2020年12月15日

武田史跡めぐり4 長篠

武節、足助を抜けて、少し東に戻る形で長篠に向かう。
遠江から西上するルートは「浜松を通るか通らないか」くらいの選択肢しかないのに対し、信濃から南下あるいは西上するルートは、吉田、岡崎、あるいは尾張ストライク、美濃ストライクなど進撃路に幅があり、相手に特定させないメリットが有る。
ゲームでも、岩村城や足助城が取られると、織田・徳川プレイヤーとしては胃が痛くなってくる。
長篠もそんな場所の一つであり、岡崎と浜松のどちらも狙える位置で、交通の要所でもある。

まずは愛知県道257号線で田峯方面から豊川沿いに南下、「馬場信房戦死の地」を探す。
これもGoogle先生の賜物で、15年前だったら場所の特定も困難だったろう。
現地に行けば、一応小さな看板は出ているのだが、旧道ということもあり、通り過ぎてしまう恐れもあった。
現地を見つけても、碑を見つけるのはさらに困難で、整備不十分なところを登る必要がある。
豊川沿いの狭い道で、実際には勝頼が豊川を渡ったのを見届けた上で、ここで殿を務めて果てたものと見られる。

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豊川をさらに南下すると長篠城に出るので、まずは長篠城を検分。
小さな平城で、それなりに堀などはあるものの、堅城には見えない。
しかし、廃城後は畑にされたり、本丸の中を飯田線が通っていたり、開発度がハンパなく、ほぼ「公園」と化しており、当時の姿を思い浮かべるのは難しい。
史実では、奥平氏が500人で籠城し、武田方は1万5千人で包囲したはずだが、本気で強襲するつもりがあったのが疑問すぎる。

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次いで、設楽原へ。
まず設楽原歴史資料館から攻めてみたものの、実際には「火縄銃博物館」で、合戦関連の資料や展示は乏しい。
気を取り直して歩いてみる。

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これが連吾川って言われても。。。

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馬防柵はイメージの再現だが、本当にこれに向かって騎馬突撃したのだろうか。

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山県昌景の墓

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家康本陣近く

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畑や民家はあるものの、おおよその戦場を想像できる感じで、そこここに碑や塚が残されていて探して回るのが面白かった。
織田・徳川方の本陣と武田の本陣はどちらも丘の上にあるが、その間に広がる設楽原が想像以上に狭く、細長い感じで、これは実際に立ってみてよくわかった。
連吾川自体はほぼほぼ用水路レベルの川だったが、当時はどうだったのか、梅雨の時期で増水していたのか、色々想像してしまう。
しかし、小川とは言え、川を渡って、前日の雨でぬかるみがちな原っぱを渡って、堅固な防護柵に向かって騎馬突入したとはとても思えない。
やはり主戦場は柵のない戦場南方だったのではないか。

長篠城や資料館は期待はずれではあったが、戦場跡としては一級品であると言える。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする