2019年06月10日

身分に関係なく人間を不幸にする日本型システム

【川崎殺傷事件の影響、供述 長男殺害容疑の元農水次官「迷惑かけたくなかった」】
 東京都練馬区の自宅で無職の長男を刺したとして元農林水産事務次官が殺人未遂容疑で逮捕された事件で、熊沢容疑者が川崎市で児童ら20人が殺傷された事件に触れて「長男も人に危害を加えるかもしれない。周囲に迷惑をかけたくなかった」との趣旨の供述をしていることが、捜査関係者への取材で判明した。事件の数時間前には、近所の小学校の音を巡って長男とトラブルになっており、警視庁練馬署は動機を慎重に調べている。
(6月3日、毎日新聞より抜粋、氏名削除)

リベラル派は「また上級国民か?!」と息巻いているようだが、さてどうだろうか。

「世間様にご迷惑を掛けるくらいならいっそ自分の手で・・・・・・」

というのは、ある種日本の伝統であり、それは身分を問わない。
かつて明治初めの薩摩では「薩摩には警察は要らない。罪を犯せば、捕まる前に腹を切るのが武士の習いである」と言われたというが、これも「お上の厄介になるのは家の恥である」という伝統に起因するものだった。

これに限らず、江戸期には「押し込め」というシステムがあり、問題を起こす可能性のある人物は当局に申請して、その家が一定の金額を納めれば、座敷牢に入れてもらえる(公儀が犯罪予備者を管理する)というものだった。
問題の元次官殿も江戸期であれば、後ろめたい思いはしても、自ら子を殺すようなマネはしないで済んだはずなのである。

ところが、明治期に入ってこうした伝統的システムは全て否定される。
見た目的には人道的措置かもしれないが、天皇制の下で全て自己責任になっていった。

例えば、日露戦争期には後半戦に入ると兵力に不足が生じ、予備役が続々と動員されるが、その中に小さな子が二人いる父子家庭の父親がいた。その父は村役場に残される子の扶養を頼みに訪れるが、「役場の関知するところにあらず」とけんもほろろに扱われて追い出され、手立てを失った父は子二人を殺害した上、連隊本部に出頭したという。平民新聞に掲載された記事だというが、残念ながら本文は確認できていない。しかし、いかにもありそうな話である。なお、この平民新聞は日露戦役から5年後に起きた大逆事件の煽りを受けて、廃刊している。
同様のことは、日中戦争以降にも起きているようだ。

最近では、未成年者ならば児童相談所などに相談する術もあろうが、息子とは言え、私と同年代の初老者ではどうにもならないだろう。
精神に不調のある者を拘束する従来の精神医療は否定される傾向にあるし、強制的に心療内科に連れて行く手段も無いとなれば、選択肢は限られてしまう。
まして国家官僚トップの次官ともなれば、なおのこと「家の名誉」も気にするだろう。
仮に元次官殿が不真面目であったなら、息子を置いて夜逃げしてしまえば良かったのであり、まだその方がマシだったかもしれない。
相談する術も無ければ、逃げることも考えられない、という日本社会の閉鎖性が悲劇を生んでいるのではないだろうか。
posted by ケン at 12:00| Comment(3) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする