2019年05月06日

ルーマニア革命をめぐる陰謀論

【1989年のルーマニア革命 元大統領派がテロ「自作」 元軍検事長が証言】
 ソ連崩壊につながった1989年の東欧革命で唯一、多数の市民の流血を伴ったルーマニア革命。チャウシェスク独裁政権崩壊後に発生し、850人以上が犠牲となった銃撃戦について、後に政権を握るイリエスク元大統領(89)の元側近が「テロリストの攻撃」をでっち上げて引き起こしたものだったと事実上認める供述をしていたことが、同国検察関係者への取材で判明した。イリエスク氏ら元共産党幹部や軍はこの銃撃戦を機に新政権を樹立。革命は市民デモに乗じて政権を奪取した「盗まれた革命」との見方があるが、その説を有力視させる証言だ。
 ルーマニア革命を巡る経緯には不明な点が多く、中でも銃撃戦の発生原因は最大の謎とされてきた。同国検察は先月8日、イリエスク氏を偽情報を流して銃撃戦の混乱をあおったとして人道に対する罪で起訴。今後の公判で元側近の供述など捜査の詳細を明らかにする方針とみられる。
 問題を長年捜査したダン・ボイネア元軍検事長(68)によると、この供述を行ったのは革命後のイリエスク政権で国防相となるスタンクレスク将軍(2016年に死亡)。革命では89年12月22日正午ごろ、市民デモの拡大でチャウシェスク氏が共産党本部から逃亡。だが、同日夜の銃撃戦の発生で市民らは街頭から消え、イリエスク氏らが結成した「救国戦線評議会」が全国の党施設や役所を占拠し全権を握った。イリエスク氏らは当時、「外国人テロリストが攻撃してきた」として軍とテロリストとの銃撃戦と説明していたが、スタンクレスク氏は検察の調べに「テロリストがいないことは最初から知っていた」と供述したという。
 また、検察側が入手した「軍人日記」と呼ばれる軍内部の日誌には、スタンクレスク氏が兵士らに主要施設の占拠を指示し「不審者や抵抗者がいれば銃撃しろ」と命じていたと明記。軍が数日間で1250万発の銃弾を使用、市民の家屋を戦車やヘリコプターで銃撃した様子も記録されていた。ボイネア氏は「混乱を生むことで主要施設から市民を排除し、軍を後ろ盾にした政権奪取を容易にする狙いがあった」と指摘した。
 一方、イリエスク氏は疑惑への関与を否定。毎日新聞は昨年12月と今年2月、イリエスク氏に取材を申し込んだが「捜査中」を理由に拒否された。
 イリエスク氏は革命直後の90〜96年のほか、00〜04年にもルーマニアの大統領を務めた。
(5月3日、毎日新聞)

毎日新聞は良い仕事をしている。
二言目には、陰謀論だのフェイクニュースがどうのと言うリベラル派に読ませてやりたい。
まったく陰謀的要素の無い革命などまず存在しない。
レーニンはドイツの支援を得ていたし、日本も一時期は支援していた。
スターリンもワレサも当局とは一定の取引をしていた。
野坂参三は「眼の治療」なる理由で釈放されて、その後渡米した。
現代にあっては、アメリカはロシアの野党勢力(リベラル派)を大々的に支援し、ロシアもまた逆のことをする。
明治維新なんぞ、重要なところは「陰謀しかない」くらいに陰謀だらけの歴史だ。
そこにだけ焦点を当ててしまうと、本質を見失ってしまうだけの話であり、陰謀自体は常に存在するとみて良い。

西南戦争は根源的には士族特権を失った士族層の不満に起因していたが、直接的には大久保利通一派が反乱を仕向けた疑いが濃厚にある。これを「大久保の陰謀」と断言してしまうと、「士族特権の喪失」「薩摩には武士が多すぎて失業問題が深刻だった」などの本質が見えなくなってしまうが、かといって「陰謀論はデタラメ」と言ってしまうと、政府側を正当化することにしかならない。

【参考】西南戦争の原因を考える

ルーマニア革命も真相が明らかになれば、また別の風景が見えてくるだろう。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | ロシア、中国、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする