2012年08月11日

リアルな時代劇を求めて〜薩摩健児残酷物語

「リアルロボットのリアリティを求めて」で、ロボットアニメとリアリズムの両立を求めたことがあったが、やはりオタ市場では成り立たないようで、4年以上経った今でも、残念ながらリアリズムは追求されていないようだ。
そして、もう一つ私が不満に思っている表現がある。

それは、時代劇だ。
このテーマも、実は2年前に「映画化したい時代劇」で書いてしまっている。
60年代までの作品は別にして、特に最近つくられるドラマや映画は「そんなの武士じゃねぇ」と叫びたくなるものばかりで、私などからすると全くリアリティが感じられない。
同じことは戦争映画にも言えて、最近の日本映画に出てくる軍人役の役者たちは殆ど軍人に見えないのだ。
武士と軍人に共通するのは、自律自戒(武士・軍人で在ることの自覚)と蛮性(死狂い)であろう。
このうち前者は、経験ある俳優であればまだ演技できるようだが、後者は演技力だけではどうにもならないものらしい。

平田昭彦(故人)という役者がいる。私よりも上の世代の方ならご存じかもしれない。
『ゴジラ』で芹沢博士を演じた役者さんで、私の世代的には『ゴジラ対メカゴジラ』の宮島博士が思い出される。
戦争映画では、『日本のいちばん長い日』では厚木基地で反乱を起こした小園司令の副官、『連合艦隊司令長官山本五十六』では戦務参謀を演じている。
彼は、実際の昭和20年8月15日に、陸軍士官学校生として松代大本営に配備されていて、現実に「徹底抗戦、聖戦貫徹」を唱えて降伏に反対したという経験があった。
映画ではクールな役柄が多く、実際に戦後は東京大学に進学して法学部を卒業した超エリートだっただけに、なお興味深い。
60〜70年代くらいまでの戦争映画に出演されている俳優たちは、実際の戦争の空気を知っているだけに、人間の蛮性というものを本質的に理解しているのだろう。そして、それが無いと、ただ威張っているだけのチンピラみたいになってしまうのだ。

話を戻そう。
数年前に放映された大河ドラマ『篤姫』は、私にとって非常にショッキングだった。
薩摩藩士が、江戸の幕臣と殆ど同じ武士みたいに描かれていたからだ。
薩摩藩にもインテリがいたことは確かだが、根源的には藩の政策として大多数の下級藩士には最低限の教育以外はひたすら武力と蛮性のみを鍛えるように仕向けてきた。
そこには、「教養は戦闘力の低下にしか繋がらない」という発想が存在した。
そのため、中世の鎌倉武士のDNAを濃厚に継承する施策や習慣が採られた。
中世武士の蛮性の本質についてはこちらを参照していただきたいが、鎌倉期の絵巻物『男衾三郎絵詞』にはこんな一文がある。
弓矢とる物の家よく作ては、なにかはせん。庭草ひくな、俄事のあらん時、乗飼にせんずるぞ。馬庭のすゑになまくびたやすな、切懸よ。此門外とをらん乞食・修行者めらは、やうある物ぞ、ひきめかぷらにて、かけたてかけたておもの射にせよ

要するに、「サムライの家では、馬草にするから庭の草は放っておけ、庭には常に生首をさらしておけ、気合いだ!外で乞食や放浪者を見つけたら、引っ捕らえて、弓矢の練習の的にしろ!」ということである。
武家がいかに恐ろしいか、新渡戸らが考えていた武士像がいかに理想化されたものか、良く分かるのではないか。

これらを踏まえて、私が構想(妄想)しているのが「薩摩健児残酷物語(仮)」である。
間違って理想化されてしまったイメージを正し、真の武士像を示すことを目的とする。
ストーリーは単純に1人の架空の薩摩健児の成長物語で、舞台は明治初頭。いくつかのエピソードを繋いでいく感じ。

第一のエピソードは、主人公が7歳の頃。
ある日、何も言われぬまま、母親に公開処刑場に連れられてゆき、弁当を渡された上で、きつく言い渡される。
「これからここで行われる死刑を、最初から最後まで凝視した上で、この弁当を食べ終えるまで、帰ってきてはなりません。」
しかも、死刑の後、遺体の肝臓や腎臓をめぐって、筋骨隆々のもののふたちが奪い合いの大乱闘を繰り広げる。

第二は、9歳の時。
近衛兵として在京していた主人公の次兄は、吉原下で起こった刃傷沙汰で複数の旧会津藩士に斬り殺されてしまう。
その際、同行していた美少年(稚児)の某は腰を抜かして逃げてしまった。
兄の葬儀には某も参列、焼香になっても、棺の蓋を開けたままになっている。
長兄は、某の顔を見るやいなや、
「おはんが一番焼香じゃ。さきぃ拝め!」
と叫ぶ。
某は、ブルブル震えながら前に出て、焼香をあげ、次兄の遺体の上にうなだれたところ、長兄は抜刀し、一刀のもとに某の首を叩き斬り、その首はボトリと棺の中に落ちる。刀を収めた長兄は、
「こいでよか。蓋をせい!」
と言って出て行く。

第三は、11歳の頃。薬丸自顕流の鍛錬と「妙円寺参り」。
広い屋外には立木が並べられ、弟子たちは皆轟くような甲高い奇声を上げてひたすら斬撃を加えてゆく。
その精神は「二の太刀要らず」の「抜即斬」。
たまたま通りすがった砲兵工廠の警備兵が、「まるでサルだな。さすがサツマイモ」と言ってしまう。
師範代が出てきて、「そげん言うなら、一度受けてみんか。その鉄砲で守ればよか」と言う。兵はゾクッとしながらも、逆らえずに言われるがまま、小銃を横にして太刀を受ける体勢をとる。
師範代は、木刀を手にトンボの構えから一呼吸して、「キェーッ」と掛け声とともに突貫、小銃ごと頭を叩き割ってしまう。
「こいでよか。川に捨ててこい!」

「妙円寺参り」は、関ヶ原合戦が行われた10月になると、鹿児島城下の二才(ニセ)たちは、武具を身につけ、あるいは武具を担いで、義弘が祀られている徳重神社までの20キロ(往復40キロ)を走るイベントを指す。走っている間は、ひたすら惟新公(義弘)のことを思い、「チェストー関ヶ原!」と叫び、それ以外のことは一切考えてはならない、という掟まで課された。

西南戦争に際しては、主人公は14歳であるにもかかわらず、父親が勝手に17歳と申告して出征させてしまう。
その出征祝いでは、天井から銃をつるして、クルクル回す「ロシアンルーレット」が行われ、酒が回ると大乱闘の大暴れが始まり、店ごと潰してしまう。
そして、主人公は田原坂で斬込隊に参加して、官軍に突撃するも、あえなく一斉射撃で戦死してしまう。享年15歳。

あとは要素としての衆道と、どこかに薩摩流の切腹シーンを加えればOKだろう。
やべっ、めっちゃ売れるとしか思えないんデスけど!!!
特にロシアやモンゴルでは空前絶後の入りになるだろう。
逆に鹿児島からは猛抗議が来ることは間違いないな……すべて事実に基づいたエピソードなんだけど……
とはいえ、今の日本に凄みのある武士を演じられる役者がいそうにない。
やっぱ妄想に終わってしまうのか……
posted by ケン at 00:15| Comment(2) | 日本語、日本史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
テレ東のトータル・イクリプスの1話2話なんてどうでしょう?
Posted by ケンケン at 2012年08月20日 11:20
あのシリーズは戦争や戦場の惨さに真正面から向き合っていて凄いですね。
昨今のサブカル文化の中でも異色と言って良いでしょう。

時代劇で言うと『シグルイ』が凄かったですが、あれはやり過ぎかと。
『へうげもの』なんかも絵柄は別にしてきちんと描いていると思います。
Posted by ケン at 2012年08月21日 13:15
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