2019年08月31日

全受労への対応に見るNHKの悪逆非道

【NHK受信契約員の労組が救済申し立て N国の影響も】
 NHKから受信契約の業務などを受託する地域スタッフらでつくる労働組合の一つが21日、不当労働行為の救済を東京都労働委員会に申し立てた。NHKがスタッフの業績評価基準を変える際、団体交渉で差別を受けたなどと主張している。
 この労組は「全日本放送受信料労働組合」。約60人が所属し、うち地域スタッフは約50人という。
 同労組によると、NHKは地域スタッフに対し、受信契約の取次数などの目標を設定している。達成率が低いと、口頭や書面での注意といった「特別指導」を受け、指導実施中も目標に届かないと、受託を打ち切られることもあるという。
 NHKは、この目標の基準を今年10月から変更する案について、組合員が多い別の労組と交渉して合意した。しかし、全日本放送受信料労働組合に対しては、変更内容を3月に通告するだけで済ませ、その後抗議を受けても無視したという。同労組は、NHK側の対応が不当労働行為にあたると主張している。
 NHKによると、地域スタッフは昨年10月時点で全国に約1200人いる。地域スタッフや外部法人への委託を通じて受信料の徴収を強化しており、2018年度の受信料収入は過去最高の7122億円になった。同労組によると、地域スタッフの取次数は全体の2割弱を占めるという。
 同労組は21日に都内で開いた記者会見で、7月の参院選で議席を得た「NHKから国民を守る党」が話題になっていることに触れ、受信料の不払いや契約拒否が増えている、というスタッフの声があることを明らかにした。勝木吐夢(とむ)書記長は「徴収の困難度が増している中で新しい基準が運用されると、地域スタッフの収入が減り、制度の維持が難しくなる」と話した。
 一方、NHK広報局は「申し立ての内容について確認しているところであり、現時点ではお答えできない」としている。
(8月21日、朝日新聞)

全日本放送受信料労働組合(全受労)はNHKの集金、契約に従事する労働者から構成される労働組合で、全労連系。

NHKは委託労働者(通称「地域スタッフ」)を法律上の労働者と認めず、従って全受労もまた正規の労働組合ではないとの主張を繰り返している。結果、NHKは団体交渉を拒否して、司法闘争に発展、東京地裁などで不当労働行為が認められたものの、NHKは控訴を続けている。
こうした労働問題があること自体、大手メディアも民主党系の野党なども一切触れず、(残念ながら)NK党とその機関紙のみが取り上げてきた。

NHKは国民に法律によって契約を強制し(近代司法の原理に反する)、一方的に収奪している「受信料」で経営を成り立たせている「殿様商売」をしているくせに、その契約と料金徴収に携わる労働者を「法律上の労働者ではない」と言い放つ反社会勢力である。
それもこれも、N国のような奇抜な政党が100万票を集めて注目され、話題になることで社会的に露見するという始末。
圧倒的な情報収集力に恐怖する既存政党、その政治家に対する影響力をもって総務省と共依存の関係にあること、民放に対する圧倒的な資本力などNHKの独占的地位のなせる業だった。

そのNHKは、いまや「インターネットに接続するものは全て受信料を払え」とまで言い出している。
NHKは一日も早く廃止、ないし分割(国営と民営に)しなければ、近い将来、大きな災いの原因となるであろう。
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2019年08月30日

2019年夏の読書

『140字の戦争 SNSが戦場を変えた』 デイヴィッド パトリカラコス 早川書房(2019)
SNSによって変化した現代戦争の様相をジャーナリスティックに検証する一冊。SNSは「アラブの春」の原動力にもなったが、同時にイスラエルによるガザ侵攻に際しては、一人の少女が発したSNSが世界の反イスラエル感情を喚起し、軍事的にはイスラエルが圧勝するも、政治的には敗北とも言える状況に陥った。世界には、いわゆるフェイクニュースとともに、個人が発する「物語」(本書では「ナラティブ」)が蔓延、従来型の報道がフェイク扱いされ、何が真実で何がフェイクなのか容易には判別付かない時代になっている。政府もまた安直に事実を隠し、統計を改竄するだけにタチが悪い。本書はあくまでも欧米視点で描かれており、あくまでジャーナリズムの見解でしかないが、現象として何が起こっているのかを確認するには十分すぎる内容になっている。

『「砂漠の狐」ロンメル ヒトラーの将軍の栄光と悲惨』 大木毅 角川新書(2019)
今更解説する必要も無いと思うが、大木先生のロンメル本。既存のロンメル本は殆ど1980年代までの古い学説に則っており、最新の研究が全くと言って良いほど反映されていないという。その俗説を打破し、最新のロンメル像と評価に迫る。ロンメルは果たして名将だったのか、師団長としては最高でも軍司令官としてはどうだったか。ただの目立ちたがり屋だったのか。ヒトラー暗殺計画への関与はどうだったのか。非常に興味深い項目が並んでいる。新書であることが物足りないくらいだ。

『「帝国」ロシアの地政学』 小泉悠 東京堂出版(2019)
ロシア関係ではメディアに出ずっぱりの小泉先生の新著。日本人から見ると、非常に分かりにくいロシアの「ジャイアニスム(人のものは俺のもの、俺のものは俺のもの)」が、どのような論理と戦略に基づいているのか、歴史も踏まえて解説している。確かにロシア人は地政学好きで、地政学で説明すると何となく分かった気にはなってしまうのだが、本当にそれでいいのか?と思わなくも無い。一般書なので、著者の主観や感慨を交えながら書かれており、読みやすいは読みやすいが、研究者的には物足りないだろう。「地政学は胡散臭い」くらいの気持ちで読むとちょうど良いかも。

『新史料による日露戦争陸戦史 覆される通説』 長南政義 並木書房(2015)
2015年の刊行にもかかわらず、古書店で目が飛び出る値段が付いている名著。いかんせん700ページもあって、一回途中で止まってしまったので、改めて読破した。日露戦争の研究もだいたい1970年代までで止まってしまっている観があり、新しい資料やソ連崩壊後のロシア側資料も出ているにもかかわらず、書物には反映されていないところがある。そこで、最新の資料を駆使して日露戦争の陸戦に焦点を絞って再構築したのが本書だ。その緻密さは完璧とも言えるほどで、今後もこれほどの著作が出てくる目処は無いのではないかというくらいの完成度。従来のモヤモヤした日露戦争観がクリアにされ、大概のナゾが解決された。自分も買いそびれて図書館で借りたのだが、ゲーマー的には一家に一冊欲しいくらいだ。本を再読しながら書評も書きたかったのだが、時間が足りなかった。再版が望まれる。

『誰が一木支隊を全滅させたのか ガダルカナル戦と大本営の迷走』 関口高史 芙蓉書房出版(2018)
今でも定説となっている「わずかな兵力でも勝てると敵を侮り、敗れた後は軍旗を焼いて自決した」一木支隊長の行動と思考を、数少ない生存者、遺族、最新の資料から再構成して、俗説の打破を試みている。「米軍の情報はおおまかに伝えられていた」「交戦命令は出ておらず偵察だけの予定だった」「陸海の調整の都合で少ない兵力を二分して投入」「目標地点から35km離れて上陸」「情報漏洩により待ち伏せ」というのが大まかな流れになる。戦場の描写に稚拙なところは見受けられるものの、全体としては「まぁそうだったんだろうな」「上層部のいつもの無責任ぶりと責任のなすりつけあい」という感慨。なかなか読んでいてしんどい一冊だった。

『二・二六帝都兵乱』 藤井非三四 草思社文庫(2016)
軍事視点に絞って書かれた二・二六事件。当時の陸軍の組織、人事、部隊配置、国家戦略などに焦点を当てて、何故クーデターの発生を許し、どのような影響を与えたのかを再検証している。クーデター側の兵力は8個中隊編成計1360名、小銃1044丁、軽機43丁、重機25丁で弾薬は9万発を動員したにもかかわらず、用意した糧食は一食分だけと、どこまで「本気」だったのか。鎮圧部隊は戦車22両を持ち出し、東京湾に長門を配して主砲を準備していたが、これもどこまで本気だったのか。満州事変と第一師団の満州移駐問題との関係。国民兵制・徴兵制とクーデターの問題。陸軍内部の対立と人事抗争、鎮圧の過程と事後処理の不透明さ。結局のところ、日華事変=日中戦争の勃発で吹っ飛んでしまうが、問題を転化しただけで、最終的には軍の滅亡に突き進んでいくところとなった。著者の主張に全て同意できるわけではないが、非常に納得度の高い一冊になっている。
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2019年08月29日

ディスカバー 未知なる大地へ 初プレイ

昨年末にアークライトから発売された「ディスカバー 未知なる大地へ」を初プレイ。
サバイバルをボードゲーム化したもので、突然飛ばされた異世界で生き残り、脱出を図ることを目的とする。
全く未知の場所を探索しつつ、食糧と水を確保し、モンスターから身を守り、夜を越しつつ、脱出路を探らなければならない。
「仲間」はいるものの、勝利条件は「自分が生き残って脱出すること」であり、必ずしも仲間とともに脱出する必要は無い。
従って、自分を犠牲にして何かをするということはなく、「できる範囲で」協力するというレベル。
ここが微妙なところで、不完全な協力型ゲームになっている。
結果、基本的に他人と行動することはなく、効率よく脱出路を探るため、各々が別方向に分かれて探索する感じになりがちだ。

「モンスター」も普通の野生動物からホンモノのモンスターまで様々で、(当然ながら)狼や熊は普通に戦っては勝てない。
ダメージはヒットポイント制ではなく、飢餓、脱水、病気、負傷の四種類のダメージがあり、合計して三つまでは耐えられるが、四つ目が入ると即死亡してゲームから脱落する。
生水を飲んで渇きはしのいでも、病気になってしまうということもあり、結構シビアである。
食糧を手に入れるためには野生動物を狩った後、焚き火まで戻って調理する必要があり、狩りの途中で負傷したり、野宿したりする可能性もあって、危険極まりない。

面白いのは、製品ごとに内容物が異なることで、例えばキャラクターは全36人いるそうだが、製品に入っているのは12名分でしかない。
シナリオや地形タイルですら違うらしいので、同じゲームを購入しても違うシナリオやシチュエーションが楽しめるという。
新しい発想ではあるかもしれないが、その評価は微妙だろう。

この日はシナリオ三と五をプレイ。平原と雪山。
三人でプレイして、ケン先生はいずれも脱出して勝利したが、O先輩は平原でラスボスとの戦闘で死亡、雪山は脱出に成功した。T後輩は平原ではラスボスに負けて戦死、雪山ではモンスターにやられて死亡した。
難易度的には、「マンションオブマッドネス」の方が高そうな感じ。
色々悪くなく、テンポも良いのだが、脱出ゲームとあって、高揚感が足りない気もする。
中途半端な協力型というところも引っかかりを覚える。「一人でも死んだらダメ」というMMの方が緊張感がある。
決して悪いゲームでは無いが、何か足りない気がする。サバイバルゲームはやはりビデオゲームの方が向いているのかもしれない。

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2019年08月28日

れいわの支持拡大で弱い野党乱立が固定する?

【れいわが倍増、政党支持率 共産に並ぶ4.3%】
 共同通信の世論調査で、れいわ新選組の政党支持率が4.3%となり、参院選結果を受けて実施した7月の前回調査から2.1ポイント増えた。野党では、第1党の立憲民主党に次ぐ支持率で、共産党に並んだ。若者の支持が目立った。
 れいわの支持層を年代別で見ると、若年層(30代以下)が7.4%で、中年層(40〜50代)は4.6%、高年層(60代以上)は1.9%だった。男女別では、男性が4.1%、女性が4.6%となった。
 れいわと同様に参院選で政党要件を満たしたNHKから国民を守る党の支持率は0.3ポイント増の1.3%だった。
(8月18日、共同通信)

【参考】結局野合、そして「れいわ」へ?

予想通り過ぎる展開。
支持率において「れいわ」がNK党を上回り、立民に近づきつつある一方、N国が社民と同レベルか上回る流れにある。
これらは既存政党に対する不満と、よりセンセーショナルな主張をする政治家個人に関心が集まる傾向を示している。
特に過去の影響やしがらみの無い若年層でその傾向が強く、今後はさらに若年層を中心に社会の分断が激化することが予想されるだけに、こうした流れはさらに強まるものと見られる。

立民としては非常に苦しい展開で、議会での活動を考えれば国民との連携や合流は不可欠だが、これを進めれば進めるほど、支持層が「れいわ」とN国に流れる構図にある。
同時に2021年秋までに行われる衆院選を考えた場合、「れいわ」との連携が不可欠だが、そのためには国民との連携を諦める必要がある。
そして、立民が「現実的」政策を掲げれば掲げるほど、支持が「れいわ」に流れ、「れいわ」的なセンセーショナルな主張をすれば、連合を中心に数少ない支持層が離反する恐れがある。そもそも(傍流)エリート主体の立民にポピュリズムは無理だろう。

とはいえ、大衆を動員するシステムを持たない「れいわ」が広範な支持を得るということも考えがたく、自民党が大きな失敗をしない限り、弱い野党が乱立し、何回選挙をやっても自民党が勝って、ますます政治離れが進むと同時に、デモクラシーの形骸化とリベラリズムの劣化(権威主義化)が促進される事態になりそうだ。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月27日

冷戦の最前線は日本海へ

【小野寺前防衛相「北や中国に間違ったメッセージ送りかねない」 韓国GSOMIA破棄】
 自民党の小野寺五典前防衛相は22日夜、韓国が日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を決めたことについて「日米韓の同盟関係が揺らいでいることを表に見せるのは、北朝鮮や中国に間違ったメッセージを送ることになりかねない」と懸念を示した。産経新聞の取材に答えた。
 小野寺氏は、日本側からの情報提供も含め、GSOMIAが北朝鮮対応に有効に機能していると強調。「日韓の防衛当局はGSOMIAの重要性を認識しているが、韓国の政治的な思惑で安全保障に影響を及ぼすのは決して好ましいことでない」と批判した。
 今後、日本側の取るべき対応に関しては「韓国側の国内政治の問題が大きい」として、推移を冷静に分析するよう求めた。
(8月22日、産経新聞)

韓国政府が軍事情報包括保護協定の延長・更新を行わないことを決定。同協定は一年おきの自動更新で、一方が終了を通告すると終了する。
これを受けて、河野外相は、韓国側の決定について「現下の地域の安全保障環境を完全に見誤った対応と言わざるを得ない」として「断固として抗議したい」と声明を出し、韓国大使を外務省に呼び出して抗議した。

日本側の反応で興味深いのは、「まさかGSOMIAまで破棄はしないだろう」と思っていた者が非常に多いことと、河野氏の「完全に見誤った対応」や小野寺氏の「北や中国に間違ったメッセージ送りかねない」というもの。
どれも日本にとって都合の良い状況のみを想定して、想定外の事態が起きたので、他国を非難するという間抜けを演じている。
こうした反応は、インドシナに進駐しておいて「まさかアメリカが鉄と原油の禁輸に踏み切るとは思わなかった」と言ってしまう戦前期の軍人、政治家と同レベルの頭脳であることを示している。
その根幹にあるのは、「正しいのは常に自分(日本)であって、悪いのは常に韓国(中国、朝鮮、ロシアなどを含む)だ」という傲慢と増長である。同時に「半導体輸出を止めれば、韓国は屈服するだろう」という見通しが誤っていて、逆に韓国のナショナリズムを刺激して、韓国内の親日派を沈黙させてしまった。この辺は、日中戦争に至る経緯と酷似している。

韓国が日米陣営を脱して中露同盟側に走ることは、少なくとも文政権の既定路線であり、それに従って南北融和と在韓米軍の撤退に舵を切っている。そこを肯定できない日本人は「韓国人がトチ狂った」旨を言ってしまうわけだが、韓国側の判断の是非はともかく、「欧州情勢は複雑怪奇」レベルの認識では、今後の厳しい外交・安保環境を乗り切ることはできないだろう。
言うなれば、ゲームをやっていて、相手プレイヤーに対して「何バカなプレイしているんだ!」とブチ切れるプレイヤーであり、みっともないことこの上ない。

韓国側としては、中露同盟側に付く以上、日米(特に日本)と情報を共有する必要は無く、むしろ情報流出の危険性の方が高くなっている。
日本政府は、本来的には「38度線を維持しつつ、冷戦構造を保持する」ことが至上命題であったにもかかわらず、韓国側をわざわざ向こう側に追いやるような政策ばかり採ってきた。
その結果、冷戦の最前線は遠からず北緯38度線から日本海に移ることになるだろう。
この場合、日本が日米同盟路線を継続する限り、軍備拡張路線に傾かざるを得ず、今後、軍事費を肥大化させてゆくことになりそうだ。

日本側の選択肢的には、歴史問題で韓国に譲歩することで少しでも長く現状の冷戦構造を維持するか、韓国を中露側にやって日本が冷戦の最前線に立つかという、ほぼ二択だったと思われるが、日本は後者を選択したのである。
日本政府的には、別れた恋人を非難するのではなく、「俺の予想通りの展開だ!」「俺の戦いはこれからだ!(中露朝韓と真っ向勝負!)」とマッチョ宣言をすべきところではないか。
posted by ケン at 12:00| Comment(6) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月26日

天皇の戦争責任とは何か

【昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記】
 昭和天皇が戦後、戦争への後悔や退位の可能性に繰り返し言及していたことが、19日公開された初代宮内庁長官の故田島道治による昭和天皇との詳細なやりとりを記した資料から明らかになった。戦前の軍隊を否定しつつ改憲による再軍備の必要性にも触れた政治的発言を、田島がいさめた様子が残されていた。資料は手帳やノート計18冊。田島は「拝謁記」と題していた。
 拝謁記には、軍部が暴走した張作霖爆殺事件(1928年)や、青年将校による二・二六事件(36年)、太平洋戦争などに関する昭和天皇の回想が登場する。
(8月19日、共同通信)

残念なことに貴重な歴史資料である「拝謁記」は準国営報道機関であるNHKの手に落ちてしまい、今後全文が公開されるのか分からない状態にある。その報道も都合の良いところをつまみ食いした形になっており、にわかには信じられない内容になっている。

その主旨の一つは「昭和帝は反省していた」というものだが、何について反省し、誰に対して表明しようとしていたのかについては明確では無い。そして、「天皇が謝罪すると、天皇に責任があったことになってしまうから、公式謝罪はダメだ」という結論になっている。
果たしてこれは美談なのだろうか。そんなわけは無いだろう。

過去ログを引用しながら考えてみたい。
近代の絶対王政は、国王が一身に国防の義務を担い、それを果たすために軍事権や外交権の占有が認められている。
しかし、国王が軍事権と外交権を専横するとなると、あっという間に財政が破綻してしまい、税を搾り取られるブルジョワジーが保たないという話になり、「まずは課税権だけでも制限して、新規課税は議会を通してもらおう」として誕生したのが近代議会だった。
その議会が上手く機能せず(あるいは気に入らないからと)、弾圧しようとして勃発してしまったのが清教徒革命であり、フランス革命だった。
大日本帝国軍のあり方を見てみよう。大日本帝国憲法の記載はシンプルだった。
天皇は、陸海軍を統帥する。(第11条)

日本臣民は、法律の定めるところに従い、兵役の義務を有する。(第20条)

ここから分かるのは、天皇が唯一の統率権(軍事大権)を有することと、主権を持たない臣民が兵役義務を負っていた点だけであり、軍隊が誰のために何を目的として設置されているのか分からない。ところが、明治帝政においては、現代日本の「自衛隊法」やロシアの「国防法」のような根拠法や基本法が存在しないため、法律に根拠を求めるのも難しい。そこで傍証的に、まず軍人勅諭を見ることにしたい。原文は長文の上、旧字体ばかりで文字化けするので、現代文で抜粋代用する。
朕は汝ら軍人の大元帥である。朕は汝らを手足と頼み、汝らは朕を頭首とも仰いで、その関係は特に深くなくてはならぬ。朕が国家を保護し、天の恵みに応じ祖先の恩に報いることができるのも、汝ら軍人が職分を尽くすか否かによる。国の威信にかげりがあれば、汝らは朕と憂いを共にせよ。わが武威が発揚し栄光に輝くなら、朕と汝らは誉れをともにすべし。汝らがみな職分を守り、朕と心を一つにし、国家の防衛に力を尽くすなら、我が国の民は永く太平を享受し、我が国の威信は大いに世界に輝くであろう。

ここから分かるのは、天皇は唯一の国家守護者であり、軍隊は天皇の守護責任を補佐するための道具であるという考え方だ。その前の文では、長期にわたって武家に預けていた(奪われていた)軍事権が天皇に帰したことを受けて(明治維新)、二度と軍事権が他者に渡らないようにするという誓いが立てられている。
これは近代絶対王政の考え方で、王権神授説に基づき天皇が統治権と軍事権を占有するとともに、国防の責務を負うというもので、臣民は天賦の軍事権を占有する国王の責務を全うする道具として兵役徴集されることになる。言うなれば、「人民のものは王のもの、王のものは王のもの」というジャイアニスムである。
ただし、軍人勅諭は西南戦争後の近衛兵の反乱を受けて、軍を戒めて統率を厳にすることを目的につくられた経緯があり、天皇個人への忠誠が強調されていることは否めない。だが、他に軍の存在意義を規定する法律が存在しないために、軍人勅諭の内容がデフォルトになってしまったことも確かだ。例えば、明治5年の徴兵令には、「四民平等を実現するために全国で募兵した陸海軍を作ることになった」旨が書かれており、フランスやオランダ寄りの民主的要素をわずかに感じ取ることが出来る。

話を整理すると、明治帝政下では、無答責(責任を問われない、憲法第3条)の天皇が国防の義務を有しつつ、軍事大権を占有、帝国臣民は天皇が負っている義務を全うするために奉仕すべく義務兵役が課されていた。つまり、天皇=国家であり、臣民はこれに奉仕する道具に過ぎず、帝国軍は天皇の私軍であると同時に国軍という位置づけだった。例えば、日露戦層の開戦詔書には、
朕茲に露国に対して戦を宣す。朕か陸海軍は宜く全力を極めて露国と交戦の事に従ふへく朕か百僚有司は宜く各々其の職務に率ひ其の権能に応して国家の目的を達するに努力すへし。

とあるが、要は「朕(天皇)はロシアに宣戦布告したから、朕の陸海軍は国家目的を達成するよう全霊努力せよ」ということである。第二次世界大戦も同様で、天皇の名において宣戦布告し、天皇のプライベート・アーミーが全アジアを廃墟と絶望の淵へと追いやったわけだが、天皇が戦争責任に問われることはなかった。そして、休戦条件として軍の武装解除が、天皇免責の代償として軍事権の放棄がなされたはずだったにもかかわらず、国際情勢の変化を受けてわずか数年で「自衛隊」という形で復活するに至った。

以上で重要なことは、大日本帝国憲法は西欧の絶対王政に倣って天皇に軍事権と外交権を帰属させた。これは欧州の法律解釈に倣えば、天皇が国防義務を担い、それを果たすために軍事権と外交権を有するということになる。だが、実際の運用については輔翼者の助言の下に駆使するとされ、外交権については外務大臣、軍事権については参謀総長などが輔翼者となった。そのため、天皇は最終責任を負わず、輔翼者は天皇に対して責任を負う立て付けとなった。
ここで重要なのは、輔翼者の責任はあくまでも助言者としての責務であり、国防の義務自体は天皇にあるということである。
敢えて補足しておくが、戦前の法体系において国防の義務は天皇にあって、臣民は義務を担っておらず、天皇が果たすべき義務に対して忠実に従うことのみが求められた。それが特攻のような自殺攻撃の根拠となっていく。

古来、中国でも欧州でも、王が国防の義務を果たせない時は王権が瓦解し、別の者が義務を担うところとなった。
日本の場合、長いこと天皇から軍事権を委託された征夷大将軍が国防と国内治安を担い、それに失敗すると「政権交代」が起きて、他家に軍事権が委譲されるという制度にあった。
幕末に起きたのは、「確かに軍事権は徳川家に委託したものの、外交権まで渡した覚えは無い」という問題で、これが鎖国・開国問題の発端となり、「徳川家に国防は任せられない」となって、勤王・討幕運動に発展していった。最終的には、第二次長州戦争の失敗によって徳川幕府に国内治安を維持する力が無いことが示されたことで、幕府権力の正当性が失われたと見て良い。

戊辰政変によって徳川家は軍事権を返還(大政奉還)、朝廷は軍事権を他者に委託するのを止め、天皇自らが軍事権を行使する制度が発足した。明治帝政である。この時点で、国防の責務は天皇が一身に負うところとなったが、その実際の運用は輔翼者が行い、天皇に対して責任を負い、天皇は責任を負わない(帝国憲法第3条)というのが、明治帝政の法解釈だった。とはいえ、この無答責は国防の責務を負わないことを意味するのでは無く、「輔翼者の失敗の責任について天皇が負うものではない」と解釈するのが妥当だろう。

1945年の敗戦は、昭和天皇が国防義務を果たせず失敗し、300万人以上の臣民を殺害した挙げ句、全植民地の統治権と沖縄等の行政権を失うという結果に終わった。
明治憲法の原理に基づけば、国防に失敗したのはまず輔翼者の責任であり、特に軍部(参謀総長と陸海軍大臣)と外務省(外務大臣)が天皇に対して責任を取らなければならない。ここで重要なのは、「天皇に対して責任を取れば良い」ということであって、臣民・国民・市民は謝罪の対象とはならないということだ。さらに天皇は無答責であるため、敗戦をもたらし、国防義務を果たせなかった輔翼者を任命した責任が問われることは無い。さらに言えば、輔翼者を処罰する法制は存在しない。
そのため明治法制下では、失政の責任を問うシステムが存在せず、日本市民が革命を起こすか、外国勢力による処断を待つことしかできなかった。
連合軍司令部(GHQ)は、日本で共産革命を起こさせないために、同時に休戦条件(ポツダム宣言)を履行するために、敗戦の責任者を自ら処罰するという選択を行う。根源的には、日本政府あるいは国民が自ら処断すべきだったが、明治日本にはその仕組みも概念も無かったため、放置することはできなかっただろう。
そして、アメリカの占領政策の基本的な考え方は、「軍部に戦争の全責任を負わし、天皇制と明治官僚は傀儡として残して、対ソ戦の前進基地となす」というものだった。実際、日本側の強い抵抗と人身御供の精神もあって、極東軍事裁判は軍部を中心にごく一部の「戦犯」が処断されたのみに終わり、民主化の担保となるはずだった公職追放も、講和条約の締結=冷戦勃発の中で解除され、敗戦の責任追及は不完全に終わった。

少し話を戻そう。
明治帝政下では、天皇は、原理的に国防の義務を一身に負っている。そして、その義務を果たすために軍事権と外交権を占有している。
ところが、明治以降、日本が行った戦争あるいは武力行使のうち、明らかに「国防上不可欠」というものは何一つ無かった。日清戦争は朝鮮半島の利権を清国から奪うため、日露戦争は朝鮮と満州の利権を巡るもの、シベリア干渉戦争に至っては沿海州に傀儡政権を打ち立てるためのものだった。日華事変・日中戦争に至っては、誰も何のための戦争か説明できず、太平洋戦争は「半年後に石油が無くなってしまうから、先に叩こう」として始めた戦争だった。
これらの戦争も勝利しているうちは、国防の義務が果たされているとして強弁できるが、敗戦して国土が灰燼に帰し、あまつさえ外国軍によって占領されるとなれば、事情は違ってくる。だが、日本では思想原理が全く未熟だったことも災いし、国防義務を果たさなかったことに対する責任追及の声は高まらず、天皇制がそのまま継続するところとなった。世界史上の奇跡である。
欧州型の政治制度では、王権(行政府)による軍事権と外交権の濫用を防ぐために議会が設置され、監督することになっているが、日本では議会にそうした権限は与えられず(従って情報も提供されない)、むしろ議会がこぞって侵略戦争を支持する構図になってしまったことも不幸だった。これは、制度の原理や意味を考えずに形式だけ真似たことにも起因しており、その弊害は現代にまで及んでいる。

近代共和制は、王が有していた国防の義務は市民が受け持ち、その義務を果たすために全ての市民は国防の義務を負う、同時に全ての市民は主権者である、という原理の上に成り立っている。
戦後日本は、国防の義務を実質的に放棄して国連に丸投げするという画期的すぎる憲法をつくった。これ自体は、天皇の免責を得るために軍そのものを廃止せざるを得なかった日本側の事情も大きく影響している。だからこそ当時は左右ともに憲法を支持して、むしろ共産党が安全保障上の理由と天皇制存続に反対するという、状況が見られたのである。
ところが、冷戦の激化に伴い、アメリカの要請もあって、日本政府は「軍事力では無い実力組織」を再建してしまう。これ自体は、当時の国際情勢と政治情勢を反映したものだったが、戦後憲法制定時に国防の義務を放棄してしまったため、「誰が国防の義務を負うのか」という議論の無いまま、実質的な再軍備が進められてしまった。
現在のところ、自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣で、実質的に統括するのは防衛大臣であるわけだが、恐ろしいことに憲法でも法律でも国防の義務を負っていない。例えば、自衛隊法を見ると、
自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。
(自衛隊法第三条)

とあり、任務=職務は書かれているが、国防の義務には触れていない(同時に市民は防衛の対象になっていない)。防衛省設置法も同様だ。
これは法理上どうにもならないことで、日本国憲法第9条で軍事権を放棄してしまった以上、天皇にも国民にも国防の義務を課すことはできなくなっているためだ。
その結果、「自衛隊は憲法9条が否定する軍事力では無い」という解釈改憲論に立脚して、法律上の職務として「防衛省と自衛隊は国防を担う」とする他なくなっている。「誰にも義務もないし、責任も問われないけど、法律上の職務である」というのが、現代日本の国防の立脚点になってしまっている。

現在のところ、自民党を中心に憲法改正の主張が高まっているものの、仮に「自衛隊は憲法9条二項に違背しない」旨を書き加えてみたところで、「国防の義務と責任は誰が負うのか(天皇か国民か)」という大命題は残り続けることになる。そして、それは明治帝政下にあって、国防の義務を負いながら一切果たすことができないまま、国土を灰燼に帰した昭和帝が、そのまま責任を取らずに帝位を保ち続けたことの延長上に存在する。
仮に憲法を改正して、国民に国防の義務を課そうとした場合、「俺らに義務を課す前にまず天皇に責任を取らせてからにしろ!」とならざるを得ないからだ。
にもかかわらず、国連は機能不全、米軍の撤退は時間の問題、中露韓台とは領土紛争を抱えているという日本の安全保障環境は危機的状況にある。
やはり明治帝政はもはや詰んでいるとしか思えない。

【参考】
軍隊のあり方について続・日本軍の場合
軍隊のあり方についてB〜近代国民軍の成立
posted by ケン at 12:00| Comment(9) | 日本語、日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月24日

香港軍事介入の現実味

ソ連学徒から見たXG問題」の続編。
基本的なスタンスも背景事情も特に変わっていないのだが、情勢が悪化、緊迫感を増しており、軍事介入の現実味が増している。
全体主義を知らず、大国を知らず、戦争(軍事)を知らない日本人の大半は「まさか武力行使は無いだろう」と考えているのではないか。
この点、ソ連、ロシア、中国に住んで生活していたケン先生は異なる見解を持っている。

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これは香港の英字紙「サウスチャイナ・モーニングポスト」8月15日の記事。
同紙は中国政府が公式発表できない本音をこっそり西側に伝達するために使うメディアで、全体主義研究者的には超萌えるネタである。
こういう「裏と表」の使い分けについても理解できないと、ロシアや中国のことは理解できない。ロシアや中国については、「にわか」「なんちゃって」研究者あるいはウォッチャーがまったく機能しないのはここにも一因がある。

本記事には、中国人民大学のアメリカ問題専門家で、国務院のアドバイザーを務める時殷弘教授のインタビューが掲載されている。
同教授は、軍事介入について「まだその時期には至っていないが、暴力が続けば状況は変わる」と答えつつ、同時に「軍の直接介入は中国にとってコストが高過ぎる。あらゆる手段が尽きた場合に初めて発動される」とも述べ、現時点では政府が介入に慎重であることを示唆している。

これは1968年の「プラハの春」に際して、ソ連のブレジネフ政権が当初示していたスタンスと全く同じだ。香港との境界にあたる深圳に軍が集結しつつあるというのもよく似ている。
当時、ブレジネフ政権は、東側全体に与える影響を考えれば、軍事介入は「最後の最後の手段」であり、当事者による解決を望んでいたが、チェコスロヴァキア共産党が内部崩壊して意思決定ができなくなり、市民の暴走が止まらなくなって、体制瓦解とワルシャワ条約機構からの離脱が現実的なものとなったため、介入に踏み切っている。
ブレジネフ政権はチェコスロヴァキアの改革を全否定していたわけではなく、それが経済改革や部分的改革に留まる限り、自主性を認める方針を持っていた。この点、現在でも西側諸国で信じられているような「改革を認めないため軍事介入した」のではない。

香港に至っては現時点で中華人民共和国の一部であり、その主権は中国にあって、行政権の一部を自律的に運用できる一国二制度があるとはいえ、あくまで香港問題は中国の国内問題である。この点は、チェコスロヴァキアの件よりも厳しいことを示している。

その中国にとって最大の脅威は「中国の分裂」である。
中でもセンシティブになっているのが新疆ウイグルとチベット問題で、多民族国家である中国にとって分離独立の主張は国家の危機に直結する。
この点、日本人にはイメージしづらいだろう。仮に沖縄が独立したとしても、日本本土はほぼ影響ないわけだが、中国の場合、一カ所で分離独立を認めてしまえば、内蒙古、雲南、東北部、その他諸々で同様の主張が起こり、収拾がつかなくなる恐れがある。ソ連崩壊の経緯を見れば、その危惧は極めて現実的なものだ。

香港の場合、民族問題では無く、政治的な理由から「自由と民主主義を実現するための独立」であるだけに、共産党統治の正統性をも脅かしている。そもそも香港で一国二制度が認められたのは、1990年代に中国の国力がイギリス一国に対してすら劣っていたため、英国の「条件付き返還」に応じざるを得なかったという屈辱に起因している。つまり、現代中国にとって非常に大きな恥辱なのだ。
さらに言えば、香港問題で譲歩した場合、台湾の独立派を有利にしてしまうこともあって、中国政府内では治安関係者や軍部などの強硬派を抑えるのに一苦労していると推測される。

香港問題については触れてこなかったトランプ大統領も、13日にはツイッターで懸念を表明したが、実は同日、楊潔チ政治局員がポンペオ国務長官と会談したという。恐らくは、軍事介入の可能性についても言及がなされたと考えられ、内政問題であることも強調しただろう。
もっとも、米国側としては米中のパワーバランスの変化を少しでも遅延させることがアメリカにとっての利益であり、そのためには中国政府に香港に軍事介入させ、国際的非難と経済制裁を食らわせ、あわよくば一帯一路政策を失敗にまで追い込むことが「ベター」と考えるかもしれない。
それは日本政府にとっても同じであり、だからこそ香港の運動家を陰で支援しているわけだが、中国からすればそれこそが「外部勢力による干渉」「帝国主義の再来」となり、軍事介入を正当化させる根拠となる構図にある。

香港側の事情で言うと、運動家の中心メンバーがすでに亡命あるいは逮捕拘禁されている中で、運動の統制がとれなくなっているのが実情で、米英日などの支援もあって、ますます運動を先鋭化させてしまい、収拾がつかなくなっている。香港政府としても、誰と話せば収拾できるのか分からない状態が続いている。
事態が混沌を深める中で、収拾に向けた方策も展開も見通せず、事態は軍事介入に向けて凝集しつつある。香港市民も中国政府も望まないのに、米欧日政府が大喜びする展開である。
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | ロシア、中国、国際関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする