2019年09月07日

佐賀豪雨から学ぶこと

【<佐賀豪雨>水はけ悪くなる「内水氾濫」 「低平地」リスクも影響 有明海に面した平野部で深刻な浸水被害】
 28日未明から佐賀県内を襲った記録的な大雨は、干満差が大きい有明海に面した平野部で深刻な浸水被害を引き起こした。勾配が緩くて「低平地」と呼ばれる佐賀平野や白石平野は、地形的に大雨になった場合の水害のリスクが高い。雨のピークが早朝の満潮時と重なって水はけが一層悪くなり、河川や水路の水があふれる状況が続いた。
 有明海の満潮時は、海面が陸上の低平地よりも高くなり、潮が満ちるにつれて六角川などは上流へ逆流する。川の水位が一定の高さを超えると、支流との合流部の水門を閉めて水が流れ込むのを防ぐ。そのため、堤防の内側の中小河川や用水路などは水がたまりやすい状態となる。
 河川の水が堤防からあふれたり決壊したりして生じるのが「外水氾濫」であるのに対し、平野部の水がはけなくなって起きるのは「内水氾濫」と呼ばれる。今回の雨により低平地は一部で堤防の越水はあったが、内水氾濫が中心だった。
 国土交通省武雄河川事務所は、浸水が生じやすい地域性や雨の降り方、潮汐の状況などを挙げ、「複合的な要因が重なって被害が拡大したとみられる」と指摘する。
 低平地に詳しい大串浩一郎佐賀大学教授(河川工学)は「観測史上最大となる記録的な雨が降り、満潮とも重なったために広範囲にわたって深刻な被害が生じた。堤防の復旧や点検を急ぐとともに、今後の雨に注意して自ら身を守る意識を持つ必要がある」と話す。
(8月29日、佐賀新聞)

以前のログとかぶる点も多いが、記しておきたい。

内水氾濫は人為的要因が大きい。
水害は人災でもある。近年水害の被害が大きくなっているのは都市化に起因している。都市部の住宅化と舗装化が進んだことで地表の吸水力が極端に低下、雨水が全て下水管に流れて容量オーバーを起こし、排水溝やマンホールから水が溢れ出て洪水が起きるという現象になっているためだ。遠因としては、遊水地や貯水池・調整池を埋め立てて居住区画にしたことで都市部の保水力がゼロ近くなっていることが挙げられる。
私の実家から近い多摩川住宅などは、多摩川の遊水池を埋め立てて団地をつくっている。

また、河川整備で大河の直線化が進んだことも、都市部への雨水の加速集中を促進している。さらに、80年代あるいは90年代以降に設置された下水管はコスト削減のため規格が小さくなっており、容量オーバーが起こりやすくなっているという指摘もある。この話も福島原発と同じで、「100年に一度の大雨を想定するのは合理的ではない」との理由で大型規格を却下した経緯がある。

古来、治水とは統治者の義務であり、「統治=治水」と言っても過言では無かった。
かの後白河帝は「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」とこぼしたと言われているが、天皇の権力をもってすら賀茂河の治水すらままならないのが、日本の技術水準だった。日本最大の平地である関東平野の特に下流域が長いこと未開地であったのは、利根川と多摩川を治める手段がなかったためだった。

翻って中国を見ると、戦国期の秦の時代(まさにキングダムの)にすでに鄭国渠(120kmからの灌漑水路)がつくられている。隋期につくられた京杭大運河などは1400年経た現在でも現役バリバリである。
日本でも、武田信玄や加藤清正は家が滅亡してなお名君と崇められているが、治水名人であったことが大きい。清正はむしろ「治水名人だから」肥後を任されたと言われる。

古代中国では、王朝末期には災害が頻発し、統治力を失って、治安が悪化、革命に至るわけだが、統治度の指標の一つが治水だった。
蒋介石などは、今もって黄河の堤防を決壊させたことをもって悪魔扱いされている。
日本でもここ数年水害が頻発しているが、統治度の低下を表すものとして見ておく必要がある。
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | 日本語、日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする