2020年12月08日

武田氏史跡巡り2

(少し時間を置いて書いたので、かぶってしまいました)
天目山の次は新府城へ。
中央道韮崎インターを下りて坂を下ると、巨岩の台地「七里岩」があり、すぐまた登ると新府城となる。インターから10分ちょっと。
その七里岩の麓には甲斐武田氏の祖である武田信義が居館を置き、「武田乃郷」とされている。

70a6806aded2fa0e1f7686b24d356d3.jpg

280f17c9829650a50999c88edb2df96.jpg

新府城は武田乃郷から七里岩を登った山頂にある平山城だが、南北を釜無川と塩川が流れ、城の南方は90メートルからの絶壁。
戦闘正面を限定した上で、進撃路を長く設定し、そこここに狙撃地点をつくって横矢を射掛け、深い堀を作って、堀から進む敵には騎馬を当てて蹴散らし、断崖などに落とすという甲州流築城術の遺構が非常によく残されている。

a8b27f135649a1ad07c142e99f731b9.jpg

9770f1b1b74087b0805ff1ffa490598.jpg

c2471af26e24db42359d7efbd86792e.jpg

早々に廃城になったことが幸いして、遺構がそのまま残されているのがポイント。
遺構を遺構としての復元に留めていることも、外観に惑わされることなく、自分の想像力でイメージできるようになっている。
上級者向けかもしれないが、城の推定図を持ってまわると、色々なことがわかるだろう。

想像以上に大きく、新府城を守るためには少なくとも5千人以上は必要そうで、周囲の砦まで含めると1万人は欲しいイメージ。
甲斐武田氏の兵力を考えると、本気で籠城を考えていたのか疑わしくなる。
近年の研究では、戦闘用というよりも上州(佐久街道)や三河、美濃を見据えての前進拠点だったとする理解が増えているのもうなずける。



posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする