2021年01月14日

世襲の何が「悪」か

「世襲議員にもこんな良い人がいたんだ」という声を聞いて、少し考えた。以下、ケン先生の主観である。

世襲か否かは人格とは必ずしも関係ない。
それを言うなら、日本であれ中国であれソ連であれ、共産党員にも「良い人」はいくらでもいるからだ。
ぶっちゃけ、私は中共の皆さんには個人レベルではあるが、非常に良くしてもらっている。
少なくとも私の周囲で、「オレは党員だ」と権威を振りかざす人は見たことない。もちろん、話には聞くのだから普通にいるとは思うのだが、そういうレベルである。

日本を代表するお坊ちゃん学校に6年間通っていた経験や、永田町に20年近く勤務した経験から言っても、いわゆる「叩き上げ」と「おぼ・お嬢」を比べた場合、性格が悪いのは明らかに前者である。仮に外面が良くても中身は腹黒が基本で、菅総理などはその典型例だろう。二階幹事長も父親は県議ではあるが、今の自民党的には「叩き上げ」に分類されるだろう。

基本的に叩き上げは他者を騙し、蹴落としていかなければのし上がれない。結果、叩き上げは「顔は笑っていても目は笑っていない」者が非常に多い。
これに対し、「おぼ・お嬢」は放っておいても周囲が持ち上げてくれるので、他者をどうこうする必要がない。
これだけ考えても、「おぼ・お嬢」は後天的要素で性格が悪くなることは比較的少ないと言える。
結果、「おぼ・お嬢」は世間の感覚とズレているところはあるとしても、「ハラグロ」であるケースは非常に少なく、比較的穏やかな性格であることが多い。

しかし、日本政治において今や自民党議員の3割以上を占める世襲議員は、「悪」の象徴である。
それは性格や能力の問題ではない。
一般的には「世襲は能力が低い」と思われがちだが、世襲議員は何と言っても幼少期から政治的環境の中で育てられているため、初期の知識や経験値が圧倒的に高く、知識や人材や社会的背景も継承しているため、総合力としては「ポッと出の落下傘」よりも高いケースが多い。
問題は、いわゆる「地盤、看板、かばん」を継承している点である。

現代の小選挙区制や参議院の一人区の場合、投票率が50〜60%程度しかなく、投票数の半分を確保すれば確実に当選する。
1つの選挙区に複数が立候補することもあるため、平均的には全有権者の20〜25%の支持を得れば、実は当選できるのだ。
その結果、有権者の10%程度をカネと利権で囲い込めるかどうか、あるいは同数の浮動票を確保できるかどうかが、勝敗の鍵を握ることになる。
自民党の「強い」議員は15%以上の有権者を利権で抱え込んでいるため、圧倒的な強さを誇っている。これは県議や市町村議を巻き込んで利権構造を確立し、中央から予算を引っ張ってくることで成立している。
これに対して、野党はNK党以外は独自の利権構造を持たない、あるいは弱いため、常に「風」頼みの選挙となり、「自民党にお灸をすえる」形でしか勝てない。小沢一郎氏は、民主党政権で利権構造の再構築を試みたが、党内抗争に敗れて失敗に終わった。

いわゆる「世襲」を「悪」とするのは、国会議員を象徴とし県議が予算分配権を握って有権者に利権を配布して懐柔する利権構造が、そっくりそのまま継承されるためである。
ただでさえ過疎化が進む地方では、利権が固定化すればするほど、利権にあぶれた層は都会に出ていくほかなく、競争力のない企業が利権に寄生して存続し、ますます地方を疲弊させている。
有力な世襲議員がいると発言力が大きくなるため、公共投資も増えるが、それは最終的には維持費の肥大化となり、自治体の負担ばかりが重くなっていく。これは、有力議員を輩出している選挙区の公共施設を見て回れば、すぐに分かるだろう。

つまり、世襲議員の「悪」とは、社会階層の流動性を止め、社会構造を腐敗させ、地域の荒廃(見た目だけは立派だが)を進めるという点においてのことなのである。
posted by ケン at 12:00| Comment(6) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする