1927年に蒋介石が南京に国民政府を設置、日華事変が勃発して1937年12月に日本軍によって攻められると、国民政府は重慶に移転するも、後に汪兆銘政権が設置される。日本降伏後、国民政府は1946年5月に重慶から南京に首都を戻すが、国共内戦が勃発、49年4月には人民解放軍によって陥落してしまう。
つまり、実際に政府機能(大総統府)が置かれたのはわずか10年ちょっとの期間でしかなく、「総統府」の名称が冠されたのは1948年からの1年間に過ぎなかった。それだけ中国史の激動が感じられる場所でもある。
また、国民政府が置かれる前も、太平天国の乱において太平天国軍が南京を占領した後に「天王府」を置いた場所でもあり、その前後には江蘇省・安徽省・江西省を治める両江総督府が置かれている。中国史好きにはたまらない場所でもある。
とはいえ、太平天国の乱で建物は殆ど破壊されているため、清朝以前のものは全て再建されたもの。
国民政府時代のものは、基本的にそのまま残されている。孫文や蒋介石の執務室を見ることができる。

総統府外観

総統府からの眺め


蒋介石の執務室


中国だからもっとゴテゴテしているのかと思ったが、意外と実質本位で質実なものだった。
総統府の建物のすぐそばには簡易防空壕もあり、中は公開されていなかったが、当時の空気感を感じるには十分だった。