2019年05月01日

上級国民論争と戦後日本の暗黒

先頃、東京池袋で87歳の男性の運転する乗用車が暴走、二人をひき殺し、さらに十人近くを負傷させた。にもかかわらず、現行犯逮捕されることなく任意捜査が続けられている。報道では氏名は伏せられ、容疑者ともされず、「さん」付けでの報道となった。また、ネット上でも数々の情報操作が行われた痕跡を見ることができる。

その二日後に神戸市で起きたバス暴走事件でも二人がひき殺されたが、こちらは64歳の男性が現行犯逮捕され、実名に容疑者称が付けられて報道された。
現段階では逮捕・不逮捕だけで、裁判が始まったわけでもなく、それどころか起訴もされていないので、即座に判断するのは早計かもしれない。しかし、ネット上では「上級国民の不逮捕特権」と騒がれている。

もっとも「上級国民の特権」は今に始まった話では無い。
最も近しい例を挙げるなら、明治帝の末裔でもある日本オリンピック委員会会長は1974年に国体に参加するために自ら車を運転して向かった茨城県で女性一人をひき殺しているが、起訴すらされず、二年後のオリンピックには何事も無かったかのように出場している。
現在では、フランスで五輪がらみの贈収賄捜査が続けられているが、日本では捜査そのものが行われず、「不逮捕特権」はさすがに国外には及ばないので、JOC会長ながら逮捕を恐れて海外に行けないという状態になっている。

政治家(特に与党)になると非常に露骨だ。
道路工事をめぐる土地トラブルで「口利き」への関与が取り沙汰され、あっせん利得処罰法違反罪などで刑事告発された甘利明元経済再生担当相は(予想通り)不起訴に終わった。
判明分だけでも5000万円、一説では10億円以上の裏金を運用していたとされる小渕優子議員は、証拠となるパソコンのハードディスクを電動ドリルで念入りに破壊する証拠隠滅を行ったにもかかわらず、「嫌疑不十分」で不起訴となった。

官僚を見た場合、この間の公文書(統計を含む)廃棄や改ざんなどの問題では誰一人として起訴されておらず、内部的にすらロクに処分されていない。
森友や加計疑獄では、明らかに政治家と官僚が「共謀」しなければ実現しないはずの「特例」措置が乱発されていたにもかかわらず、肝心の政治家と官僚は捜査対象にすらなっていない。

これらの「上級国民扱い」は今に始まった話では無い。
歴史的に見た場合、そもそも戦後日本の成り立ちからしてそうだったからだ。
まず昭和帝である。
アジア全体で2〜3千万人を殺戮し、自国民を300万人以上殺したアジア太平洋戦争で、大元帥として戦争の最高責任者であったはずの昭和帝は、国際的には政治的判断、国内的には明治憲法の免責条項によって起訴を免れ、そのまま死ぬまで帝位を保った。

敗戦後、全く民主化や自由化を進める意思を見せなかった日本政府に対して、GHQは業を煮やして自ら主導して戦争犯罪人を追及する「公職追放」措置を進めた。これも日本側の非協力によって不十分な形でしか成立しなかった。それすらも、サンフランシスコ講和条約の締結を前後して、「追放解除」がなされ、鳩山内閣と岸内閣では閣僚の6割以上が「元追放者=ファッショ協力者」ということになった。野党側にあっても、西尾末広や浅沼稲次郎らが軍国体制への協力について何の反省も示さないまま、最高幹部を務めていた。

例えば、鳩山一郎の場合、1930年の統帥権干犯問題では軍縮を主張する濱口内閣を攻撃、さらに濱口辞任後に成立した若槻内閣を軍部と共謀して倒閣を図り、満州事変に際しても軍部に同調して若槻内閣の「弱腰」を非難している。また、滝川事件に際しては、文部大臣として辞職を拒否する滝川を大臣権限で休職処分にしている。鳩山は少なくとも本人の意識の上では自由主義者だったかもしれないが、現実の政治行動としてミリタリズムに積極的に協力し、戦前期の限られた自由と議会政治をも葬り去る一因をなしたことは疑いようがない。「東条内閣打倒の一役を担った」という肯定的評価もあるが、それは戦況が不利になったことを受けて、軍閥に対する協力から手を引いたとみるべきだ。実際、昭和17年の翼賛選挙演説集には「今日の大東亜戦争は、元を正せば私が立案者なのである」という鳩山の演説内容が記載されており、これが公職追放の決定打となっている。

その後、戦後の数々の大疑獄事件、造船疑獄、昭和電工疑獄、ロッキード事件、リクルート事件、東京佐川急便事件など山ほどあるが、どれもほんの氷山の一角のみが適当に「処理」されただけで、今から見るとどれも「トカゲの尻尾切り」観が満載である。
私も記憶のある範囲でいえば、リクルート事件では40人からの議員が未公開株を受領していたにもかかわらず、
議員の有罪は二人だけでしかも執行猶予付きに終わった。また、佐川急便事件では金丸信が5億円からのヤミ献金をもらっていたにもかかわらず、逮捕されることの無いまま、略式起訴で罰金20万円に終わった。金丸が逮捕されたのは、別件の相続税脱税問題である(公判中に死去)。

これらに対して我が大先輩たちが受けた仕打ちを見てみよう。
社会大衆党の委員長だった安部磯雄は、1938年3月に自宅である江戸川アパートの一室にて右翼の襲撃を受けて重傷を負ったが、犯人らは罰金200円あるいは「戦時招集のため無罪」に終わった。
社会党委員長だった浅沼稲次郎は、1960年10月に日比谷公会堂で演説中に襲われて刺殺された。この時、たまたま背広を新調し(普段は小汚い背広だった)、辞書のように分厚いメモ帳を懐に入れていなかったため、刃物がグッサリ刺さってしまったと言われる。いずれにしても、官憲が全く対処しなかったことは明らかだった。さらに殺人犯の少年は少年鑑別所内で自殺、事件の真相はうやむやにされた。現在からは想像できないかもしれないが、この当時はまだ「社会党が政権を取るかもしれない」と本気で恐れられた時代だった。CIAが西尾末広らに資金を提供して社会党の分裂を促したのも、そのためだった。
石井紘基先輩は、2002年10月に自宅駐車場内で刺殺され、「犯人」が逮捕されたものの、犯行の全容が明らかにされないまま、高裁裁判長すら「容疑者の自白は信用できない」と言いような杜撰な裁判が行われ、わずか1年半で上告棄却、個人的怨恨による殺人ということで、無期懲役に終わった。当時先輩は、巨大疑獄の告発を準備中だったというが、それらを記したノートは犯行現場から消え、現在に至るまで行方不明となっている。
現代日本で野党議員に対する(官憲含む)テロリズムが圧倒的に少ないのは、単に野党が全く政府の脅威となっていないからに過ぎない。

ここまで書けば十分だろう。不文律による身分差は戦後日本の根源にあるものであって、今に始まった話ではない。
同様にケン先生が「きな臭さ」を覚えて、ほとぼり冷めるまで大陸に身を隠そうとしたのも、故あることなのである。
posted by ケン at 11:12| Comment(3) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする