低さも中国市場の有望な点だ。日本では、特にウォーゲームは「老兵は去りゆくのみ」みたいな感じなだけに、嬉しくも寂しい。
どっちを持つかを聞かれ、前回相手は別の方だったが、日本軍をもってボコボコにしてしまったので、ソ連軍を持たせてもらうことに。

マップはハーフマップに、カリーニンからクルスクまで入るかなりの広域。ユニットは基本が軍。1ターンは2週間。
基本的なシステムは、オーソドックスなチット式で、ドイツの装甲集団は通常チットと機械化チットの二つを持っているが、チット数は毎ターン限定されており、何を入れるかはプレイヤーの判断となる。
ソ連側は「スタフカ」チットがあって、好きなタイミングでいずれか一つの司令部を活性化できるのだが、ゲーム中三回しか使えない。

ドイツ軍は攻撃して包囲しての繰り返しなのだが、一回の活性化で移動か攻撃のいずれかしかできないため、全体の進行はやや地味な感じ。包囲されても、「攻撃・移動力半分」「防御力半分」「降伏チェック」と三段階以上あるため、結局のところは攻撃する必要がある。

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実際の進行は、第一ターンに展開を見誤った私の失敗もあって、ブリャンスク方面に大穴が空いてしまうのだが、ドイツ・プレイヤーが慎重だったため、大崩壊には至らず、ギリギリ戦線を維持できた。
ドイツ軍はまず順調に戦線を押してゆくものの、平押しにしかならず、ソ連軍の戦線がモスクワに向かって狭くなると同時に、防衛線にも厚みが増して、モスクワから3ヘクスほぼ手前で頓挫、周辺都市の占領に向かうも時間切れとなって、ソ連の勝利に終わった。
ただ、点数的には「ソ連軍の辛勝」といった感じで、「ツーラもクリンも維持しているのにこの点差は厳しい」と思った次第。恐らくは、史実と比較しての勝利条件設定なのだろう。デザイナー的には、ソ連側がもっと反撃することを想定しているようなのだが、反撃の戦闘比はせいぜい2対1にしかならず、敢えて攻撃に出るインセンティブは沸いてこない。
私のイメージでは、ドイツプレイヤーが積極的に突進すれば、よほどチットの出が悪い場合を除いて、ソ連側は非常に厳しい展開になる傾向が多そうな気がする。
また、アンドライド・システムは良いとして、損害を受けたユニットの補充をする場合のルールに不明確な点があり、疑問が残る。

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ゲーム単体としては「悪くはない」感じだが、考えて見れば、みなどこかで見かけたルールをつなぎ合わせて再構成している感触が強く、わざわざ本ゲームをプレイするインセンティブには欠けるような気がする。
そんなような感想を伝えたところ、「やっぱり貴方もそう思いますか、私たちもあまり評価してないです」との答え。「おいこら、評価低いゲームを勧めたんきゃ!」というのは野暮というものか(笑)

こうした同人ゲームもどんどん作られており、カフェに来ている皆さんも続々と自作ゲームのデザインに励んでおられ、その熱意たるやまさに創成期のそれなのかもしれない。

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中国語版「パスグロ」。画は同じでも別のゲームにしか見えない。

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CMJ「官渡の戦い」は日中台ほぼ同時発売。凄い時代デス。中華風デザインもカッコイイ。

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2019年04月17日

歴史研究とフィクションとシミュレーションゲーム

少し前にある学者と作家が論争を演じ話題になっていた。
個人的には、作家の方が「オレだって史実を書いているんだから、ケチつけるな!歴史は学者のもんじゃねぇ!」と叫んでいるだけで、いわゆる「愚にも付かない論争」にしか見えなかった。だから、それ自体にはあまり興味は無い。要は、「史実を織り交ぜた(文学的?)作品」と「歴史研究」を混同しているだけの話だった。

そもそも歴史学は、確かに最終目標こそ「史実の解明」にあるかもしれないが、あくまでそれは理想論であって、現実には史料分析を積み上げて、「ここにはこう書いてある、あそこにはこう書かれている」ということを延々と繰り返すだけのもので、「史実はこうだった!」と言ってしまった段階で歴史学ではなく、フィクションの世界になってしまう。そして、現実の歴史研究ができるのは、「こうだった可能性がある」までで、百歩譲って「こうだった蓋然性が高い」というところまでなのだ。

恐らくは、欧州であればもう少し研究と創作の棲み分けができているのかもしれないが、どうも日本では混同が著しく、その悪しき影響として、「司馬史観」やら一連の歴史修正主義が横行するところとなっている。
創作作家も史料は読むだろうが、それはあくまでも創作のための基礎知識を身につけるものであって、研究のためではない。その点を踏まえずに、「これが史実だ!」とやってしまうから大問題となる。しかし、現実にはそれが大売れしてしまうから、非常にやっかいなのだ。
しかも、歴史の研究書というのは、基本的に面白くない。それは当然で、最初から最後まで「この史料にはこう書いてある」ばかり続いて、最後の最後に「従来の研究とは少々違って、〜だった可能性がある」で終わり、そこには物語性のかけらもないからだ。
例えば、長篠合戦に関する学術論文を読んでも、「この史料には鉄砲三千丁と書いてあるが、江戸期中期のものだ」「この史料には一千丁と書いてあるが、これは江戸前期のものだ」という話が延々と続き、最後の最後に「やはり確定的なことは言えない」とくるのだから、よほど根気のある人にしか耐えられない世界である。
それでも、私がフィクション・創作よりも研究書の方が好きなのは、やはり「少しでも史実に近づきたい」ということと「シミュレーションゲーム」であろう。

シミュレーションゲームの醍醐味は、「後世の歴史家」の視点ではなく「当時の指揮官」の視点から世界を眺め、その当事者が抱いたであろう様々な不安、問題意識、ジレンマなどを追体験して、限られた情報と資源の中で戦略目標達成に向けて何らかの意思決定を行うことにある。
それだけに、「ゲームとしての面白さ」と「史実再現性」の二つの要素をいかに両立させるか、あるいは一方をどの程度切り捨てるかというところに、デザイナーの才能と独創性が求められる。

独ソ戦を主題にしたゲームでも、かつてはドイツ軍がほぼ無傷のままモスクワ前面まで来るという作品が少なくなかったが、歴史研究によって批判的に見られるようになっている。クルスク戦についても、「大戦車戦は本当にあったのか」「ソ連軍の損害は実はかなり大きかった」などの検証がなされ、新たな作品に生かされている。
そもそもソ連崩壊を経てソ連側資料が公開されたことで、戦闘序列や部隊配置、あるいは損害の見直しがなされ、新作ゲームには最新の研究が反映される。
「どうせフィクションなんだから、細かいところはいいじゃん」という考え方も成り立つが、そこはユーザーの評価に委ねられるべきだ。

もっとも、逆に関ヶ原の合戦の場合、最新の研究では、「開戦と同時に小早川が離反し、西軍はすぐさま潰走に入った」という説が一次資料から導き出されており、「ゲームにならないじゃん!」ということになっている。
そもそも戦国時代の合戦というのは、実際の戦闘がどのように行われたのか良くわかっていないところが多く、ゲームをつくるにしても、かなり(大半)創作を施さざるを得ないのが現状だ。

鎌倉期の元寇も最近の研究で大きく評価が変わって、文永の役における「元軍は一夜で撤退した」も、弘安の役における「台風で壊滅して撤退」も、いずれも後世に書かれたフィクションで、一次資料には全く根拠を見つけることができないという。「軍船900隻」についても、上陸用舟艇や艦載舟の類いが600隻含まれており、大海を渡る能力を有する「千料舟」は126〜300隻と見られている。これなどは、作家が「これが史実だ!」などとフィクションをでっち上げてしまうと、後々まで歴史研究を阻害してしまう好例であろう。
ちなみに、改めて地図で確認すると、対馬と朝鮮半島は最短距離で50kmしか離れておらず、びっくりさせられる。

フィクションに話を戻せば、あまり史実を重視し過ぎると、現代人の感覚とかけ離れて全く理解できないという問題も生じる。
例えば、たかだか150年前のことでも、戊辰戦争において宇都宮城や会津若松城をめぐる戦いの後には、首無し死体が散乱していたというし、西南戦争では薩軍人たちが官軍兵の死体から内臓を奪ったり(ひえもんとり)、首狩りを行ったりしていたというから、およそ現代人の視聴に耐えられるものにはならない。
鎌倉時代から戦国時代にかけての武士の精神構造は、基本的に河部真道『バンデット』のそれであり、およそ現代人の感覚で理解できるものではない。

要は研究と創作を分けて考えるというだけの話なのだが、どうしてそれが難しいのだろうか。

もっとも、研究者でこそないものの長くソ連・ロシア学に従事してきた私からすれば、突っ込みが入りまくる日本史研究はうらやましい限りだ。まぁ戦国時代などかなり限定的ではありそうだが。
アフガニスタン介入」「チェコスロヴァキア介入」「ポーランド危機」「ペレストロイカ」などを書いてきたケン先生的には、自由主義史観論者などから何の反論もなく、全く寂しい限りである(笑)
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2019年04月16日

非正規化進む学校現場

【横浜の私立校で大量退職 「非正規教員を使い捨て」】
 元経団連会長の故土光敏夫氏が理事長を務めた学校法人橘学苑(横浜市鶴見区)が運営する中高一貫校で、非正規雇用の教員の雇い止めが相次ぎ、大量の退職者が出ていることが13日、学校関係者への取材で分かった。学苑側は昨年度までの6年間で72人が退職したとしている。一方、複数の学校関係者は退職者は120人近いと訴えている。
 改正労働契約法には、非正規労働者の雇用安定を図るため、有期契約が5年を超えれば無期に移行できる「無期転換ルール」がある。私立校教員も対象。私立の労働問題に詳しい労働組合関係者は「非正規の使い捨てとも呼べる状況」と指摘している。
(4月13日、共同通信)

臨時任用を含む非正規教員の割合は、小中学校ですでに2割近くになっており、私立の割合が高い高校ではさらに高くなるとみられている。
諸経費がかさむ中で、経営層が積極的に人件費削減を進めた結果であろう。労働集約型産業の典型である教育の場合、経営の観点から利益を出すためには、人件費を削減するほか無い。将来的には相当部分がAIにとって代わられ、あるいは学校という閉鎖空間に生徒を集めて教えるという方法自体がなくなるかもしれないが、それはもう少し先の話になりそうだ。それだけに、人件費削減は正規教員の非正規化という形になって現れる。

記事の学校の場合も、いわゆる底辺校ではないが、偏差値が50に届かない程度の学校であり、経営者が企業経営者であるということからも、学校を市場原理と収支の側面から捉える傾向が強かったのだろう。
だが、非正規教員を増やした場合、技術、経験、知識の蓄積が不十分となり、生徒と教員間の信頼関係も低下してゆくことになる。収支面では改善されるとしても、教育の質としては低下は免れず、学校としての評価もさらに下がってゆくところとなる。ただでさえ少子化によって、生徒獲得競争が厳しくなっているだけに、学校の評価は死活問題だが、「背に腹はかえられない」ということかもしれない。
結果、経営層は教員を叩いて精神主義的に「成果」を強要することになるが、もはやバンザイ突撃しか命令しない旧軍指揮官と同じだ。そして、教員の士気も低下、正規教員が辞めると、非正規教員が補充され、ますます士気と質が低下してゆく構造になっている(ようだ)。

これから子どもを学校にやる保護者はそんなことまで考えないといけないのかと思うと、ますます萎えてしまう。
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2019年04月15日

ヴォルゴグラード改めスターリングラード?

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4月12日の「ノーヴォスチ」記事。
2023年に迎えるスターリングラード戦80周年に向けて、現在のヴォルゴグラードの市名を「スターリングラード」に戻そうという運動があるという。まずは住民投票を行うために運動を展開しているようだが、現実にはネット調査だと、793人の回答に対し、72%が反対、12%が「ツァーリツィン」(革命前の市名)、16%が「スターリングラード」支持だったという。回答者数が少ないので容易には判断できないが、厳しい道のりではありそうだ。
少なくともロシア人は意外と冷静と言えそうだ。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | ロシア、中国、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする