2019年11月04日

公開した外交資料を非開示にして廃棄を進める外務省

【外務省、公開済み内容を「不開示」に 沖縄返還文書など】
 外務省が情報公開請求に対して不開示とした文書と同じ内容が、すでに公開されていることがわかった。朝日新聞が日米関連の文書の開示請求をしたが、安全保障などを理由に開示していなかった。公文書をめぐる問題が続く中、文書のずさんな扱いが情報公開範囲を不当に狭める実態が浮かび上がった。
 問題の文書の一つは、1968年7月15日付の「沖縄返還問題の進め方について」。72年に実現する沖縄返還に向け外務省の東郷文彦アメリカ局長が対米交渉方針を5枚にまとめ、作成当時は極秘とされた。
 朝日新聞は、70年前後の日米安保協議を検証するため当時の文書を2017年に情報公開法に基づき開示請求し、外務省が一部を開示。この文書が含まれていたが、表題がある1枚目を除きほぼ墨塗りがされた。
 外務省は30年経った文書の原則公開を規則で定めるが、この文書の不開示部分に関し、明かせば「国の安全が害される」「米国等との信頼関係を損なう」などのおそれがあると主張。朝日新聞が総務省の情報公開・個人情報保護審査会への審査を求めた結果、開示すべきだと判断され、外務省は今年8月に開示した。
 新たに開示された部分は、沖縄返還交渉の焦点だった緊急時の米側の核持ち込みをめぐる記述だった。朝日新聞が研究者に確認取材をしたところ、これと同じ内容の文書を外務省が10年から公開していることがわかった。民主党政権下であった過去の日米両政府間の密約調査を機に開示されたものだった。
(10月27日、朝日新聞)

「あれは民主党政権が勝手にやったことだから」といったん公開した資料を再び不開示にする外務省。
エリツィン政権が公開したソ連の資料を、プーチン政権が非開示にしてしまった事例とよく似ている。また同時に、沖縄密約の闇の深さと日本政府の後ろめたさを示している。
沖縄問題は明治帝政、戦後帝政のいずれにとっても深い闇を持つ。
明治帝政では、琉球王国の武力併合(同意無き併合)と清国との帰属問題。さらに大戦末期における「近衛和平案」(沖縄放棄はやむを得ないとした)。戦後帝政では、「ダレスの恫喝」に象徴される北方領土問題の起源となる日米関係、そして核密約と駐留米軍の問題がある。
個別に興味のある方は過去ログを読んでもらいたい。一部再掲しておこう。
第二次世界大戦以降については、カイロ会談の前後に蒋介石が、米ルーズベルト大統領から琉球・沖縄の帰属について相談を持ちかけられている。だが、中華民国政府・国民党内では議論が分かれ、「中米共同管理案」や「非軍事化を条件に日本帰属を認める」などの案が上がったものの、戦後の対日関係と対共産党戦など総合的に考えて、ルーズベルトの提案には乗らなかったようだ。この辺のことも未解明のことが多く、今後の研究に期待したい。
だが、国共内戦を経て国民党は後悔したらしく、1953年の奄美群島返還と同71年の沖縄返還に際して、国民党政府は抗議声明を出している。とはいえ、サンフランシスコ講和条約に参加しなかった(呼ばれなかった)同政府は、1952年に日華平和条約を締結するも、その際日本政府に沖縄帰属問題を持ち出すことはなかったため、「後の祭り」と化している。ただ、そうは言っても、中華民国政府が琉球の日本帰属を認めたことは一度も無い。そもそも、米国からして、日本に返還したのは沖縄の施政権のみであって、その帰属と領有権について正式に表明しているのか定かでは無い(少なくとも私は確認できなかった)。
また、中国共産党については、正式な文書で沖縄の帰属を確認したことはないものの、毛沢東が沖縄の日本帰属を認めた経緯もあって、現政府が急に沖縄の領有権を主張するということは無さそうだ。ただ、民間レベルでは、中台の関係が深まり、琉球帰属問題への意識が高まってくる可能性があり、そうなると日中関係次第でどちらに転ぶか分からない。
琉球帰属問題が表面化する日

(1945年)7月8日、東郷外相は軽井沢に滞在中の近衛元首相を訪ね、和平交渉の対ソ特使を依頼、内諾を取り付ける。9日には、昭和天皇が鈴木首相にソ連仲介による和平交渉の促進を督促。翌10日夜、最高戦争指導会議構成員会が開催され、「遣ソ使節派遣の件」が決定された。
12日には近衛が宮中に呼ばれ、天皇から直々に対ソ特使の要請がなされた。軍の反発を想定した鈴木首相と木戸内府による画策だった。
近衛はその日のうちに側近とも言える酒井鎬次中将を呼び出し、近衛を交えて数人で和平交渉案を作成した。交渉案は「要綱」と「解説」の二部からなり、前者は天皇に奏上して御璽を受け、後者は木戸の了解を得て印をもらう予定だった。

その和平案の条件は、第一に「国体の護持は絶対にして、一歩も譲らざること」とし、第二は「国土に就いては、なるべく他日の再起に便なることにつとむるも、やむを得ざれば固有本土を以て満足す」であった。
「解説」によれば、「国体の解釈については皇統を確保し天皇政治を行ふを主眼とす」とあり、但し最悪の場合は昭和帝の退位もやむを得ないとしながらも、それでも「自発の形式をと」るとした。
さらに領土について、「固有本土の解釈については、最下限沖縄、小笠原原島、樺太を捨て、千島は南半分を保有する程度とすること」と説明している。

この条件は、つまり天皇制と皇統の存続が認められない限り和平はあり得ず、本土決戦まで覚悟していたことと同時に、沖縄は日本の「固有本土」ではなく、和平条件として「捨て」うる存在であったことを意味している。
連合軍に占領された地域の返還を和平条件に入れることは、当事者の立場に立つならば現実的ではなかったのだろうが、少なくとも意識の上では沖縄は帝国の本土ではなく、あくまでも明治維新後の帝国主義戦争によって獲得した「帝国領外地」の一つに過ぎなかったことを示唆している。だからこそ和平条件の一つにすることができたのだ。
和平条件としての沖縄と「固有本土」

国民主権の憲法を否定し、米国が公開している50年以上前の情報を非開示し続ける外務省は、存在自体がデモクラシーとリベラリズムを否定するものであり、即刻廃止すべきである。

【参考】
琉球帰属問題が表面化する日
和平条件としての沖縄と「固有本土」
ダレスの呪縛
「核密約」をどう考えるか
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする