2019年06月14日

金融庁の年金報告書が「なかったこと」に

【老後2000万円「報告書はもうなくなった」自民 森山国対委員長】
 自民党の森山国会対策委員長は記者団に、「国民の老後の生活に大きな不安が広がった。政府は金融庁だけの問題にせずしっかりと丁寧に国民に説明し不安を取り除く努力をする必要がある。現在の年金制度が将来にわたって持続可能であることも理解してもらいたい。与党としても、国民が安心して老後の生活を送ることができるよう、全世代型の社会保障の強化に向けて努力していきたい」と述べました。
 一方で、野党側が求めている予算委員会の集中審議については「この報告書はもうなくなっているので、予算委員会にはなじまない」と述べ、応じない考えを示しました。
 立憲民主党の辻元国会対策委員長は、野党5党派の国会対策委員長会談で「麻生副総理兼金融担当大臣は、『迷走ドタバタ劇』から『ジタバタ劇』に変わってきている。かつて『消えた年金』があったが、今度は『消された報告書』ということで、報告書が抹殺されるような事態は民主主義の危機だ」と述べました。
(6月12日、NHKより抜粋)

いつものパターンだが、都合が悪くなると官僚のせいにして「無かったこと」にする体質が現れている。
取り下げるなら取り下げるで、どこが不都合で、なぜ「間違った」報告書を出してしまったのか検証する必要があるが、「無かったこと」にすることで検証すら避けられることになる。何重にも罪深い。
ここは「一部を切り取って煽情的に悪用する方が悪い」と突っぱねるべきところだった。実際、立民の主張は無責任にも程がある。必要なときに官僚をかばわないで何のための政権党か、これでは政治家と官僚の信頼関係など構築できるわけが無い。

どうせリベラル派の連中には何を言っても無駄なのだろうが、もう一度確認しておこう。
件の報告書の問題箇所である。
前述のとおり、夫 65 歳以上、妻 60 歳以上の夫婦のみの無職の世帯では毎月の不足額の平均は約5万円であり、まだ 20〜30 年の人生があるとすれば、不足額の総額は単純計算で 1,300 万円〜2,000 万円になる。。この金額はあくまで平均の不足額から導きだしたものであり、不足額は各々の収入・支出の状況やライフスタイル等によって大きく異なる。当然不足しない場合もありうるが、これまでより長く生きる以上、いずれにせよ今までより多くのお金が必要となり、長く生きることに応じて資産寿命を延ばすことが必要になってくるものと考えられる。重要なことは、長寿化の進展も踏まえて、年齢別、男女別の平均余命などを参考にしたうえで、老後の生活において公的年金以外で賄わなければいけない金額がどの程度になるか、考えてみることである。それを考え始めた時期が現役期であれば、後で述べる長期・積立・分散投資による資産形成の検討を、リタイヤ期前後であれば、自身の就労状況の見込みや保有している金融資産や退職金などを踏まえて後の資産管理をどう行っていくかなど、生涯に亘る計画的な長期の資産形成・管理の重要性を認識することが重要である。

要は現行の年金給付額に夫婦二人で毎月5万円を上乗せして生活、95歳まで生きることを想定した場合の話なのだ。
問題はこの想定が非現実的かどうか、という話になる。敢えて言えば、年5万円の上乗せ額は年間60万円、30年だと1800万円になる。
なお、65歳時点での日本人の平均余命は男性で19年、女性で24年で、さらに伸びる見込みだ。

現実には年金給付額の平均は2019年の速報値で厚生年金14万8千円、国民年金5万5千円で、夫婦二人世帯の平均額は21万円である。このうち大体2万円強は税金や保険料(介護保険と後期高齢医療支援)などに取られ、74歳以下だとさらに国民健康保険で約2万円が失われる。この時点で手取額は、75歳以上で19万円、74歳以下だと17万円になってしまう。
大都市部に住んでいることを想定、家賃に10万円、光熱費に3万円かかった場合、残るのは75歳以上で6万円、74歳以下だと4万円になってしまう。これでは日常生活にも事欠くのは当然だろう。
ケン先生が公共住宅の整備を訴えたのは、まさにここである。10万円の家賃が5万円で済めば、最低限の生活は保障されるからだ。

実際に金融庁の報告書は、70代の夫婦二人世帯の平均支出額を24万円、60代を29万円としており、どう見ても現実離れした想定をしているようには思えない。60代の支出が多いのは、国保料、各種ローン支払い、孫の教育費支援などがあるからだろう。

同時に金融庁は今後退職金が減少することを想定して、退職金を資産運用して目減りさせないことを推奨しているわけだが、これも「余計なお世話」という反論を除外すれば、「その通り」としか言い様がない。
現実に、60代の資産を見た場合、「金融資産がある世帯」の貯蓄額中央値は1500万円だが、「金融資産ゼロを含む」のそれは600万円であり、この点でも金融庁の危惧は現実的だ。実際には高齢者の貯蓄ゼロ世帯は2割以上に上り、今後はさらに増加する見込みだ。
さらに、ゼロ金利も老後生活を直撃している。多少の貯蓄があっても金利がゼロの現状では、消費した分だけ減る一方にあり、資産運用をするとなるとリスクは避けて通れない。この点も必要とされる貯蓄額を増やす結果にしているのと同時に、基金運用による運用益の目減りと年金財政の悪化を示唆している。金融市場は飽和状態にあり、今後利率が上がる蓋然性は極めて低いと考えられるだけに、悲観的な観測を出さざるを得ないのは当然だろう。むしろ金融庁の試算は控えめなくらいである。

自由主義者は社会主義制度である年金制度を理解していない(したくもないのだろう)。
日本の年金制度は賦課方式を採用しており、勤労世帯が納めた保険料に年金基金の運用益や税金を補填して、高齢者の給付に充てる仕組みである。これは根源的に機械的な作業であり、保険料収入が減れば給付を減らすしかないし、給付を増やすためには保険料を上げるしか無い。
現実には、高齢化率(総人口に占める65歳以上人口の割合)は28%に達し、2040年には38%になるという中で、年金財政はすでに逼迫している。
国保では45%が国庫、要するに税金を投入して収支を維持しており、厚生年金でも20%が税金で賄われている。この合計額は2016年度で12兆円に及んでおり、国家歳出の10%以上を占めている。
高齢化率が高まるほど、年金給付額が増える一方、保険料を負担する現役世帯が減少するのだから、個々の負担は増え、貯金は難しくなるだろう。同時に退職金制度も崩壊過程にあり、若年層は退職金に期待できなくなっている。

年金制度は仮に政権交代したからと言って、突然ユートピアが訪れるようなものではない。
例えば、旧民主党は「基礎年金7万円」を掲げたことがあったが、これは国保に限ってみても2兆円からの財源が必要となる。これは恒常的な経費であるため、F-35の購入を止めたところでどうかなるものではない。これを実現するためには、国保の保険料を現行の1万6千円から2万2千円以上に上げるか、ないしは消費税を1%増額させることになる。あるいは資産課税だろう。このどれか、ないしは別の案を掲げなければ、「画に描いた餅」でしかない。

医療の問題も同じだが、保険制度は「皆で皆を支える」制度であって、誰かが一方的に利益を享受できるようなおいしい話はあり得ない。医療費の自己負担を下げるためには、保険料や税金を上げるか、医療の質やアクセスを下げるしか無いのと同じで、NK党が主張するような「窓口負担下げろ、医療労働者の待遇を改善しろ、消費税も保険料も上げるな」は全く非現実的なのだ。

「給付額下げるな、保険料下げろ、税金上げるな」という主張は、無限にお金が出てくる魔法の壺でも無い限り実現不可能である。だが、どうもそれはリベラル派に通じないらしい。
彼らには、パン価格を50年間据え置いて、給料を上げまくった結果、財政破綻してしまったソ連経済を学ぶところから始めて欲しい。

大事なことだからもう一度言うが、年金と健康保険は社会主義制度である。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする