2013年12月05日

治安維持法は言論弾圧法ではなかった?!

特定秘密保護法案について世論の反発が盛り上がってきたことに対して、自民党や右翼知識人(右翼に知性が必要なのかという根源的課題はさておき)から、「特定秘密保護法はスパイやテロリスト、あるいは公務員の機密漏洩に対するものであって、戦前の治安維持法のような言論弾圧法とは根本的に違う」旨の反論が上がっている。だが、こうした反論自体が、彼らの知性の底の浅さを示している。
まず、そもそも大日本帝国憲法は表現の自由を認めていた。
第29条 日本臣民は、法律の範囲内において、言論、著作、印行、集会及び結社の自由を有する。

印行とは現代語で出版を意味する。「法律の範囲内において」という前提条件が付いているものの、少なくとも憲法の条文上は言論の自由が保証されていた。もちろん、実態がどうであったかは別問題である。
そして、治安維持法もまた元々は国民弾圧や言論弾圧を目的としたものではなかった。当時の担当者である若槻礼次郎内相の説明を見てみよう。
思索の自由を許して置かぬければならぬと云ふ御議論に対しては、私も全然同感であります。而して現内閣は思想の研究に付て、圧迫的方針を採って居るや否や云ふ御問に対しては、決して左様な考えはありませぬ。言論文章の自由は何処までも害せないやうにせぬければならぬと云ふのは現内閣の心掛けておる所であります。唯々しかしこれには一定の制限があります。国体を破壊しても、経済組織の根本を破壊しても、言論文章は自由であるといふことでは国家の治安を保つことはできませぬ(拍手)。それであります故に言論文章の自由は何処までも尊重致しますけれども、その害毒最も甚だしきものは取り締まって置かなければならぬと云ふのが、今日この治安維持法を提出した所以であります。

俗の言葉で申し上げれば此法律は無政府主義、共産主義を取締る法律であると言っても宜しいのであります。

世聞にはこの法律案が労働運動を禁止するがためにできるやうに誤解しておる者があるやうであります。此法律が制定されますと、労働者が労働運動をするについて、何等かの拘束を受けると云ふやうに信じて居る者があるようであります。斯の如きは甚だしき誤解であります。労働者が自己の地位を向上せしめるが為に労働運動することは何等差支えないのみならず、、私共今日局に当たって殊に内務省はその所管の省でありますが、左様な事に向かっては何等拘束を加へると云ふ考えを持たぬのであります。
(1925年2月19日衆議院本会議)

同じく本田義成議員が警察による乱用の恐れを指摘したのに対して、川崎卓内務省警保局長は、「乱用など云ふことは絶対にない」と断言している。

特定秘密保護法案の審議に際して政府や自民党が「国民の知る権利や報道の自由を脅かすものではない」「スパイ行為や公務員の不正を取り締まる法律」「情報統制や市民弾圧というのは誤解で、正当な取材行為や静穏なデモ活動は何等差支えない」と繰り返しているのを見ると、デジャビューそのものなのだ。
「治安維持法の復活」という批判に対して、自民党議員らは「戦前とは政治体制が異なる」などと説明するが、どうだろう。安倍内閣は、憲法を改正して天皇の国家元首化と国軍復活させるという、あからさまに戦前回帰を志向しているのだから、本法案が現体制で成立しても、施行される頃には戦前のような国家主義的体制となり、強化された権威主義の下で運用されることになる可能性がある。また、パブリックコメントや公聴会で出た慎重意見を全く無視し、委員会での議論を反映させることもなく、ひたすら「成立ありき」で議会運営を進める自民党が、「戦前と違う」と言ってみたところでいかなる説得性も無い。

デモクラシーは民主的手続きを重視する。それは広範な市民の意見が反映されることによって、強大な権力の行使でも正当化されるという原理に基づいている。ところが、前回の総選挙で比例代表で28%しか得票していない自民党が衆議院の議席で6割以上を占めていること自体、議会に民意が正確に反映していないことの表れなのだから、本来であれば、民意の反映を補強し権力行使の正当性を高めるために、参考人質疑や公聴会を十二分に開催して与野党間の合意形成を進め、議会で法案を修正するといった過程が求められる。だが、自民党議員たちはデモクラシーに対する未成熟からか、「多数決は民主主義の原理」という誤った知識を以て、民意の集約や議会内の合意形成を無視して法案審議を進めてしまっており、それがデモクラシーを破壊する行為に他ならないという自覚が全くない。

では、治安維持法の趣旨を説明した若槻内相が大ウソつきだったのかと言えば、そうではない。当時、1925年に日ソ間の国交が樹立したことを受けて、日本国内においてコミンテルンの活動が活発化し、共産主義・反天皇制運動の拡大が真剣に危惧されていた。同時期に普通選挙法が施行されて、25歳以上の男子のほぼ全員に選挙権が付与されて有権者が飛躍的に拡大、共産党が労働者や小作人層から支持されるのではないかという懸念があった。現実には、それらは殆ど杞憂だったのだが、当時の官僚や政党人にとっては現実的な懸念だった。従って、当時にあっても「治安立法自体は致し方ないが、政府原案では国民全員が取り締まり対象になってしまう」といった批判が最も多かったらしい。この点は「国家が外交機密や軍事機密を有するのは避けられないし、そのために法律が必要なのは当然だ」とする現代の私のスタンスとも共通する。
また、法律解釈で自己の権限拡大を狙った司法省が治安立法に前のめりだったのに対して、実際に運用者となる内務省が「そこまでの緊急性は無い」「現場での適用が難しい」などの理由からやや消極的だったことも特筆に値する。今回の秘密保護法は警察主導で立案されているものの、警察官僚出身の亀井静香議員や小野次郎議員は慎重姿勢を示している。

ところが、治安維持法が実際に施行されてみると、「実際の運用(適用)が難しい」などの理由から改正が要望され、戦時体制への移行も相まって、適用範囲が段階的に拡大、厳罰化も図られた。その結果、3・15事件で共産党が一掃された後にも、合法左翼はおろか、労働運動家や反戦思想家、自由主義者や宗教団体にまで適用されるに至り、「天下の悪法」の名をほしいままにしたのである。
特高を指揮して取締の先頭に立った町村金五(特定秘密保護法案の作成責任者の父)あたりは確信犯だった可能性が高いが、リベラル色の強かった若槻礼次郎が人民戦線事件や大本事件を予想していたとは到底考えられない。
つまり歴史は、権力が暴走することを前提に法体系を構築しないと、いざという時に誰も止められなくなることを教えているのである。
貴族院の採決に際して唯一反対した徳川義親議員(侯爵、尾張徳川家当主)は言う。
司法大臣は、本案は極めて明瞭なるものであって、曖昧な点がない、之を用いるに当たって少しも疑いのあるはずがないと仰いましたけれども、果たしてさうであるかどうかと云ふことは、私は信じることが出来ないのでございます、之を立案いたしました方、立法者に於きましては成程明瞭で以て何等の疑を挿む所はございますまいが、之を実際に用いますのは立法者ではございませぬで、又必ずしも立法者と同じ心を持って居るものではないのでございます、実際此法を用います者は裁判官でも至って少いのでありまして、多くは警察官でございます、必ずしも之を誤って用いることなしとせないのでございます。外の法律と違ひまして、峻厳極まりないものでございまするが故に、一度誤って用いました其結果は誠に恐ろしいものでございます。

此法律がございませぬでも、新聞紙法、出版法、治安警察法等がありまして、朝憲及国憲の紊乱は、十分に取締まることが出来るものではないかと私は思ふのでございます。私の見ます所に依れば峻厳極まりない此法律の実際に当りまして、政府当局に果たして十分な用意がありや否や、細密な用意が欠ける所があるやうに思はれるので、私は茲に俄かに賛成出来兼ねるのでございます。

まさに歴史が繰り返されようとしている。

【参考】
『「治安維持法」帝国議会議事録』 高等法院検事局思想部編 慧文社(2007)
posted by ケン at 12:09| Comment(2) | 教育、法務、司法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
国会で採決が終わってから、法案が成立してから、「私自身がもっともっと丁寧に時間をとって説明すべきであったと反省もしている」と言い出すとか、だったら廃案にしてやり直せと言いたくなる状態。

自民の河野議員は「特定秘密保護法について」と題し、これまた後出しで『特定秘密保護法案が廃案になっていたら、この「特別管理秘密」による管理が続いていくことになります。』とまで言い出す始末。
www.taro.org/2013/12/post-1426.php

順番があべこべ、理由付けがあべこべでしょと。
Posted by TI at 2013年12月12日 15:22
一つの政党が選挙結果を盾に暴走し、「後から説明するからいいだろ!」と居直る姿は危険極まりません。採決前日に公聴会を開くのも、形式だけ整えればOKというスタンスですよね。
とはいえ、この件に限らず日本では国民の知らないところで法案がつくられて、審議され、野党が騒いでようやく問題意識が広がるも、その頃には採決になってしまうというケースが多すぎる気がします。
Posted by ケン at 2013年12月13日 13:17
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