2013年09月18日

巨大な軍隊を持つツケ

意外と知られていない、というか私自身もつい最近気づかされたことに軍人恩給の問題がある。2013年度政府予算に占める恩給(昭和30年代に公務員共済制度に移行する前の公務員・遺族年金)の額は4787億円だった。今年3月時点における受給者総数は64万5千人だが、うち63万3千人が旧軍人であり98%を占める。その旧軍人のうち本人による需給は13.4%に過ぎず、あとは遺族が受けている。つまり、68年前に終わった戦争のツケをまだ毎年これだけ払わされているのである。比較対象として適当ではないかもしれないが、福島原発で今も垂れ流され続けている放射能汚染水の対策に出されるのは予備費からの210億円に過ぎない。高校無償化にかかる予算が3960億円であることからも、その巨大さが分かるだろう。

恩給受給者の平均年齢は89.5歳であり、90〜94歳が25万人を占めるという。
軍人の他については、一般文官が6千人、警察監獄職員が5千人、教職員が1千人でしかなく、いかに旧軍が巨大な官僚組織であったかと同時に、巨大な軍隊を持つということが何を意味するかを示している。
なお、受給者の数が最大となったのは1969年の283万人であり、受給額(予算ベース)で最大となったのは1983年の1兆7358億円。83年の政府予算は50兆4千億円で、予算の3%が軍人恩給だったことになる。もっとも、人数的に最大だった69年には2500億円程度に過ぎず、70年代のインフレと旧軍組織(軍人遺族会)の自民党工作が大きく作用したと見られる。
現在のところ軍人恩給の最低保証額は月9万4千円(本人)、7万9千円(遺族)であり、国民年金(満額)の6万6千円を優に超す金額となっている。なお、尉官級だとこの2倍、佐官級だと4倍以上の金額になり、旧軍の階級が反映されている。

ただ、この人数にはカラクリがある。受給資格を得るには文官の場合15年以上の勤務が必要だが、軍人の場合は12年の上、戦地勤務は3〜4倍で換算されるなどの特例規定があった。従って、大戦末期に応召されたものや学徒出陣兵などは除外され、基本的には職業(帝国)軍人の「お手盛り」とも言えるシステムだった。例えば、中国に3年、フィリピンに1年程度で終戦を迎えても規定の12年を越すと見なされた。

この軍人恩給制度は、一度GHQ改革によって「軍国主義の根幹をなすもの」と判断され、「惨憺たる窮境をもたらした最大の責任者たる軍国主義者が(中略)極めて特権的な取扱いを受けるが如き制度は廃止されなければならない」(GHQ覚書「恩恵及び恵与」)と廃止の指令が日本政府に下された。
GHQの調査によれば、戦前の制度でも12年(将校は13年)の受給資格に対して、例えば在外勤務の1年は国内勤務の4年、航空機搭乗員は1年を3年に、潜水艦乗務員は1年を2年として計算されていた。また、官公吏が俸給の2%を恩給の「保険料」として納付するに対し、軍人のそれは1%だけだった。さらに、軍人以外の恩給が俸給額に基づいているのに対し、軍人には特例が適用されて俸給額よりも高い基準が置かれていた。例えば陸軍少尉の官給が860円であるのに対し、1400円を基準に計算されていたという。やはり戦前期の軍人は特権階級だったのだ。

だが、サンフランシスコ講和条約で日本が独立を回復し、占領軍が去ると早々に恩給法が復活した(正確には1953年)。GHQ改革による公職追放が中途半端に終わり、旧軍勢力がいかに温存されていたかを物語っている。もちろんA級戦犯やその遺族に支払われる一方で(むしろA級戦犯が高額の恩給を得ている)、台湾や朝鮮などの出身の軍人には支払われていない。
都市部に住んでいると実感できないが、地方では軍人会や遺族会(特に軍人恩給連盟)が従軍兵のところを回って脅迫まがいに恩給の申請と軍恩連への加入を強要するといったことが横行していた。戦時中の蛮行などを理由に辞退するものに対しては、露骨な差別や嫌がらせがなされたという。
ある証言によると2009年の衆院選に際して、某地域の軍恩連は「民主党が政権を取ると軍人恩給が廃止される」と言って自民党への投票を呼び掛けたというから、本質的なところで自民党は「帝政の亡霊」に取りつかれていると言える。

二次大戦末期には軍人恩給の予算は15億円にも膨れ上がっており、昭和16年(1941年)の一般会計予算が69億円に過ぎないことを考えても、日露戦争以降ずっと軍拡と軍人の特権化を続けてきたことのツケですでに首が回らなくなっていたことが分かる。昔軍隊、今特殊法人といったところだろうか。
私は旧軍の軍人に対して年金を出すことに反対しているわけではない。ただ、巨大な軍隊が巨大な官僚組織と化して自己増殖し、特権化して国家と社会を蝕む存在になることに警鐘を鳴らすだけである。
posted by ケン at 12:32| Comment(4) | 財政、社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
遺族会も自民党の支援団体の一つですが、母方の祖父が職業軍人かつ傷痍軍人でしたので、そういう意味では「特権階級」に属していたように思います。祖父は日中戦争、太平洋戦争に加わり、最後はブーゲンビルで尉官でした。
(祖父は70代で、祖母は80代で亡くなっているので、今は無関係ですが)

地方での遺族会関係と言えば、祖父母は大阪だったので大阪では尉官は少なかったけど、茨城に移ってきてからは尉官がすごく多くてびっくりしたという話を祖母から聞いたことを思い出します。(祖母は女学校卒で、戦争中は母と2人で、戦後は傷痍軍人となった祖父、母、叔母を背負っての生活でかなり苦労したこともあって、戦争や軍隊は大嫌い、サツマイモやカボチャは当時を思い出すから食べないという人でした)

こういう話を直接聞いていない世代が増えているわけで、自衛隊が護衛艦という名の巡洋艦や空母を運用したり、憲法解釈の変更、秘密保全法という危険な法律に対して鈍感になるのも仕方がないのかと嘆いている次第。
Posted by TI at 2013年09月19日 20:35
個々の軍人や遺族たちは当初恩給額が抑えられていたこともあって、苦労された方も多いようです。傷痍軍人問題は社会党や共産党ですら何度も取り上げています。
とはいえ、一度上げてしまうと下げるのは相当に難しいので、その辺のかじ取りが非常に難しいんですね。
Posted by ケン at 2013年09月20日 12:34
記録として。

傷痍軍人会 歴史に幕 「解散 平和の証し」
www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013100390135604.html
>戦争で負傷し、障害を負った元軍人らでつくる日本傷痍(しょうい)軍人会(日傷)の創立六十周年を記念する式典が三日、東京都渋谷区の明治神宮会館で、天皇、皇后両陛下、安倍晋三首相らを迎えて開かれた。日傷は十一月末の解散が決まっており、式典後に関係者で開いた解散式で、活動に事実上の終止符を打った。
>日本傷痍軍人妻の会も、日傷とともに解散する。都道府県ごとに置かれていた地方組織も、解散が相次いでいる。
Posted by TI at 2013年10月03日 14:50
総理がA級戦犯容疑者の孫にして復古主義者というのも皮肉めいておりますなぁ。
Posted by ケン at 2013年10月04日 12:52
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