2021年01月22日

判断の遅れは無能だから??

【外国人入国こだわった菅首相、一転「停止」 二階氏の影と「水浸し」批判】
 政府は13日、中韓を含む11カ国・地域からのビジネス関係者らの日本への受け入れを全面的に止めると発表した。菅義偉首相は当初、対象国・地域で新型コロナウイルスの変異株の感染が確認されない限りは受け入れを続ける方針を示していた。ビジネス往来にこだわり続けながら、一転して一時停止に転換した首相。判断が遅れたわけは――。
 (1月14日、毎日新聞より抜粋)

リベラル派は菅首相の「決断の遅さ」を非難するわけだが、この手の「決断の遅さ」や「戦力の逐次投入」にはいくつかの解釈が可能で、一つは「指揮官が無能だから」というわかりやすいもの。
しかし、この批判の殆どは「後世の歴史家」の視点から、全ての情報を持ち、結果を知った上でのもので、とうてい公正な視点とは言えない。

二つは「状況を慎重に見極めていた結果、後手に回ってしまった」場合。例えば、2011年の福島原発事故における避難勧告の遅れは、このケースだろう。逆に、二次大戦中のスペインやタイ政府は「決断しなかった」ことで大戦参加を回避できた。
現実には、1904年の日露開戦を見た場合、ロシア側は対日譲歩を決定して通達しようとしていたところ、日本側は「通達が来る前に開戦しろ!」と急いで旅順を奇襲したことから始まった。その戦費は1980年代まで償還が続いている。つまり、何でも早く決断すればよいというものではない。

三つは、「スタッフや利害関係者の意見をよく聞いて、足して二で割った結果」の場合。近年の組織研究では、日本型組織は三番目のケースが多いという解釈をとっている。1941年12月の対米開戦や1945年8月の日本降伏はこのケースだろう。恐らくは、菅氏の場合も、この三番目に該当すると思われる。
トップによる強権発動が嫌われる社会風土や組織文化の中にあって、リーダーの個人的資質に全ての責任を帰すのはある意味で無責任であり、「対米開戦は全部東條が勝手にやったこと」と同じ過ちを招くだろう。

シミュレーション・ゲーマーなら菅氏の立場を容易に理解できるはずだ。
自分を総理に仕立てた大半の功績は二階氏にあり、その二階からの強い要望を無碍になどできるわけがないのだから。
posted by ケン at 12:00| Comment(0) | 政局ほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする