2019年12月11日

全斗煥を支え続けた中曽根

【中曽根氏が全斗煥氏に靴下を送ったわけは】
白潭寺(ペクタムサ)の冬は長く寒い。全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領はそこで25ヵ月間過ごした。「第5共和国の清算」を求める怒れる民心に追われるようにして、ソウル延禧洞(ヨンヒドン)から住居を移した。1988年11月からだ。全元大統領は「島流し」が解けた後、白潭寺時代を振り返り、「最近のような冬にはトイレも凍りつく」と話した。

ある日、白潭寺に思いもよらない物が送られてきた。日本の中曽根康弘元首相がひそかに送ったウールの靴下と音楽CD、羊かんだった。山奥の酷寒の中で権力の無常に耐えていた全氏が、中曽根氏の心配りをどう感じたか察するにあまりある。中曽根氏は「保守の遺言」という本で、全氏を気づかった理由を「心配で」と明らかにした。若い頃から、「縁」があればその「縁」を尊重して従うという「結縁」、「尊縁」、「随縁」を人生のモットーとしたという中曽根氏らしいエピソードだ。

中曽根氏は在任中、韓国と中国との関係を重視したが、波紋を起したこともあった。1985年8月15日、日本の首相として初めて靖国神社を参拝した。韓中両国で激しい反日感情が爆発したのは言うまでもない。その後、再び靖国神社を参拝することはなかった。なぜか。

自分と親しい中国の胡耀邦総書記が、靖国神社参拝の影響で苦境に立たされたためだ。中曽根氏は著書で、胡耀邦総書記について「本当に私と意気投合した政治家だった。家族同伴で会う間柄だった」と振り返った。「中国内の話を聞くと、胡耀邦総書記が保守派によって追放の危機に直面していた。そんなことが絶対にあってはならないと考え、私は翌年から靖国神社の参拝を止めた」。

結局、外交も国政運営も人がすることであり、指導者も私的な親交に縛られるということを実感させられる。中曽根氏は日中韓の首脳が頻繁に会うべきだと強調して言った。「首脳が会うことによって友情が芽生える。これは外務省の官僚ではできないことだ」
(2014年1月11日、東亜日報より抜粋)

国鉄や社会党関係者からは親の敵のように言われる中曽根氏だが、韓国の民主化後、監禁のような状態に置かれた全氏に対して、日用品や音楽CD、和菓子などを送り続け、解放後は毎夏軽井沢の別荘に招待していたという。

この辺が保守の保守たるところで、いわゆる革新・リベラル系にはまず見られない義理と人情の世界である。
革新・リベラル派がどれだけ平和や人権を訴えても、なかなか多数の支持が得られない一因であろう。
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | 政局ほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする