2020年05月04日

感染症予算削減から見えるもの

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感染研の予算を減らしたのは誰だ、という話は遠からず出てくるだろう。
旧世代政治家も旧式政党も存在意義が問われてしかるべきだ。
政治や行政が十分に機能しなくなるほど、予算と議員定数・歳費の削減合戦にしかならないからだ。
例えば、民主党は「無駄ゼロ」を掲げて政権を奪取して「事業仕分け」を進め、自民党安倍政権は民主党政権期に行った施策を「バラマキ」と見なして「子ども手当」などを廃止、縮減した。
日本の総人口は1993年から現在までで180万人減少したが(減少率1.4%)、衆議院の定数は46も減らされている(減少率9%)。

「無駄を減らす」ことに異論のあるものは少ないだろうが、現実には「誰がどのような基準で無駄を認定するのか」という問題があり、「民主的」な意志決定システムであるほど、「公平に全部減らそう」という話にしかならず、結果的に緊急性の低いところが多大な犠牲を被ることになる。
しかし、現実には公務員の定数や給料を減らせば減らすほど、行政能力と危機対応能力は低下、当然治安水準も低下する。
また、議員定数や歳費を減らせば減らすほど、デモクラシー(最大多数者による意志決定)の正統性は低下し、「もともと社会的影響力のある者」しか政治家になれなくなってしまう。

その一方で、現実には「より多くの有権者と酒を飲んで握手した候補が勝つ」式の選挙制度が幅をきかせており、選挙が政治家の能力を図るツールになっていないという問題もある。
こうした問題を解決しない限り、本質的なところは変わらない。

posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 憲法、政治思想、理念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする