2019年04月14日

迷走するふるさと納税

【ふるさと納税 都市部では税の“流出”深刻に】
 ふるさと納税制度をめぐっては、寄付者が住民税を控除され、都市部から地方へ税収が“流出”しているとの見方もある。都市部の自治体からは「このままでは行政サービスの低下につながる」との声が上がる。
 総務省によると、平成30年度にふるさと納税で控除される住民税は全国で約2448億円(前年度比約1・3倍増)。都道府県別では、東京都の約645億円を筆頭に、神奈川県(約250億円)、大阪府(約210億円)、愛知県(約180億円)が続き、都市部での減収が目立つ。
 住民税の控除額が急激に伸びる川崎市。27年度に2億円だったが減収分は、ふるさと納税などの影響で、29年度には30億円に。31年度は49億円に達する見込みだ。本来、減収分の75%は交付税で補(ほ)填(てん)されるが、同市は独自の税収で財政運営ができるとして、交付されない。減収分はそのまま歳入減につながり、市の危機感は強い。
 同じく不交付団体の東京都杉並区も、直近5年間の減収分は計約40億円に上り、学校1校分の改築費に相当するといい、同区は「この状態が長く続けば、行政サービスの低下につながりかねない」と危惧している。
 関西の都市部でも税の流出傾向が顕著。神戸市では26年度まで寄付額が控除額を上回る“黒字状態”だったが、27年度から逆転。29年度の差額は約26億円に及んだ。大阪市でも30年度、約8万人がふるさと納税を行い、約55億円が減収している。
(4月11日、産経新聞)

記事にもあるとおり、本来の住民がふるさと納税することによって減る税収分は、その75%が国庫から補填されるものの、地方交付税の対象外の自治体には交付されないため、そのまま減収となる。特に大都市部は不交付のところが少なくないため、多くの自治体で減収となっている。実のところ、これこそが国の狙いなのかもしれない。

しかし、ふるさと納税によって得られた増収分は、20〜30%が「返礼品」として消費されてしまうので、実際に地方自治体が得られるのは残り分ということになる。これは、本来受領するはずのない「税収」(寄付金)であるため、それ自体困ることはないわけだが、それだけに「返礼品競争するな!」という国側の主張は、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるようなものだろう。

現実にふるさと納税によって地方が整備され、人口減の抑制や地方再生に効果が認められるのであれば、財政難の折、やむを得ないところもあるだろう。しかし、現状ではそれだけの効果は認められない。制度創設から10年以上経つのだから、検証すべきだ。

以前の主張の繰り返しになってしまうが、住民税は本来居住地における社会的インフラを負担するための税であり、非居住地に「住民税分を寄付する」するというのは、税本来の意味から外れてしまう。返礼品競争の本質的原因も、「非居住者からの寄付の奪い合い」にあると見るべきだ。
それだけに、一時的な起爆剤としては一考の余地があるとしても、ふるさと納税(実は税じゃない)を常態化させるのは、国家運営の本質を損なうところとなるだけに、もはや廃止を検討すべき時に来ていると考える。
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月13日

【宣伝】『芳華』

本日日本で公開される中国映画。これがなかなか凄くてイイ。
1970 年代の中国、軍隊芸術団に青春を捧げる青年たち。 劉峰(リュー・フォン)は純朴で人助けが好きな好青年として仲間に信頼されている。何小萍(フー・シャオピン)は希望と 理想を持って芸術団に入団したが、農村出身であるため芸術団の先輩たちにいじめられている。激動の時代、恋の動悸、 人々が運命に翻弄され、思わぬ結末に...

1970年代の「文工団」を舞台とした青春群像劇あるいはラブストーリーなのだが、「文革」「バレエ」「中越戦争」という、ケン先生的には「盛り込みすぎでは?!」というくらい萌え要素満載となっている。実際、前半部と後半部では全く別の映画になってしまっている向きは否めないのだが、決して悪いわけではない。


『芳華』 馮小剛監督 中国(2017)

文工団というのは、要は軍の慰問部隊のことで、ソ連の赤軍合唱団に女性を加えたものと考えれば良いだろう。
ヒロインは父親を労働改造所に送られて、単身文工団に入団するが、それを理由にいじめられてしまうが、努力と根性で認められてゆく。かなり少女漫画の王道すぎる設定ではあるが、文革という背景があるだけに、簡単には片付けられない。
この文工団には多くの少女が所属していて、主に舞踊(中国バレエ)を担っている。舞踊の練習シーンも非常に美しく描かれているのだが、ロシア・バレエ好きのケン先生的には「やっぱソ連・ロシアの方がスパルタだな」などと思ってしまう。

後半に入ると、毛沢東の死を経て、中越戦争が勃発。解放軍の一部である文工団も当然動員され、ヒロインが恋心を抱いていた先輩は、団内で起きた不祥事から最前線送りにされてしまう。そして、二人はそれぞれ心身にダメージを受けて終戦を迎え、文工団は解散、改革・開放時代に突入してゆく。

前半の王道過ぎる少女漫画っぷりと、後半の戦争・戦争後遺症の描かれ方のアンバランスさが、なかなかに上手に融合され、描かれており、ハリウッド映画にありがちな「パンシャブの構造」(恋愛と戦争を一緒に描くな!)に(ギリギリのところで)ならずに済んでいる。

特に中越戦争で中国側がボコボコにされるシーンだけでなく、傷痍軍人やPTSDについてまで真正面から描いていることは、正直なところ良く公開が許可されたと驚きを禁じ得ない。実際、公開直前に当局のストップが掛かって、延期されたというのだが、果たしてどこが検閲・削除されたのか分からないくらいだ。この点だけでも、十二分に見に行く価値がある。当局による言論規制が強まっていると言われつつ、ここまでの表現は認められるということを確認できよう。

ただソ連・ロシア学徒的には、全体的に美しく描かれ過ぎており、わずかに「きれいすぎる」「ゆるい」不満が残ったことは否めない。ケン先生はどうしても中国をソ連・ロシアと比較して、いつも「(良くも悪くも)ゆるいなぁ」と思ってしまうわけだが、ロシアの場合、「幸せは悪」くらいの徹底した悲劇・悲観主義が全てを覆っていて(そこまで不幸にしなくてもといつも思う)、それに慣れすぎているからだろう。
そもそも文工団に可愛らしい女の子が沢山いて、「きゃっきゃ、うふふ」状態なのも、赤軍合唱団愛好者の私的には、「そうじゃないんんだ!!!」と叫びたくなってしまう。

ちなみに、私は日本公開の話を聞いて初めて本作を知り、「見てみたい」と微信にアップしたところ、友人から「(ネットの)QQで見られるよ」と教わり、「5元」をスマホ決済で払って、そのまま鑑賞した。中国語字幕があるので、半分くらいは意味が取れる。いやはや、中国は超便利である。いささか味気ないとは言えるが。
posted by ケン at 00:00| Comment(6) | サブカル、音楽、アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月12日

紙幣刷新をめぐるあれこれ

【渋沢栄一の新1万円札 韓国で批判的報道】
 新たな1万円札の肖像に日本経済の近代化に貢献した実業家の渋沢栄一が採用されたことについて、韓国メディアでは、「渋沢は、日本が戦前に朝鮮半島の経済を奪い取った象徴的な存在だ」などと批判的な報道が相次いでいる。
 5年後をメドに刷新される日本の紙幣のうち、1万円札の肖像に渋沢栄一が採用されたことを受け、韓国・聯合ニュースは「渋沢は日本が戦前に朝鮮半島の経済を奪い取った象徴的な存在だ」と伝えた。報道では、渋沢が設立した銀行が1900年代のはじめ、朝鮮半島で日本の軍事的な圧力を背景に渋沢の肖像が描かれた紙幣を流通させ、「恥をかかせた」と指摘している。
 また、保守系の大手紙・朝鮮日報は「過去の歴史を否定する安倍政権の基調が反映されたとの解釈もある」とした上で、「日韓の摩擦を激化させるとの見方も出ている」と伝えている。
(4月10日、日本テレビ系)

新帝即位に合わせて様々なプロパガンダが仕組まれている。世界各国で階級対立や民族対立などが先鋭化する中で、デモクラシーの伝統がない国では政治的求心力と国民統合を維持するために権威主義化が進んでいる。日本もその一つである。
今回の紙幣刷新もその流れの中にあるわけだが、どうにもセンスが悪いし、発想が古すぎる。
まず韓国や北朝鮮の国民感情に油を注ぐような選択肢を故意に選んでいることだ。財務官僚や日銀官僚が「知りませんでした」では済まされず、政治統制を担う自民党の意向も踏まえて、「敢えて渋沢を選んだ」と考えるべきだろう。逆をいえば、「渋沢でなければならない」理由はなく、この点でも恣意性しか感じられない。ただでさえ日韓関係が史上最悪と呼べるまでに悪化しつつある中で、敢えて火に油を注ぐ理由が分からない。一体誰が得するのだろうか。

国内的にも、渋沢は日本初の労働者保護法であった「工場法」の制定に反対した急先鋒であり、その主張は「工場法なんぞ制定されたらオレたち経営なんてできない!」というものだった。同法は小工場は適用除外だった上、今読むとスカスカな内容に思われる代物だが、そんな法律にも徹頭徹尾反対した悪徳ブルジョワの典型だった。つまり、渋沢は階級弾圧の急先鋒だったわけで、戦後日本が志向した「階級和解体制」の象徴としては最も不適当なものであることを意味している。論を一歩進めるなら、この渋沢を日本銀行券の象徴に据えることは、階級和解の破棄を内外に示す意図があると見なすべきなのだ。
にもかかわらず、NK党や社民党からそうした批判が出てこないのは、連中もまた階級意識を喪失していることを意味しており、戦後和解体制に取り込まれて階級政党あるいは階級代表としての役割を忘れ果てていることを示している。

現行の福沢諭吉もまた「侵略主義者の側面」を持っていたことは確かだが、同時に「アジア革命の支援者」としての側面も持っており、何よりも基本的には教育者であったことから、まだ「議論の対象」で済まされたわけだが、渋沢については議論の余地はない。
一部では渋沢の「道徳経済合一論」を支持する向きもあるが、これはこれで現代日本のブラック企業に蔓延する「家族型経営」などの論拠になっており、安易に評価すべきではない。

こうした「近代の偉人」を銀行券のデザインに据えることは、どうしても政治的問題と切り離せない。それだけに、時の権力者(政権党や官僚)の主観が入りやすく、国民的評価が分かれやすい人物は、国民統合の維持という観点から除外すべきだ。
個人的には、どなたかが主張しておられたが、世界的英雄である三船敏郎や高倉健などではダメなのだろうか。三船敏郎にすれば、世界中のファンが収集してくれるだろう。なんと言ってもカッコイイことが肝心である。
歴史人物も悪くはないのだが、聖徳太子は存在自体が否定される始末だし、足利尊氏の肖像画も否定されてしまって、現在では採用が難しくなっている。

さて、もう一点は「今さら紙幣かよ?」というものである。
中国で現金を使わない生活を送っているケン先生からすると、今さら紙幣にこだわる日本の統治者の頭の古さに疑いを覚える。日本政府が進めるべきは、非現金決済の導入加速であり、その方がはるかに効率的だ。
この話を始めると、また長くなってしまいそうなので今回は止めておくが、紙幣に固執する財務省、日銀の旧弊こそ、日本の衰退と時代不適合を示すものとなっている。

そういえば、私が「インフレ進めたいなら、まず五万円券や十万円券を導入して、一円玉を廃止すべきでは」と提案して、若い財務官僚に鼻で笑われたのはもう十年以上前になる。何というか、どこまでも愚かな連中である。

【追記、04/13】
ある方が教えてくれたが、2000年代のある時期に財務省内で10万円札の発行がひそかに検討されたことがあったとのこと。つまり、私の見立てはそう外してはいなかったのであって、改めて高慢ちきなヤクニンどもに対する憎悪がわいてきてしまう。
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2019年04月10日

英軍、野党党首写真を標的に射撃

【英軍、野党党首写真を標的に射撃 ネットに動画流出】
 英軍の兵士が最大野党、労働党のコービン党首の写真を標的にして射撃を練習している動画がインターネット上に流出し、国防省が調査を始めたと英メディアが3日報じた。メイ首相が2日、コービン氏に対し、英国の欧州連合(EU)離脱を巡り互いに納得できる合意案を模索するための協議を呼び掛けたばかりで、波紋が広がっている。
 動画には空挺部隊所属の軍人とみられる4人が射撃をする様子が映っている。アフガニスタンの首都カブールで撮影されたとされる。国防省の広報担当者は「全く容認できない。軍が求める(行動の)水準を大きく下回っている」と批判した。
(4月3日、共同通信)

いろいろな面で英国は末期症状の模様。
暴走する民意、その民意を制御できない、あるいは民意を反映できない議会。
そして、政党を敵視する軍部。
戦前の日本とは異なるが、大まかな症状ー議会政治あるいは議会制民主主義の機能不全が顕在化しつつあることを示している。
だからどうというわけではなく、我々はそういう時代に生きていることを自覚しなければならない。
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | ロシア、中国、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月09日

(EP)日露戦争の「古さ」について

今はなきエポック社の「日露戦争」が発売されたのは1981年で、私がまだ小学生の時だった。そして、初めてプレイしたのは中学生か高校生の頃だったと思う。つまり、1970年代の日露戦争観に基づいて設計されたので、要は『坂の上の雲』のイメージなのだ。もちろん、責めるわけではなく、本作をけなすわけでもなく、それを前提に論を進めたいという話である。
あれから40年近く経て私も早や初老となったわけだが、日露戦争の研究も相当に進んで、当時のイメージとはかなりかけ離れたものになっている。

今回(EP)日露戦争をプレイして、私が「古い」と思ったのは、「日本側の心理的負担が軽すぎる」だった。
確かに戦闘結果「EX」で日本軍も何度か損害を受けたが、すぐに回復可能なレベルで、日本軍は常に全力で攻撃し続けていた。また、最終的に国内にある全戦力を投入したわけだが、ゲーム終了時、満州平野には「全戦力」が存在した。逆にロシア側は欧州師団をいくつか残していたが、満州に登場したユニットの半分近くが除去されて、スカスカの状態にあった。

実際はどうだっただろうか。
日露戦争を通じて、日本側の病死を含む戦没者数は約9万人、それに対してロシア側は約8万人だった。負傷者数は日本が15万4千、ロシアが14万6千である。終戦時の兵数は日本が40万に対してロシアは50万人ほど。
巨細に見てみると、遼陽会戦で奮戦し、首山堡において関谷銘次郎連隊長が戦死した静岡の第34連隊(第三師団)の場合、動員数5千人に対して、戦死者は1200人近くに上ったという。負傷者数を2倍で考えれば、五体満足に帰国できたものの方が少なかったことが分かる。

遼陽会戦を見た場合、日本軍は12万5千人をもってロシア軍の15万8千人に対して攻撃を仕掛け、損害は日本側の2万4千に対して、ロシア側は1万8千に終わった。
ロシア側は「敵に出血を強いながら、自国領土奥深くに引き込んで、補給線が伸びきったところで決戦に挑む」という伝統的な防御戦略を採って、無理せず予定通りに撤退しただけだった。

ここで私が考えたのは、「戦闘比が3:1以上なら攻撃する」などという戦力比システムは日露戦争の実相に全く即していないのではないか、ということである。現実の日露戦争における日本軍の発想は、どちらかといえば、「いいからつべこべ言わずに攻撃できる内にサッサと攻撃しろ。さもないとロシア軍は膨れ上がる一方だ」というものだったように思われる。
後者の考え方は戦力比システムでは成立しがたく、Fire-Powerシステムのそれであろう。つまり、「敵は12火力あるけど、こちらは15火力あるから先に攻撃しないと!」というものである。そして、ロシア側は野戦築城による陣地効果のダイス修正がついて、最終的に日本側の損害が大きくなるのだ。だが、ロシア側は日本側の攻勢限界を見通して、戦略的に後退してゆくことになる。ルール的には「同損害の場合は、ロシア軍は基本的に退却する」とすれば良いだろう。

奉天会戦後に山縣参謀総長が桂内閣に提出した報告書には、「兵員の質的劣化」「将校の圧倒的不足」「弾薬不足・補給限界」の3つの理由からさらなる長期交戦は無理である旨が書かれている。
先に挙げた34連隊同様、すでに奉天会戦前から補充兵として送られてくるのは30歳以上の高齢者や体格貧弱なものばかりで、およそ戦争に使えるものではなかったという。
中でも小隊長、中隊長クラスの将校不足はいかんともしがたく、「ロシア軍が本気で攻めてきたら、今度こそひとたまりも無い」というのが、参謀本部の本音だった。

ちなみに、日中戦争においてすら、支那派遣軍は「兵員の平均体重を60kgにする」という目標を立てながらも、最後まで実現できなかったという。また、日米開戦後に送られてきた補充兵には、身長が150cmに満たないものや体重が50kgに満たないものが普通にいたというから、現代人には想像が難しい状況にあったことが分かる。

日露戦争の従軍記者だった田山花袋の『一兵卒』は、老兵が過重な装備と糧食不足にあえぎながら行軍を続け、ついには倒れてゆく様が淡々と描いているが、およそ『坂の上の雲』の真逆をゆくものと言える。現実には、日露戦争の帰還兵は冷淡な目で見られ、PTSDなどから仕事も続かず身を持ち崩したものがむしろ多かったらしく、どちらかといえば、『ゴールデンカムイ』の方が史実に近いものと思われる。

この辺をシミュレートするのに参考になるとはGMT「Stalin's War」である。本作におけるドイツ歩兵軍は開戦当初「5」戦力(5ステップ)を持つが、補充によって回復できるのは「4」までになっている。つまり、1度ダメージを受けると、最大戦力は「4」になってしまうのだ。
日露戦争にあてはめるなら、奉天会戦後の日本軍師団は皆「3か4」になってしまい、それ以上になる見込みもないという状況で、他方のロシア軍はいまだに戦力「5」の欧州師団が新配備されていた。結果、「何でもいいから、サッサと戦争を終わらせてくれ」というのが、日本陸軍の本音だった。
また、イベントカードの作戦ポイントを攻撃に割り振るか、カードを補充に回すかがトレードオフになっているところも、日露戦争の実相に近いと思われる。

改めて世界地図で確認してもらいたいが、「大勝」した日本軍は奉天の少し先にある鉄嶺までしか進めず、ハルピンどころか現在の長春ですら遙か彼方であることが分かるだろう。
ロシア側の高級軍人としては、「何故これで負けたとか言われるのか分からない」という気分だったに違いない。

こうした日本側の「いっぱいいっぱい感」や、逆にロシア側の「まだまだこれから感」がシミュレートされないと、どうも日露戦争の本質には近づけないように思われる。
デザイナーの皆さんに期待するところ大である!!

【追記】
今日となっては信じがたい話になったしまったが、日露戦争に従軍した日本軍兵士にとって最も恐ろしかったのは「ロシア兵による銃剣突撃」だったという。この当時、日本歩兵が持つ有坂銃は銃剣を装備しておらず、逆にロシア歩兵はモシン・ナガンに銃剣を付けていた。想像してみれば容易なのだが、この当時の日本人の身長は160cmあるかないかで、体重も50kg台が普通、下手すれば150cm、50kg以下のものもいた。他方、ロシア人はすでに170cmから180cmもあり、体重も70kg以上と、そもそも骨格が違った。その巨漢の白人兵が銃剣突撃してくるのだから、ファンタジー風に言えば、ゴブリン兵がオーガの突撃を食らうようなものだった。そして、ロシア兵の銃剣突撃を受けた日本兵は大半が離散、武家出身の将校がいる場合のみだけ、どうにか踏ん張れたという。だが、それは逆に下級将校の損害を増やす結果にもなった。十五年戦争期における日本軍の銃剣突撃至上主義は、旅順戦の名残ではなく、むしろ「ロシア兵の銃剣突撃にボコボコにされた(実例は必ずしも多くないのだが)」トラウマから来ているのかもしれない。現実には、兵器の近代化や大量生産を行うだけの工業力がなかったことを精神主義で補った、というところが真相なのだろう。

【追記2】
日露戦争では、砲弾による死者は意外と少なく、ロシア軍の調査では15%程度だったという。最も多かったのが小銃弾であったことは、現代人として踏まえておく必要がある。もっとも、日本側の死者は機関銃弾によるものも多かったと思われるが。これには理由があって、当時の砲弾は殆どが榴弾ではなく、榴散弾であったことに起因しているらしい。だから、まだ誰も鉄兜を被っていないのだ。以上のことを踏まえても、日露戦争を描く映画、ドラマなどの映像作品は、一度根本から見直して、(NHK「坂の上の雲」ではなく)『ジェネレーション・ウォー』に匹敵するMPがゴリゴリ削られていくようなドラマを撮る必要があるのではなかろうか。
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2019年04月08日

10年ぶりに日露戦争

10年ぶりに「日露戦争」(エポック/CMJ)をプレイ。
まずカフェに入ると、「戦国大名」が並べられており、「やる?」と聞かれるが、意思疎通が不十分な状況でプレイするのは苦痛すぎるため、辞退したところ、「じゃこれは?」と誘われたのが日露だった。

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クラシックシリーズは概ね中国語に翻訳されているようで、それなりの人気があるらしい。ただ、お相手のZさんは初プレイとのことで、その場でルールを読んでいた。この手軽さは魅力の一つであろう。

ただ、日本人の私に配慮してくれたのか、ロシアを持ちたいとのこと。ケン先生的には「初心者にロシアは無理なのでは?」と思いつつも、戦国大名を断った手前もあって言い出せず、そのままプレイ。

第一ターンに南山に増援を送ってガチガチに固めたのは良かったが、南山・旅順を封鎖に止め、北上する第二軍と山越えで奉天を伺う第一軍の勢いは止まらなかった。
戦闘後前進が歩兵2ヘクス、騎兵3ヘクスという、超積極的な(守るのが難しい)デザインであるため、日本軍は送られてくるロシア軍増援を各個撃破あるいは包囲殲滅していけば、常に有利に立っていられる。
ロシア側は一部を捨てがまりにして、まずは遼陽、次いで奉天をガチガチにする必要があるわけだが、なかなか考えたとおりには行かないのが道理だ。
もっとも、慎重な人間が日本軍を持つと、ロシア側はすぐにガチガチになってしまい、遼陽すら落ちずに日本側が投了するケースも散見される。

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最終的に、1904年12月には奉天が包囲される勢いとなり、それを守るだけの兵力もなく、ロシア側が投了した。
実は勝利得点的には、旅順が落ちていないため、ロシアがテクニカルに判定勝ちする方法もあるのだが、モチベーションを維持できないだろう。
明石工作が全く進んでおらず、9ターン終了時に「13」(毎ターン1D6!)というあり得ない状況だっただけに惜しかったところもある。
Zさんは「こんなのロシアは絶対に勝てない」とプンプンモードだったが、実際、ロシア側は相当に難しい。

それとは別に、10年ぶりにプレイして、本作の設計思想が相当に古いことを実感したわけだが、これについては稿を改めて触れたい。
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2019年04月07日

中国の学校でイジメは?

イジメ問題に関するクローズアップ現代を学生に見せ、議論を含め色々話を聞いてみた。
感触的には、半分から三分の二くらいの学生が「中国の学校にもイジメはある」と答え、残りは「イジメなんて見たことない」旨の答えだった。
日本人で日本の学校にずっと通ったものなら、よほど生徒数の少ない過疎地の学校でない限り、「イジメはない」と言い切れるものはいないのではないか。そう考えると、やはり中国の学校の場合、日本ほどには深刻ではないように思われた。

特に「イジメはない」と言う学生たちは「なぜ同級生を虐めるのか(そもそも)分からない」とのことで、(用意はしていたが)イジメの構図や構造、分類など「イジメ学」みたいな授業になってしまった。

中国の学校でイジメが深刻化しないのは、どうやら二つの理由から説明できるようだ。
一つは、受験競争が激しすぎて、学校内や校外で生徒同士がつるむ時間すらまともにないということ。昼休みは少なく、他の休み時間はグッタリ倒れているから、「そんな余裕などあるわけがない」ということらしい。それはそれで凄まじい話なのだが。

もう一つは、日本とは真逆の圧倒的な個人主義である。日本の場合、クラス・学級という一つの単位ができると、そこに所属する生徒は即座に「一つの集団の構成員」とされてしまい、集団を維持するための様々な掟ができ、上下関係が構築され、監視統制が行われる。しかし、中国の場合、そもそも皆が「俺は俺」と考える傾向が強く、少なくとも平素は学級を集団単位として意識することはないようだ。
結果、日本では集団の求心力を維持するために、未成熟なリーダー(仮)が集団内に仮想敵をつくって攻撃するということが常態化する。だが、中国ではそもそも集団化されていないため、そもそもイジメを行う理由がない、もしくはその動機が非常に弱いということのようだ。

どうもケン先生が「中国は意外と過ごしやすい」と思っているのも、その辺に理由が求められそうだ。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 教育日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする