2013年09月20日

陰謀論の難しさについて

アメリカなどによる対シリア軍事介入が取り沙汰される中、911テロやイラク開戦の経緯が検証され、「アメリカによる陰謀」論がネットを賑わせている。シリアにおける化学兵器疑惑では、「軍事介入の口実をつくるためにアメリカとイスラエルがでっち上げた」といった見方がある。
シリアで化学兵器が使用されたことはどうやら確かなようだが、「シリア政府軍が使用した」という証拠はアメリカも提示できておらず、米国が一方的に「確証がある」と主張するに止まっている。2003年のイラク戦争開戦時とよく似ている。
現実には、シリアに国連の査察団が入ったタイミングで、しかも査察団のいる首都近郊で使われたという状況だけ考えても、わざわざシリア政府が化学兵器を使用する合理的根拠が無い。さらに言えば、戦況は政府軍が優位に推移しており、政府側が急いで化学兵器を使用しなければならない状況になかった。とはいえ、戦果獲得に焦った現場の指揮官が独断で使用し、上層部も黙認した可能性は否めない。
だからと言って、「アメリカが戦争を仕掛けるためにスパイを使って事件をでっち上げた」とする証拠もない。ただ、アメリカとイスラエルの内部にはアサド政権を倒して「民主的政府」を打ち立てたい、あるいはパレスチナ和平を阻害したい勢力があることも事実で、彼らが何らかの工作や情報操作を行った可能性は十分に考えられる。
また、サウジアラビアやカタールとしては、イランからイラクを通して地中海まで引かれる石油・天然ガスパイプライン建設が脅威となっており、アサド政権を潰して計画を白紙にしたい狙いがある。さらにはレバノン・シリア沖に巨大な天然ガス田が存在するという予測があり、これも利害関係を複雑なものにしている。
ここから言えることは、「米帝の陰謀だ」(陰謀史観)にしても「アメリカを貶めようとする陰謀論だ」(反陰謀史観)にしても、どちらも先入観が強すぎて現実の状況を客観的に理解することが難しくなってしまうということだ。

911同時多発テロ事件が「ブッシュ政権による自作自演だった」とする陰謀論はいまだ根強いものがあるが、大方の人は一笑に付すだろう。ところが、米国政府による「アルカイダが同事件を計画、実行した」という主張はいまだ証明されておらず、「ビン・ラディンが犯行声明を出した」以上の具体的な証拠は十分に上げられておらず、いまだ事件の背景が分からないままだ。「20人目の実行犯」としてメディアを騒がせたムサウイの裁判でも、12人の陪審員のうち3人が「テロについて限定的な知識しかなかった」とし、さらにもう3人が「テロにおける役割は小さかった」としながらも、仮釈放なしの終身刑を宣告している。いまもって続いている同事件の裁判は、治安上の理由から連邦地裁ではなく、グアンタナモの軍事法廷で行われており、その内容は全く分からないままだ。
自作自演論を笑うのは容易だが、他方で事件の全容はいまだ闇に包まれているのである。これはケネディ大統領暗殺事件についても同様のことが言える。

「陰謀論は妄想に過ぎない」と断定してしまうのは危険だ。
満州事変の発端となった柳条湖事件は、今日では関東軍の板垣大佐と石原中佐らが中心となって計画し、特務機関や現地部隊が実行したことが解明されている。これを否定するものは、今日ではまず無いようだが、少なくとも当時は「張学良軍による破壊工作」として宣伝、報道された。同事件は満州事変に直結し、あまりにも日本側の手際が良かったことから、当時の日本国内でも「関東軍による謀略」の可能性が指摘され、軍や政府内部では殆ど共通認識になっていたものの、一般的には「関東軍による謀略」は陰謀論の扱いだった。
満州事変に遡ること3年、1928年に起きた張作霖爆殺事件は関東軍参謀だった河本大作大佐によって計画されたことが事件後に判明し、昭和天皇が田中首相に厳罰を命じるまでに至った。しかし、当時は中国国民党の工作員による犯行の可能性が指摘され、「満州某重大事件」として報じられた。現代でも「GRUが日本軍の犯行に見せかけて実行した」とする説もある。「陰謀論は妄想」という史観で見てしまうと、「日本の傀儡である張作霖を日本軍が殺すわけがない」という硬直した先入観が先に来てしまう。なお、「満州某重大事件」が「張作霖爆殺事件」として表に出るのは、17年後の第二次世界大戦の敗戦を待たなければならなかった。

盧溝橋事件の場合、中国では「日本軍による謀略」と広く信じられている一方、日本では左翼は「日本軍の暴走」、右翼は「中共の謀略」とする説がまかり通っている。事実としては、謀略説に該当するものは証明されておらず、分かっているのは軍事境界線上で日本軍が演習を行い、(恐らく)中国側が発砲したことに対して、日本軍が応戦して武力衝突が起きたということくらいで、後は一旦停戦が実現したにもかかわらず、両軍(どちらかと言えば国府軍による)挑発が続いたことで停戦が破られ、日本側の国論が沸騰し大動員して全面攻勢に至った。日本陸軍の参謀本部も政府の枢要も「不拡大方針」を堅持しており、全面戦争など想定していなかった。この場合、「日本軍による謀略」も「中共の謀略」も、小さな部分的要素として存在した可能性は否定できないが、国境紛争の直接的原因とは言えない。
また同時期に起こった第二次上海事変では、盧溝橋事件を受けて中国側が日本租界を包囲、緊張が高まっていたところに日本海軍の大山中尉が殺害される事件が起きた。租界保護のために海軍陸戦隊を上陸させたところ、中国側は本格動員して包囲を強め、中国側の発砲に日本軍が応戦したことから戦端が開かれた。上海では国府軍が綿密に縦深陣を準備して待ち構えており、大山事件についても国府軍側の工作と見る向きが強いが、中共やソ連による工作という指摘もある。かと言って、上海事変を「国民党の陰謀」と断じてしまうのは無理があろう。

1930年代にソ連で起こった大粛清の発端は、1934年12月に起きたセルゲイ・キーロフ暗殺事件だった。「反スターリン派の策謀」として大粛清の発端となるが、フルシチョフ以降は、「キーロフの人気に恐怖したスターリンが部下に殺害を指示した」としてスターリン個人の陰謀という理解がなされ、今日でも一応の定説となっている。
ところが、ソ連崩壊後にスターリン関係の機密文書が明らかにされても、スターリンとキーロフ暗殺を結びつける証拠は何も出ていない。実際のところ、キーロフが暗殺されて最も利益が大きいのはスターリンだったが、それ故にスターリンが真っ先に疑われることも明白だった。キーロフに「人気がある」と言っても国民全般の話でしかなく、当時党機関の権力はほぼ完全にスターリンの手中にあり、キーロフもスターリンにとって代わろうという野心はなかったと見られる。殺害までスターリンとキーロフの関係は良好であり、今日では暗殺時のスターリンの放心と動揺も明らかにされている。ケン先生的には、スターリンは殺害を指示しておらず、逆に殺害容疑が自分に降りかかることを恐れて先手を打って大粛清に乗り出したという説(亀山学派)を採っている。但しこの場合でも、ヤゴダなどスターリンの部下が独断で「危険を排除する」という手段に出た可能性は否めない。いずれにせよ、「反スターリン派の策謀」なのか「スターリンの陰謀」なのか今日に至るまで分からない。
赤軍大粛清についても、一時期ドイツのゲシュタポやSDによる陰謀工作にスターリンが乗ってしまったという説が持てはやされたが、最新の研究では裁判時にドイツの偽造文書が逆利用されただけで、ドイツによる工作が原因で軍内部の粛清が始まったという説は「陰謀論」に分類されるようになっている。

以前本ブログでイラク開戦の経緯を検証した際にも述べたが、「米帝が開戦口実をでっち上げた」と決めつけるのは容易であり、結果的にはそうなってしまっただけに尚更難しい訳だが、現実には単純な陰謀論で片づけてしまうには余りに多くの要素がからんでいた。
大量破壊兵器に関する膨大な情報が錯綜し、その多くは「不存在」を示唆していたにもかかわらず、イラク側が欺瞞情報として流したものがインテリジェンスのプロが疑問に感じながらも上に上げられ、ブッシュ政権中枢は「ほら、やっぱあるじゃないか!」と採用してしまった。
少なくとも今日ある証言と文書を総合すると、ブッシュ政権が大量破壊兵器に関する情報を捏造したという証拠はないものの、政権中枢が「大量破壊兵器は絶対にある」という固定観念に基づいて情報を恣意的に選び出し、その政治的選択肢を自ら狭めてしまったことが分かる。ただ、ブッシュ政権には軍産複合体やエネルギー業界の出身者が多く、情報の取捨選択や意思決定に大きく作用したことは十分に想像される。
これをもって「米帝の陰謀」と言うのは無理があるが、陰謀が働く余地があったことも確かだった。逆にフセインによる「大量破壊兵器があるように見せかける陰謀(欺瞞工作)」は成功していたのだから。

以上をまとめると、「○○の陰謀」と断定するのは自らを視野狭窄に陥らせ、本質を見誤らせる結果に繋がるが、かといって陰謀論を全否定すると大本営発表を盲信するだけの話になってしまう。政治の現場にあるものとしては、陰謀史観からも反陰謀史観からも一歩引いたところで、状況と当事者の狙いを客観的に評価することを心がけねばならない。それは容易なことではなく、ただ自分を戒めるのみである。
posted by ケン at 12:39| Comment(2) | 政治、社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
保守派ですが、『陰謀史観(新潮新書)』秦郁彦あたりを読んで、頭を冷やすのはよいかと。
近衛上奏文に典型的にみられるように、陰謀史観というものは、比較的高学歴の人々がかかるのが始末に負えないところですね。

「陰謀史観」は、複雑な歴史の事実を、わかりやすく明快に説明できるので、これからも人気は衰えないと考えます。

りふれ派の人々の中に、アイザック・アシモフのファウンデーションシリーズに登場する歴史心理学者のハリ・セルダンになりたいという経済者がいて、同名のブログがあります。
この学者は、まさに超能力をいかして世の中をそのように動かすことができます。そのようなことを夢見ているわけです。

また、同じくりふれ派では、経済思想史の田中秀臣氏と盟友の倉山満氏は、リフレ政策を支持するとともに、歴史的には、いろいろな陰謀論をふりまいて、あげくのはて、日本陸軍はか弱い存在であったと、第二次大戦の陸軍の暴走を過小評価します。

こういう人々が、安倍総理のりふれ政策を支持して、勢力を増大させています。

マクロ経済思想と、復古主義の結合とでもいうべきでしょうか?
嘆かわしく、警戒すべきことと思います。
Posted by 元 at 2013年09月22日 17:31
経済学というのは結局のところ過去の事象を検証して解説することで成り立っている学問ですから、本来は公式や定理をつくって法則性を編み出すものではないのですが、現実には過去の説明よりも将来予測の需要があまりにも大きいために、みんな手を出して火傷するのでしょう。
確かに過去の検証だけでは学問の存在意義が問われるのも分かりますが、本質的には「当たるも八卦」なんですよね。

陸軍については二次大戦時にはすでに世界の一流半か二流の装備だったわけですが、それを理解していた人たちが危機感を抱いて植民地確保とブロック経済化を急がせたものの、それを推進した永田鉄山や石原莞爾がいなくなると、目的が手段となって暴走に至ったというのが、片山杜秀先輩の仮説で、私はある意味で良い線行ってるかなと思います。
Posted by ケン at 2013年09月23日 20:14
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