【ウィーン芸術展、公認撤回 原発事故や政権批判を問題視か】
日本とオーストリア国交150年の記念事業として同国の首都ウィーンで日本の芸術家らの作品を展示していた「ジャパン・アンリミテッド」について、在オーストリア日本大使館は5日までに公認を取り消した。東京電力福島第1原発事故や安倍政権を批判的に扱った作品などが問題視されたとみられる。
「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」に参加していたグループも出展。放射線防護服に日の丸の形に浮かんだ血が流れ落ちるようなオブジェや、安倍晋三首相に扮した人物が韓国、中国に謝罪する動画も展示されていた。昭和天皇を風刺する作品もあった。
(11月6日、共同通信)
こういうものは一度やり始めると、加速させることはあっても、止めることは至難となる。
そもそも「表現の不自由展」なる名称が付けられる時点で、いかに現在の日本で表現の自由が脅かされているか、少なくともその危機を覚える人が相当数いることを示している。
そして、「表現の不自由」が象徴するものは、歴史問題であったり、政権批判であることは、それがタブーとなっていることを意味する。より具体的に言えば、大日本帝国が行ったネガティブな行為を暴露し、批判すること、そして安倍政権や現行政府を批判すること、その中には東京電力のようなものまで入っている。
差別のように言動そのものが公共の福祉や公共善に反するものは、表現の自由の対象にならないことは、概ね国際的合意がなされており、日本政府も一応肯定はしているものの、現実には野放しになっており、「差別の意図はなかった」と声明すれば許されるのが一般的だ。
しかし、この間の問題は歴史問題や体制批判が対象となっている。
これを権力が咎め始めると、止めるのは難しいだろう。「何が問題なのか」「誰が決めるのか」「法律上の根拠」といったものが、全て境界線が失われるからだ。
これは、戦前の治安維持法が当初は共産党を弾圧する法律だったものが、恣意的に解釈される中で対象者を拡大させ、最後は自由主義者、宗教家、反戦・平和主義者などにまで適用されていったことに象徴される。
現時点では「助成金を出さない」「後援を止める」程度で済んでいるが、遠からずその手段は過激化していくことだろう。
私も今のところは一時帰国が黙認されているが、いつ拘束され、パスポートを取り上げられるかわからない。