2013年03月25日

謙信上洛(GJ)

1990年にツクダから発売された『謙信上洛』がゲームジャーナル付録として再販されたので、超久しぶりにプレイしてみた。
オリジナルの方は当時大学生だったこともあって、サルのようにプレイしていたことが思い出される。ただ、シミュレーション性よりもイベントと謙信の戦闘ダイス次第のゲームだったように記憶しているが、今日見てみるとどうだろうか。

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史実では天正5年(1578年)3月に春日山城の雪隠で脳溢血に倒れ、そのまま永眠した上杉謙信だが、本作は「もし謙信が死なずに甲相越同盟の下で上洛を行っていたら」という仮説をゲーム化している。残念ながら最新の研究では謙信が考えていたのは上洛ではなく関東再侵攻だったとする説が強くなっているが、それはまた別の話。
すでに前年の能登平定戦で畠山氏の救援要請を受けて来援した織田信長の軍勢3万余に対して、謙信率いる2万の軍勢が先制攻撃を仕掛けて上杉方の大勝利に終わっている(手取川の戦い)。この時は上杉は能登平定を進め、冬に入ったので春日山に帰陣している。
本ゲームでは、上杉方の最大動員兵力は約4万、それに加賀一揆勢の8千が加えられる。また、甲斐からは長篠戦で大敗した武田勝頼が2万4千の兵をもって西進し再戦を期す。そして、同じく弱体化したとはいえ摂津・石山本願寺と毛利が西から京を脅かす。
他方、織田方の兵は優に8万を越し、さらに1万4千の徳川勢が加わるが、三方向から押し寄せる敵に対処しなければならず、特に圧倒的な戦闘力を誇る軍神・謙信に対しては倍近い戦力を集める必要がある。
名作『信長最大の危機』から8年後の設定であり、浅井・朝倉もいなければ、武田信玄も死亡し、本願寺も大幅に弱体化している。だが、その分強大化した上杉家と直接対決が強要される形になっている。

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賤ヶ岳の隣の山に砦を建てて籠ってみたものの、謙信は無視して南下、補給切れのまま近江を走り抜けて京に突入した。忘れてたけど、そういうゲームだった。この辺もなんだかなぁ。。。

今回はオプションとして新たに加えられた上杉と武田の追加軍勢を採用してみた。
私の印象では「若干織田が有利か」というもので、謙信で手取川が再現されたことも、雑賀・本願寺勢や毛利勢が京に旗を掲げたことも何度もあるだけに、バランスの悪いゲームというイメージはなかったのだが、一般的には「織田が有利」という評価が強かったらしい。
増えたのは上杉、武田ともに8千程度だったが、武田勢が増えた分、徳川救援部隊を増やさないとならないが、すると大殿直率部隊が削られてしまい、過少な主力をもって増員された上杉軍との決戦を強いられる形となる。決戦すると、上杉勢に与えるダメージが少なく、織田勢の兵力だけが削られてゆく。しかも、上杉方は兵力的に余裕が生じているため、加賀や越前の小規模な城は次々と強襲で落としてしまい、電車道となって織田方は遅滞戦術を講じる余裕すら無い。下手をすれば北ノ庄城すら強襲で落ちかねない。
かと言って、遠江に送る部隊を減らせば、浜松城が包囲されて、三河・尾張がガラガラになってしまう。摂津方面は少しでも手を抜くと本願寺勢が京に突入してくるだけに気を抜けない。今回のプレイでは、上杉・武田強化バリアントでは織田方に勝ち目が見つけられなかった。

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浜松城で包囲される家康。長篠へ向かう高坂弾正。足助城には真田昌幸。織田方の滝川一益が武田の武節城に反撃中。

久しぶりにプレイしてみると、謙信プレイヤーは燃えるかもしれないが、織田方はパズルチックな思考をしないとならず、今一つテンションが上がらなかった。何方向にも敵を抱え、状況的にはずっと苦しいはずの『信長最大の危機』の織田方の方が燃えるのは何故だろうか。
もう一度オリジナル・バージョンでプレイしてみるかなぁ。
posted by ケン at 13:10| Comment(2) | ゲーム、囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今の日本には上杉謙信のような政治家が必要かもしれません
圧倒的軍略と何物にも怯まない精神、そして義の心
どれも今の政治家に欠けているものばかりです(上杉謙信に匹敵する政治家は今のところ小沢一郎氏や亀井静氏ぐらいです)
Posted by ユースタス・キャプテンキッド at 2013年03月28日 21:33
小沢氏も亀井氏も恐縮しそうですね。
Posted by ケン at 2013年03月29日 12:52
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