2013年05月29日

シミュレーションゲームの効用‐リスクテイクと全体最適

ウォーゲーム・シミュレーションゲームを始めて早や30年になるが、最近はとみに「仕事に役に立っている唯一の趣味」という確信を抱いている。この確信は私だけのものではなく、同好の士の多くが同様のことを感じている。特に私と同世代の人間の多くが、一定の責任を担ったり、人を使ったりする立場に立つようになったことが、一層その思いを強くしているのだろう。私自身は責任ある立場でも、人を使う立場でもないのだが、主権を行使する国会議員を補佐するものとして、議員の情勢認識や政治的判断・決断を支える任を担っているだけに、事務員としての秘書ではなく、指揮官と参謀のような関係を強く意識している。

では、その「役に立つ」理由、つまりゲームをすることで得られる効能とは何なのか。それはどうやら「リスクテイクして決断することの経験値」、つまり「確信をもってリスクをとり、決断する」こと、そして「目先や局所の利益ではなく全体・長期的な利益を見る視点」なのではなかろうか。

国産ゲームのデザイナーとして最長老にあたる鈴木銀一郎氏の方法論、いわゆる「銀一郎イズム」は山崎雅弘氏の定義を拝借すると、

・プレイヤーの視点を「後世の歴史家」ではなく、「当時の軍事指導者」とする。
・当時の軍事指導者が抱えていた不安、問題意識、ジレンマなどの要素をデザインに盛り込む。
・当時の軍事指導者が有していた裁量権を最大限プレイヤーに反映させる。


ということになる。
「後世の歴史家」は、現場の当事者よりもはるかに多い情報と歴史的結果を知った上であれこれ論評するが、実際の当事者は非常に情報が限られている上に、置かれた状況、資源、人間関係などによって思考や判断の多くが拘束・限定される。
結果を知る後世の人間からすれば、「どんだけバカなんだ?」と思われる決断も、当事者としては合理的な判断に基づいていたケースは少なくない。前者の「どんだけバカ?」という万能主義的な視点はただの評論家のそれに過ぎず、そこから学べることは多くない。可能な限り当事者と同じ立場・視点に立ち、情報量や情勢認識、そして各種のジレンマ(状況、資源、人間関係)を共有して初めて決断者としての知見が得られるのではなかろうか。私の記事でも、

・イラク大量破壊兵器に見る政治決断の限界 
・ソ連のアフガニスタン介入における意思決定過程 
・経済予測は難しい〜歴史評価の難しさ 

などを始め多くの分析に「銀一郎イズム」が反映されている。

イラクにおけるアメリカ、アフガニスタンにおけるソ連、そのどちらも今日の人間の多くは「最初から確信をもって侵略した」と考えているが、それは結果を知ってしまっている者が断定あるいは断罪しているに過ぎず、その視点から学べるものは少ない。
だが、我々は日々仕事の上で、あるいは個人的な事柄に際しても何らかの決断が求められることが多く、その決断に際してはやはり限られた情報と資源の中でコスト・リスクとベネフィット(利益)を比較、全体状況を鑑みながら何らかの結論を導き出す必要がある。
例えば、千円の本を買う際に、コスト(金額)とリスク(期待した内容ではないかもしれない)と利益(読んで役に立つ)を緻密に考えるものは稀だろう。5千万円の家を買う際には散々悩むだろうが、そんなのは一生に一度くらいしかない。一般的な生活でコスト計算やリスク計算をする機会は実は少ないのだ。だが、こうした計算はある程度の熟練(経験値)が無いと判断の基準(データ)が少ないため、結局のところ損なのか得なのか、やった方が良いのかやらない方が良いのか分からなくなることが多い。

シミュレーションゲームでは、限られた情報や条件の中で、コスト(兵力)とリスク(失敗した場合の影響)と効果を考えながら、常に間断なく決断が求められる。10対1での攻撃を躊躇うことはまず無いが、2対1や3対1での戦闘はリスクと効果の判断が難しくなる。場合によっては、損害を覚悟して1対1での戦闘を仕掛けねばならないこともあるし、リスクや全体状況を考慮して4対1の戦闘を諦めることもある。また、近隣の攻撃を諦めて戦力を集中し、2対1を4対1にしてから攻撃することもある。
こうしたコストとリスクを計算して「やるやらない」の決断を何時間も間断なく続けることが、計算データを積み重ねると同時にコストとリスクの意識を習慣として固着させるものと考えられる。
とかく日本社会ではリスクヘッジ(回避)ばかりが強調され、小さい頃からあらゆる場面で「失敗しない」ことが求められる傾向があり、「リスクをとる」という意識や習慣がどうしても身に付きにくい。スポーツ界を見れば分かりやすい。日本の場合、野球では守備、サッカーではパス、バスケではディフェンスといった練習は常に攻撃よりも重視される。
「リスクをとらないと勝てない」「アクションには常にリスクを伴う」は当然のことなのだが、リスクヘッジを至上とする文化の下で育った日本人は、よほど意識しないとリスクが取れない。この傾向はどうも下の世代になるほど顕著なように見受けられるが、それはその上の世代がそう仕向けている側面も否めない。

もう一つ重要な視点は「全体最適」である。
例えば、民主党政権は常に近視眼的で、鳩山氏の支持率が下がれば引きずりおろし、一年とたたずにマニフェストを撤回し、予算が足りなくなると消費増税を強行、消費増税を強行するために小沢派を放逐、「約束を守るため」に自爆解散に及んだ。これらはことごとくその場を凌ぐために行われたわけだが、結果的にはどれも民主党にとってマイナスとなり、敵を利するだけに終わった。民主党には全体像や戦略を見渡せる指導者が小沢氏を除いておらず、その小沢氏を排除して、個別に局所ごとに最適化を果たしていったところ、次々と全体のバランスが崩れ、収拾がつかなくなってしまった。
シミュレーションゲームでは、常にマップ全体を見渡して、勝利条件を見定た上で自分が持つ兵力を適切に配分し、効率よく戦闘を進めなければならない。仮に一か所の戦闘で大勝利したり、敵の大型戦艦を撃沈したところで、別の戦線が破られてしまったり、自軍の根拠地が陥落してしまっては元も子もない。
民主党のマニフェストで言えば、「できること」「できそうなこと」「できないこと」くらいに分けた上で、どこにどれだけの政治的資源・戦力を投入すれば実現可能なのかといった全体のバランスや中長期的な構想がどこにも無かったことが最大の問題点だった(後で分類したものの完全に手遅れとなった)。
現在の右派にしても、中国に対して威勢こそ良いものの、仮に尖閣で地域紛争が起こり、一回の海戦に勝利して尖閣諸島を一時的には保持できるとしても、中国市場を失い、台湾海峡が封鎖されたままの状態でどこまで日本が生き延びられるかという視点はどこにも無い。ちなみにエネルギー自給率は原発が稼働していない日本は5%、中国は80%以上になる。まして、日本はロシアや朝鮮半島とも緊張状態にある。

こうした視野の狭さや近視眼性が日本をますます低迷させている。
国会議員や秘書、あるいは国家官僚は英語なんぞではなくシミュレーションゲームこそを必須科目に据えるべきである。
私も新党結成して党員・幹部教育に従事する際には推進したいと考えている。
posted by ケン at 13:01| Comment(10) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
確かに日本人はリスクをとる事が出来ない為に失敗を恐れて集団主義的なり、はみ出した人間を排除する
という非生産的な行動をとってしまいがちですがこれはとても危険な事だと思います(私もそのせいで排除されてきたので)
やはりこれからはリスクをとる事を恐れず個性を大切にする教育が必要だと思います
そして戦略シュミレーションは是非日本の教育に取り入れて欲しいです(多分小学生はめちゃくちゃハマると思う)
Posted by ドーベン・ウルフ at 2013年05月29日 19:36
ニキータ・ケン誕生ですか???
Posted by 石田博 at 2013年05月29日 23:37
組織内の同質性を重視するあまり異端者を排除する傾向は、日本に著しいですね。いじめ問題が深刻なのも、日本型組織における同調圧力の強さを受けてのことでしょう。
私自身も左派内にあってすら常に異端扱いで、今もかろうじて捨扶持で暮らす身分ですから、本当に息苦しい社会です。
それはともかくとして、シミュレーションゲームは何とかもっと広めたいですよね。

石田さん、
ヨシフに「同志の母君は確か○○系だったかな?」とか言われて、脂汗を流しながら全力で否定するんですか、勘弁してくださいよ〜〜
Posted by ケン at 2013年05月30日 12:43
 はじめまして。小生も某大学の同好会(略称ゲ道)出身です。
 全くのよわっぴいですが思考法に影響があったと思っています。御趣旨には大いに賛同します。小沢への評価は外から見ると、自爆を繰り返しているのにずいぶん高いなあとは思いますが。
 さて、リスクヘッジ指向よりむしろ問題なのは、偉い人はどれほど失敗し被害を出してもきちんと裁かれ処罰を受けることがなく、一方、下々は恣意的には腹を詰めさせられるということにあると思います。

 つまり、偉い人は自分に対してはノーリスクで、組織と下々に対してはハイリスクでマイナスリターンな攻撃的(誰に対してだよ怒)施策をとりまくる方が普遍的だと思えます。原発やバブル崩壊後の処理やドアホノミクスや安倍外交や年金記録や拉致問題における公安や海保の責任者の問題、裁判所、検察、警察などは目立ちますが、東芝の不良債権だろうが、個々の職場でもいくらでもあるでしょう。

 高梨 俊一派なので鈴木さんは必ずしも評価しませんが、鈴木さんはシミュレイターで”ソ連では失敗した指揮官や弱腰の指揮官はどんどん処刑して淘汰し、優れた軍隊へと進化させた。その意味で大日本帝国は軍国主義ではない”という趣旨のことを書いていたと思います。

 こういう下に対して理不尽な国で絶対多数の下々がリスクヘッジ指向を選ぶのはSLG思考から言って当然でしょう。もう一つは上はどうせ強行するので、調子を合わせてゴマをすり、担当を回避して予定通りの失敗の時に詰め腹要員を逃げ、生きて出世を目指すことですね。

 
Posted by L at 2016年12月30日 17:05
コメントありがとうございます。

日本型組織は下に責任を負わせて上は責任をとらないので、良いときはイケイケですが、一度状況が悪化すると何も決められずにズルズルといってしまう傾向があります。二次大戦や原発事故の責任が誰にあるのかハッキリさせず、誰にも責任をとらせないとあっては、同じ失敗を何度でも繰り返す恐れがあるのです。
今のような状況になってしまっては、戦前と同様、個人として生き延びるすべを考えざるを得ません。

高梨先生のデザインは理論上は「その通り」と思うのですが、ゲームとしてみた場合、どうしても面白みに欠けるので、つい銀一郎先生に軍配を上げてしまいます。
日本型組織は根源的に非効率なので、「武力による効率的な国益追求」という意味での軍国主義には不向きなのですが、単純に「軍閥支配」という意味では否定できないと思います。

小沢氏については、敗北が多いからといって評価を下げる必要はないと思います。織田信長も何度も敗北していますし、徳川慶喜に至っては何一つ成功していませんが、やはり能力の高さは群を抜いていたのと同じです。特に政治の世界では、能力の高さが勝利に結びつくとは限りません。もしそうだとしたら、安倍総理は戦後一番目か二番目に有能ということになってしまいますから(笑)
Posted by ケン at 2016年12月31日 19:58
 ありがとうございます。概ね同意します。
 でも
>日本型組織は〜、一度状況が悪化すると何も決められずにズルズルといってしまう傾向があります
については異論もあります。

 何も決められない場合よりも、東芝の原子力部門が分かりやすいですが次々と1:3式攻撃的自滅的悪手を打ち続けたり、個々の高級将校の保身のために降伏を先延ばしにすべく特攻やら沖縄捨て石作戦や硫黄島遅滞戦をやったりと問題を悪化させる手を打ち続けるのが日本的に見えます。ドアホノミクスや中国包囲網や歴史戦や改憲や火遊び法、隠蔽法などもそうでしょうし、バブル後の処理もそうでしょう。311に民主党政権が「日本には領土問題はない」と閣議決定して、日中の棚上げという黙契を破り挑発したのもそうでしょう。何も決められないのではなくむしろ何もしない方がマシなのに、次々と悪手をキメてきたわけです。
 こうして悪手を打ち続けるととりわけ下々の事態は悪化しますが、偉い人は逆手にとってゲーリング式統合を仕掛け、多くの下々は乗せてきました。
 偉い人はそもそも自分が愚鈍だから問題を引き起こしたのですが、これを逆手にとって問題を悪化させつつ(マシなやり方に替えると失敗を認め責任問題に晒されますからそもそも選択肢から削ってあります)ショックドクトリンを仕掛けて威信を増大、支持を調達しつつ更に専横を増しただでさえ多い取り分を更に増やしているのではないでしょうか。世間様は状況が悪化すると、モノを一層考えられなくなり、得てして権威に縋り、何の権力もなく心理的に見下せる異端と批判者を攻撃しだします。世間様に偉い人へ失敗の責任をとらせる断固たる意思が希薄なら、SLG的に言って日本の金持ち・偉い人のこのムーブは極めて正しいでしょう。実際、労働法や刑法、持ち株会社解禁など独禁法をはじめとする金持ち偉い人万歳な法体系の変化や内部留保の増大などで「VP」の継時変化を見れば明らかでしょう。
Posted by L at 2017年01月01日 14:27
鈴銀先生のデザインだったと思いますが、
『ザ・黒幕 日本支配』
が現代日本の実態を優れて忠実に描いていた気がします(自衛隊の武力以外)。
Posted by o-tsuka at 2017年01月01日 22:23
私が言う「何も決められない体質」というのは必ずしも「決めない」ということではなく、意思決定過程や責任の所在が不明確であるため、成り行きや空気の中で無責任な決定がくだされ、しかも検証されないということです。日米開戦もインパールも「決めた」ことは確かですが、なぜ、どのような理由で、というのが全く分からないことが問題なのです。
日本型組織は基本的に情実なので、往々にして能力とは無関係に出世がなされるので、昔から「日本の組織は上に行けばゆくほど無能」といわれる傾向があります。象徴的なのは、日本の会社は職能では無く人格で人を雇い、労働契約を交わすため、職務が不明確で、そもそも成果を計量する術が無いにもかかわらず、成果、成果と騒いでいるところがありますよね。

「ザ・黒幕」は今でも時々同人で「現代版」を見かけるので、人気作の一つですよね。「クレムリン」の日本版や現代版も欲しいところですが。
Posted by ケン at 2017年01月03日 09:41
ずいぶん前にも書いた気がしますが、成果主義を日本に本格導入した張本人の一人は父の親友で、わたしも親しくして頂いている方なのですが、彼の主張は

・成果主義給与対象者の実力を正確に把握すること、できていること
・絶対的な成果ではなく、本人の実力に対して相対的に成果を出したか否かを判定すること
・総務などへの導入は難しいので部門を選ぶこと
・査定のコストなども含めて給与総額はむしろ増大しなければおかしい

というもので、肝心のこの辺がほっぽらかしになって単なる給与抑制策とされたのが致命的だったと思います。
Posted by o-tsuka at 2017年01月04日 13:40
ドイツの準公益法人に勤めていた叔母は、毎年「今年の職務は何が何割、何が何割」と決められ、時々「来年は何を何割にするがいいか」などと聞かれ、当時は「この割合になんか意味があるのだろうか」と思っていたそうですが、ドイツ人の従業員は「これは自分の仕事では無い、自分の契約にはこうなっている」と上司に直談判していたそうです。さらに、同僚とディナーに行く約束があり、その同僚の仕事が終わらないので手伝っていたら、「何やっているんだ!」と叱られたそうです。人が手伝ったら個々人の成果を公正に評価できなくなるわけですから、当然そうなりますよね。
まぁ日本が導入したものは全く別物だったということです。
Posted by ケン at 2017年01月05日 13:52
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