2013年09月03日

東京の彦根藩領

江戸は言うまでもないが、現在の東京の大半は幕府の直轄領(天領)と見られがちだが、必ずしもそんなことはなかった。
いきなり脱線するが、幕臣だったわが先祖も居は四谷に構えていたが、知行は200石そこそこながらも中野に有していた。もちろんヨーロッパ貴族とは異なり、土地の所有権は無く徴税権を有していたにすぎないが、一部は自分で買い取って自家所有にしていた。そのおかげで御維新での没落は免れたものの、それも戦後の農地改革によって日本政府に没収され、一族没落の発端となった。

現在の世田谷の一部から狛江市にかけては天領ではなく、彦根藩井伊家の所領だった。大老・井伊直弼を始めとする歴代井伊家当主の墓が世田谷区の豪徳寺にあるのはそのためだ。
井伊家は関ヶ原の合戦によって石田三成が没落した後に佐和山に入って彦根藩を形成するが、二代目の直孝の時、大坂冬の陣で真田幸村にボコボコにされたにもかかわらず、将軍・徳川秀忠に信頼を失うことなく、三代将軍・家光の後見役に指名された。後の大老の原型ともされる「大政参与」の役料として5万石が加増され(そのまま本領)、その一部が世田谷から狛江にかけての土地だった。

具体的には荏原郡と多摩郡の一部で、世田ヶ谷、駒沢、弦巻、用賀、瀬田、上野毛、大蔵、八幡山、岩戸、和泉などの村がこれに相当する。故に「代官餅」で知られる世田谷代官というのは、幕府の代官ではなく彦根藩の代官だった。少なくとも当初は、これらの村の名主層の豪農の多くが旧北条家家臣で帰農したものだったようだ。
東京の人間なら知っているであろう「ボロ市」も、その起源は北条支配期の1578年に許された世田谷新宿の「楽市」にある。織田信長が楽市を始めたのが1568年であることを考えても、さほど出遅れていなかったことが分かる(実は今川の方が早かったとも言われる)。

全般的には、この彦根藩世田谷領における施政は非常に良政だったようだ。土地改良や用水路整備を進め、天災時には施しや貧窮事業(不況時の公共事業)が行われ、公的な金融制度まであったらしい。
御府内が近く、周辺が天領であったことからも、「万が一にも農民に不満を持たせてはならない」という藩政当局の配慮があったと推察される。この辺は、旧ソ連ブロックが健在だったころ、西側諸国でも社会福祉制度が大いに整備されたことと良く似ている。
ただ、江戸で出火があったり、江戸城で有事が起きた際には動員される特殊な「駆付人足」制度があり、緊急の際にはホラ貝が吹かれ、名主宅に集い、江戸城まで10km強の道のりを走ったという。

しかし、幕末期になると、井伊直弼の大老就任や軍備強化に伴って徴税が強化され、それ以前にペリー来航時に彦根藩が浦賀警備に任じられた関係で人馬の供出が命ぜられ、世田谷領の人口が5、6千人のところに500人もの動員が課されたという。
井伊直弼が桜田門外でテロに倒れると、彦根藩は10万石を削減されるが、何故か世田谷領はそのまま据え置かれた。そのため徴税はさらに過酷となり、また直弼を輩出した憎き彦根藩領ということで、テロや御用盗のターゲットにされ、散々な目にあっている。
せっかく200年に渡って善政を続けたのに、最後の10年間で台無しにしてしまった挙句、そのまま明治維新を迎え、悪評ばかりが残る形になってしまった。最近になってようやく再評価の機運が高まっているようだが、やはり100年以上置いて、当事者がいなくならないと難しいものらしい。

【参考】
お江戸はどこまで? 
農地改革の無効を求めて! 
井伊家の悲劇あるいは武家の恨み・上 
井伊家の悲劇あるいは武家の恨み・下
posted by ケン at 12:32| Comment(2) | 日本語、日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いましがた狛江水害(1974)を調べていたのですが、
むかしは天領を遠慮してそうでない方の岸の堤防を低く作るという
ことがあったそうです。川崎登戸のほうは新田開発で天領が広がっており
そのとばっちりで狛江のほうが水害多発地帯になっていたという事情が納得できました。しかも、その影響が昭和にまで残っていたとは・・
Posted by お寺さん at 2017年05月10日 08:13
決壊した狛江の堤防が江戸期と同じ位置にあったかについては調べてみないと分かりませんし、井伊領だったから堤防が低かったのかどうかも分かりません。

ただ、私が知る限り、決壊した場所は多摩川がカーブして水流が直撃する位置にあるため、本来はより強固にすべきところなのに、放水用の水門があって、より脆弱になってしまっているのです。
まぁ当局も理解しているみたいで、これまではかなり広範な遊水池を確保していたのですが、今日では全て宅地にしてしまい、「誰が責任とるんだよ!」と叫びたいです。
Posted by ケン at 2017年05月10日 13:34
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