2013年05月17日

浅沼稲次郎は何を訴えたか?

【社民本部に浅沼氏像移転】
 社民党は16日午前、党本部で、旧本部からの移転が遅れていた浅沼稲次郎元社会党委員長の胸像除幕式を行った。福島瑞穂党首はあいさつで「お帰りなさい」と声を掛け、「安倍内閣が憲法改悪と戦争への道をひた走っている今、平和と民主主義を訴えて倒れた浅沼さんの遺志をしっかり受け継いで頑張りたい」と決意を新たにした。
(時事通信、5月16日)

自分たちに都合の良い部分だけ切り取って強調する典型的サヨク史観。いや、福島は本当にそれを信じている可能性が高いだけに、一層タチが悪い。だが、戦前〜戦時中の浅沼の主張や行動を知っていれば、手放しで褒め称えることなどできないはずだ。

1932年、無産三党が合流して社会大衆党が結成される。浅沼は日本労農党(労働組合と農民組合の一部が母体)の若手幹部として加わった。社会大衆党の書記長は麻生久で、浅沼は心から心酔し弟子のように付き従っていた。その麻生は「軍部や革新官僚と手を組んで、労働者の権益を獲得する」という「親軍路線」を打ち出していたが、党内には異論も多く、一致はしていなかった。
浅沼は社大党の伸長に伴い、33年には東京市会議員、36年には衆議院議員になっている(東京4区でトップ当選)。翌37年の解散・総選挙も再選するが、同年7月に日中戦争が勃発する。社大党は不拡大方針を条件に政府の戦争遂行を支持、戦時予算に賛成する。党内では親軍派が拡大し、急速に国家社会主義的傾向を強めてゆくが、浅沼はそれを推進した一人だった。

1940年2月、民政党・斎藤隆夫議員が行った反軍演説に対して、3月7日の衆議院本会議で除名処分の採決が行われ、浅沼は麻生書記長に同調し進んで賛成に投じた。社大党からは安部党首を始め10人が棄権したが、執行部は後日党首を含めて8人を除名した。
同40年6月には「欧米追随外交を清算し、日英.日米交渉を即座に中止すること。仏印経由の援蒋ルートを遮断し、実力をもって仏印当局の不誠実な敵性を放棄せしむるの保障を確保すること」と北部仏印進駐を政府に要請(朝日新聞6月21日夕刊付)、この頃には完璧な軍国主義者となっていたと見られる。
だが、同年9月に麻生が死去すると、カリスマを失ったファンのように茫然自失となり、体調を崩し、42年3月に行われた「翼賛選挙」には出馬を辞退した。ところが、それが幸いして戦後の公職追放を免れたため、日本社会党の結成に際しては組織部長として参加、48年には書記長に就任、いつの間にか「平和と反ファシズムの闘士」になっていた。帝国とミリタリズムを称えた学校教師たちが、一夜にして自由と民主主義の伝道者になってしまったことと軌を一にしている。

私は社会民衆党の系譜を自認するものとして、社会大衆党の親軍路線が誤りだったことを率直に認めるが、しかし当時先輩方が置かれた環境の中で選択肢の一つだったことを全否定するつもりはないし、ましてその事実を秘匿するつもりなどさらさらない。ただ、過去に起きた事実を客観的に分析し、今日の政党と政治の有り様に役立てたいと考えているだけだ。
しかるに、浅沼の過去の主張や行動について、その都合の悪い部分を隠蔽し、都合の良い部分だけを強調する社民党は、歴史を捏造する右翼とその本質において何ら変わらない。歴史的使命を終えた社民党は一日も早く解党し、浅沼像は三宅島に寄付すべきである。

【追記、5月20日】
決定的証拠、1940年6月21日付朝日新聞夕刊。
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posted by ケン at 23:49| Comment(10) | 日本語、日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
確かに社民党は役目を終えているので解党すべきかもしれませんね、ただもし解党したら生活の党が困ると思います(笑)(でも解党したら生活の党に合流すれば良いか)
Posted by ドーベン・ウルフ at 2013年05月18日 18:47
謙虚なケン様に感動。

最近、このような人間のむずかしさ・愚かさをみつめつつも、それでも正義を!という社会民主主義的なリアリズムにがない。

朝日新聞が橋下氏を昨年反原発にからみ社説で持ち上げていたことを、苦々しく思い出す。
Posted by 元 at 2013年05月18日 19:41
浅沼氏は一応、昔から平和主義者だったわけではなく、東京大空襲で仲間や近所の人間が多く亡くなったことが平和主義者に転向したきっかけだったと述懐しています。河上丈太郎氏は公職追放が解除された後に「私はかつてある組織に所属していたために公職から追放された。そのことを私は否定しない。もしもそれが問題だと思う方がいれば他の候補に投票してほしい」と述べ、さらに自らの戦争責任を認めた上で岸信介に戦争責任を迫っています。浅沼氏や河上氏を過度に美化するのはいさめるべきですが、彼らが曲がりなりにも自分たちの戦争責任を自覚し、それゆえに戦後、平和主義に傾倒していったことも評価するべきだと思います。
Posted by hanamaru at 2013年05月19日 16:19
社民党は主張的にも中に居る人たちのイデオロギー的にも共産党にこそ合流すべきかと。

政治に関わるものは権力行使について抑制的でなければなりません。周囲への影響が巨大だからです。同時に普段抑制的であるからこそ、いざという時に大胆な決断を行っても「今回は特別だ」として許されるのです。平素から刀を見せびらかして歩いているものにロクなものはおりません。
また、過去を美化するものは、現実の政治課題や状況分析に際しても、客観的視点を欠いて大きな過ちを犯すはずです。

hanamaruさん、
私は先人を断罪するつもりなどありませんし、その資格があるとも思っていません。格差是正よりも平和を訴えた日本無産党が惨敗した歴史を知っているだけに、革新官僚や軍官僚との連携が当時の選択肢としては現実的だったのだろうと見ています。
私が許せないのは、過去を美化し、隠蔽しようとする社民党、特に党首のスタンスなのです。その書記局の中にも社会主義協会やチュチェ研の系列でありながら「尊敬する人物は浅沼」などと豪語するものがいることを知っているだけに、一層許せないわけです。「おまえら労農派だろ!」とw
河上氏の話は私も重々承知していますが、考えてみれば、浅沼氏の戦前についての述懐、自己批判については見たことがないので、ご紹介いただければ幸いです。
Posted by ケン at 2013年05月19日 17:24
数年前にNHKの「そのとき歴史が動いた」という番組で安保闘争を特集していて、その中で浅沼が戦前は戦争推進の立場にいたことが紹介されたあとに、浅沼の「私の履歴書」(おそらく新聞に掲載されたもの)の文章が紹介され、東京大空襲を機に浅沼は平和主義に転向したと解説していました。その中で東京大空襲で仲間や近所の人々を亡くした浅沼は「戦争は怖ろしい。全てを破壊する。そのとき、私は残りの人生を平和運動に捧げることを決意した」と述懐しています。戦前の行動について彼がどういう風に「私の履歴書」に書いていたのか知りたく、浅沼関連の本を調べてみたのですが、浅沼の死後、社会党が刊行した『驀進』をはじめ、どこにも採録されていませんでした。(他の政治家のこの手の本には必ず「私の履歴書」は採録される)
 ちなみに、左派が浅沼を神格化するのは、浅沼の死後、社会党内で台頭した構造改革論をつぶすためです。構造改革論を打ち出して江田三郎が台頭した際、左派の重鎮・鈴木茂三郎が「浅沼の死の直前、既に党内では浅沼の反米路線と江田の構造改革論が対立していた。左派は浅沼の遺志を受け継ぎ、構造改革論をつぶさなくてはならない」と主張し、浅沼を反米の闘士へと祭り上げました。(鈴木の「忘れえぬ人々」というエッセイを参照)
Posted by hanamaru at 2013年05月19日 20:19
ありがとうございます。
青空文庫にある「私の履歴書」を見る限り、若干ニュアンスが違う印象を受けます。もう少し調べてみましょう。
左派の神格化はやはりソ連仕込みなのでしょうねw
Posted by ケン at 2013年05月19日 22:53
青空文庫で「私の履歴書」が見られるのですね。私も見てみましたが、前前の己の行為については頬かむりしていますね。どうもNHKの印象操作に乗せられてしまったようです。戦前の行為を反省したのはやはり河上氏ただ一人のようです。ただ、浅沼氏は生前は「大衆政治家」という位置づけで平和主義者として称賛されるようになったのは死後のような気がします。
Posted by hanamaru at 2013年05月19日 23:08
まぁさすがにNHKが完全にでっち上げるというのも疑問なのでどこかに回顧資料があるのでしょうが、今のところはネタは不明ですね。
確かに平和主義者として持ち上げられたのは死後のことかもしれません。となると、やはり死者をも利用する労農派の陰謀である可能性が出てきますね。であれば、協会派が持ち上げる理由も。。。
Posted by ケン at 2013年05月20日 13:08
どこにコメントを・・・と悩んだけどここかな。

地元っていってもいま住んでる宮城県北部へは仕事があってなんで、地元の歴史というものはよくわからん状態だったのですが、有名どころだと吉野作造。(生家はスクラップにして、別の場所にハコモノ記念館あり)

先日、通ってる整骨院(ちょっと遠いけど腕は良い)にたまたま置いてあった地域情報紙(手作りのもの)を読んでいたら鈴木文治という名前。メモして自宅で調べてみたらびっくりでした。
その接骨院の近所には「安重根の碑」があったりと近代史のミステリーゾーンか!と思ってしまいました。
Posted by TI at 2013年07月18日 16:05
M県はキリスト教の伝統があるせいか、近代政治史においても貴重な資料が多そうですね。
Posted by ケン at 2013年07月19日 12:46
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