2020年07月31日

富田武『日ソ戦争 1945年8月』

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富田武『日ソ戦争 1945年8月』 みすず書房(2020)

『スターリニズムの統治構造』や『戦間期の日ソ関係』の富田先生の新著。
もう75歳になろうというのに、まだまだご壮健そうで何より。
ソ連研究の大家と呼べる人は全て定年となり、次世代の研究者がまともに研究できる環境はなく、この分野は非常に厳しい状況にある。

1945年8月8日のソヴィエト参戦と、それに伴う侵攻については、小説やノンフィクションなどでは多く書かれているし、軍関係の文書もそれなりに公開されているが、学術的に、かつ網羅的に書かれたものは非常に少ない。
特に満州侵攻について書かれたものは無数にあれど、実際の戦線は樺太と千島、日本海とオホーツク海に及ぶ非常に広い空間に広がっていた。そして、ソ連は45年8月に突然奇襲してきたわけではなく、ヤルタからポツダム会談を経て連合国内における綿密な協議と対日欺瞞行動がなされた上で、攻撃してきた。つまり、1945年の、特にドイツ降伏後の国際環境やソ連側の意図と戦略を考慮しなければ、ただの事実の羅列に終わってしまう。

その上で、満州、樺太、千島などでの戦闘があり、シベリア抑留、軍事裁判、シベリア抑留に対する補償へと繋がっていく。シベリア抑留については、関東軍とソ連側との交渉の闇も外せない。
ソ連侵攻は8月8日に始まり、休戦協定(9月2日)成立後の9月4日まで続いたものの、一ヶ月に満たない期間だった。しかし、その全容は非常に大きく、把握するのが難しい。本書は、それを「日ソ戦争」と称することで全容の把握を試みている非常に大きな価値を持つ。

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2020年07月30日

身勝手で安直な合流協議

【立国合流急ぐ枝野氏 党内の突き上げに焦りも 鈍い玉木氏にしびれ】
 立憲民主党の枝野幸男代表が国民民主党との合流を焦っている。枝野氏は新型コロナウイルス対策や東京都知事選で存在感を発揮できず、党内から次期衆院選を見据えた動きを加速するよう求める声が出ていた。旧民主党勢力の糾合をテコに“野党の盟主”として求心力回復を狙うが、仮に合流がうまくいっても険しい道が待ち受けている。
 「15日に福山哲郎幹事長から国民側に申し上げたことに答えてもらっていない。答えをいただいた上で検討したい」
 枝野氏は18日、横浜市で記者団の質問に答え、国民に対し、合流条件を逆提案する前に立民の提案内容に回答するよう求めた。立民は15日に両党が解党して新党を立ち上げた上で新党名を「立憲民主党」、略称を「民主党」にすることなどを提案したが、国民の玉木雄一郎代表は党名を民主的な手続きで決めるよう主張している。
 国民に合流を提案した翌日の16日夜、枝野氏は都内で党の若手議員らと会食した。自らが立ち上げた「立憲民主党」の党名維持にこだわる枝野氏はその場でも「党名は絶対に譲らない」と繰り返した。「早々に決着をつける」とも語り、玉木氏が持ち掛けてくる条件闘争に応じない考えもにじませたという。
 昨年末からの国民との合流協議では条件が折り合わず、1月に頓挫した。だが、立民の若手・中堅からは現状のままでは与党だけでなく、日本維新の会やれいわ新選組にも対抗できないとして協議を再開すべきだとの機運が高まっていた。合流に再びかじを切った枝野氏の心境ついて、国民中堅は「立民の政党支持率も頭打ちで焦っているのだろう」と推測する。
 一方、今回の合流協議で新党への参加が見込まれる野田佳彦前首相ら旧民主党政権の重鎮も水面下で動きを活発化させている。野田氏を慕う勢力は今も両党内におり、新党結成後の代表選で野田氏を担ぐ案も浮上する。立民の最大グループを率いる赤松広隆衆院副議長も執行部への不満を募らせており、「枝野1強」と言われた党内基盤は揺らいでいる。
(7月18日、産経新聞)

解散・総選挙が近くなるも、支持率の低迷(下手すると維新よりも下)が続く中、産業報国会(自称連合)の強い要求と保身の論理から合流協議が進められている。ただ、付言しておくと、立憲左派(赤松派)は原則論に従って合流に反対の立場をとっている。
しかし、産業報国会や保身が優先されるあまり、「合流ありき」で話が進んでおり、そこには有権者への配慮や政策協議は何も無い。

中国が強大化し、米国の影響力が低下する中で、憲法と安全保障の政策的優先順位が相対的に高まっている。
冷戦期なら、日米安保と自衛隊に賛否を唱えるだけで良かったが(お手前のようなものだった)、現在の日本はアメリカと中国という二大強国に挟まれた状態となり、いわばポーランドやフィンランドのような地勢的条件に陥っている。しかも、日本はアメリカの傀儡国家として始まり、いまも準保護国のような状態にありながら、アメリカの影響力やコミットメントは日々低下しつつあり、アメリカの財政状況を考えれば、「いつ見捨てられてもおかしくない」条件下にある。これに対し、中国は2030〜35年頃までは経済成長と勢力増大していくと考えられ、日本はその矢面に立たされている。

現行の昭和帝政の方針は「何でもやるから米軍に残ってもらう」との方針で、アメリカの国際戦略を積極的に支援し、軍事力も提供する代わりに在日米軍の規模を維持しようとしている。ただこの点、帝政内でも合意は不十分で、外務省はアメリカに対しさらなる軍事貢献を求めているが、防衛省はやや消極的で、意外と安倍政権は海外派兵は最小限度に止めたいとの意向を持っている。

日本の選択肢は(何度も本ブログで述べているが)、「1.対米従属の維持」「2.親中路線への転換」「3.独自路線」となる。現状は1なのだが、それすらもトランプ政権から「思いやり予算」の倍増や防衛費の倍増を求められている。3の独自路線は、聞こえは良いが、米中露の三大軍事大国に挟まれる中で、独自路線を歩む場合、明治帝政と同レベルの軍事水準が求められるだろう。具体的には、現状の三倍の軍事費でも足りるかどうかという話になる上、核武装も検討せねばならず、ハードルは最も高く、現実的ではない。
ケン先生的には、イデオロギーを無視すれば、2の親中路線が将来的には現実的で、問題は「どれだけ従属せずに独立性を担保できるか」が課題となる。同時に、中国に従属しないで済むだけの軍事力を検討する必要がある。
いずれにしても、安全保障上の大きな岐路に立たされている中で、政策の曖昧さは大きな弱点となる。

民主党政権の総括も必要だ。
「東アジア共同体」をめざした鳩山政権と、米海兵隊の辺野古基地移転を沖縄県知事に要求し、秘密保護法と集団的自衛権行使解禁を準備した菅・野田政権の当事者がいまの両党を指導しているにもかかわらず、その総括はいまもなされていない。これでは、「日曜討論」などで安保問題を議論した場合、自民党に鎧袖一触で終わるだろう。

興味深いのはリベラル派の主張で、対米自立を唱える割に、中露に対しては拒否の姿勢を示しており、にもかかわらず日本の軍事的独立については、一切否定的で、軍事力を持たずに米中露から等距離を保とうということらしいのだが、およそ実現可能とは思えない。

これに関連して憲法改正も必要となる。
現行憲法は、帝政の存続の条件として武力の放棄を謳っており、故に戦争放棄と戦力不保持を記している。
その軍事的空白は、当初は国連軍(連合国軍)が埋める予定だったが、国連軍は結成されず、サンフランシスコ講和条約締結に伴い、アメリカ軍が駐留して、その役を務めることになったのだが、同時にその補助部隊として自衛隊が創設され、一義的には自衛隊が日本防衛にあたることとなった。本来なら、この時点で憲法改正が必要であり、岸信介などが主張したのだが、実現しなかった。
その後、解釈改憲を繰り返し、今では全世界に自衛隊を派遣して軍事力を行使することを可能とし、規模的には世界第七位程度の軍事力を有する軍事大国となっているが、体面上は「防衛用の実力組織・実務組織であって、戦力ではない」とされている。そして、今度は対外先制ミサイル攻撃まで「解禁」しようしている。
憲法による抑制が効かない状態で、解釈改憲でルールをねじ曲げてゆく手法は、問題が起きたときに隠蔽は虚偽で押し通すほかなくなり、「法の支配」の瓦解に繋がる。いまもかなりその気が強くなっている。

また、現行憲法は戦争を否定しているため、当然ながら国防の義務は誰にも課されていない。
結果、自衛隊法が以下のように規定しているだけとなっている。
第三条 自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。

これに対し、防衛大臣は防衛省の行政統括官でしかなく、自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣となっているものの、実は内閣総理大臣には国防の義務は課されていない。
欧州などの憲法では、憲法に市民の国防義務を明記している場合が少なくなく、大統領制を導入している国では、大統領が国軍最高指揮官として国防の責務を担う代わりに、その責任は国民に対してなされる関係が明記されている。つまり、市民は国防の義務が課されるが、その最高責任は大統領や議会が担い、市民に対する責務を持つという契約関係が成立している。
こうした社会契約が日本の現行憲法には存在せず、そもそも想定していないため、仮に戦争が発生しても、日本国民は国防の義務を有さず、総理大臣は最高指揮官ではあるが、失敗しても責任を問われることは無く、自衛隊は法律上の実務として国防にあたるだけで、しかも国民を守る義務は無い、という恐ろしい状態にある。
不安定な国際情勢下にあって、米中露に挟まれた日本であるからこそ、憲法問題を議論する必要がある。

日本再軍備の条件
天皇の戦争責任とは何か

さらに歳出の四割を国債に依拠し、社会保障費が毎年2兆円も肥大化する中で、財政問題は不可避の課題となっている。

またぞろ安直な消費減税

これらの重要課題を放置したまま(増税派と減税派が)合流しても、またぞろ内部対立から破綻するだけだろう。そもそも「希望の党」ができた時に、「排除した方」と「排除された方」が、わずか3年で「手打ち」にすることについて、どう有権者に説明するのか。合流協議を進める前に、大義を掲げない時点で、不信感しか無い。
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2020年07月29日

東京五輪の来夏開催は支持率23.9%

【東京五輪の来夏開催は23.9%にとどまる】
 共同通信の世論調査によると、東京五輪を来年夏に「開催すべきだ」との回答は23.9%にとどまった。「再延期すべきだ」が36.4%、「中止すべきだ」が33.7%だった。
(7月19日、共同通信)

政府側に有利な数字が出やすい世論調査でこの数字では、実際には10人に1人くらいしか支持しておらず、現実にできると思っている人はさらに少ないだろうと推測される。
それにしても、相当数のものが「勝てない」と思っていながら始めてしまった対英米戦の構図とよく似ている。誰も止められず、止める者の責任も曖昧なまま。これも誰も責任を取らない天皇制の縮図と言えよう。
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月28日

イーオンズ・エンドを初プレイ

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アークライト社「イーオンズ・エンド」を初プレイ。
事前情報で「ちょっといいかも」と思っていたのだが、つい失念して買いそびれたら、あっという間にプレミアがついてしまった一作。
新品を定価以上で販売するとか、自由市場の原理(公正な競争)に反しているだろう。
そのため、旧友のNとゲームカフェに行くことに。
都心では新型コロナが再活性化しつつあり、いささか抵抗はあったのだが、平日の昼間ならまだ大丈夫だろうとの判断。
実際、客は我々以外にもう一組しかいなかったのでセーフとしておこう。

さて本題。
「イーオンズ・エンド」はデッキ構築型の協力式カードゲームだが、「デッキをシャッフルしない」という特徴がある。
また、協力型で、プレイヤーは協力して異世界から攻めてきた「ネメシス」軍団から、自分たちの街を守らなければならない。そのため、ゲームの目的は、「街の防御力がゼロになる前に、敵ボスを倒すか、敵の全ての攻撃を凌ぎきる(時間切れ勝利)」となる。

各キャラクターは一つだけ特殊能力を持っているのだが、エーテルが溜まらないと発動しないため、1プレイで1〜2回程度しか発動しない。
恐らくはキャラの能力は決定的な要素では無いだろう。

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面白いのは、2人プレイが最も難易度が低く、プレイヤーが増えるほど難易度が上がるということ。
2人プレイの場合、各キャラには1ターンに二手番回ってきて、ボスも二回行動する
4人プレイの場合、キャラは一手番しかプレイできず、ボスは二回行動してくるため、デッキの「濃度」が下がってしまうためだ。もちろん、その分キャラの体力が増えることにはなるのだが、どう見ても難易度は上がっている。
ボスはかなり容赦なく、街やキャラを攻撃してくるため、手抜きは許されないが、そこは協力型なので、相談しながらプレイできる点が良い。

ゲームバランスも良く、ゲーム歴40年の我々は3度プレイして全て勝利したが、きわどい場面もあった。それでも、「ベテランが、二人でプレイしたから勝てた」という結論だった。2人だとかなり効率よく(ストレス無く)デッキを構築できるが、3人以上の場合はどうしてもデッキが重くなり、順番もランダムなので、展開が読みにくくなり、難易度が上がるだろう。

それはそれとして、ドミニオンのような単純なデッキ構築型から一歩進歩した新しい形のデッキ構築型として、評価できる一作だと言える。
入手できなかったのが残念だ。
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2020年07月27日

2100年、日本の人口は5300万人?!

【世界の出生率、驚異的な低下 23カ国で今世紀末までに人口半減=米大学予測】
 出生率の低下により、世界の人口は2064年にピーク(約97億人)を迎えた後、今世紀末には約88億人にまで減少するという予測を、米ワシントン大学の研究チームが発表した。研究者たちは、社会に「仰天するほどの」衝撃をもたらすことになる出生率の低下に対して、世界は準備不足だと指摘している。出生率の低下は、今世紀末までにほぼ全ての国が人口減少に直面する可能性があることを意味している。そしてスペインや日本を含む23カ国では、2100年までに人口が半減すると予測されている。また、出生数と同じくらいの人数が80歳を迎えることになり、各国で劇的に高齢化が進むという。
 出生率(女性1人が出産する子どもの平均人数)が低下している。この数字がおおよそ2.1を下回ると、人口の規模は小さくなり始める。1950年には、1人の女性が生涯に産む子どもの人数は平均4.7人だった。米ワシントン大学の保健指標評価研究所(IHME)の研究者たちは、2017年には世界の出生率が2.4と、ほぼ半減したとしている。2100年までには1.7を下回ると予測している。この研究は、英医学誌ランセットに14日に掲載された。
(7月15日、BBCより抜粋)

日本の人口は2100年までに5300万人以下に減少するという、米ワシントン大学の推計。国連人口部の推計では7500万人、日本の人口問題研究所は2065年で8800万人となっている。人口推計は、天気予報よりも精度が高く、近年では低位予測がほぼ的中している。そのため、少なくとも6千万人程度にまでは減少すると見ておいた方が良い。

問題は人口そのものよりも人口動態で、現状1億2500万人のうち15〜64歳の現役世代は7400万人だが、人口研の予測では2065年には総人口8800万人に対し、現役は4500万人となっている。この推移で行くと、2100年には人口6千万人に対し、現役3500万人程度ということになる。

にもかかわらず、人口に余裕のある中国の方が、ロボット化もAI化も進んでおり、日本では女性や高齢者の低賃金労働や外国人奴隷を頼みにしている点が、決定的に絶望的と言える。
やはり、どう考えても日本がとるべき道は方法論が定まらない「少子化対策」ではなく、ロボット化とAI化の徹底であろう。

もっとも、日本の人口は江戸期は3千万人台で推移、戊辰政変以降急上昇して、1910年で5千万人、1940年で7300万人、戦後大陸などからの帰還者を収容して8千万人を超えた後、さらに増え続けて、1967年に1億人を超えている。それに比べれば、人口減少は遅いとは言える。
要は「200年を経て元通りになっただけ」とも言えるのだ。
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2020年07月25日

Netflix「ヒトラーの共犯者たち」

2017年制作の英国製ドキュメンタリー。
ヒトラーではなく、ヘス、レーム、ゲーリング、ヒムラー、ゲッベルス、ボルマン、シュペーアなど側近の視点からヒトラーとナチスを描く。

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Netflix「ヒトラーの共犯者たち」

彼らの行動基準は「いかにしてヒトラーに気に入られて出世し、ライバルを蹴落とすか」にあり、それに沿って時に共闘し、時に陰謀をめぐらしていく。「どれだけ総統を喜ばせることができるか」を競い合う側近の行動がヒトラーの妄想をさらに暴走させ、際限なき侵略と殺戮へとヒートアップさせていった。逆にヒトラーからすれば、側近を競争させることで自分の権威を高める構図にあった。
ゲーマー的に言うなら、協力型ゲームなのに参加者は全員個別の勝利条件を追求、気づいたときにはもう破滅していた、という感じ。

いささか記号化し過ぎている嫌いはあるものの、最新の研究を反映させており、再現ドラマの完成度も高く、記録映像を交えながら緻密に作られている。
一時間番組で十本と、ドキュメンタリーとしてはけっこうな分量があるのだが、ドラマを見ているかのように飽きさせない作りになっている。


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2020年07月24日

ジャンジラジム

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近所のジャンジラジム。世話になったU元先輩の、早世された弟さんが創設者。U一家は非常に個性的で、父君は私より上の世代の左翼人では知らぬ者がいないほどの、武闘派労働運動家。U一家は当時、多摩川団地に住んでいたが、子は男だけの四人兄弟であり、今思えば、あの超狭い団地でどのような暮らしをしていたのか、想像もできない。

私は後に長兄のお世話になるのだが、弟二人は私と同じ時期に同じ小学校に通い、うち一人は同級だった。後に、上の弟はサーフィンの世界チャンピオンになり、下の弟はムエタイのチャンピオンになるという、分野は違えども、恐ろしく武闘派な一家だった。ところが、長兄は最も武闘派から遠いところにあるような温厚な方で、議論が白熱すると必ず「まぁまぁ」と割って入るような人だった。

何より興味深いのは、世界チャンプになるような弟二人が口を揃えて「兄貴(長兄)のことは尊敬してるので」と堂々と言うことで、「やば!俺も弟欲しい!」と思った次第。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする