2019年11月06日

「誇り持てる自衛隊」は適切か

【河野防衛相「誇り持てる自衛隊を作りたい」】
 河野太郎防衛相は28日、都内で開いた自身の政治資金パーティーで、甚大な被害をもたらした台風19号などの対応に当たる自衛隊員に対し「尊敬され、感謝され、彼らも誇りを持って『私は自衛隊の一員だ』といえるような防衛省・自衛隊を作っていきたい」と述べた。
 河野氏は「私は地元で雨男といわれ、防衛相になってすでに台風が3つ(来た)」と語った上で「そのたびに自衛隊員が出てくれている」と説明。「あらゆるところで自衛隊に頑張ってもらっている。隊員の処遇改善をきちんとやらなければならない」とした。
(10月28日、産経新聞)

自衛隊は今程度のスルー感でちょうどいいくらいじゃないかと。
そもそも「誇り持てる自衛隊」という感覚が、1960年〜80年代くらいの「制服を着て外には出られない」「子どもがいじめられる」などの時代感覚をそのまま残したものであり、若い人はそんな時代があったことすら知らないだろう。
変に誇りを持ちすぎると、「この地方人が!!」と市民に暴力を振るった戦時期みたいになってしまうし、市民が軍人に平伏する社会とか、どこの封建国家だよと。

戦前の日本でも大正軍縮の時代には、軍人が制服着て市電に乗っていると「この税金ドロボーが!」などと罵倒されたというが、その反動が「統帥権干犯」問題に発展し、さらには満州事変のような「じゃ、軍費は自分で稼いでやる!」的な行動に発展していったわけで、そもそも暴力装置なだけに過度に抑圧するのもまずい。

特に現代日本の場合、デモクラシーやリベラリズムが大した根拠の無いところに強制されて成立しているだけに、官僚も自衛隊員もイデオロギー教育がなされておらず、果たして自衛隊幹部がシヴィリアン・コントロールを理解しているかも怪しい。特に空自の教育内容は相当に怪しい感じだ。

歴史的にも自衛隊はもともと「米軍が来援するまで」の補助戦力として成立したものが、今では「基本的に自分のことは自分でやれ」と言われて、世界第6〜8位の軍事力を保有するに至っており、設立当初の理念が成立しがたくなっている側面もある。もちろん、憲法九条との齟齬もある。
それだけに、自衛隊の再定義は不可避となっているわけだが、どう再定義すべきかの議論は全く進まず、だからこそ「誇りの持てる」といった抽象的な議論が噴出し、一部のミリタリー・マニアを熱狂させてしまう事態が生じているのではないか。

河野大臣の発言は「シヴィリアンの代表者」のそれではなく、「自衛隊の代弁者」になってしまっているという点で危うさを覚える次第。
posted by ケン at 12:00| Comment(6) | 外交、安全保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする