2020年12月07日

武田氏史跡巡り1

O先輩の提唱により、H先輩とケン先生の3人で二泊三日の「城攻め」を決行。
Goto、有休消化(私以外)もという要素もあるが、「十年後には老化で山登りは苦しくなる」という理由が大きい(たぶん)。
今回はO先輩が大好きな武田氏の西上作戦をテーマに甲斐、信濃、三河を回ることに。

初日はH先輩が3時起きして車で2人をピックアップ後、甲斐天目山、景徳院へ。
7時過ぎには到着してしまい、冷え込み、少々霧が出ている中を歩く。当然無人だ。

00a36c2f858e0b0f6e302348c15d8ee.jpg

fc7feb1a13c36c2329a043926766a7b.jpg

65c6852306548aa1dc1d33a03a47574.jpg

a6b376e95c627c689f8a1b571a0e060.jpg

9f9e08177723ad6324c47e64af5ade6.jpg

武田勝頼らが座って自害したとされる「生害石」や遺骸を埋めたとされる塚などがある。
甲府を出た勝頼一行は、岩殿城(現大月市)を目指すが、勝頼を誘った小山田氏が裏切って入城を拒否したため、笹子越えを断念、真田を頼ろうとするも、滝川一益の軍勢に北方を抑えられ、自害したとされる。
今回のテーマは、位置や地形の確認が主だ。

次は新府城(韮崎市)。

70a6806aded2fa0e1f7686b24d356d3.jpg

280f17c9829650a50999c88edb2df96.jpg

a8b27f135649a1ad07c142e99f731b9.jpg

9770f1b1b74087b0805ff1ffa490598.jpg

c2471af26e24db42359d7efbd86792e.jpg

私も車で脇を通り過ぎたことはあったが、城跡を検分したことはなく、良い機会となった。
韮崎盆地の七里岩という、盆地中の巨大な岩地を造成して城にしたもので、上からは甲府盆地を見渡すことができる。

武田氏が築城した後は、徳川氏がわずかに使用するも、廃城となったため、建造物は何も残っていないが、逆にその後手が加えられていないため、城跡としてそのまま残されており、遺構が剥き出しになっている。
つまり、地図と想像力さえあれば、かなり「城」を実感できるのだ。
実際に歩いてみると、相当に大きな城であったことがわかるが、全てを守るためには相当な人数を籠城させる必要があり、いささか現実的な感じがしない。勝頼的には、上州や信州に出ていくと同時に、集合地点としての便宜性を考えた、前進基地的な意味合いが強かったのかもしれない。
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする