2014年01月20日

「固有の領土」は英訳可能か?

【尖閣・竹島は「固有の領土」=中高指導解説書に明記検討―下村文科相】
 下村博文文部科学相は14日の閣議後記者会見で、沖縄県の尖閣諸島と島根県の竹島について、中学校と高校の教科書編集や指導の指針となる学習指導要領の解説書に「わが国固有の領土」と明記するよう検討していることを明らかにした。
 解説書は約10年ごとに行われる指導要領の改定に合わせて変更されるのが通例。現在の解説書は小中が2008年、高校が09年に公表されており、途中での見直しは異例という。
 下村文科相は「将来を担う子どもたちが日本の領土を正しく理解することは、極めて重要なことだ」と説明した。 
(時事通信、1月14日)

おいおい、「グローバル人材を育てなければならない」と言う一方で、世界には全く通じない「固有の領土」論を教え込んだらダメだろう。殆ど学校で「満州は日本の生命線」と教えるような話である。

そもそも「固有の領土」は日本語にしか存在しない、内向きの論理でしかない。欧州の歴史学で「固有の」と使われるのは、古代史における先住民との関係の場合であって、19世紀や20世紀に一国家が占拠した土地を「固有」とすることはあり得ない。例えば、”native american” という場合、移民や侵略者に対する「先住者の権利」という意味が持たれる。つまり、欧米の歴史学に準じるならば、「固有の」とは明治維新で成立した「日本人」に対するアイヌや琉球人に対してこそ用いられるべきものであり、その意味で成り立ちうるのは「北海道はアイヌの native territoryである」とか「沖縄は琉球人の native landである」といったものでしかない。

世界史を学んだことのある者ならば、少し想像してみれば分かる話だ。例えば、米国人が「ハワイはアメリカ固有の領土だ」、豪州人が「タスマニアはオーストラリア固有の領土だ」などと言おうものなら、ハワイアンやアボリジニが猛反発して非難轟々となるだろう。ロシアや中国に至っては領土の大半がそんなところであり、下手な言い方をすれば自らの支配の正当性に瑕疵を付するだけに終わるだろう。

これに対して、北方四島、竹島、尖閣諸島などは、せいぜいのところ1870年代末から1905年までの25年程度の間に支配宣言したものに過ぎない。歴史教育から削除されてしまっているために忘却されているものの、琉球もまた軍事占領と先住民弾圧、強制同化の上で「沖縄」にされているのだ。本来的には沖縄もまた、日本の帝国主義による領土拡張の犠牲者であり、「固有」ではあり得ない。
日本で先住民から異論が出ないのは、弾圧と同化政策が完成して、民族浄化が極限まで進んでいるからに過ぎない。故にアイヌ語も琉球語も絶滅寸前にある。
そもそも「日本人」なる概念も、明治維新によって国家が統一され、疑似的な国民国家が成立したことを受けて、言語と教育の全国標準化がなされて出来た、非常に仮想的な(虚構的な)ものだった。ところが、そのフィクション(共同体幻想)を信じてしまう(信じさせてしまう)ところに、ナショナリズムの魔力があり、それを誘発あるいは暴発させるのが戦争なのだ。「日本(人)」という概念は、明治維新で構築されたものの、実際に国民一人一人のレベルまで落とし込まれたのは、日清、日露戦争におけるナショナリズムの高揚によるところが大きい。
今日の日本政府の場合、グローバリズムと格差拡大の流れの中で国家としての国民統合力が低下しつつあることを受けて、国家が主導してナショナリズムを高揚させることで、国民の不満をそらし、統合力の向上を果たそうとしているものと見られるが、それは別の話だ。

話を戻そう。
琉球・沖縄の場合、1609年に島津氏の侵攻を受けて保護領化されるものの、琉球王朝は存続し、清朝に対する朝貢外交も続けられた(1854年にペリーと琉米修好条約を結んでいることからも厳密には保護領とは言えない)。それは、薩摩の密貿易のカモフラージュという面が強かったものの、歴史的事実として両属的な状態で中華秩序の一翼を担っていたことは間違いない。その後、明治維新を経て1872年に「琉球藩」が設置され、同79年に廃藩置県が行われると、日本政府は160人の警官隊と400人の熊本鎮台分遣隊を派遣して首里城を制圧、琉球王朝の抵抗を排除して沖縄県の設置を宣言した。琉球王家の一族は東京への移住を強制された。
その結果、清国との緊張が高まり、同79年8月には日清間で「琉球分割案」が協議され、南部(八重山群島)を清に割与する二分割案が協議されるも、清に亡命した琉球王族の反対もあって交渉妥結に至らず、最終解決は日清戦争にまで持ち込まれた。
なお、江戸期の最も精密な伊能忠敬の地図は屋久島までしか描かれていない。ペリーが2度目の来航で横浜に来た際、松前と那覇を含む5港の開港を要求した米側に対して、交渉に当たった幕府役人は「(2港は)遠隔の属領であり、日本皇帝の支配は限られているので、自分たちには何も言うことができない」と答えている(『ペリー艦隊日本遠征記』)。
また、詳細は「和平条件としての沖縄と「固有本土」」を読んでもらいたいが、沖縄は二次大戦における和平交渉で放棄し得る交渉条件の一つであった。

この琉球史のみを見ても、「固有の領土」が定義しがたいもので、かつ国際的に通用しないものであることは明らかであり、およそ公教育に相応しいものではないことが分かろう。
盧溝橋事件や上海事変は、地域紛争として事態を収拾しようとした政府に対して、国論が沸騰し国内が治まらなくなってしまったため、全面動員から日中戦争に至ったことを忘れてはならない。国際紛争が起きた時に戦争を支持するネトウヨを大量育成しようとする政府・自民党は、明治帝政と全く同じ過ちを犯しつつある。
posted by ケン at 12:50| Comment(0) | 日本語、日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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