2020年12月10日

武田史跡巡り3 武節城と足助城

今回の旅の目的の一つは、「信玄と勝頼の三河侵攻ルートを辿る」で、信濃から三河に南下するルートを実際に車で辿ってみることにある。
ゲームのマップでは「おなじみ」ではあるものの、やはり数ヘクスの話で、荒地または山地扱いとなっているが(「信玄上洛」や「謙信上洛」など)、実際の地形はどうなのか気になるところだった。

高遠(城址は手が入りまくって原型がわからなくなっている)に一泊した後、6時起きして出発。
飯田市まで南下した後、国道153号線を通って信濃から奥三河に入る。
特に最初の山越えはスキー場もあるような高い山で、実際には武田軍は川沿いに進軍したのだろうが、何千人も進軍できるような場所には思えない。仮に軍隊は進めても、物資の運搬は無理だろう。このルートで進めるのはせいぜい2千人くらいまでだろうか。
飯田市から武節町(愛知県豊田市)までは60km超で、いくつも山越えがあるだけに、最短でも3日、恐らくは5日くらい掛かったのだろう。

武節城は田峯城の菅沼氏が縄張りを立てたとされ、奥三河の入り口に位置する平山城。
本来は対信濃の監視所だったのだろうが、武田氏に占領されると、三河への侵攻拠点となった。
現在でも地図を見ればわかるが、設楽を通って三河へのルートと足助を通って尾張に進むルートとの分岐点になっている、非常に重要な場所だ。
城自体は小さく、千人も入れるかどうかという場所しかないが、実際にこんな場所で兵を養えるわけもなく、監視所としての役割が主だったのだろう。
それでも、城の造りはしっかりしており、200〜300人も入れておけば数日間は時間稼ぎできたろうから、それで十分だったと見て良い。
すぐ横に「道の駅」が作られていて、それなりに賑わっていたが、武節城に登ったのは我々くらいなものだった。
遺構もそれなり残っており、十分楽しめる。

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足助城は群雄伝シリーズのプレイヤーならお馴染みの城。
武田氏的には「まずここを取らないと、ゲームも始まらない」という城だ。ここが落とされると、信長/家康的には胃が痛くなってくる。
武節城からは約25kmのところにあるが、ずっと尾張に寄ってくる。ここも道の分岐点で、東へ行けば豊田、南に行けば蒲郡という好点。岡崎までは35kmしかない。
標高300メートルの山城で、足助の宿場と街道を見下ろす場所にある。
時代考証に沿った史跡整備がなされており(天守以外だが)、ゲーマー的には必見とも言える城跡だ。

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もともとは鈴木氏の居城で、ケン先生の超遠い縁戚に当たる。
宿場町からも狭い道をかなり登っていくが、駐車場も整備されている。
我々も今回行くまで、これほど整備されているとは知らなかったのだから、明らかに宣伝不足だろう。
城跡には紅葉が植えられており、散策にも良いが、観光客は香嵐渓に集中していた。
posted by ケン at 12:00| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする